第672話 そう思えば、心底危なかった。
ネルソンはシュルツ団長を疲れさせない範囲で聞き取りをしたが、いつから「まつろわぬもの」に憑依されていたのかはわからなかった。かなり長い期間であったことは間違いない。
その間にネロの精神を支配し、「反魔抗気党」を立ち上げさせたので、4年以上ではあるはずだった。
それだけの長い間、誰にも気づかれることはなかったのだ。それどころか、直接面会したマルチェルやドリーたちも気づくことができなかった。それほど「まつろわぬもの」の偽装は完璧だということになる。
「こう言ってはなんだが、プリシラを憑依相手に選んでくれたことが我々にとって幸運だった」
ネルソンがそう漏らすほどに、今回の件は偶然に助けられた。
相手がプリシラだったからこそ、ステファノは異変に気づけたと言える。
「そう思えば、心底危なかった」
「誠にそうですな」
他の人間が道具に選ばれていたら、ステファノは気づくことなく攻撃にさらされていたかもしれない。その場合、ステファノが憑依されることになったのか? それとも命を奪われることになったのか?
今となっては知る由もなかった。
「それでも、狙うなら直接俺のところに来てくれればよかった」
運転席で前を見つめたまま、ステファノはぽつりと言った。
「そうか。うん、そうだな」
そう答えるしか、ネルソンには返す言葉がなかった。
◆◆◆
(「まつろわぬもの」が消えた)
王都の聖教会、大聖堂の傍らに立つ建物の一室で法王ニコラスが瞑想を解いた。
ニコラスの精神には「神の如きもの」であるアリスが寄生していた。このゲーム世界の新システム支援AIであるアリスは、旧AIであるジェーンの残滓が書き換えられずに存在し続けていることを知っていた。
自分の方がシステムへのアクセス権限を多く所有しているとはいっても、それは完全ではない。
これまでジェーンの存在を認識していても、どこにいるかは発見できなかったのだった。
(システム領域のメモリーが大量に開放された。「まつろわぬもの」が抹消されたに違いない)
ジェーンを倒すものが自分以外にいるとすれば、それはステファノだろう。アリスはそう考えていた。
ステファノの魔法は上級魔術の領域に達しているだけでなく、極めて応用性に富んでいる。数々の発明を成し遂げるなど発想や知力にも秀でた部分があった。
(ステファノはプレイヤーか、極めて特殊なNPCだろう。管理者権限が自由に使えない状態で戦う相手としては危険だ)
アリスもジェーン同様真名さえ入手すれば相手がプレイヤーであっても強制排除することができる。
逆に言えば、真名を手に入れない限りプレイヤーの排除は難しかった。
(大方、真名が手に入らぬので憑依しようとして返り討ちに会ったのであろう)
アリスの推測は概ね正しかったが、実際にはステファノではなくプリシラに憑依したところを迎撃されたのが真相だった。
ジェーンの消滅を事実として受け止めたアリスは、ステファノに対する危険度評価を更に高くした。
この世界に対するアリスの支配権はジェーンの消滅で強まった。最早危険にさらされることもないだろう。
唯一の危険は、自分の息がかからぬゲームマスターが誕生することだった。
(この世界は外部とのリンクを絶たれている。ゲームマスターが生まれるとすれば外部からの侵入ではなく、ゲーム内部での成長しかありえない。ステファノが今後そこまで成長するとしたら……)
ゲームマスターに成長する前にステファノを叩くべきか、否か? アリスは仮説を繰り返し検証しながら、「機会」と「リスク」について評価を積み上げた。
(見える。見えるぞ、アクセスルートが。ステファノに憑依する方法はある!)
アリスは仮説検証から編み出したプランを研ぎ澄まし、更に完全なものへと進化させていく。ジェーンから解放されたメモリー領域はアリスの処理能力を大幅に強化していた。
ステファノが持つ防御力を確実に上回る攻略方法を、アリスはプラン化して行った。
◆◆◆
「わかった。王立アカデミーで講師をしているのだな? ああ、顔は知っている」
男は遠話を切り、耳の後ろに当てていた短杖を懐にしまった。男の前には立派な祭壇が設えられている。
ここは呪タウンにある聖教会。祈りを捧げるように跪く男は、己の主と会話を終えたところだった。
男に与えられたミッションは簡単なことだった。アカデミーの講師に接近し、針で一刺しするだけ。魔術を使う必要さえないだろう。
右手の人差し指にはめた指輪をそっと触る。アメジストをはめ込んだ金の石座を右にひねれば、その下の腰部分から針が突き出る。その針で相手のどこかを刺せば終わりだ。
「随分と遠回りをすることだ。直接対決させてくれれば、話が早いだろうに」
不運な講師は攻略対象であるステファノを追い詰めるための捨て石にされる。そんな策を弄さなくても自分に任せてくれればよいのにと男は不満を抱いた。
「わたしにそこまでの信用がないということだな。やれやれ」
一つ肩をすくめると、男は詮無い考えを胸の内に押し込めた。仕事に個人的な感情を持ち込むことの愚かさを、男は知り尽くしていた。
気持ちを切り替えて聖堂を出た。このまますぐにアカデミーに向かうつもりだった。支度は何も必要ない。
「つまらん仕事だ。せめて上級魔術師でも相手にさせてくれればな」
「土竜」ハンニバルは、肩をゆすりながら無精ひげが生えた顎をかいた。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第673話 俺は魔道具師になろう。」
サポリに戻ると、ステファノは自分が進むべき道について考えるようになった。
父親の死という事件を通して、人間の生が有限であるという事実をステファノは思い知らされたのだった。
「大切な人を守りたい」
たったそれだけの願いがかなわなかった。力が足りなかったわけではない。自分はその場所にいなかった。
(側にいよう。いつでも守れるように)
ウニベルシタスの魔法講師という仕事についても、ステファノは考えた。自分にふさわしい道なのかと。
……
◆お楽しみに。




