鉄塔マッサージ
1914年の今日、5/31に生まれたあの方へ捧ぐ。
BGMにはぜひ、伊福部昭の『ゴジラ』メインテーマを!ヴァージョンはお好みで。
森林調査員の山根喬は、よく馴染んだ作業靴で枯れ葉をざくざと踏んでゆく。梅雨はもうすぐそこだというのに、足の下に積もる葉は、乾いた音を立てている。新しく配属された地域なので、地図を片手に軽く見回りだ。
この山は、なぜか通信機器が使えず、紙の地図と方位磁針に頼るしかない。子供が遠足にでも来そうな低い山だ。それなのに、道もあまり整備されておらず下枝も伸び放題である。
山根調査員は、朽葉色の作業服に目立つ黄色いヘルメットを被り、首には白タオルを巻いている。虫やかぶれを防ぐ為である。手には調査記録を記入するためのペンを持ち、時々記録をしながら進む。
山根たちの仕事は、生態系の調査と送電鉄塔や送電線の保安維持だ。高圧電流が流れる送電線に枝や蔦が絡んだり、鉄塔に鳥や獣が巣を作ったりしたら危険なのだ。
つつがなく点検を終えて、山根調査員は開けた場所で水分休憩をとる。山裾を海に飲み込まれた絶景である。引き潮になれば渡れる小島には、古い石の鳥居が見えた。
この地方で信仰されている、「御通護津さま」が祀られている祠である。作業の安全を願い、山根は海に浮かぶ祠に手を合わせる。
「ごつごつさまのお陰で、今回も異常なしです。ありがとうございます」
この付近で火事や落下物が報告されたことは、鉄塔が設置されてから一度もなかった。山根はさほど信心深いほうとは思えない性格だが、上司に言われたままに感謝する。
水をしまって山路へと振り向けば、カサリと小動物の通る音がした。リスか何かだろうと音のする方向へ首を向けると、木陰から1匹の緑色に光る生き物が現れた。
その生き物には、トカゲのようなヒレが頭から尻尾までならぶ。つぶらな瞳が大きく一つ、顔の真ん中についていた。生き物は、今出てきた木の根元から、瞬きもせずに山根を見上げてくる。
小さな粒が並んだ肌は、触ればざらりとしそうだ。山根調査員が思わず微笑みを零す。すると、大きく裂けた口をぱかっと開けて、緑色の生き物は火を吐いた。ぽっと音を立てて、ピンポン玉ほどの火を吐き出したのだ。
山根は落ち着いて消火剤を取り出す。その様子を見て、生き物は山根を安心させるかのように駆け寄ってきた。生き物の軽い体の下で、乾いた落ち葉や枯れた小枝が小気味良く折れる音が立つ。
生き物の吐いた火は風に乗ってふらふら進み、近くにある岩に当たって消えた。生き物は、山根調査員をじいっと見上げる。火がぶつかった岩陰から、今度は二ツ目の生き物が出てきた。同じように背鰭がある緑の生き物だ。
2匹目も同じように、ぽっと火を吐く。一ツ目の生き物は二ツ目に駆け寄る。2匹は揃って海の社が見える方へと走る。
2匹はしばらく海に向かって火を吐き出していた。山根調査員は、はらはらしながら消火剤をいつでも使えるように準備している。調査報告には、こんな生き物のことは書いていなかった。敵意は無さそうだが、放っておいたら山火事になりそうだ。
ひとしきり火を吐いた後、2匹は急にビクッとして跳ね上がった。
「なんだ、どうしたんだ」
山根調査員が思わず声を上げる。生き物たちは、パッと振り向いて、山根に向かってなにか言いたげに火を吐いた。
「なんだ」
生き物たちは、もどかしそうに顔を見合わせて、苔むした岩に向かう。見ていると、2匹で力を合わせて、焼け焦げで絵を描き上げた。拙いながらも、焦げ目は、後足の太いトカゲのようなものが2本足で立ち上がっている姿を浮かび上がらせた。
