作者がある種の「感想」を書く人を先行ブロックする件
はいこんにちは~。
今回のテーマはこれですね。
作者による、ある種の「感想」を書く人へのブロック問題。
まあ定期的に燃えている話題でもあり、すでに素晴らしいエッセイの論客であられる某方による論述も出て、これ以上言うことないかなとは思ったんですが。
つらつら考えたことを書いておくいつものやつです。
しばしば関西弁になります。
よろしかったらお付き合いください。
さてさて。まずですね。
少なくとも「小説家になろう」では、特定のアカウントをブロックしたりミュートしたりする機能が付与されています。まあ近年のことやけどね。
別に書き手さんが読み手さんに対して一方的にやるわけやなく、アカウントのある人はだれでも、他アカウントに対してできることではありますが。
大抵はこれ、自分に粘着してくるとか、自作小説に対してあんまりひどい内容の「感想」を書いてくるアカウントに対して行われますわな。
別に「なろう」だけやなく、多くのSNSに付与されている機能です。
なんでこんなもんがあるのか。
そりゃもう「ユーザー同士のトラブルを避けるため」。これ一択やわな。
ものを書くことに意識的でない人には不思議に思われるかもしらんのですが、言葉には力があります。
汚い言葉、相手を貶める言葉、攻撃的な言葉は明らかに、それを浴びせられた相手のメンタルを傷つけます。人によって、傷つく程度に差はあるやろけどね。
そんなものを無制限に浴びせられなければならない義務などだれにもない。
人には自分の体を守るのと同じように、心を守る権利もあるからです。
言うなれば「基本的人権」と言ってもいいでしょうね。
心が傷ついたことで自分の命を絶つ人が現にいる以上、それは命を守ることにも直結しているわけやし。
言葉は人を殺すこともできるんですよ。
怖いもんですよ、実際ね。
自分が手にしている刃物の怖さを知らんことがそもそも怖いわ。
ネット上では特に、それに自覚的でない人が多すぎるのは悩ましいことですわな。
人には他人からくる暴言そのほかを聞かないで済ませる権利がある。
それを、なぜかひどい「感想」を書きこむ人たちは簡単に無視するし、なんとなれば「webに小説を公開しているのだから読者たるオレ(私)の素晴らしい指摘は心してすべて拝聴し、飲み込んで小説に反映させるべき。それが当然」と豪語しちゃう人までいる。
要するに「オレの言いたいことは全部言わせろ、飲み込め」そして「お前はそれを拒否するな、ありがたく拝聴しろ」というわけですな。
なに様なんやろ。
おっそろしい世界やね。ほんで、ワケがわからん。
匿名やったら何やってもエエとか思っとるんかいな。
私かってバッスバスにブロックする案件やで?
「ものを言う権利」はだれにでもあるが、「それを全部大人しく聞かねばならない義務」もまただれにもない。
ただそれだけの話やわ。
今回の場合は、とある方による「自分が書いた真摯で有益な内容の指摘を含む『感想』を送れなくされてしまった」ということに対する不満や憤懣からくるエッセイから燃えたわけですが。
……えっとね。
それが真摯な動機からなされたことであれ、よしんば本当に「有益」な内容だったのであれ、相手が「それは聞きたくないです」って言えばそこまでなのね。法律に反していない限りは、ですけども。
そこが絶望的にわかってへんのやないかと危惧するわけですわ。
純粋に善意や正義感から「相手のためだ、作品のためだ」とどんなに思っていたとしても、作者本人に拒否されたら「そうですか」って引き下がる。そうするしかないもんでしょ?
なんですか、じゃあ「真摯な思いからやった、善意やった」って言う人の気持ちや行動やプレゼントは全部、相手は無条件に受け入れないとアカンとかですか?
それじゃまるっきりストーカーの思想ですがな。十分危険思想やからね、それ。
ついでながら、個人的に私は他人に向かって「お前のためだ」って言いながら説教したり批判的な言葉を投げてくる人間を基本的に信用しとらへんもんで。
百パー嘘やとまでは言わんけども、ほぼほぼ自分のためやからね、アレ。
理由は色々あるんやろうけど、まあ大体は「こういうことが言える自分、すごいやろ? 尊敬してもええんやで?(ニヤニヤ)」みたいなマウントとりたがりーの、自己顕示欲の人やない?
あとはただ単にそう言うて、相手が困ったり泣き言いうたり体壊してもーたりするのんを見てほくそ笑みたいだけのサディスト。
ちゃいますか?
それとも、あなたの周りにはこのセリフを言いながら説教かましとっても心から信用できる人がおるんかな?
