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 少女は説明も理解の贈りも知識の貸し与えも無しに薄くて白い一枚の布を、里予をこの場にまで連れ込んだ女が半襦袢と呼んだだろうか、そう言った物を着せられて、燭台に囲まれた暗い部屋の真ん中で座らされていた。肌襦袢に衿がとりつけられただけの粗末なそれは、里予が一度は着てみたいのだと憧れ目を輝かせていた着物の高貴さからはあまりにもかけ離れていた。

「文句あるなら天音とか言うオンナに言いなさい。アイツ、私の希望をねじ伏せなさったんでね。振袖を着せようと思ったのに」

 天音の言葉によれば死者の命と向き合う儀式におめでたい礼装など死へと向かうことを祝ったり冥婚を思わせるとのこと。目の前の女の意見では人の悩みに入り込む者からの脱出、悩みから進み大人へと成って進むための儀式。


 同じ業種に、人の想いと向き合う姿勢に、正解などないものの考え方の違いはあまりにも大きすぎた。


 もう何も見ずに消え去って、やり切れない想いに朽ち果てて、いなくなってしまいたい。そんな想いに憑りつかれていた里予だったものの、想いを振り返ればそこに偽りなどという文字は入って来るだけの余白も隙間もありはしないものの、今となっては生きていたい、和春と共に人生を歩み進めたい、そんな想いが強くて存在の願望が既に打ち勝っていた。

「うん、既に想いの準備は出来てるようだわね。強い子いい子ステキな子」

 たぬき地蔵、道脇に建てられたあの道の添え物に一体どれだけの想いが亡霊となって募っていることだろう。

 今でも生きている人物がかつて置いて行った想いやこの地に思い入れを持ったまま世界を去ってしまった人物、恨みを遺した者、そしてきっと里予と共鳴してしまったであろうツラいことから逃れてその場に足を運んでいた人物。

 女の眼には視えていた。里予と繋がっている者の姿が。

 それはたったひとりの無力な幼子。声を上げることも叶わずに親や教師の前では笑顔を見せて嘘を塗り付け上塗りして更に更にサラサラに想いの質を色を誤魔化して、果てにたぬき像が祀られた小さな祠の前で、泣きはらし続けた日々のこと。

 誰にでも抱えることのありうるもの、その内のひとつ、それは彼にしかない想い、近くても違う想い。

 重なった似通った二色の想いを女は先を削って持ち手を作った卒塔婆を手にして掲げる。持ち手に書かれた文字たちは明らかに年季を感じさせなくて、きっとこの女が書き加えたものなのだろう。

 掲げた卒塔婆を持つ手に加えられた力は心の強さを思わせて、里予の目に映すだけでその想いをしっかりとつかんで離さない。

「さあて、念仏は唱えずに頭に叩き込む、衝撃と共にね」

 勢いよく振り下ろして、里予の隣に立ち、空気に張り浮く薄っすらとした存在を捉えて張り裂いて。そこから溢れ出るものなど何もなくて、里予の中に溢れ出るもの、生まれた想いは安心の二文字そのものだった。

「はいおしまい」

 里予の安心感はあまりにも大きくて、生まれて初めての安らかな感情の極地を噛み締めながら着替えて喫茶店の席に戻された。里予に出来ることなど残された役目などただひとつ。和春の儀式の終わりを待つのみだった。



  ☆



 爽やかな秋空の下で穏やかな春空を塗り浮かべていたのは、すっきりとした葉や花が舞う現実の中で柔らかな花が咲き誇りのんびりと花びらのように蝶が舞う姿を想っていたのは、紛れもない里予だった。

 心の中は春の空、なかなか過ぎ去ることの無い、いつまでも味わっていたいその季節の穏やかさを運び込んでくれるキミのことをずっと待ち続けていた。

 そうして日常を再び紡ぎ始めた彼女の気など知らずに時間は平等に流れて心の移り変わりや出来事の変化の運び屋となっていた。


 薄暗い部屋で和春は天音の指示に従って服を脱ぎ、ボロ切れを思わせる小汚い布を身に纏わされていた。ロウソクの火によって薄っすらと染められた景色、その中に自分自身もまた含まれていて、今身に着けている布の正体がその目を通して知らされて行く。

