日本海軍特種演習『アマノイワトヒラク』《下》
墜星暦5946年冬 陽没海日本列島南沖
日本国防海軍戦略原潜『むつ』、かつての名を『グレゴリー・ポチョムキン』。祖国を裏切り、サハリン共和国、樺太自治区、そして日本と所属を渡り歩く数奇な運命を辿った鋼鉄の怪魚は南の深海に身を潜めていた。母港のN-53A泊地を失ったため、他の国防海軍潜水艦の倍を超える巨体を隠し、『むつ』はひっそりとK基地での補給を済ませて出た南の海で一隻、そのときを静かに待つ。
冷たく光の差さない深海の、陰鬱さが漏れ入ってきたかのように薄暗い発令所。通信担当の士官が極超長波で送られてきたごく短い電文を艦長に伝える。
「艦長、イチガヤより入電『トガクシ』です。」
「そうか。」
電波の減退が激しい水中には通信量が制限され、一方通行の簡単な符牒しか受け取ることしかできない。だが、それで十分に単純な命令は伝わる。元ロシア人の艦長は短く応え、短く命じた。
「総員戦闘配置、深度15まで上昇。」
窓の無い潜水艦、タービンの小さな振動と艦の傾き、計器の針で乗組員は艦が浮上を始めたことを感じた。だが、仮の母港、K基地に帰るまで艦体を日の光に晒すことは許されない。『むつ』は建造以来初めて、その存在意義を果たす任務を遂げようとしていた。
「拳より棒を、棒より槍を、槍より投石を、投石より弓を銃を砲を、遠くへさらに遠くへ。そして——神よ許し給え。」
「ボクの許可じゃご不満かな?艦長?」
強化樹脂製のカバーを外され、ディンプルキーが差し込まれパスワードが入力された一つのコンソール。この鍵を持ち、暗証番号を知るのは艦内に一人しかいない。赤く点滅するそれに向かい、イコンのように祈る彼の横に電子の神は現れた。
銀髪碧眼白衣の小さな3Dホログラム、艦載RTDシステムはからかいの混じった笑みで艦長の顔を覗く。発令所床下の依代、彼女のサーバー筐体は青いクラキ=ニューロン発火反応の光を洩らしていた。
「紛い物の神サマじゃな、——どこが標的だ?」
ため息をつき、無駄だろうと知りつつも艦長は聞いた。所詮自分たちは運び屋——それも魑魅魍魎ひしめく情報軍直属の手足、海軍所属は書類上の話でしかなかった。第2.8次世界大戦から逃げ延びた先、北の地で出会った情報軍前身組織、伏務機関『龕灯』。20年来の付き合いになる艦長もその全貌は掴めずにいた。
「『禁則事項によりお答えできません』あーダメだ、教えられないねぇ、でもこれだけは——ヒトではないよ。大丈夫、あとはボクに任せて。」
「フッ、お前らの定めるヒトの定義は怪しいだろうが。このために乗った仕事か。」
艦長はその言葉と共にキーを回し、コンソールには『発射可』の赤いランプが灯る。あとは電子の神へ艦の操作権が移され、全て自動で行われる。発令所のモニターは一斉に『АВТОНОМНЫЙ』の文字で埋められ、原子炉の制御棒から洗面所の蛇口まで乗員の操作を受け付けなくなった。
鯨のような影を水面の際に浮かび上がらせた戦略原潜『むつ』。そのハッチが一つ開き、打ち上げられたソレは海と空を隔てる境目を易々と破り大気の外へ飛び立つ。
◆◆◆◆◆◆
「さて、そろそろか。お客様を集めてくれ。」
艦内ツアーに散らばった各国の武官を再び第一艦橋に集めるよう命じ、国防海軍の将校は情報端末をポケットに滑り込ませた。そして集まった武官たちを前に窓を背にして立ち、見回すと手を広げて口を開く。
「——我が国防軍の視察、お疲れ様です。これより『やまと』はY基地へ寄港、都内の見学をしていただいた後帰国となります。ですがその前に我が国の自由と平和を守る『切り札』をお見せしましょう。」
『やまと』の眼前、水平線より手前の絶海に漂う2隻の駆逐艦。その所属を示す物は取り払われ、艦を操る乗組員も居ない。だが代わりにある種のセンサーや頑強にブラックボックス化された記録装置などがあちこちに取り付けられている。