ああそう、それは幸せやったね。よき人生やん。そのまま生きていったらヨロシ。
でもまあ、めったにおらんと思うで~? 申し訳ないけど。
あとですね。
少なくとも「なろう」の感想欄は公開されていますよね。
とある書き手さんの感想欄に行ってみて、そこで変に粘着していたり暴言を吐いていたり、いかにもめんどくさそうな長文の指摘系「感想」を入れている人が見えたりしたとしてですよ?
「あ、めんどくさ」って先手を打ってその人をブロックする。
それかってその人の自由であり、権利やん?
なんも制限される謂れはないやん?
いわば「君子危うきに近寄らず」なだけですやん。そういう「感想」とやらを他人に送りつけてしまうアナタとお近づきになりたくないのよ。だからさらっと距離を置いてはるだけやん。
わざわざ戦争せんでもええように、事前に国境線ひいて連絡できんようにしてはるだけやん。なにがアカンねんな。平和を求めとるだけですやん。
なんでその他人の当たり前の権利を、「自分の話を聞いて欲しいから」「オレの意見は聞かれるべきやから」みたいな理由で侵害できると普通に考えてるん?
自分をどこの神様やと勘違いされてんのん?
怖いから。
なーんか歪んでるからね。精神的などこかが。
そういう一連の理屈って、どうしても昨今話題にのぼりやすいDVやモラハラする人の思考とよく似ている気がしてならん。
そういう人たちは、「自分は善意でやった。相手のためだと思ってやってた」とよく言いますし、本人も本気でそう信じ込んでいる。だからこそ怖い。誰が何を言うてもなかなか理解できんし。
認知の歪みっていうのは、自分ではなかなか気づけないもんやからね。
だれかに「感想」を書こうとしてブロックされていることがわかったのであれば、そうした相手を責める前に「過去、自分のやったことにどこかおかしなところがなかったか?」と自問自答するのが先やと思います。
DVモラハラ、いじめなどをする人の常套句は「オレは悪くない、相手が全部悪いんや」または「相手にも悪いところがあった、だからせいぜいお互い様や」ってやつですわな。そこからしておかしいからね。
完璧な人間はだれもいない。だから、その人をブロックした書き手さんにかって間違いや手落ちはきっとあったやろう。
しばしばエッセイで散見される「厳しい批判や感想が欲しくないなら最初から感想欄を閉じとけ」だの「そのように事前に注意書きをしておけ」だのという意見もありますわな。
作者側も、ある程度事前に自衛しておくことも必要やったのかもしれん。まあこれは百歩譲って、やけどね。
せやけど、だからって「ブロックされた側になんの落ち度もなかった」と考えることもできへんのんです。
つまりそーゆーことやわな。
「感想」は「感想」やねん。
「批判」でも「罵倒」でも「人格否定」でもないねんな。
「感想」と「批評・批判」の定義や区別は確かに難しいとこはあるけど、ちょっと指摘系の難しいこと、特に「小説の内容を変更してほしい(してはどうか)」みたいなことが送りたいんやったら、事前に作者さんに訊いてみたほうがええかもしれませんね。
「これこれこういうものを送りたく思ったんですが、余計なことでしょうか。作者様にはご無用でしょうか」みたいな、事前の打診をさ。
それをせんかったっていう落ち度かってあるんちゃうの?
と、私なんかは思いますな。
それをやった上で、書き手さんご本人が「いいですよ」って言うんであれば堂々と送ればええし、「いや遠慮します」っておっしゃったら大人しく引き下がるしかないかなと。そこはもうそれぞれの書き手さんの判断になるやろし。
まあ私なら丁重にお断りしますけどもね!
だって正直、執筆の邪魔になるもん。
私はこの七年とちょっと、毎日更新なんてことをやらかしてきた人間です。
七年もありゃあ色んなことがありました。変な感想ももらったことあります。
そこでなにより心配したんは「書けなくなること」。これでした。
メンタル的な問題は、物書きにとって非常に重要です。最重要課題といってもいい。
なにか心に病むこと、心配ごと、余計な悩みが紛れ込むと、どうしても集中力が邪魔されて筆の速度は落ちますからね。
百歩、いや千歩譲ってその「感想」とやらが有益なものだったとしても、物書きとして明らかに心をかき乱されるものであり、筆が止まるような種類のものなら目に入れないほうがいい。
特に、その作品を書いている途中ならばなおさらです。
どんなにすばらしい「ご指摘」であっても、すさまじい雑音になり得るのです。
私自身にかぎって言えば、まずこの理由でお断りするでしょうね。
ということで、あれこれ書いてきましたけども。
書き手が事前にとあるアカウントを先手を打ってブロックすることは完全にご当人の自由であり、当然の権利である。
何人もその権利を侵すべきではない。
まあ文句言うんは自由ですけどね。
それが相手に聞き入れられるという期待はせんほうがええ。一ミリもです。
──というのが、わたくし個人の意見ですな。
どっとはらい。
2022.9.24.Sat.