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小説・花の寺

作者: 久米 弘
掲載日:2022/02/09

河原の白拍子・お妙



「姉さん! 噂きいた? うちら皆んな、西山の花見に連れて行くんやて! ほんまやろか、うち、信じられへん」

 あたふたと駆け込んで来たお(みょう)は、踊り衣装を包んだ風呂敷を背中に担いだまま、顔を上気させて姉さんと呼び習わしているお()うに、巷の噂の真偽を問いかけた。

 おぼうは炊事の準備を始めていた。お妙の帰りに手をとめると、体を泳がせながらお妙を出迎えた。おぼうの右足は外へ大きく歪んでいた。

「あの、バサラ大名のことやろ」

 おぼうもその噂を聞いた。バサラ大名とは、室町時代の初期に栄耀栄華を謳歌した成り上がりの守護侍たちに付けられた綽名である。さらにバサラ(婆佐羅)とは、梵語で金剛ダイヤモンドの意味と言われているが、しかし、河原乞食と呼ばれる貧民たちは、別の意味で使っていた。つまり、バサバサバラバラの擬音語である。組み上げられた薪や米俵を打ち壊し投げ捨てるように、貴族社会の世の中をなにもかもバサラバサラにしてしまう男として、面白おかしく呼び習わしていた。

「そやねん。バサラ大名の佐々木道誉やねん。踊りの心得のあるもん、笛吹くもん、茶を立てるもん、一芸一半あるもん、一人残さず京極佐々木道誉が召し抱える、報酬は一年分とらす。そない言うてはるんやて。一年分もえ! 姉さん、たった一日か二日の花見やろ、しかも、都中の芸あるもんをぜ~んぶ連れて行く言うんや。そんな大それたこと、ほんまと思えるわけ、あらへん」

「あほらしいな、そやけど、相手はバサラ大名や、何しでかすか解らへん。それよりお妙、早よう服脱いで、顔、洗いや」

 お妙は一日の貰い銭と、背中に担いだ風呂敷包みをおぼうに渡した。風呂敷の中には、水干と袴(白拍子の衣服)に立烏帽子が入っている。お妙の踊り装束であった。鴨川の河原で生活する二人には、高価な衣装であり、現地で舞うとき以外は、いつも風呂敷に包んでいた。行きと帰りは必ず外出着に着替える。外出着と言えば聞こえはいいが、それは単に、継ぎ当てが当たっていないだけの普通の着物である。住処に戻ればそれも着替える。乞食生活の普段着とは、ぼろを寄せ集めて作ったと思われるほどの継ぎ当てだらけの襤褸着である。それでも、あればよいほうで、稼ぎの無い乞食は、たとえ女でも裸同然で過ごしていた。

 上着の着物を脱ぐと、ほのかな香りがおぼうの鼻に伝わる。春の陽気の下を半日舞いづくめで、たっぷりと汗を吸ったお妙の半襦袢が、娘の香りを漂わせていた。

「ほんまなら嬉しいわ。うちも行けるんやろ? うちだって白拍子や。そや、姉さんも行けるんやろ?」

 お妙は襦袢もおぼうにあずけた。あとは肌襦袢と、膝までしか包んでいない真っ赤な腰巻だけであった。短い腰巻の下に、細い二本の足が、陽気にはねていた。

「お妙は間違いなく行ける。お呼びがかからなくても、一言名乗ればお許しが貰える。あのバサラ大名は金使いが派手やし、ありったけのものをバラ捲くのが趣味という話やさかいに、一年分はともかく、ええ報酬は貰えるやろ」

