第1話 アイシャルトの街
「アイシャルトはいい街だよ」
カラカラと揺れる馬車の上で、おじさんが言った。
汽車は通っていなくて帝都に比べれば見劣りするかもしれないけれど、その分だけ人のつながりが強いらしい。馬車を操縦しているおじさんの出身もアイシャルト。歌うように、いろいろと話してくれた。
かわいい小物の店や、おいしい食べ物の店。鏡みたいな池のある公園に、子連れガチョウの行進。他にも気になる話がたくさん。
(本当にいい街だといいな)
知らない土地への不安はあるけれど、十三歳の少女ミイナの好奇心はくすぐられていた。
ミイナは神様に愛されない少女だ。
聖書が示す神様のいない日に生まれてしまった。故郷では仲間外れが当たり前で、何か起きればミイナのせい。それでも家族だけは味方なんだと信じていたら、迎えた十二歳の誕生日、神様のいない教会に捨てられた。その後、放心から覚めたときには、修道院のベッドの中だった。
神様に愛されない子が修道院だなんておかしな話。最初のころは、食事すら取る気力がなくて、ただ塞ぎ込んでいた。だけど、厳しい寮母さんやおかしなシスターがいて、ふざけ合える友達ができて、今では自然と笑えるようになっている。
そんな生活に慣れたある日、ミイナに転機が訪れる。アイシャルトで暮らすスパーロ夫妻がミイナを引き受けてくれると申し出たのだ。
(……わたしでよかったのかな)
思って、ミイナは不安になった。
スパーロ夫妻とは一度だけ会話を交わしている。来客向けに行ったお遊戯会の後だ。と言っても、友達と話していた時間の方が長い。修道院は常にミイナみたいな子の里親を探していたから、そういう説得があったのかもしれない。
四十過ぎくらいの夫婦で、いい人そうな印象ではあったけど――。
「どうかしたの?」
考えていたら、若いお姉さんが横から声をかけてきた。
名前はアイリスといって、修道院のお客さんだった人。帝都から来て、ちょうどアイシャルトに向かう途中だったらしい。育ちのよいお嬢さんといった雰囲気で、整ったブラウスの胸元には銀細工のペンダント。あとは、どうしてなのか、荷物の中に聖書がある。
「その、うまくやれるかなって」
「いい人そうって言ってたじゃない。きっと大丈夫」
「そうだけど……」
ミイナが口ごもると、馬車のおじさんが陽気な声で笑い出す。
「そのお姉さんの言う通りだよ。行くのはスパーロさんのところなんだろう? おじさんは何度も運んでいるからよく知ってるよ。本当にいい人たちさ」
「う、うん……」
二人の言うことはわかるけど、ミイナは素直に受け入れられなかった。どうしても神様にすら愛されないのにという考えが頭を過ってしまう。
「ははは。そんなに悩んでないで景色でも見たらどうだい? いい景色だよ」
オープンに開けた座席からは、青々とした小麦畑がよく見えた。草の匂いもするから、まるでその中に包み込まれたかのような気分になってくる。
「本当にいい景色」
アイリスが言った。それを聞いたおじさんは機嫌よさそうだ。
「そうだろう、そうだろう。この辺は土地が豊かでね、作物がよく育つのさ。きっと帝都にも負けていないと思うよ」
「はい。ここまで壮観なのは初めて見ました。きっと神様に愛されているのですね」
「もちろんだよ。嬉しいことを言ってくれるね」
神様という言葉にドキッとして、ミイナは現実に引き戻される。
(……いけない)
何を思ったとしても、馬車は前に進んでいる。
それに――。
これから行くアイシャルトでは、誰もミイナのことを知らない。神様に愛されないことを知らない。修道院と同じだ。
(うん。きっとうまくいく)
言い聞かせるようにうなずいて、ミイナはおじさんが話していた楽しそうな街並みを思い浮かべた。
◇
「わあ……!」
ミイナは思わず身を乗り出しそうになる。
のどかな光景を思い浮かべていたのに、どこを見回しても街、街、街。ミイナがこれまで過ごしてきた田舎とは大違いだ。
大通りは人も建物も多くて、明るく楽しそうな色にあふれている。はでな看板の店からは甘い匂いも漂ってきた。
「気に入ってくれたみたいだね」
おじさんは得意げだ。キョロキョロとしているミイナに気をよくしたらしく、ますます饒舌に語り始めた。
アイシャルトは農作物によって栄えた街。昔から食べ物の店なんかは賑わっていたけれど、領主が変わってからは商業的、工業的な発展も進んでいるらしい。外から移り住む人も増えている。
「以前はダーヴェ家でしたよね」
「さすが帝都のお嬢さんは博識だ。いやあ、もう懐かしく思えるなあ。もちろん今は今でいいんだけど、あの当時も好きだったよ」
そんな会話を耳にしながら通りを眺めていると、同い年くらいの女の子たちがおしゃべりをしながら歩いていた。
(……あんな風に、なれるんだよね)
ミイナの口元に小さく笑みが浮かぶ。アイシャルトでの生活が楽しみだなと思えてきた。