払暁作戦 《前》
墜星暦5945年秋 日本国N県S市
日が昇り、雨が止んだ後も薄暗くもやが立ち込める日本海側最大の平原、一面に広がる収穫期が終わり、秋起こしで鋤き返された田は、砲弾とスコップで更に掘り起こされ、土嚢と鉄条網でデコレーションされている。
——塹壕戦、時間稼ぎを命ぜられたリージ中将は亀のように引きこもり、反撃に備えていた。
防御陣地の構築中、泥田のぬかるみにはまった『テストゥードⅡ』重戦車に疲労困憊といった様子でもたれかかる『連邦』兵。
その土や埃に塗れた服をよく見ると迷彩服ではない。幅の広い襟にチーフを巻く汚れきったセーラー服、タライに放り込めばいい出汁が取れそうな彼女は、乗艦を撃沈された海軍の水兵だった。
「流れ着いたのはよかったけど、勝っているのか?これは。」
第一艦隊と第二軍が壊滅後も細々と輸送船は送り込まれていたが、日本空、海軍にことごとく沈められ彼女の乗艦も魚礁と化し、漂流の末に陸戦兵として加わる羽目になった。
「今は耐える時期だ。今はまだアレを越えられない。」
サーベルと鞘を鳴らし、従兵を連れて現れたリージ中将は水兵に答えた。
「か、閣下!?失礼いたしました!」
慌てて立ち、海軍式の敬礼をする水兵を中将は手で制す。
「そのままでいい。——休めるときに休め。これから厳しくなる。」
その目の先には横たわる山脈、その山中に蠢くだろうニホン軍を想像した中将は拳を握る。
「まずいな…。」
前線の視察、目の前に広がる先の星央大戦の再演のような光景を見たリージ中将は、頭の中で食糧などの備蓄を計算していた。元々第二軍が運ぶ予定だった物資は海に消え、補給路が途切れた第一軍は真綿で首を絞められるように、その戦力をすり減らしていた。
切り詰めてあと一週間、陣地の構築などで体を動かす兵へ優先的に食事は回しているが、それでも必要カロリーに達しているとは言い難い。
「首都に降りた空挺どころか、第10歩兵旅団も音信途絶…。このままではすり潰されるぞ。」
リージ中将は白くため息をついた。
彼女は知らないが、J市の第10歩兵旅団は浸透と暗殺を得意とする情報軍83連隊に司令部の首を刎ねられ指揮系統が麻痺、個別に戦えるほど練度の高くない学徒兵が主体の残兵は、あっさりと戦意を失いそのほどんどが降伏していた。
そこに軍用では無い灰色に緋色のラインを引いた車体に回転灯を載せた車が一台、軍のバイクに先導され停まった。
「おはようございますリージさん、ここにいたとは。やはり進めませんか。」
車を降り声を掛けたのは、灰色のコートの襟に『剣を包む翼』、階級章に金翼を3枚重ねた人工維持庁男性保護局の保護監。維持庁では保護総監に次ぎ、中将とは同格になる今作戦の名目上の指揮官は、寒さに手をこすりながらリージ中将の横に並ぶ。
「冷える中、朝早くから何のご用でしょうか?保護監。司令部からわざわざここまで。」
『わざわざ』を強調し中将は彼女が乗ってきた保護局のパトカーを一瞥、燃料の節約が全軍に呼びかけられている中、エンジンを掛けたままのそれに遠回しに不快感を示す。
戦車などの燃料消費に比べれば微々たるものだが、その無遠慮な態度が気に入らなかった。
「いえいえ、用事というほどではありませんがね。散歩みたいなものですよ。」
それを知ってか知らずか、保護監は続ける。
「この国が我々の前に現れたのは、おそらく月神セレの導き。星央諸国はいまだに前大戦の傷を深く残している。星央は多くを失った。だから今、我が『連邦』が星央を出し抜き飛躍する。そして新たな世界の中心になるでしょう。」
20年ほど前の墜星暦5921年に終結した星央大戦は陽没海の向こう、星央大陸が主戦場となって『帝国』率いる銀月同盟と『共和国』『王国』『連邦』の北陽没海同盟が5年にも及ぶ総力戦を繰り広げ、『帝国』の降伏で幕を下ろした。