「姉さんも行こ!」

「あほ言いな。早よう、普段着に着替えや」

 お妙の丸い尻を叩いた。お妙は肌襦袢を脱いで、汗ばんだ胸と脇を拭いた。小さな乳房が可愛く搖れた。脇を手早く拭くと、お妙は何のてらいもなく腰巻も取った。

 もちろん、おぼうも花見に行きたかった。杖を突いて近いところへは行けても、桂川を越え、西山まで行くことなど考えられもしなかった。

(それでも、三日も歩けば行けるやろうな、まるで、西方浄土に出かけるようなもんや)と、思わず微笑をもらした。お妙がその微笑を見て、自分の裸を恥じらった。

「やゝわあ、笑わんといて。うち、からだ洗ってくるし」

 お妙は素裸の上に普段着を腰紐一つで止めると、外へ出て行った。裏の鴨川の水で体を洗うのである。軽い身のこなしは、あたかも蝶が舞うようであった。

「お妙も十七やな。すっかり娘になって……」

 見とれるようにお妙を見送ると、おぼうは人目のないのを確かめて、小銭袋を秘密の瓶に仕舞い込んだ。少しずつ貯めては、また、お妙の衣装や化粧道具を買うのである。次に風呂敷を開いて、汚れの無いのを確かめると、衣紋掛けに、白い水干と袴を広げた。そして、ゆっくりと体を一回りさせた。片足回りであった。一方の足は、着物の裾から外に出ていた。前に向くべき足が、なぜか後ろに有った。おぼうは自分のものとも思えないよそ向きの足を太股まで出して、また一回りまわってみた。二回、三回、と舞いを舞うように回って、再び炊事場へ向かった。

『よほど悪い因縁を持っているのであろう』と、訳知り顔の学者や坊主から指摘されたものである。『お前は前世で人を殺めていたか、あるいは仏弟子を足蹴りするかしたのだ』とまで断罪された。

『それを因果応報という。身から出た錆と言うものだ。お前の醜さこそ、お前の罪業の実態を示している』等々。

 覚えもない前世の罪業など、おぼうには興味はなかった。よほど暇な人間が、考えるに事欠いて空想したことであろう、と気にもとめていない……、と言えば嘘になる。おぼうは、そのような軽蔑と非難の声には意識して気を外らしていた。

 おぼうは、今でこそ学者や坊主などから醜い片端人かとうどと言われる身になってはいるが、元は五体完全な娘であり、かっての静御前や祇王や仏御前にも負けない白拍子の誇りを持っていた。

「白拍子言うても、只のはしたない客取り女ではあらへんで。うちらの先達は義経はんや清盛はんと並んで歴史に語り継がれているのや。みんな自分の芸で栄華を手にしたのや。体を売るだけの女とは違う」

 白拍子は当初から遊女の代名詞でもあった。芸だけで生活できないときには、わが身を求められるままに客へ与えた。だが、お妙には、白拍子の先達を語り、誇りを持たせようと努力していた。

「……上手になればな、お公家はんや将軍はんからもお呼びがかかるんえ。うちらの踊りや歌は、天皇はんや上皇はんも感心しはって覚えたぐらいや。後白川上皇なんか、うちらの歌を集めて本にしたぐらいやで。そやから、河原で貧乏してたかて、な~んも恥ずかしいことあらへん。うちらが喜び悲しむ心から、新しい歌や踊りが生まれてくるのやさかいな。仏さんの歌とは違うんやで。うちらの歌こそ、ほんまの人の歌と踊りやで」

 それはおぼう自身の慰めでもあった。自ら踊れなくなったとは言っても、お妙を指導するおぼうには、浅ましいとされる卑賎な境遇を乗り越える誇りで自らを支えようとするのであった。

 ……娘時代、おぼうはお宮やお寺の参拝者を目当てにした雑芸の一座に養われていた。お妙と同じ歳の頃には、お宮の縁日に一座の代表として奉納舞いを収めたこともあった。だが、座頭は極めて卑俗で、銭儲けにしか興味のない男であった。平素は、平舞いよりも実入りの多い荒芸を座員に要求した。中でも、娘のおぼうには過酷な芸を要求した。軽業ともいわれるもので、丈の短い海女衣装を着せられ、トンボ返りや逆立ち、はては綱渡りまでやらされたのである。見物の男たちは争って銭を投げた。しかし、娘ざかりのおぼうには耐え難いことであった。嫌やがるおぼうを鞭打つように稽古と実演が強行され、そしてついに綱から落ちて足を折った。充分に治らないうちに再び稽古が始まり、重骨折となった。……。

 炊事場に戻ったおぼうは、河原で取れた野菜を目の前に置いたまま、十年昔の出来事を反芻していた。

(うちの罪やあらへん。あの(かしら)が悪い。阿呆や。平舞いでも充分に稼げていたのに、金の事しか考えてへん。全部、守銭奴のあの頭が悪かったんや)

 おぼうは二度も骨折して、その上、養生が悪く、骨折の上に皮膚病にかかり、足が腐れかけた。やっと傷が直り、痛みも止まって動けるようになった時には、足はよそに向いて固定していた。荒芸はおろか、平舞いさえ踊れなくなっていた。女の最後の稼業も醜い足では客も付かない。おぼうは一座から捨てられた。稼ぎにならない片端人(かとうど)は無用の長物だった。