「我が国の『モーペタ』級駆逐艦……『クリメガ』と『アワキロ』じゃないか。」
かつての星央大戦中に建造された古参艦、S島沖海戦を生き残った数少ない『連邦』陽没海艦隊第一艦隊所属の旧式駆逐艦も賠償艦として日本に差し出され、幽霊船のような標的になっていた。
「ええ、その通り。満載排水量1300トン、10.2cm砲4基と533mm3連装魚雷発射管2基に20mm機関砲6丁——」
彼が諸元を誦じつつ、その間に武官たちへ色の濃い遮光グラスが配られる。その意味がわからないまま彼女たちは促されるままグラスを掛けた。そして第一艦橋に居る全員の着用を確かめた将校は耳元のインカムを掴む。
「第一艦橋より戦闘指揮所、こちらは閃光防護よし。」『——了解。電磁装甲展開、対EMP対NBC防御。』
艦体を高圧電流からなる不可視の障壁が包み、『やまと』を止まり木にしようと迂闊に触れた海鳥が黒焦げに変わった。電磁パルス攻撃どころか戦艦砲弾すら距離によっては無力化する堅い鎧を『やまと』は複合装甲の上へさらに纏った。
準備が整った一同を前に将校は鷹揚に頷き、窓の外の空を指す。
「——皆様あちらをご覧ください!」
並べられた『連邦』からの賠償艦『クリメガ』『アワキロ』。無人の小さな駆逐艦2隻にソレは宙から迫る。
大気との摩擦で白い光の尾を曳き、天を切り裂くソレは人工の流星、陽没海に星が墜ちる。海面数百mの上空、電波高度センサーでソレは秘めたエネルギーを一瞬で解放した。
——ドドドド
爆ぜたポップコーンのように海上の全てを白く塗り潰す閃光の奔流が遮光グラスを貫き、何人かが目を覆った。放たれた熱線で沸騰した海水が膨れ上がり雲となり巨大な柱を生む。一瞬遅れて爆炎がそれを突き破り散らし、黒くキノコ雲がそびえ立つ。太陽を地上に現出させる叡智の炎と海水の大瀑布に『クリメガ』『アワキロ』が飲み込まれ、消える。
『——耐ショック体勢、耐ショック体勢——衝撃波到達まで5、4、3、2——』『——アマノイワトヒラク……アマノイワトヒラク……弾頭正常作動、実験成功、実験成功。』
無感情のアナウンス通り、押し寄せる爆風とうねりに揺さぶられ巨大な艦体が軋みをあげる『やまと』艦上、目の前の光景と窓を震わせる衝撃波に各国の武官は誰もが茫然自失。その場で彫像のように固まっていた。
かつて第2次世界大戦で初めて使われ、その後東西冷戦と第2.8次世界大戦で世界を滅ぼしかけた炎、この落月世界へ核兵器の破瓜を日本はもたらした。
——パチパチパチパチ……
人造の陽射しに照らされ、静まりかえるなか響く拍手。紺色の国防海軍制服をかき分けて現れた紅……もとい白一点。銀髪碧眼白衣のその主は電子の神RTDシステムだ。彼女は満面の笑みを浮かべて銀髪を一層煌めかせ、そして黒い輪を戴く禍々しいキノコ雲にグイと親指を立て目を細め見入った。不気味の谷を越えた大菱バイオミメティクス・テクニカ製第2世代義体の彼女は続ける。
「——我々の国防における最終的解決手段です。」
ニヤニヤと人工の白い唇を歪めRTDシステムが言うが、その言葉は武官たちの耳に届かない。
「さ、『裁きの月』だ……。」「セレよ……。」「これは……これは人の成せる業なのか?」
遮光グラスを上げ目蓋の裏に焼き付いた閃光の残像に目を瞬かせながら、やっと我に帰り狼狽える武官たち。それに一人の日本海軍将官が無表情で呟いた。
「あなたの祖国は幸運だ。あと2時間遅ければ、アレがあなたの上で炸裂していた。」
「ニホンはあの兵器をいくつ持っている……?」
その言葉に膝を震わせ『連邦』武官は尋ねる。祖国が一方的に侮り、戦いを挑んだ相手への恐怖が冷や汗となって背中に滲んでいた。
「元いた世界では5桁を互いに持つ国が睨み合っていた。と、だけ申し上げましょう。」