「これは……着物か」

 あまりにも薄っぺらで粗末な布は儀礼用の衣なのだという。

「アンタが今何考えてんのか分かりやしないし世間も知らずに全てを知った気になる全能者の考えなんか知りたくもありゃしないけど」

 いきなり見下されているのが見受けられて、和春の顔には自然とほめることの出来ない色をした貌が張りつけられて行く。

 この少年の表情の変化を見届けて、天音は瞳に宿る光を強めて言葉を紡ぎ続ける。

「ここでちゃんと表情が変わる人物だったことは救いかねえ。それだけでいいか」

 それから更なる説明が続けられる。どうやら敢えてボロ切れのような衣を着せてそれが今の和春の姿なのだと口によって理解を強要されていた。

 和春の眼は小汚い着物に向けられ、自分自身と重ねて天音を睨みつけた。

「おやおやお気づきでない? アンタは無様だってこと、人間なんてどう足掻いても無様で惨めから抜け出せやしないものさ」

 つまるところ、誰が相手でもこのような衣装を用意するつもりだったのだろう。そう、全てを軽蔑しているようにしか見えない発言。しかし、その目に映るものは醜さへの尊敬の火でもあった。ロウソクに灯る小さくて美しい火、綺麗なカタチの火に重ねられた感情の色は分かりやすい程に見え切っていた。

「アタシは人間の汚さは大好きなのさ、アタシもおんなじだし人のこと言えやしないけど、ここまで汚れが過ぎると却って綺麗に見えて来るものさ」

 言葉は静かな壁に当たって跳ね返り、独特な反響の調べを奏でていた。音の波はロウソクに灯る火をもゆらゆらと揺らめかせるか。静かに揺れては芯にしがみついて辺りを照らし続けて綺麗な魂の姿を取り続ける。

 暗闇の中で薄っすらと輪郭を映す女は白い着物の袖を舞わせて一度大きく手を振った。そうした行動の流れに沿って袖は揺れながら宙を形で彩る。動きに自然と目は動いて気が付けば天音の動きに視線を心を誘導されていた。

 そうした視線は和春の目の中で動き回る輝きの姿で辛うじて見届けられてつかみ取られる。天音は不敵な笑み全開で、声を張り上げて訊ねた。

「アンタはあの女の子を助けたいのだろう」

「当然だろ、それすら出来ねえやつに男名乗る資格なんかねえよ」

 考えるよりも先に飛び出てきた言葉、限られた視界の中で天音の動きに、動きの主の言葉に、言動の主体を奪われていた。

「だったらアンタ自身も救われねばどうにもならないねえ」

 金のことなど気にするな、その程度のことなら後ででもどうにでもなる。天音の表情は口にもしていない言葉を語っていた。

「安心しな、金よりも大事なことはちゃんと取りこぼさずに拾い上げるから」

 それが金を拾い上げるのだと、天音の存在そのものが圧で語っていた。

 和春はふと思う。里予が実際にどのように考えているのか分からないものの、この非現実の内の何処までが現実なのかも見通すことが出来ないものの、全てが終わった後の現実だけは目に見えていた。いつもの飾り付けたようなカッコよさと思っているあのダサいことこの上ない心の衣は剥がされ捨てられていた。

 母にはきっと宗教のことで騙されたのだと言われて警察署に連絡が入ってしまうだろう。更に面倒なことが襲いかかって来ることは間違いない。

 里予と和春の財布の中身を確かめたくて仕方がなかった。和春の所持金額はどうにかひねり出して一万円と少し。里予がどれだけ持っているのか分からなかったものの、足りなくとも里予が親に頼み込んで少し足せば行ける程度の無理のない金額だろうと頭の中に思考を刻む。