 おぼうは杖を突いて、鴨の河原の乞食仲間に加わった。普通であれば、おぼうはそのまま乞食女で終わるはずであったが、お妙という一座の少女がおぼうの後を追って来た。それはお妙がまだ七才のころであった。芸人頭はお妙を探すこともなかった。なにしろお妙は不器用な子で、芸が全く出来なかったからである。いくら芸を仕込んでもお妙は覚えようとはしなかった。使いものにならない子として、逃げるに任せていたのである。

(そやけど、お妙は元々は不器用な子ではなかったんや。辛い思いをしてたさかいに、覚えられんでいたんや)

 幼いお妙は、一座のなかではいつも泣いていた。お妙は頭が悪く、あかんたれや、と罵られていた。一方、要領よく覚えのいい子は褒めそやされ可愛がられていた。親を失い只でも悲しく辛い中を、更に輪を掛けた日々の生活は、どれほど辛かったことであろう。見るにしのびず、おぼう一人がお妙を慰め助けていた。おぼうが追放されたとき、後を追って座を逃げだしたのも当然であった。お妙にとって、おぼうだけが頼みの綱であり、おぼうが片端(かとうど)になろうと乞食生活に身を落とそうと、お妙には問題ではなかった。おぼうの側におれるだけで、満足だったのである。

 おぼうは乞食をしながら、お妙に舞いを仕込んだ。一度は諦めた芸の世界に、お妙を手掛りに復帰したのである。幼いお妙にふさわしい可愛い仕草の舞いを考えた。お妙ははじめは稽古を嫌やがった。無理もなかった。唄と踊りは一座の悪夢を思い出すのである。ようやく覚えたと思っても、人前ではうまく舞えずに苦労させられた。それでも、寺参りの人々は、ただの乞食よりも多めに金子を投げ与える。

 お蔭で乞食としては、ましな生活が出来た。そして十年。お妙も十七の年頃となった。お妙は不器用どころではなかった。おぼうと二人、あるいは同じ河原者たちとの付き合いの日々は、お妙をすっかり明るい娘に変えた。唄にも踊りにも娘らしい精気と色気が漂っていた。境遇の不幸など、考えた事もない、と言った風情である。むしろ、おぼうのほうが沈みがちであった。

(あんな荒芸さえやらされなければ、うちは都一の白拍子になっていたんや。そうすれば、バサラ大名に取り入るぐらいわけないことやし。仏御前の真似をして、高師直でも、足利尊氏にでも取り入ってやったのや。うちは結構美人なんやし、肌でも綺麗なんやし………)

 おぼうはそっと自分の胸を覗いてみた。お妙の乳房は美しいというより可愛い。それに対して、自分の胸は………。

(うちの体でも、踊れる舞いが何かありそうなもんやがな。イザリの真似は端役。端役にならず、仕手をつとめる舞いがないもんやろか)

 美しいと思う自分の胸も、それを喜ぶ者がいなければ、美しさは端役にもなれない。

(いっそ、裸踊りしたろか。片端(かとうど)でも女やし、男を悩ます正体を見せたろか)

 貴族達の前で、取り澄まして神妙に舞う白拍子の中へ自分が割って入り、よそ向きの足を裾から出して、右に左に揺らめきながら、体の支えもおぼつかなく衣を捨てて、全裸で舞い狂う自分の姿が目の前に浮かんで来た。笑い、嘲り、罵り、やがて場外につまみ出される自分………。

(摘み出されて、雑兵達に犯されるのが落ちやな。かまへんけどな、うちでよければ、なんぼでもすればええ)

「姉さん!」

 お妙が戻ってきた。顔を洗うと、お妙の肌には二年前に都で流行した紅班の痕が、いまだに残っている。それでも、お妙は気にも止めていない。「化粧すればわからへんねん」と明るい。体を鴨川で洗ったお妙は、継ぎ当てだらけの普段着を体にキリッと着込んでいた。美しかった。

「姉さん、どこへ申し込もう、お屋敷へ行けばええんやろか」

 やはり、お妙だけは大事に守ってやりたい。自分のような端ない真似はさせられへん。お妙には、神様に見てもろて恥ずかしくない踊りだけを仕込んでやろう。都一の白拍子に育ててやろう。お妙はうちの生き甲斐や……。