史上最大かつ、初の総力戦は星央諸国に膨大な死傷者や国土の荒廃などの深い爪痕を残した一方で、『連邦』は北陽没海同盟の工場として利益を上げ、さらに莫大な戦費の貸し付けで国際市場への影響力を増した。
『星央大戦唯一の勝利者』と評されるほどの成長を見せた『連邦』は以降、新大陸から陽没海と大西海の二海を統べる大国となっている。
「——六千年前の出来事が今ここにある。この時機での地に降る月の再来、月神セレは我が国に星央を脱し飛躍せよと啓示して下さった。剣を守る者としてこれほどの喜びはありませんよ。」
保護監は銀剣のロザリオ…人口維持庁の源流にあたる銀月教会のシンボルを取り出し掲げた。
「『連邦』人口維持庁は我が国の建国時に教会から独立したはずだ。発言には気をつけてもらいたい。」
「おや、神を信じませんか?」
政教分離の原則を持ち出した中将に保護監は不思議なものを見るような顔をする。
「私は軍人、私が仕えるのは星泉旗。そして今信じるのはコイツです。」
そう言うと中将は従兵の『SW.M5940』アサルトライフルを取り、まだ低く山脈の影を平野に投げる太陽の方角へ構えた。
「真面目でらっしゃる。」
それを最後に保護監は暖房の効いたパトカーへ戻った。
「——閣下、我々はいつまで耐えればいいのですか?」
保護監が去ったあと、アサルトライフルを取り上げられた従兵の小柄な少女が尋ねた。
「維持庁のバカ共は本気で制圧できると思っているな。見たか?あの持ち込んだ億単位の軍票を。今朝ではなかった。だとすると決するのは今夜か明日未明だろうな。——よく整備されている、頼むぞ。」
中将は、大慌てで刷られた『連邦』通貨トラルの山を思い出し、アサルトライフルを返された少女は、塹壕と鉄条網を見わすと顔を強ばらせ吹きつける秋風に身を震わせる。
◆◆◆◆◆◆◆◆
時刻を同じくN県某所の高速道路上。
笛を咥え誘導棒を振る大東洋統合警備保障の警備隊員に従ってSAに車両を並べるのは、日本国防軍のN市奪還作戦参加部隊。
旧陸上自衛隊の発足時から本土決戦を指向する陸軍第12旅団と第1、第6、第7師団、それに情報軍第81、83連隊が加わった濃緑の列は続々と集結しつつある。
「おいおいこれか。たまげた、台湾軍の中古じゃないだろうな?」「10式改アクティブ・レーザー付き、戦死確実だ。」 「バカ言うなシナ海紛争の戦車に人が乗るか、ラジコンだよ。」
北の大地からやって来た第7師団の戦車兵が数人、軽口を叩き合っていた。シナ海紛争で実戦を潜り抜けた10式戦車は旧式化は否めないものの、いまだに複合装甲にその身を固め55口径滑腔砲を槍騎兵のように構える。
その車内に人間はいない。そして所属標示は『情総−技研』…情報軍技術装備局、大菱バイオミメティクス・テクニカと大菱重工が開発した自律化改修キットを組み込まれ、鉄の獣はクラキ=ニューロン発火反応を宿す。
中古の戦車を再利用できないか模索した技装局からは、200mm電磁加速砲を載せるだの水陸両用のホバー戦車を作るだの、出処不明の噂も流れたが『人をなくす』ことで旧式車両の再戦力化を成功させた。
「まっ、ロボット掃除機の大きいモンみたいなものだ。」
台湾軍から返されたあと、モスボール保管中に自律化改修を施され、磁気嵐を逃れたクラキ=ニューロン発火反応のカートリッジを差す10式戦車は無言で赤い人工眼を横に振った。
北海道から抽出された30式戦車と、モスボールから引っ張り出された10式戦車が履帯を並べる横に、さらに異様な車両が駐められている。
40式装脚戦闘車、装甲を貼り付けた太い6本の脚に16式機動戦闘車譲りの105mmライフル砲塔を載せた装脚戦車は、従来の装輪車両に比べて最高速度は劣るものの、足場の悪い山間部で神出鬼没の猟兵として活躍することを期待され本州の機甲戦力として各師団、旅団に配備されている。
「これで走って酔わないのが不思議だよな。」