 その時、和春の脳裏にある考えが浮かび上がってきた。思考の水面を突き破る勢いで、一気に上がってクリアな水柱を立てる。和春というひとりの、それも世の中のことも大して知らない年端も行かない少年の思い付きなどたかが知れていたものの、本人にはいい考えのように思えて仕方がなかった。



 そうだよな、俺がこのままいなくなれば報酬はひとり分、それだけのことだ


 じゃあな、世界……里予だけでも幸せになってくれ



 愚かなる意見は瞳の色に表れて、阿呆は顔に滲み出ていて、その全てが天音という大人の目によって見透かされてしまっていた。

 天音は一歩近寄り、更に一歩踏み出し、もう一歩足を進め、やがては目と鼻の先にまで迫った。

 しゃがみ込み浅い考えを続けて自らの命を投げ捨てようと、それで何もかもが丸く収まるものだと、そう思い込んでいる知性の欠片すら感じさせない少年の顔を見つめること三秒間、ロウソクだけが揺れて静寂に包まれた時間を経て天音は腕を伸ばした。和春の胸倉をつかみ、顔を歪めて眼には冷たい刃のような氷を滾らせ、和春を遂げだらけの心でつかみ上げた。

 衣装がはだけてしまおうとも和春の表情に臆病な本心が現れようともお構いなしに、思い切り引き寄せて、容赦を捨てて怒鳴りつけて。

「アンタ、死のうとか思ってんじゃないよね。見えてんだよアンタみたいな浅はかな男の考えることなんか」

 天音の瞳は揺らぐ。その目に映る過去の像、追憶のレコードは心を激しく叩いて殴りつける衝動を運んできては天音の髄まで沸かす黒々とした蒸気となって己を責め立て続けていた。

 天音の失敗、弟が桑色の半纏を身に着けて死へと向かって行く道筋を断つことが出来ないでいる自分、救えなかった弟の最期の顔がずっと目に焼き付いて離れてはくれない。

 あの男も確か、好きな人のために命を捨てた。好きな人を生き返らせるために死して魂のみを世界に置いて瞳のセカイのピントを遺サレシ者に合わせて。やがてひとつ見つけては関係のない人物に憑りつかせてはその効果を確かめて放置する怨霊と成り果てていた。

 きっと愛する人を生き返らせるために作用するモノを探し続けているのだろう、今もきっと誰の迷惑になってもお構いなしに自らの願いの為だけに動き続けているのだろう。


 目の前の男もまた同じだった。好きな人のためならと命を捨て去ってしまおうとする姿勢が重なって、この上ない怒りを呼び起こしてしまう存在。

 天音は人の気持ちも考えずに命だけ払えばいいなどと考える軽々しい男がこの世で最も嫌いな種族になっていた。

「分かってんのかい、アンタの浅はかさアンタが一生不幸で生きてこうとかどうとか知ったことかって話でしかないのだけどさ」

 完全に見放すような発言だったものの、そこに刺々しい気持ちは込められていたものの、何故だろう、何処か力が込められていなかった。

「アンタが死んだらどれだけの人が悲しむと思ってんのさ、家族はどう思うか考えた事ありゃしないようだね、それになにより」

 一旦口を閉じ、和春を掴んでいた手を放す。叩き落すような投げつけるような乱暴で荒々しい仕草で和春の身体を落としていた。

「アンタの好きな里予ちゃんのこと悲しませるんじゃないよ。あの子はアンタを、たったひとり構ってくれる男の子を犠牲にして得る自由なんて欲しくもなんともありゃしないのさ」

 純粋な男の目はしっかりと見開かれた。その目が見つめているものは暗闇なのだろうか、映されているものは未だ抜け出すことの出来ない暗い場所なのだろうか。

「いいかい、アンタがいなけりゃアンタが幸せにしたい彼女さんも幸せになれないわけ。その命はもう……アンタひとりのものじゃあないのさ」

「さと……そんな」

 浮かび上がる笑顔、映し出された明るい表情は一体いつ頃から見かけるようになったものなのだろう。想いを巡らせて、記憶をたどる。あの日見た景色の香り、あの日聞いた笑顔の味、声が肌に染み入る感触、彼女と過ごした何もかも。