バサラ大名・佐々木道誉


 時代は足利尊氏が没して八年。尊氏の息子義詮が、室末幕府の二代将軍となっていた。尊氏亡き後の動乱も納まり、京の都はようやく平和な日々を迎えていた。だが、鴨の河原でその日暮しの生活を送っている者たちには、平和で有ることが必ずしも、生活の改善にはつながっていなかった。争いの多い時には、鴨川には様々な生活物資が流れてくるのである。布切れや木材、死にかけの家畜に人間の死体も流れて来る。家畜類は死んでいても御馳走であり、人の死体は衣類を取る為の絶好の機会でもあった。ところが、戦乱が納まると漂流物は途端に減少する。世の中が平和になったからと言って、河原乞食を救うための福祉も社会保障もなにもない。平和が彼らを困窮に追いやる。河原者たちは必ずしも平和を望まなかった。平和を至上主義にする高徳な人々から河原乞食が嫌われた理由でもある。しかし、如何に立派な人々から嫌われ、非人呼ばわりされ、蔑まれても、河原で生きる者たちには戦乱こそ願わしかった。それを蔑視する者は、彼らを非人と見なした人類史上の最大の罪人たち、つまり、人間を合法的に尊い者と卑しい者とに区別した悪魔の如き人類の敵たちと同列に陥るのである。いかに徳を語り、文化を述べ、慈悲を説いたところで、その結果、人の営みから締め出される人間が生まれ、彼らの救済はおろか、逆に非人と蔑み、打ち捨てることを合法化して、誰はばからない平和であれば、そのような平和にいかなる価値があると言えるであろうか。さらに一層の戦乱を望む彼らの意識こそ、真正な人の心と言えた。可能性への希望でもあった。

 やがて、河原者たちの怒りの願望は、応任の乱~戦国時代となって実るのであるが、おぼうとお妙が演舞で生活していた頃は、良くとも悪くとも、平和が維持されていた。


 おぼうの作った夕餉は盛り沢山であった。河原で採れた野菜に、魚や肉類が混在していた。肉の品定めなど無用である。腐ってさえいなければ、犬であろうと、猫であろうと、肉と名の付くものは御馳走であった。野菜と一緒に煮込んでいれば、とにかく旨い。夕餉にはおぼうとお妙の他に、伝さんと呼び習わされている五十過ぎの男も加わっていた。

「飛び入りでもかまへんのやけどな、そやけど、一度、よろしゅうおたの申しますと言うておけば、そこは人のことやし、目を掛けてもらえるかも知れへん。儂が少しは勝手を知っておる。そやさかいに、お妙坊を儂がこの際、お屋敷へ引き合わせておいてやろう」

 伝さんの話はもっともであった。早い方がよい、早速出かけようと、おぼうの作った雑炊をかき込みながら、お妙を促すのであった。

 おぼうの小屋は六条に近い。外に出ると、広々とした河原に大きな橋が鴨川を跨いでいるのが間近に見えた。

「お妙、おぼう、見てみいや。まるで百足(むかで)やな」

 と伝さんが、お妙とおぼうの名を公平に呼ぶ。百足とは意表を付く形容であった。長い胴体に沢山な足が生えていた。

「ほんまやな。見れば見るほど、百足に似ているなあ」

 おぼうは木杖を突いていた。巧い具合いに枝が握りになっていた。

「せやけど、美しいわ。うち、こんな綺麗な橋、他で見たことあらへん」

 と、橋の美しさを賛嘆するのはお妙であった。真新しい木肌が、お妙の目には快かった。

 それは出来たばかりの五条橋であった。清水寺の参道でもある松原通りに、五条橋が架けられたのはつい最近のことで、幕府管領職を息子名義で手中にした斯波高経が自費で架設したのである。ところが、それが、今をときめく幕府最大の実力者、バサラの王者と言われる京極佐々木判官高氏入道道誉と悶着を起こすことになった。

「都の者は今度だけは斯波高経を褒めておるがな。なにしろ、橋架けのために金の徴収をせえへんかったさかいにな。高経が自前で架けたんや。人に何も迷惑かけへんのさかい、文句あらへんやろ、言うところやが、それが、高氏には文句があるねん。高氏にはまったく面白ろうあらへんのや」

 伝さんが目の前に差し迫って来る橋を指さしながら、講釈をぶちだした。伝さんとは『伝え乞食』のことである。背中を低く屈めては、都中を日がな一日歩き回って、様々な情報を仕入れて来て、それを必要としている者に伝えては、何がしかの謝礼を貰う。おぼうとの付き合いは、お宮やお寺の祭りや縁日の予定を知らせて貰うためであった。伝さんは学がある訳ではなかったが、話好きで、何処にでも顔を出すために、都の様子にはいたって詳しかった。

