朝を焼く。
紫の空が、真っ赤なように白む時間のことだった。
轟々と燃え盛る炎は、 降り始めた雨で勢いを失くしていた。しかし、恐らく何かに引火したのだろう。
突然、爆音が辺りに響いた。音と光と熱で、暫く自分の視覚と聴覚は使い物にならなくなる。
ようやく戻ってきた視覚が捉えたものは、勢いを増した炎でさらに燃える己の住まいだったもの。
雨はもはや蒸発し、周りの惨状を更に酷くする。びしょ濡れなのに火照った体は、ふと、手に冷たいものを握っていたことを思い出す。
それは燃え盛る炎の中、咄嗟に掴んだものだった。自分は、これの使い方を知っている。
気づくと足は勝手に動いていて、目的の物へと近づいていく。記憶通りに手順を済ませれば、『それ』は目覚めた。乗って飛び出せば、瞬間、鼻を刺す酷い臭い。
そこにいたのは、燃えてなお『死』を受け入れられず足掻く醜い肉塊。肉が燃える臭いを撒き散らしながら、そいつはこちらに手を伸ばす。
否。彼が求めたのは、今自分が跨がっているものだろう。所詮、自分はその程度だったのだ。
数分にも感じたその一瞬。燃える肉塊を一瞥して夜明けに飛び込む。
己を縛るものは全て燃えた。燃えてしまった。自分に残ったものは、今乗っているこれだけ。
それだけで十分だった。
背後の熱も遠退き、それでも体は熱いまま。向かう先から太陽が昇り、空を焼いた。その眩しさに、思わず目を細めて――
湿った服の不快感で目を覚ました。
ぼんやりとする視界は薄暗く、炎のような赤い瞳だけがハッキリ見えた。
「起きた?」
落とされたのは、知らない男の声。誰だと問おうとして、乾いた喉が引き攣り咳き込んだ。
男が体を支え、ストローの刺さったコップを差し出してくる。ソファに寝かされていたようで、硬めのスプリングがギシリと音を立てる。ぬるい水が喉を通りようやく思考がクリアになった。
確か、旅に出ようとした矢先、土砂降りに見舞われて雨宿りをしたのだったか。
見かけた屋敷に避難し、暖炉に火をつけて、何故か現れたホールのアップルパイを一切れ食べた所までは覚えている。
丸一日寝ていたぞと言われ、横の人物を確認する。人の影がそのまま立体化したような彼は、赤い目と口だけ判別できる。長い髪は床の影と同化しており、一見すると人型にすら見えない。
今自分を介抱しているのは、この屋敷に潜んでいたドッペルゲンガーを名乗る影の怪物。しかし、彼が影から現れた辺りで記憶がない。
心配そうな彼曰く、顔を見せた直後に倒れたそうだ。雨に濡れたせいで風邪を引いたらしい。
体は汗だくで火照り、どうりで懐かしい悪夢を見るわけだとため息を零す。
「ほらぁ、まだ寝てろって」
「……その前に、着替えないと。このままじゃ、悪化するだけです」
「えっ。ど、どうすりゃいいの!?」
「体を拭くものと、鞄に入ってる着替えを……」
人の勝手に慣れないのか、わたわたと慌てながら着替えを取り出すドッペルゲンガー。ふと足元を見れば、水の張った桶とタオルがあった。
ここは、『魔法の国』の魔法建築で作られた屋敷らしい。自動で家事をこなし、色んなものを現出させることができる。
なお何故アップルパイが出てきたのかは、薬を飲むためにと同じものを出したことで、ドッペルゲンガーの好みと判明した。
屋敷に出してもらったお粥を食べ、ついでにドッペルゲンガー作のすりおろしリンゴも食べさせられ、よく眠った翌日の朝。
薬が効いたのかそこまで酷くなかったのか、熱はすっかり下がっていた。風呂を借りてさっぱりしたことで、余計に調子がいいように感じられる。
