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飯屋のせがれ、魔術師になる。  作者: 藍染 迅
第2章 魔術都市陰謀編

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第64話 戦争と医術。

「うわぁあーー!」


 王女の死が逃れようのない事実だと悟ると、ネルソンは何度も床に己の頭を打ちつけた。


「俺のせいで……。あぁーーっ!」


 すぐに額が割れ、血が滴った。

 

「わたしの前で死人を増やすな」


 王女を看取った薬学講師は、ネルソンの胸倉を掴んで立ち上がらせた。


「死にたいというなら死なせてやろう。1人も2人も同じことだ。だがな、お前が死んで済むことか? 殿下はそれで生き返るのか?」

 

 ネルソンには答えることができなかった。鼻水を垂らし泣き叫ぶことしかできなかった。


「お前のそれは、ただの自己憐憫(れんびん)だ。1ギルの値打ちもない」


 講師は冷たく切って捨てた。


「殿下の死を意味あるものにする方法は、1つしかない。貴様にわかるか?」


 講師は優しく言った。


「100万の命を救って見せろ。それができてから初めて死ね」


 15歳のネルソンは、床に尻もちをついて泣いた――。


 ◆◆◆


「私の前には2つの道があった。薬学から手を引き軍人として生きる道。出世を捨てて薬学を修める道」


 当然周りは軍人の本分を貫く道を進めて来た。軍人として国に貢献すれば、若き日の事故など忘れ去られると。


「私は薬学の道を選んだ。正直に言おう。自分の才を惜しんだのだ。100万の敵を殺すことよりも、100万の患者を救う可能性を選んだのだ」

 

 ギルモア家として、さすがにそのまま不問に付すことはできなかった。幸いにも次男という自由な立場であることを利用して商家の養子にすることで、名目上の縁を絶った。


「私は薬学の研究に没頭した。贖罪(しょくざい)の意味ももちろんあったが、それ以上に薬学の魅力に()りつかれていた。医学とは人の死の上に築かれていく学問だが、私の経歴は王族を殺した所から始まっているのだ」


 己で掛けた呪いのような物だと、ネルソンは(つぶや)いた。


 その後、研究の過程でネルソンは数々の業績を挙げて来た。


「戦争で死ぬ兵士は、何が原因で死ぬ(・・・・・・・)と思うかね?」

「それは、剣で斬られたり、魔術で焼かれたり……」

「戦闘での負傷が直接原因で死ぬ将兵の数は思いの外少ない」


 先ず第一に、多くの兵は本当の意味で戦闘に参加さえしていない。古参になればなる程、危険から離れた場所で生き残る振る舞いが上手くなる。前線には何も知らぬ新兵が送られ、死亡者の大半を占めることになる。


「剣すら持たぬ徴用兵が(とき)の声を上げて棒を振り回し、その勢いで勝ち負けを決める。そんな戦いが多いのだ」


 そんな戦場で死因の大半を占めるのは、戦闘ではなかった。


「まず栄養不良だ。まともな食事も摂れず、不衛生な環境にいれば栄養失調や食中毒が起こる。さらに怖いのは伝染病だ」


 一旦発生すると、瞬く間に軍内に広がる。水も、食料も、トイレも寝床まで一緒なのであるから、逃れようがない。

 栄養状態の悪さ、劣悪な衛生環境が災いして、感染すれば死につながることが多い。


「軽い傷から破傷風などの感染症を引き起こすことも珍しくない。軍にはまともな医師が従軍していなかったのだ」


 不潔な布などを包帯代わりにしていれば、容易に感染を引き起こす。そもそも矢じりに糞便を塗りつけたり、城壁の上から糞尿を浴びせ掛けるなどの手段は、感染症を引き起こす手軽な殺傷方法として戦争で広く行われて来たのだ。


「私はあるキノコの菌糸から感染症に対抗する特効成分を抽出することに成功した」


 ペニシリンのような抗生物質であろう。戦場での生存率、すなわち戦闘継続能力を著しく改善することになる。


「一介の薬学研究者に過ぎなかった私は、その功により王室御用達の薬師となり、密かに王国軍医療顧問となった」


 ネルソン商会の得意先とは王室であると同時に、王国軍であった。

 その縁でソフィアはジュリアーノ王子の母君につき、乳母として王子の養育に当たったのだ。


 病弱だったジュリアーノ殿下が健康に育ったのには、ソフィアの貢献とネルソン商会が納めた医薬の働きが大きい。

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