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飯屋のせがれ、魔術師になる。  作者: 藍染 迅
第5章 ルネッサンス攻防編

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第671話 追い詰められたステファノは「奥の手」を出した。

 ステファノは杖の先端50センチをロープに戻した。

 杖全体に働いていた回転力が先端のロープに集中して加速させる。そのスピードはマルチェルの拳を上回っていた。


 ぱあんっ!


 2人の間で鋭い音が破裂した。


 マルチェルが左拳から飛ばしたイドがステファノのロープを弾き返したのだ。


 そこからは目まぐるしい接近戦となった。

 互いに相手の周りを巡りながら杖を、ロープを、手足を繰り出しせめぎ合う。


 観戦する団員にはどちらが攻めているのかすらわからなくなっていた。

 やがてマルチェルの手足の動きが徐々に小さくなっていき、いつの間にかステファノもロープを捨てて素手で戦っていた。


 団員の目には見分けがつかなかったが、ステファノは徐々に行動の自由を奪われていった。

 どこに撃ち込んでもマルチェルの手足にさばかれ、次の動きに誘導される。


 ステファノには自分の動きが果たして自分の意思から生まれたものかどうか、わからなくなってきた。


 マルチェルの受けがわずかに遅れ、顔面に隙が見えた。その瞬間、ステファノは躊躇うことなく右の拳を突き出していた。

 

(撃たされた!)


 気づいた時にはすでに腕を取られ、背負い投げで宙に飛ばされていた。

 

 地面にたたきつけられる衝撃を吸収しようと、ステファノは体を丸めながらイドの鎧を背中にまとう。

 引き延ばされた意識の中で、空を見上げる視界の端に振り下ろされようとしているマルチェルの拳が見えた。

 

 投げ飛ばされた態勢では攻撃も防御も効かない。追い詰められたステファノは「奥の手」を出した。


(いかずち)丸っ!」

「ピィイーッ!」


 ステファノの頭髪から雷丸が飛び出した。魔法なしという申し合わせだが、従魔を使わないという約束はなかった。

 雷丸はイドの鎧をまとい、(つぶて)となってマルチェルに迫る。

 

蛇尾(くもひとで)!」


 初めてマルチェルが声に出して気合を発した。撃ち出す右拳からイドを発し、まとわりつく触手を広げる。

 

「ピピピ?」


 雷丸の突進は蛇尾(くもひとで)に抑え込まれた。親指ほどの体ではイドの塊をはねのけることができない。

 蛇尾(くもひとで)は勢いをそのままに雷丸もろともステファノを絡めとった。

 

「うっぷ!」


 地面に貼りつけられたステファノの顔面、紙一重にマルチェルの右拳がぴたりと止められた。

 

「参りました」


 ステファノは負けを認め、蛇尾(くもひとで)の縛めから自らを解放した。

 

「ピー……」


 胸の上で押さえつけられていた雷丸が申し訳なさそうな声を立てた。

 

「雷丸、お前のせいじゃないよ。俺の攻めが甘かったんだ」

「さあ、ステファノ。立ちなさい」


 マルチェルは拳を解いて、ステファノに手を差し伸べ、立ち上がるのを手伝った。

 

「隠し技として従魔を使う考えは悪くなかった。ただ、ネルソン商会でその手(・・・)は見せてもらいましたからね」


「まつろわぬもの」を調伏する際、隠しておいた雷丸に陰気を注入させた。その印象がまだ新しいタイミングでは、従魔の投入は奇襲としての効果が弱くなっていた。


「従魔と一直線に並んだのも工夫が足りません。むしろ異なる方向から攻撃させて、共闘する形の方が相手を困らせるでしょう」

「雷丸を出すタイミングも遅すぎましたね。撃ち合いの段階で出すべきでした」


 ステファノは頭をかいた。戦いの最中、戦術を考える暇もなくステファノを追い込んだマルチェルの作戦勝ちであった。


「お見事でした!」

「恐縮です。ただの稽古ですが、団員たちの参考になれば幸いです」

「あれがただの稽古ですか……」


 目にも留まらぬ技の応酬であった。

 イドの攻防に至ってはマーズでさえ半分もついていけていない。


 あきれ返ってマルチェルたちを眺めれば、あれほどの組手の直後だというのに涼しい顔でたたずんでいた。

 マルチェルは言うに及ばず、ステファノの息にもまったく乱れがない。


(これが「鉄壁」! いや、その片鱗か……)


 マーズは深く感服し、2人に何度も礼を述べたことであった。


 ◆◆◆


「2人ともすっきりしたようだな」


 王都からの復路、ネルソンはマルチェルに語りかけた。

 

「ははは。久しぶりに緊張感のある組手ができました」


 もちろん本気で戦ったわけではない。しかし、技に手を抜いた部分は存在しなかった。

 緻密な手順、緩急、そしてスピードと力。その充実をマルチェルは「緊張感」と表現した。

 

「おかげで頭を空っぽにできました」


 考えていてはマルチェルの動きに追いつけない。ステファノは技に没入し、イドに意識を溶け込ませていた。

 あそこまでの集中は一人稽古ではできないものだった。


「シュルツ団長の手当に成功してよかった」

「プリシラに比べて憑依された期間が長かったようなので心配しましたが」

「うむ。ステファノが工夫した送気核(イドメーカー)のおかげだな」


 完全とは言えないが、シュルツ団長は日常生活に困るようなことはないだろう。

 

「剣士として働けないのは、彼にとって残念でしょうな」

「そういうものか。私には想像するのが難しいが」

「戦場での怪我、そして老い。いかなる武人でもやがて戦えなくなる日が来ますが、その日を一日でも遅らせたいのが人情というものです」


 それはマルチェル本人にも当てはまることだった。既に体力のピークは過ぎている。

 いつまで「現役」にしがみついていられるか。

 

「ふふふ。見苦しくとも、死ぬまであがき続けたいとは思っています」

「見苦しくても構わんだろう。生き様の価値は己が決めることだからな」


 そう言うネルソンにも自分自身の戦いがある。「誰もが自分の望みを語ることができる世界」。その訪れを早めるために、ウニベルシタスを世に残さねばならない。

 

「まだまだなすべきことがある。できることがある。幸せなことだな」

「誠にさようで」


 ネルソンには、マルチェルには、既に続く者たちがいる。志や技術を引き継ぎ、やがて来る次の時代に発展させるであろう若者たちが。

 

「ありがたいことです」


 その一人の背中を見ながら、マルチェルは目を細めた。

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。


◆次回「第672話 そう思えば、心底危なかった。」


 ネルソンはシュルツ団長を疲れさせない範囲で聞き取りをしたが、いつから「まつろわぬもの」に憑依されていたのかはわからなかった。かなり長い期間であったことは間違いない。

 その間にネロの精神を支配し、「反魔抗気党」を立ち上げさせたので、4年以上ではあるはずだった。


 それだけの長い間、誰にも気づかれることはなかったのだ。それどころか、直接面会したマルチェルやドリーたちも気づくことができなかった。それほど「まつろわぬもの」の偽装は完璧だということになる。


 ……


◆お楽しみに。

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