無表情のままに告げられたその言葉に『連邦』武官は絶句。狂人を見る目で日本の面々を見る。
「この『やまと』型、『あおば』型と『まや』型護衛艦はあの兵器を迎撃する任を与えられています。」
海上自衛隊最後のイージス艦『まや』型以降、海上国防軍は電磁速射砲とRTDシステムを主体とした防空艦を整備している。その集大成が核融合炉の莫大な電力を用いた480mm電磁火薬複合砲を備える『やまと』型であり、その3基9門の主砲は宙へも届く。旧海上自衛隊時代の第2.8次世界大戦、西方で飛び交った核——弾道ミサイルの脅威はイージスシステム搭載艦が防いできた。204×年、その役目は海上国防軍のRTDシステム搭載艦が引き継いでいる。
「これは……これはまるで『裁きの月』と『セロンの剣』だ。」
——セロンの剣?また別の武官が放った言葉に首をかしげた日本海軍の将官へ彼女、『帝国』の武官は飾緒の銀細工——三日月を貫く剣を指した。
「ああ、我が国の銀月十字の元になった伝説ですよ。」
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使徒言行録1章1節
——その国を滅ぼすことに決めたのである。(中略)「悔い滅びよ。」セレは自らを分け『裁きの月』を墜とされた。セロンは言った。「神よ。」そして銀の剣抜き放ち、剣に青き翼生える。(中略)『裁きの月』は砕かれ黄金の血を流し人住まぬ地に墜ちた。だが欠片に残る不可視の怒りの光は剣を腐らせ剣と鞘の吊り合いは崩れた。(中略)これより罰は人々に刻まれ剣と鞘は1と60へ、神より与えられ神へ向けらた剣のうちは多くが失われたのである。
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『神の月落とし』と『英雄セロン』、これは荒唐無稽な神話というわけではなく、実際にこの惑星を周る銀月は遥かな太古に欠け、直径3000kmの巨大クレーター湖と外輪山が星央と東陽を深く隔てる地形として残っている。『帝国』東部の辺境、クレーター湖月落海と外輪山輪月山脈にはそのとき地下深くから運ばれた鉱産資源が豊富に残り、『帝国』を始め星央大陸の繁栄を支えてきた。
「あの兵器でニホンは何を望む……?」
「世界——」
——征服。それすら可能な神の力だとその場に居た武官たちは思った。だが続ける言葉は違った。
「——平和。ただ一つです。前世界で我が国は初の被爆国でした。その恐ろしさは知っている……だが『力無き言葉に力無し』。互いのこめかみに銃を突きつけ合うことで前世界の平穏は保たれてきました。」
「……それは、それではたった一発の暴発で皆死ぬのでは?」
「だが、一度手に入れてしまった物は離せない。持たざる者はいつでも撃たれ、持つ者も腕を下ろせば撃たれるのですよ。」
非核を謳う日本だが、第2.8次世界大戦を機に同盟国の核の傘を抜け、裏では指揮下にない武装組織の存在を諸外国に仄めかし生き残ってきた。
「『汝、腰に吊るす剣離すこと無かれ、腰に吊るす剣抜くこと無かれ。』まさにこれか。講和を選んだ『連邦』は幸運だな。」
ニホンへの手出しを不可能にする切り札。彼女はその意味を知った。
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艦橋を貫く主幹エレベーターの扉が閉じた後、第一艦橋には国防海軍の将校だけが残された。電磁装甲は解かれ、窓の外は平穏を取り戻している。
「旧ロシアからとんでもないブツ盗んだものですね。だけど貴重な一発を——」
記録映像を見返し、各国武官の反応を報告書にまとめる将校が呟いた。
「いや、一味違う……純粋水爆だよ、国産品の。」
上空で冷やされた海水の粒——黒い雨が降り出し『やまと』を汚し始めた。




