椅子
墜星暦5945年冬 日本国東京都
転移の混乱で閑散とした雰囲気も漂い、季節の針も進んで年の暮れも迫る首都東京。
地上部は開放感あふれる優美なガラス張りながらも、その下に核の直撃にも耐えうるシェルターを備える首相官邸。
前庭に転がっていた『連邦』空挺兵の骸はすでに無く、庭石に刻まれた機関砲弾の痕だけが首都攻防戦の激闘を物語っていた。その破壊を振りまいた警視庁警備部のAIシステム、『AKB−84』は息を潜め再び庭の一部に擬態している。
そして『連邦』との講和を伝える記者会見を終え執務室へ一人戻る邸の主、仙田総理。平和が訪れたとしてもしばらくは縮小再生産が続く見通しということで、この後も対策会議と政務が隙間なく詰まっている。そんな多忙を極める彼の執務室には先客がいた。
「失礼、総理の椅子ともなると座り心地がいい。普段は安物の椅子を温めているものですから。……不要になったらお譲りいただけませんか?」
銀髪碧眼白衣の彼女は脚を解き慇懃に立ち上がった。彼女の依代、手だけでも500を超える圧力、温度センサーが仕込まれた最新鋭の第2世代大菱バイオミメティクス・テクニカ製義体は、柔らかな黒革の椅子の感触をクラキ=ニューロン発火反応に変換する。
「RTDシステムType-0……なぜここに。」
「警備AI『AKB−84』はウチの製品ですから。そして私には『倉来 怜』という名前があります。総理。」
片眉を上げつつ答えた彼女、制式名称——対弾道弾広域即応防空システム。日本情報軍の実質的な支配者、通称電子の神は続ける。
「内閣総理大臣続投されるそうで、これからもよろしくお願いします。今日はその挨拶ということです。」
「少なくとも戦後処理が終わるまでは辞められんよ。お、結季酒造『三八萬粁』か。」
化粧箱入りの日本酒を机に置き、ため息と共に仙田総理は温もりの無い椅子に深く腰を下ろした。
「国内のゴタゴタもまだ収まらんしな、物騒な事件も立て続けに起きている。……あの『霞ヶ関『連邦』空挺兵市民団体虐殺事件』君たちだろう?看過できないぞ——伏務機関『龕灯』。」
国防軍出動への抗議活動中の市民団体がゲリラ化した『連邦』空挺兵に襲撃された事件、機動隊が警護についていたものの連絡ミスによる交代の隙を突かれた。とされている。その後、実行犯の『連邦』兵は情報軍82連隊に掃討され残っていないというのが公式発表だ。
「さあ?そして今の我々は『情報国防軍』です。我々に名とこの首紐を与えたのはそちらでしょう?」
凄む総理に白々しく胸元の『桜花に交差する本とペン』が刻まれたポーラータイを直しながら、倉来怜は笑う。2034年のシナ海紛争終結以来、政府隷下の情報機関は実権を失って久しく、その権能は国防四軍の一つ情報軍の下へ集約、一元化されていた。電子の神の異名に相応しく、安全保障上の目耳と四肢の一つを司る彼女は防空用人工知能の枠を超えている。
「その通りだな、だが民憲党政権も余計なことをしてくれたもんだ……。『怪異は招かれねば家に入れない』だったか。」
シナ海紛争後、当時政権を握った民主憲政党はある組織を政府の統制下に置こうとした。その名は——伏務機関『龕灯』、その実態は非政府の治安維持組織。その活動を端的に表すとすれば『無法に対する無法による秩序』、国家の脅威を表面化する前に独自の組織網を用いて抹殺する秘密機関。
日本政府は明治にその存在を知り、以来黙認と水面下の協力関係を築いてきた。だが、民憲党政権はそれが気に食わず自衛隊の国防軍への改編を隠れ蓑に情報軍を設立、自らの前に跪かせようとした。
「我々を怪異扱いは非道いですよ、逆に狩る側でしょう?ではまた下野でもしましょうか?」
「まさか、追い出されるのはこちらの間違いだろう?もちろん君たちにはまだこちらに留まってもらう。」
