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四幕 一宿一飯

 湖畔から森を抜け平地へと出る。

 緩やかな丘陵にぽつりぽつりと散る家屋からは、白く細い煙を緩やかに吐き出していて、しみじみと人の営みを空に描いている。


 先導するシエルが「こっちこっち」と小躍りしながら振り返る。余程関羽のことを気に入ったのだろう。跳ねながら質素な家屋の扉を開けた。


「ただいま! ヤージャ! お客さんを連れてきたよ!」

「これはシエル様。お客様など珍しいですね」


 歳は60手前くらいか。頭に白髪が混じるヤージャと呼ばれた男は、見た目はざっかけない農夫そのものだが矍鑠かくしゃくとしており、言い得て隙がない。

 むむ、できる。

 などと関羽が思ってしまうほど。


「さあ、カンウさん。遠慮しないでくつろいでよ。今急いで料理を作ってくるからね」

「おお、それはかたじけない」


 シエルは関羽を置いて家屋の奥へと消えてしまう。

 平家だが一部屋一部屋は広く作られており、天井の梁も高く開放的な建物である。

 関羽は言葉に甘え、腰を下ろして気持ちを楽にした。


(……してこの先、いかにするかのう)


 そうしてゆったり思慮に耽る。

 まさかこの先もシエルの世話になる訳にはいかない。食い扶持くらいは自分で何とかしたいものだ。だがアルガート帝国のことなどまるで知らない関羽には、これといった選択肢が思い浮かばないのは無理もないこと。


 取り立てるほどの妙案も浮かばず、暖炉の薪が乾いた音で何度か爆ぜ、何刻が過ぎた後。


「待たせたねカンウさん。さあ、ウチの自慢のトンカツだよ!。たくさん食べてね!」


 そう言いようやく戻ってきたシエルは満面の笑みを浮かべながら、大皿を関羽の前に並べ出した。


「これは……初めて見る料理であるな……」

「何? カンウさん、トンカツも知らないの? これはパン粉をまぶした豚肉を揚げた料理だよ。パン粉も豚肉も、ぜーんぶ自家製なんだよ。ささ、温かいうちに食べてみて!」


 豚肉と分かり、関羽はひとまず安堵した。

 見たことのない料理ではあるものの、揚げたての熱気と香ばしい匂いが空の胃を鳴らす。


 関羽はシエルのすすめるがまま、草鞋大のトンカツを手で掴みかぶり付いた。

 二、三咀嚼し、目を見張る。


「こ、これは……なんとも美味い。こんな豚肉料理は今まで食べたことはない」


 言いながら、たまらずもう一口。

 噛むごとに、豚肉からじゅわりと甘い旨味が染み出してくる。


 硬すぎず柔らかすぎず、絶妙な火の通り具合だった。覆っている衣はサクリと歯応えがよく、豚肉の弾力と対を成し、混ざり合う口の中で絶妙な食感を生み出している。それでいて衣には程よい下味が付けられていた。その味がまた、豚の脂とよく絡む。畜産によって影を潜めた豚の野趣を、ものの見事に引き出していた。


「今度はこのソースをかけて食べてみてよ」


 差し出された小さなツボに入ったソースを関羽は嗅いでみる。つん、と鼻に突き刺す刺激臭がした。反射的に顔を顰める関羽をよそに、シエルはやや強引に「いいから試してみてよ」と、衣にソースをボトボトと惜しげもなく垂らす。


 この料理の肝は、衣であろうに。

 せっかくの調理法と味付けが台無しだと関羽は少しばかり肩を落とすもシエルは真逆。翡翠の瞳を輝かせている。


 期待を孕んだ小さな眼を、当然ながら無下になどできない。

 関羽はソースが滴る一枚を手に取り、齧りつく。齧り付いて衝撃を受けた。


「……なんと! これは……たまらぬ!」


 サクリとした衣の食感を代償として、味が二層にも三層にも深みを増していた。

 ソースをたっぷり含んだ衣もしっとりとしていて、それはそれで悪くない。ソースをかける前のトンカツが柔とするならば、これは剛だ。野菜を発酵させたソースを纏った衣が、豚の旨味と混然となりながら絶妙なハーモニーを奏で出す。味の強いソースに負けじと豚肉の本領が主張をしてくるようだった。


 陶然とうぜんとしながら、一枚、また一枚と皿のトンカツが消えていく。

 次々とトンカツに伸びる手が止まらない。いや、止める気がなかった。

 関羽は本来大食漢である。瞬く間に皿に並べられたトンカツ八枚をすべて平らげていた。


「いやはや、なんとも美味い料理をいただいた。シエルよ、馳走になったぞ」

「命を助けてもらったお礼には到底及ばないけど、そこまで喜んでくれて、とっても嬉しいよ」


 帽子の下のシエルの顔が、満足げに綻んだ。

 さて腹も満たされ人心地。だからするりと言葉に出る。


「……ところでシエルよ。わしは仕事を探したいのだが、何か心当たりはないものか?」

「カンウさんなら、しばらくこの家でゆっくりしててもいいんだけどねー」

「いやいや、それはならん。これ以上は甘えるわけにはいかん。自分の糧は自分で何とかしてせねば、面目が立たぬ」


 シエルの好意を片手で制し、ともすれば流されてしまいそうな甘えを自ら断ち切った。

 逆にシエルが腕を組み「うーん」と悩んでから。


「そーだなー。カンウさんくらい強い人なら、お城の兵隊とかになれそうだけどね」

「おお! 士官の口があるのだな」

「ここから歩いて半日くらいの場所にあるフェルスタジナ城で聞いてみるといいよ。明日なら僕もお城に向かうけど、一緒に行くかい?」

「もちろん。何から何までかたじけない。いつか必ずこの恩は返すと約束する」

「やだなあカンウさん。危ないところを助けてもらったのはこっちなんだから。遠慮なんかしないでよ」


 まさに可憐な花もかくやの如し。シエルの眩しい笑顔に関羽の眉も自然と下がった。

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