「何処かで見たような」
2匹はまた、海に向かって火を吐く。一つずつ火の玉を吐き出すと、焦ったように山根調査員を見た。
「ん?んんん?」
沖合を臨めば、海が盛り上がっている。
目を凝らせば、御通護津さまのお社辺りに背鰭のようなものが見えた。2匹の生き物が、必死の形相で山根を見上げる。
「教えてくれたのか?一緒に逃げるか」
2匹は順番に小さな火の玉を吐くと、ぴょんと跳んで鉄塔の方へと急ぐ。
「あっ、こら、そっちで火を吐いたらダメだ」
2匹は振り向いてキョトンとする。
「山に大きな火がでるぞ。危ないんだぞ」
山根は説得を試みる。言葉が通じる気がしたのだ。2匹は再び顔を見合わせる。そして、返事をするかのように、順番に2つずつ火の玉を吐き出した。
海を見れば、波を分けてギザギザのヒレが並ぶ尻尾らしきものがのたくっていた。どうやらこちらへと近づいてくる。轟々と嵐のような音も聞こえ始めた。
山根は2匹に案内されて山の頂きを目指す。木立の間から、海面がちらちら見えていた。波の音はますます高まり、黒々とした岩のようなものが見え隠れしている。
昔は天然の要塞だったという奇岩の隙間を登り、頂上に到着した2匹と山根は、恐々と眼下の海を見下ろす。腹の底に響くような不吉な音を立て、暗緑色の海が小山を作り出す。
ざざあと音を響かせて水の山を流れ下る滝が、白く砕けて四方へ飛び散る。風もないのに逆巻く波から、ゴツゴツした黒い岩の塊が隆起する。
「ぽっぽっぼぽぽぽぽっ」
2匹が怖そうに火を吐いた。黒々とした岩のような生き物の後ろでは、尻尾が大蛇のようにくねくねとうねって海面を打つ。打つたびに大きな水柱が立つ。
「ぽっ」
2匹は火を吐き出すと、急いで山根の脚にしがみついた。
「そこで火を吐くなよ?」
2匹はかばっと口を開けるが、はたと気づいて、またぴたりと口を閉じた。緑色の生き物たちの真っ赤な口に並んだギザギザの白い歯がすっかり隠れる。
海では太鼓を打ちならすような音が沸き起こる。黒々とひび割れた塊が次第に真っ直ぐ起き上がる。海の底から背鰭が次々に現れた。
「あ、あ、あ」
山根は思わず後ずさる。脚にしがみついていた2匹の生き物たちはそのまま引きずられて下がる。
ザバーンと大音量を響かせながら、巌の如き生物が海の中から姿を見せた。緑色の生き物たちをそのまま大きくして真っ黒に塗り潰したような姿だ。
それは、2匹が岩の焦げ目に描いた下手くそな絵と似ていた。
「ごつごつさま」
山根は、森林調査員の事務所で見た古い絵を思い出す。ギョロリとした目は山を睨むが、幸い山根たちには気がつかないようだ。ゆったりと山の方へ進む御通護津さまは、一歩踏み出すたびに凄まじい咆哮を上げる。
耳をつんざくその鳴き声に、思わず頭を抱えてしゃがみ込む。2匹の火を吐く生き物たちは、山根が曲げた膝の間に潜って震え出す。1人と2匹の頭の上には、磯臭い水がざあざあと降り注ぐ。
何がきっかけなのか、恐ろしい形相のごつごつさまは、確実な歩みで山に到達する。地面が揺れる。山根は大木にしがみつく。2匹は山根にしがみつく。
先程離れた鉄塔に、ごつごつさまが迫るのが見えた。
「ああっ!」
山根は死を覚悟する。送電鉄塔が引き倒されたら、辺りは火の海と成り果てるだろう。木々に隠れて全体は見えないが、それでも何が起きているのかが見えてしまう。天に向かって三角に伸びる鉄の骨組みが、黒々とした送電線を引っ張って傾く。
「ああーっ」
山根の口からは、最早ああという嘆息しか出てこない。生き物たちはガチガチと歯を鳴らし、火を吐くことも忘れていた。