暖炉のある部屋に戻れば、さも当たり前のようにドッペルゲンガーが椅子に座って待っていた。
「お、元気になったな!」
「まぁ、おかげさまで。それより、結局アンタは何なんですか?」
「ん?オレはドッペルゲンガー!」
そうじゃない、と思わず呟く。看病してもらった訳だが、お互いによく知りもしない関係だ。多少、いや今更無駄だろうが、警戒するに越したことはない。
ドッペルゲンガーといえば、人の姿を写し取って成り代わる魔物のこと。彼の姿形は自分と全く違うものだが、いつ成り代わられるものか。
そう言えば、大変遺憾と言わんばかりの顔をされた。曰く、魔物とは別に『ドッペルゲンガー』という種族がいるのだと言う。「数はかなり少ないけどな!」と笑う彼は、影の神様みたいなものだと語る。
「かみさま」
「あっ、そんな壮大な種族じゃないぜ?影を自在に操れるくらいだ。成り代わりなんてのもしない」
それより食事だと言われ、テーブルを見ればいつの間にかパンやサラダがあった。くぅ、と小さく腹が鳴る。
ドッペルゲンガーの対面の席につき、挨拶をしてからパンをかじる。耳はカリカリだが身にバターが染み込んでいて、噛めばじゅわりと口の中に広がった。
食事中、ドッペルゲンガーは何を聞かずとも勝手に喋っていた。
この屋敷を建てた人に、リンゴをやるから居てくれと言われ、ずっとリンゴを貰いつつここに居たこと。
そのうち人が住まなくなり、劣化を防ぐために屋敷が光を遮断してしまったこと。
そのせいで屋敷から出られなくなり、閉じ込められてもう数十年も経つこと。
「だから、オレをここから連れ出してくれ!」
「げほっ……は?」
急な話題転換に、パンの欠片が気管に入りかける。何がだからなのかと見つめていれば、曰く一人は寂しくてもう嫌だ、と。
「いや、知りませんよ……というか、もう光あるんすから出れるでしょ?」
「ヤダヤダ頼むよーー!!もう一人になりたくない!ここで会ったのも何かの縁!!あっオレ戦えるぜ!!旅の護衛だと思ってさー!!」
「えぇ…」
「えーと、えーと、ほら!旅は道連れって、よく言うだろ?」
必死のアピールと駄々こねに、つい胡乱げな視線を向けてしまう。護衛というのは確かに、魅力的ではある。
それでも、まだ相手をよく知らない訳で。だが確かに、同情してしまう境遇であることに嘘はなさそうだったから。
「はぁ……世の中、情けも容赦もないと思いますがね」
「捻くれてんなぁ……ん?それってつまり…」
「人の居るところまで連れていくくらいなら、まぁ」
「〜〜〜〜っ!!ありがとう!!!」
どうせ、濡れて壊れた端末を直しに戻らねばならない。すぐ近くの街だから、そこまでならいいだろうと思った。
それを聞いたドッペルゲンガーは赤い瞳をキラキラと輝かせると、机を乗り越えてこちらの手を掴む。白い歯がニパッと笑い、勢いに思わず身を引く。
引いた手は離してもらえず、ドッペルゲンガーはそういえば、と首を傾げた。
「お前のこと、なんて呼べばいい?」
「あー……周りからは、バイク乗りと呼ばれてます」
「バイク乗り!分かった!!」
相変わらず手は掴まれたまま、バイク乗りは幸先が不安だなと既に疲れを感じていた。
――白い少年と黒い影。これは、まるで正反対な二人が織り成す旅行記。旅先で出会った者たちと絆を紡ぐ物語。
観客はいない。
役者は揃わない。
彼らに道はない。
それでも、旅は道連れから始まる。
1。しかして光は自身を焼き、後に残るものなど何もない。暗闇で独りならば、貴方も道連れに。
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