 いつからだったのか、和春の態度の変化は。中学生の頃からだろうか、三年生に上がりたての頃、そこが始まりだった。名と比べて少しばかり遅れてやってきた中学二年生の病。思春期の風が運び込むデタラメな心情。何をしても滑って格好つけた鎧を着込み心構えだけは万全な子ども、というよりは「ガキ」という言葉を当てはめるに相応しい存在でしかなった。

「分かったなら、助けて、里予ちゃんの幸せのために自分も幸せになるから、そう言ってお仕舞いな」

 眼を見開き、上を向いた。暗闇の中に沈み込んだ和春の目には暗黒に包まれ飲み込まれている天音の姿がロウソクの光と共に輝いているように見えた。天音は目に見えないであろう表情を視えるようにと意識を込めつつ、卑下な笑みを見せつけ語って見せた。

「全部求めて抱えてみせな。欲張りや意地汚さこそが美しい、そんな世の中なのだからさ」

 語られた言葉の意味は何処まで和春の心に入り込んだだろうか、どれだけ和春の想いを変えることが出来ただろうか、天音には分からなかった。和春は顔を上げる。

 里予がどのような事を想っているだろう、和春がいなくなってしまったのならばどのような顔をしてどれほど泣きながらどのような言葉をどのような声で発しているのだろう。

 考えれば考える程に和春の中で自身という存在が大きなものへと育って行く。

 責任という言葉の重さ、その始まりの一角を和春はその目で触れて身を震わせていた。

「恐ろしいかね、アンタの気持ちなんか分かりやしないけど」

「全然だな、俺があの子の中でどれだけ大きいのか、やっと分かって嬉しいだけ」

 嘘。中身のない強さ、重さに対する強がりで和春なりの気持ちとの向き合い方だった。

 天音は額を押さえ、溢れこぼれそうになる想いを言葉を無理やり脳裏で留めては言葉を紡ぎあげる。

「そうかいそうかい」

 若々しさ、悪い意味での勇気という想いに触れながら天音は和春の肩に手を置いてみせた。それなりだろうか、それ以上だろうか、肩を掴む手からは温もりを、心の色を薄っすらと映しているようだった。

 それから始まった舞い、やがて引きはがされて行く遺サレシ者、その姿に和春はようやく触れることとなった。



 それはある日のこと。男は紙を用意して、万年筆を握りしめて思考の光を巡らせていた。

 書き綴るべき想いは、手紙にして届けたい想いは幾つかあって、幾つもの気持ち、重複する想いから別々の存在まで、書き通し綴り伝えたいことは脳裏を泳ぎ回り続けるものの、どのような文字でどのような言葉でその紙に刻み込み、相手の心に刻み込めばいいのだろうか、男には全くもって分からなかった。

 何も書けなければそれはただ立派な飾り、ペンの値段の重さはその手では握ることさえ出来ないのだろうか。綴ろうとしている想いの重さには敵わないのだろうか。届けようとしている想いを紙に落とすことは叶わないのだろうか。

 結局何ひとつ書くことも出来ずにただただ青くて白い綿を泳がせている広い空の海に想いを飛ばす。風船のように飛ばして、何も書いて見せることが出来なかった。

 想いを寄せる少女、陰ながらに頑張るあの子、目立たないまましっかりと真面目に過ごす同級生のことを思い出すと共に淡い色が広がって漂い続ける。その想いの色は淡いにもかかわらずしっかりと甘くていつまで噛み締めても味は薄まるどころか更なる甘みを持ってきていた。軽い挨拶のひとつだけでも、周りに見せる笑顔と自分に見せる笑顔、同じ物だったことは分かっていても男にとっては向けられた笑顔というものは特別に思えていた。

