彗星を墜とす風 《上》
墜星暦5945年秋 『連邦』首都特別市上空
上は青より深い藍の高み。空を超え宙に近い場所、高射砲も戦闘機も届かない、雲すら地面を這うように見える高度2万5千m超えの高みを飛ぶことを許される存在は少ない。
ごく薄い大気を吸い推進力に変えて空と宙の間を滑るのは、日本空軍高高度偵察機RQ-10『眺天』。窓の無い両生類めいた黒く滑らかな炭素系複合繊維製のフォルム、RQ-4の後継発展機を操るのは銀髪碧眼白衣の少女——電子の神RTDシステムだ。その碧い瞳に刻まれるのは『桜花に交差する本とペン』——非武装の無人偵察機は所属こそ空軍だが、実態は情報軍への無期限貸与という形で運用されている。
「ふーむーん?かき集めたねぇ。豪勢な演習標的だ、まあまあ足りるか。余ったら『むさし』にでもおすそ分け、っと。」
生物の存在を許さない超高空の仮想空間内で、RTDシステムは一人地上を走査、演算回路内の算盤を弾く。彼女の碧い目の先には赤いアイコンの群れ——推定機種すら詳らかな『連邦』軍の機体が映っていた。
「タロス各隊データリンク隷下に入った。」「『涼風』全機自律モードへ移行を確認。」「侵入経路高度変更なし。」「『むさし』より誘導コード受領、誘導代行準備よし。」
日本空軍、引いてはRTDシステムの命令は単純明快。
『敵航空戦力を誘引し衆人環視のもとで撃滅せよ』
そこに戦術的目標は無い、『連邦』国民への厭戦気分の形成が戦略的目標だ。講和を引きずり出す為のデモンストレーション、白昼に正面から敵を粉砕することが求められた。
そして他にも副目標として無人戦闘機の空対空戦闘データ収集、早期警戒管制機無しでの友軍機の管制実証、海軍護衛艦との連携実証——etc.人口の衰微も著しく人材の確保にも苦労する2040年代、国防軍上層部は自動化と省人化を強力に推し進めようとしている。
タロス各隊のAF−3自律戦闘機『涼風』、そのAは攻撃機を示すものでは無い。autonomous……搭載AIはクラキ=ニューロン発火反応の有機的な思考を可能とし、個々を超えた一体の巨大な群として振る舞う。指揮者の無い集団としての知性、相互に補完し合う仕組みを無人兵器に応用した。
磁気嵐で壊れた自律化カートリッジはブラックボックス化されているため整備員の手には負えず、再生産には大菱バイオミメティクス・テクニカの精緻極まる特殊な製造法を必要とするが、緊急生産と修理手術で間に合わせた。その証左に戦闘機の頭蓋には、桜花ではなく大菱の紋が刻まれているはずだ。
「ちょっとボクが伝染ったかな?さあ、平らげろ。」
純黒の機体に載った彼女の目、人工衛星の失われた今、最も神の目に近い合成開口レーダーと赤い複合光学センサーは遥か下の地表を睥睨する。
◆◆◆◆◆◆◆◆
秋の群青に浮かぶ深緑にベージュ交じりの迷彩、首都防空を担う『連邦』陸軍航空隊の『エクウスⅥa』。操縦桿を握る彼女は発進前のブリーフィングを脳裏で反芻していた。
「——敵ニホン軍は大胆にも首都攻撃を予告してきた。」
昨夜遅く、基地の講堂へ急遽集められたパイロットを前に司令官はそう切り出した。壇に上る彼女の顔色は何かを隠すように悪い。その何か、海軍の作戦機200機以上が戦艦一隻を相手に失われたことや、空母6隻を中核に置いた機動部隊が壊滅したことなど伝えられる筈もなかった。司令官は一度黙りパイロット、首都防空の任を預かる精鋭たちの顔を静かに見まわす。
司令官の言葉に、既にラジオを直接聞いた者、伝え聞いた者、初めて知った者、どよめきと困惑が広がる。
