第666話 回復するのは難しいかもしれんな。
王都の騎士団本部を訪れたネルソン一行は、まず副団長マーズの出迎えを受けた。
「団長に引き合わせる前に伝えねばならないことがある」
応接室で向き合ったマーズの表情は深刻だった。
「団長は何かの病にかかっているのではないかと思う」
「どこかお悪いのでしょうか?」
ネルソンは医学者としての立場からマーズに尋ねた。
内心では「まつろわぬもの」による憑依が後遺症のようなものを引き起こしている可能性を考慮していた。
「体は問題ない。どうも心を病んでいるのではないかと思えてな」
「どのような兆候があるのでしょう?」
マーズがシュルツ団長の不調をあえて口にするということは、それだけ目につく異常があるということだろう。
自分の目で診断する前に、ネルソンは常にシュルツとともにいるであろうマーズから情報を得ようと考えた。
「うむ。何というか、心ここにないという様子でな。自分から行動を起こすということがないのだ」
「意識はあるのですね?」
「ある。起こせば寝床から立ち上がり、着替えろと言えば自分で服を着る。会話も簡単なことなら受け答えできるのだが……」
まるで魂が抜けたような状態なのだとマーズは眉を寄せた。
「意識はあるが、意思がない。そんな状態ですな」
「そんなところだ」
「何かに驚いたり、おびえたり、急に暴れるようなことは?」
「まったくない。大人しいものだ」
マーズはため息をついた。
「覇気の塊だった団長が今ではスミレのように大人しい。一体どうしてしまったのか」
「いつ頃からそのような状態に?」
「そうだな。半月、いや20日ほども前のことだ」
それはバンス一家が殺害された時期と一致した。殺害成功の知らせを受けた「まつろわぬもの」がシュルツの憑依を解いて、プリシラに憑りついた頃だろう。
プリシラの場合と違い、シュルツの憑依は長期間続いていた。そのために、シュルツ本人の精神が抑圧され続けて変質してしまったに違いない。
(回復するのは難しいかもしれんな)
肉体には正常な状態を保とうとする恒常化機能が本来備わっている。多少の怪我や病気なら自分に備わった回復機能により自然と治癒するものだ。
しかし、精神はバランスを保つのが難しい。複雑で繊細なガラス細工のようなものだとネルソンは認識していた。
「お会いしてもよいでしょうか?」
「うむ。本来なら人に見せられる状態ではないのだが、お前は別だ。ネルソン商会のネルソンと見込んで、団長を診てもらいたい」
面会の申し入れを受けた時から、マーズはネルソンを医者として当てにしていた。彼ならばシュルツ団長の回復に手を貸してくれるのではないかと。
「他の医者に診せたことは?」
「名医と言われる医者数名に診せたのだが、原因がわからず手を出せぬといわれた」
精神医学などというものは、この世界にまだ存在しない。体にどこも悪いところがない以上、医者にできることはないと判断されてしまうのだった。
「わかりました。お役に立てるかどうかはわかりませんが、医者として診させていただきましょう」
「おお、診てくれるか?」
「ですが、回復のお約束はできません」
「わかっている。このままでは引退どころか、ご実家に引き取ってもらうしかないのだ。とにかく治療の方法があるかどうか、診てもらえるだけでありがたい」
藁にも縋る思いがマーズの言葉には籠められていた。
ネルソンはマルチェルとステファノを助手として伴い、シュルツが休む私室へと通された。
「団長、入ります」
「ああ」
室内に声をかけて、マーズがドアを押し開けた。
シュルツは部屋の中央にあるソファーに腰かけていた。部屋の隅に丸椅子を置いて、そこに介添えとみられる女性が座っている。
「面会者を連れてまいりました」
「ああ」
マーズが声をかけると、シュルツは低い声で返事をする。その目はまっすぐ前に向けられたままで、マーズにもネルソンたちにも向けられることはなかった。
「お久しぶりです。ネルソン商会のネルソンです」
「ネルソン……」
ネルソンが名乗ると、ようやくシュルツは顔をゆっくりと振り向けた。
「助手のマルチェルとステファノを連れております」
「助手。マルチェルとステファノ?」
「マルチェルはご存じでしたな。ステファノは初めてお目にかかります」
「シュルツ様、ステファノです。初めまして」
「ああ。ステファノ……」
一筋の表情も変えることなく、シュルツは短い言葉を発する。ネルソンは口元に小さな笑みを浮かべながら、その眼ではシュルツの一挙一動を細かく分析していた。
「何やらお疲れのようにも見えます。失礼ながらご体調はいかがでしょうか?」
「体調は……いい」
「そうですか。めまいなどございませんか?」
「めまい……ない」
「動悸などはいかがでしょう?」
「ない」
どうやらある程度の思考力はあるようだ。ネルソンの問いかけに意味のある答えを返してはいた。
ただし、すべての言葉はゆっくりと無表情に語られていて、意思の存在を感じさせない。
まるで心を持たない人形と語り合っているかのような。
「ちょっと脈を取らせていただいてもよろしいですか?」
「ああ」
「それでは失礼いたします」
ネルソンはシュルツの横に跪き、膝に置かれた手を取った。続いて額の熱を測り、瞼の裏、瞳孔、口の中、舌の色などを診る。
何をされてもシュルツは言われるままに身を任せていた。
「お体に異常はありませんね」
「うん」
「毎日よく眠れていますか?」
「うん」
「食欲もありますか?」
「うん」
ごく普通の問診をしながら、ネルソンはマーズの反応を見ていた。やはり言葉の意味は理解して受け答えをしている。
しかし、自分から行動を起こしたり、感情を動かすことがなかった。
「お体は元気ですが、どうもお気持ちに張りがないようです。少し治療をさせてもらってよろしいですか?」
「うん」
本当に言葉の意味を理解しているか定かとは言えなかったが、本人の了承を取ってネルソンは治療を始めようとした。
マーズに目を向けると、こくりとうなずいて同意を示す。
「ステファノ、手伝ってくれ」
「はい」
ネルソンとは反対側の床にステファノは跪いた。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
◆次回「第667話 どうも活性が落ちているようだな。」
「まずは気の流れを観よう。お前も一緒に観てくれ」
ネルソンは両手でシュルツの胸と背中を前後に挟むようにした。ステファノは左手でシュルツの額を押さえる。
互いに呼吸を整え、目をつぶってシュルツの体内に精神を集中した。
(これは……。気の流れが悪い)
ステファノはプリシラの体を乗っ取った「まつろわぬもの」が巻いた包帯を思い出していた。
……
◆お楽しみに。