その結果、組織は技術や人員を政府に差し出し、膝を屈したように見えた。だが、その裏では政府の改革と称してまであらゆる行政機関に根を張って潜り込み、背乗りされたと民憲党政権が悟ったのはスキャンダルを暴露され選挙で大敗、与党の座を引きずり下ろされたときだった。
そして2040年代、今の仙田総理が就任したときには、すでに政府内部は全身の神経系を置き換えるようにRTDシステムや情報軍寄りの人間に蚕食され、解体は不可能になっていた。
「『騙された、騙された』と嘆いていたが、谷木議員のようなのが出るところを見るとあの党は変わらんな。禁忌が禁忌として残る理由がまるで分かっていない。」
情報軍の計略と世論のコントロールで批判を浴び無能の烙印を押された政権だが、仙田総理はそれ以前から国家の運営には向いていないと考えていた。慣習は実利があるから慣習として残っている。それを無視するような運営は遅かれ早かれ破綻すると冷ややかに見ていた。
「まあまあ、四四四艦隊計画の立案という功績もありますし。」
「アレは君たちがゴリ押したものだろう?だが、また実現はお預けだな。」
シナ海紛争後の海軍防衛大綱、民憲党政権を含め表向きには火力投射護衛艦4、航空護衛艦4で4つの護衛隊群を整備するというものだが、実際はそこに4隻の弾道ミサイル搭載型原子力潜水艦が加わる。その手始めの一隻、旧ロシアから捕獲した潜水艦と弾頭で情報軍は極秘裏に核武装までしていた。
「ですが『むつ』の代艦と拡充は必要かと。」
電子の神は上目遣いで食い下がる。だが、総理はにべもなく言った。
「今はそんな余裕はない。一隻浮いて……いや沈んでいれば十分だ。保有の事実だけがあればそれでいい。」
国家転移という異常事態で地球と切り離されたいま、国防軍の拡充に割くリソースはまだ無い。四四四艦隊計画はしばらく凍結される方針だ。そして『むつ』も改修と搭載ミサイルの改良が続けられる予定になっている。
「せめて『やまと』『むさし』『いせ』『ひゅうが』のローテーション分は海軍も欲しがっているかと。」
転移時点で四四四艦隊計画のうち、火力投射護衛艦は2隻、航空護衛艦も2隻、そして戦略原潜1隻が就役済みだ。運用する海軍側としては任務、整備、訓練、プラス予備でローテーションを組みたい。足りない穴はミサイル護衛艦『あおば』型、改装で軽空母となった『いずも』型でお茶を濁し、『むつ』1隻に頼る核戦力は不安を残していた。
「献納でもしましょうか?」
「まさか。」
電子の神が冗談めかしたが、政府ですら把握できていないほどフロント企業を抱える情報軍ならもしや?と仙田総理は思った。情報軍には国庫からの支出は少なく、独立組織時代の財源がいまだにある。探ろうとした公安関係者が何人か消えたが、それ以来禁忌として触れられずにいる。
「全く底が見えないな君たちは——」
二人のもとへ突然スタッフがノックと共に入ってきた。彼は電子の神に目もくれず仙田総理を向いた。
「失礼します。総理、先程海軍のP -1哨戒機が牡鹿半島沖合で所属不明の艦隊を発見、現在『しらぬい』が急行中です。」
「分かった。下へ行こう。」
旧太平洋側に現れた不明艦。その言葉に総理は地下シェルター内、危機管理センターへ急いだ。そして一人残された電子の神は総理のデスクより手前、応接セットのソファにもたれ小さく呟く。
「軽々とは譲ってくれないよな、今はこっちで十分十分。」
そしてソファに身をまかせたまま白衣のポケットから取り出したのは、情報軍マスコットキャラ『れーちゃん』の操り人形。白くしなやかな人造の指で小さなそれを踊らせる。
「彼はボクの操り人形にはならないなぁ。」
『ソウゾウシュニハムカウトロクナコトニナラナイヨ』
電子の神の裏声に合わせ、人形はデフォルメされた小さな手を挙げた。
「青は藍より出でて藍よりも青し、って知ってるかい?」
『カミサマキドリカコノアクマメ』
「口が悪いね、れーちゃんは。とんでもないなボクは神様だよ?」
ビシリと自らを指差す人形に彼女は碧い目を細めた。