「注目、注目!夕方のラジオを聞いた者もいるかもしれない。」
壇上の司令官は声を張り、それを止めた。そして水差しからコップに水を注ぎ入れ喉を潤し、続ける。
「全くの欺瞞だというわけでも無いが海軍の苦境を知る者も多いだろう。知っての通りニホン本土は強力な防空網に覆われ、海軍は大きな損失を出している。——そして先日、第一軍の支援に向かった『パーラエナⅢ』もその網に捉われた。」
その意味を理解したパイロットたちは息を呑む。出撃した『パーラエナⅢ』戦略爆撃機の行方不明。8機とはいえ、重装甲と防御銃座に固められ高度1万mの超空を巡航可能な空中の要塞が、護衛機もろとも連絡を入れる間も無く消息を絶った。
ニホン軍の戦力を分散させる為、陽動にニホン本土の高射砲の届かない高空を掠めるという作戦は全機喪失という結果に終わった。
まるで何かが目を覚ましたような、あるタイミングから『連邦』機は不可視の壁に激突するかのごとくその全てが失われていた。
「もし、もし仮に首都攻撃など受ければ軍の威信は地に落ちる。統合参謀本部からは陸海軍共に協同して絶対に阻止せよ。との命令だ。」
攻守が入れ替わるときが来た。陸軍航空隊にとってニホン空軍の実力は未知数、だが海軍の同業者から漏れ聞こえてくる噂は知っていた。曰く鏃のような真っ黒の機体、曰く音の壁を易々と越える高速、曰くレーダーに映らない幽霊。語る者の口は、そのどれもが単なる戦場伝説で片付けるにはいかない真実味を帯びていた。
「——死力を尽くせ。我らに月神セレの加護があらんことを。」
——パイロットのみならず、神にも縋るとは!精鋭を自負する彼女たちは絶句し、顔を見合わせた。航空機は一度戦場に飛び立てばその損耗は勝っても負けても大きい。だが司令官の顔はそれ以上を覚悟した何か、死地へ赴く戦闘機乗りへの何かを滲ませていた。
回想から戻った彼女の手は震えていた。——恐怖か?それとも武者震いか?深呼吸。口を覆うマスクから新鮮な酸素が脳に送られる。
「——大丈夫、この子なら。」
彼女は自分に言い聞かせ、震えを止めるように操縦桿を強く握りしめた。愛機はエンジンを二度換装した『エクウスⅥa-Adv+』戦闘機。高高度性能に優れるカーベネティクト社の液冷12気筒1400馬力級エンジンを搭載した改良型。海軍の『アクィラⅣ』シリーズに比べ、航続力よりも火力と防御力を重視し30mm機関砲2門12.7mm機関銃4門の重武装、『連邦』陸軍レシプロ戦闘機の最期を飾る機体だ。
眼下遠くにそびえる山々は既に雪を載せ、冬は静かに足音を麓へ迫らせていた。
「降月祭は家で過ごしたいな……。」
彼女の駆る『エクウスⅥa』は哨戒を終え、ポツポツと浮かぶ綿雲の下へ緩く降下。
入れ違いに昇るのは、双発ジェットエンジン特有の金属音を轟かせる『コメートⅠa』。最新鋭戦闘機は焔の尾を二本曳き、彗星の如く圧倒的な加速で駆け上がる。それは主力機の世代交代を象徴するようだった。
そして近づくのは首都防空の要、ワタン川河畔の陸軍航空隊基地。物々しい高射砲陣地とレーダーに守られた飛行場は首都特別市の玄関口としても恵まれた場所にあるが、目と鼻の先に国防省本庁舎があることから今のところ軍専用の飛行場になっていた。
エンジン出力を絞りフラップを下げ地上の巣に迫る『エクウスⅥa』、そのとき無線機ががなり立てた。
『緊急!緊急!チュノー基地の警戒隊から急報!不明機が侵入!レーダーに映らず機数、速度共に不明!』