送電線がゆっくりと引きちぎられ、青白い火花が見えた。雷が落ちたような、物凄い音がした。ごつごつさまは身を翻し、鉄塔を短い前足で抱えようとする。隣の鉄塔も引っ張られて倒れる。
ごつごつさまの背中に鉄塔があたる。岩山のような背中が、鉄の骨組みをごりごりと擦る。送電線は肩から背中へと巻きつく。バチバチと火花が走る。
ごつごつさまのが天に向かって口を開け、ボーッと火の柱が噴き出した。山根は言葉を失う。ごつごつさまは、目を閉じる。うっとりしているかのようだ。
何か様子がおかしい。降り注ぐ火の粉は山を焼き、放たれる火花も木々を火の海に呑み込んでゆく。だが、ごつごつさまのお顔から、険しい表情が薄れたのだ。
「何が起きているんだ」
しっかりと2匹を胸に抱き込み、自分も木に抱きつきながら、山根はごつごつさまの目を見上げていた。
山根喬調査員の元へも熱風が吹き付けるころ、山陰から救難ヘリが現れた。まだなんとか近づける状態だ。オレンジ色の制服を身につけた救難隊員が降下して、山根調査員を吊り上げる。専用の器具に包まれるようにして、調査員は隊員にしがみつく。生き物たちは、山根の上着に潜り込んでいる。
山根は2匹の硬い外皮を押し付けられて少し痛かったが、じっと堪えてヘリまで辿り着く。燃え広がる炎の中を、ごつごつさまが海へと戻るのが見えた。
ヘリは急ぎ山を離れる。窓から覗くと、ごつごつさまは尻尾を駆使して水や岩を山火事に向かって振りかけていた。
「ええー?」
なにやらご機嫌な様子で叫ぶ声が、ビリビリとヘリの機体を震わせる。時折、飛沫や岩の欠片が飛んできて機体に当たる。パイロットは厳しい顔でバランスを取ろうと踏ん張る。
程なく満足したごつごつさまは、燃え残る炎を気にせずに海の底へと帰っていった。
「ごつごつさま、お帰りになりました!」
パイロットの連絡で、別のヘリがやってきてすれ違う。ようやく消火剤の散布が可能となったのだ。待機していた地上の消防車も活動を開始したようだ。山根はお腹の擦り傷が急に痛み出す。上着から飛び出した生き物たちは、ぱっくりと真っ赤な口を開く。
「こら、やめなさい」
生き物たちは不満そうに山根調査員を見つめながらも、大人しく口を閉じた。
山火事が鎮火し送電鉄塔が再建されるまでには、何ヶ月もかかった。山はすっかり禿山になってしまった。
「お前たち、山の様子がずいぶんと変わったけど、帰りたいか?」
山根調査員は、やっと復興した山の麓まで2匹を連れてやってきた。2匹は、嬉しそうにピンポン球のような火を吐いた。
「ぽっ」
「ぽっ」
「そうか。だけど、火を吐くときには気をつけるんだぞ。今度こそ帰る山がなくなってしまうからな」
「ぽっ」
「ぽっ」
生き物たちは、名残惜しそうに山根を見る。それから、タタッと離れると、続け様に火の球を吐き出した。
「あっ、お前たち!」
山根は不覚にも涙ぐむ。
「うん、うん」
頷く山根の目の前、空中には小さな火の球が歪な曲線を描いて並ぶ。
「たかし」
「またね」
お読みくださりありがとうございます。
本日5/31の活動報告にて、緑色の生き物にいただいたイラストと、作っていただいた立体がございます。お時間がございましたら、是非ご覧くださいませ。
なおこの作品は、拙作「ごつごつ」の続編ではありますが、国民的怪獣映画に倣い、それぞれを独立した作品としてお楽しみいただけます。
ごつごつ
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