「前乗ったけどこう、なんというかフワンって動くんスよ。」
40式は優れた姿勢制御機構と衝撃吸収ゲルに包まれた装甲カプセルに乗員が収められるが、それでも乗り心地はあまりよろしく無い。
脚周りの系譜が繋がる同じ装脚車両の43式自律戦闘車のように、将来的には自律化も改修の視野にあった。
「さあ時間だ。全員異状がないか確認は済んだか?出る。」
「各部巡航姿勢よし、ギアダウン…脚部車輪接地。」
「点呼よし。発車。」
しばしの休息を切り上げ、濃緑の車列はまた動き出す。
◆◆◆◆◆◆◆◆
防衛省本庁舎の地下、中央指揮所。巨大な戦況卓を見下ろす強化ガラスの内側は沈黙と奇妙な熱気が支配していた。
「洞木少将はまた欠席か……。」
日本陸軍陸上幕僚長、旗賀谷大将は空席を見て呟く。少将ながらも彼と同じ肩書きを持つ、日本情報軍情報幕僚長の洞木少将はこれまでこの場に姿を現したことがない。
国防軍上層部にはその実在性を疑う者も多く、伏魔殿めいた情報軍の排他性と秘密主義を際立たせるものだった。
そしてその代理人がホログラムで机の中央に浮び上がる。銀髪碧眼、野戦服に白衣を羽織ったRTDシステム、ワッペンに『桜花に交差する本とペン』を縫い付ける彼女はRTDシステムType-0通称、倉来 怜。電子の神とも呼ばれる、RTDシステム全ての本霊だ。
ホログラムの彼女は銀髪を跳ねさせ一礼、そして鮮やかな指パッチンとともに戦況卓を指し示した。
「さて、お集まりいただきありがとうございます。作戦参加部隊は予定通り配置につきつつあり、作戦開始は明日0600から変更なし。天候は風が少しありますが晴天、視界は良好です。」
赤いマーカーの群れ、N市に籠もる『連邦』第一軍は完全に包囲され、青いマーカーの第12旅団と第1、第6、第7師団が前進のときを待っていた。
「まず空軍の爆撃と特科の制圧射撃後、東西両端に陽動攻撃、そして第6、第7師団が楔となって敵中央を穿ち、東西を切り分けます。」
戦況卓の上で振るわれる巨大な鉈と傘…戦車隊は無人攻撃機の援護とともに第一軍を切り裂く。
「これと同時に情報軍83連隊は市民が囚われている収容所を急襲、陸軍特殊作戦群は敵司令部を制圧します。」
宙に浮くアイコン、重ティルトローター機の群れが海から赤の後背を抉る。
「さらに内側から第6、第7師団、東から第12旅団、西から第1師団が挟み込み完全に無力化させます。」
盤上の赤い集団は、針を刺された水風船のように弾けた。
「ちなみに作戦開始前の降伏勧告は一切いたしません。万が一それで降伏、つまり下手に手を抜いて勝利を得ても『連邦』は講和に応じないでしょう。——それに、破壊の実行犯たる彼らに甘い対応をすれば、世論がこれ以上に激昂、最悪暴発する。」
再び指パッチンを合図に映されたのは、プラカードを掲げる団体やSNS、新聞紙面の画像。そのどれもが怒りと憎悪に満ちていた。
「先日の『連邦』空挺兵によるデモ隊虐殺。アレは悪手でしたね。無抵抗の市民を攻撃するとは…警備の隙を突かれてしまい責任を痛感するところです。しかし仕事がしやすくなる。」
第2.8次世界大戦とシナ海紛争の影は、いまだに国民を殺気立たせていた。
「…なっ!?RTD…!それは報復の意を含むということか?」
一人の海軍中将が驚きの声と共に目を見開いて椅子から腰を浮かせ、机を打つ。
「いえ、合理的判断です。敵大陸本土への反攻が不可能な現状、圧倒的な勝利をもって世論の溜飲を下げさせ、『連邦』を交渉のテーブルにつかせます。それとも代案をお望みですか?」
「…贄か、異存はない。期待する。」
情報軍と海軍が密かに隠し持つ、戦略原潜『むつ』の存在を暗に示され、中腰の彼は再びドカリと座った。
「総力を上げて叩き、今後の作戦が円滑に進むよう尽くします。」
倉来 怜はアバターに設定された10代後半少女らしい屈託のない笑顔で応えた。