 そんな想いを伝えたくて筆を握り紙と目を合わせてにらめっこを続ける。どのようなことを書けばこの想いを伝えられるだろう。自身の想いはどのような文字でも言葉でも伝えられない唯一のもののように思えて仕方がなかった。

 結局のところ、彼は感情を選んで相手に分かるように伝えるという考えを知らなかった。素直という基本的で重要なことから目を背け続けていた。

 そうして時は流れて想いは亡霊と化して、それでも心の底のどこかで残り続けては時たまチラついて男を苦しめるのみ。

 素直になれなかったかつての己。心に残ってそのまま亡骸と成り果てて形だけ見せる想い。それを万年筆と共に机の中に閉じ込めて、青春にさよならを告げてそっと引き出しを閉じた。



 眼は暗闇を捉える。見えない景色というものが視界いっぱいに広がっていた。

「あれが俺の父さんの過去」

 和春がどこかおかしな皮を被って煮え切らない部分だけを見せてはどこかズレた人物を演じていたように素直になれない中で何かを必死に伝えようとして結局は筆を想いを伝えるための手を、闇の中に放り捨ててしまっていた。

 やっていることは違っても素直になれずに生きていることは同じ、根は何ひとつ変わりなくて、親子なのだということを実感させられていた。

「素直になれない、アンタとお父さんは結局のとこおんなじことで悩んだってわけさ」

 天音に告げられた言葉を噛み締めて、ただ立ち尽くす。何も見えない闇の中、想いも言葉も何もかもひそめてしまっては誰に気付かれることもなく永遠に埋もれて想いを身と共に墓場へと埋めるしかなくなることだろう。

「安心しな、アンタはお父さんは違う。アンタはまだ全然手遅れなんかじゃあないのさ、手を伸ばしたい相手は『今』にいるのだからさ」

 贈られた言葉は単純そのもの。気持ちをそのまま伝えるということ。乗り越えなければならない大きな試練は自分自身だった。自身の持つか弱い心だった。

 和春は天音に手を引かれて、元の喫茶店へと足を運ぶ。きっとそこにこの儀式最後の過程が待っているはずだった。

 自分勝手はいけない、相手のことも思ってこその好き、それでも、伝えることは自分のこと。

 店内で座って待っている少女は最中を頬張って抹茶を啜っていた。

――全く減ってないねえ、ありゃあ、あの子も素直じゃない

 しかし、時には素直にならないことも必要なのだということ。里予には既にそれが分かっているのだろう。

 里予と向かい合うように座って、目を見つめる。輝きは薄茶色の澄んだ色に透けてどこまでも美しい。

 息が詰まる、喉が締め付けられる。

――乗り越えろ、これが、俺に必要なこと

 心臓は、強い脈を打ち続け、和春に落ち着く間のひとつも与えてくれなかった。

――行こう、頼む、言葉出て

「さ、さとよ」

 里予は彼の声を聞き届けてゆっくりと微笑んで見せた。柔らかに緩く表情を変える姿はますます緊張を高めて行った。

――なに、ええ可愛すぎるだろ待ってえっ、ちょ

 息は吸っても吸いきれない。頭に熱が昇って来て、もういつも通りではいられなくて。

――だめだ、逃げるな、素直に、じゃないとここまで過ごした時間が全部

 時間の価値がゼロへと向かおうとしているそこで、和春は勇気を振り絞って想いを告げた。

「その、今まで、ごめん。ああ、素直になれなくて、さ」

「いいよ。あと……今の和春くんカワイイね」

――やめて、そんなこと

 和春の勇気は今にもはち切れてしまいそうで破裂してしまいそうで。その前に、勢いに任せて言葉を無理やりひねり出した。

「好きです、さとよのこと。だから、付き合って下さい」

 果たして答えはどのようなものが来るのだろうか。空白は一秒にも満たず、最も緊張していたその中で、里予の言葉が優しく突き刺さった。

「ありがとう、これでずっと一緒だね」

 その笑顔は世界の何よりも野に咲く花と呼ぶに相応しい穏やかで可憐な色をしていた。

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