「元々は高氏が橋架けの奉行を仰せつかっていたんや……」

「高氏……?」

「道誉の本名や。(いみな)というてな、本名は普段は使いたがらん。そやけど儂らにはそんなこと関係あらへん……それで、高氏は都の住民から棟別銭の徴収も済ませていた。せやのに高氏は一向に橋の工事に取りかからへんでいた。そういう状態でいたところで、高経がさっさと架けてしもうたというわけや。高氏の面目は丸潰れや。せやさかいに見てみい、今度の花見は高氏の意趣がえしやねんで」

「あら、変やなあ、橋架けで面目を潰して、それでなんで、花見なんや?」

 おぼうが立ち止まって、伝さんの話に疑問を投げた。

「まあ、あとになったらわかるわいな。どうしても今、知りたければ……」

 と手を出す。話の大事なところで、この先を知りたければ、と思わせぶりになるのは、伝さんの身に付いた長年の習慣であった。

「出かける前にたんと渡したやろ」

 おぼうが伝さんの掌を叩いた。伝さんはそのおぼうの手を取って、再び歩きだした。三月四日の花見のために、お妙を一度、佐々木道誉の屋敷の者に目通しさせておいてやろうという伝さんの誘いに、おぼうは思い切った額の謝礼を渡していた。伝さんはお妙一人を連れて行くというのを、おぼうは自分も一緒に連れて行けと申し出た。破格の謝礼は、そのためでもあった。

 三人は河原から五条橋に登った。一段高いところに出ると、暮れ落ちんとしてなお落ちきれずに西山に留まっている残日が望見できた。

「遠い山やなあ。花見はあの山の麓やろ?」

 おぼうが西山を眺めて嘆息する。お妙は、茜色に染まった西空に連綿と続く山並の麓を覗き見ようと、背伸びをした。

「うち、まだ西山には行ったことあらへん」

 爪先立ってお妙が言う。無邪気な明るい声だった。西山まで届いたかと思われるほど、澄み通った声であった。すると、

「……行ったことあらへん!」

「……行ったことあらへん!」

 にわかに三人の後ろで、お妙の声が木霊した。振り返って見ると、四~五才の子供たちが満面に笑みを浮かべてお妙の口真似をしているのであった。女の子が二人、男の子が一人。男の子が長い着物を着て、二人の女の子は申し合わせたように、膝にもとどかない短い着物であった。よほど幼児の頃の着物を着ているとみえて、前合わせも不十分であった。ニコニコと笑いながら、右に左に走り回る。そのたびに、二本の足が胴分かれまで覗いて見えた。

 伝さんはその女の子の胴分かれに視線を寄せて、アハと笑う。

「あんたたち、寒うなって来るえ。早よう帰り」

 おぼうであった。

「……はようかえり」

「……はようかえり」

 子供たちはおぼうの言葉も真似た。

「うちも子供の頃、あんな、やったんやろか」

 お妙が寸足らずの着物を着た二人の女の子を見つめて呟いた。このお妙のつぶやきは子供たちには難しかった。真似をしょうとして真似が出来ずに、三人の子供は笑いころげた。

 子供たちは松原京極の木戸まで付いてきた。木戸の大門を中に入ると、子供たちはそこで立ち止まって、おぼうとお妙を見送った。伝さんは一足先に、木戸を通って都の中に入っていた。

 京の都とは木戸から中のことを言う。そこは河原の住人たちとは別世界であった。河原乞食の草筵の家とは、天と地ほども差があった。都の家にも、木切れを集め、屋根に石を乗せたボロ家もあったが、それでも、立派に家の形を成していた。そういう立派な家さえボロに見えるほど、都の中には豪華極まりない屋敷が随所に並んでいた。

「うちも、こんな家に住んでみたいわ」

 お妙が見とれる。

「お妙坊、大きい声では言えへんがな、こんな家に住む者に、禄な者はいいへんのやで」

 伝さんが声を落としてお妙に告げる。

「せやかて……」と、お妙。「うち、知ってるねん。家の中に仏さんを置いてはるところは、みんな立派え。金ピカで仰山な彫物があって、そらあ、えらい美しいわ。伝さんは、見たことないのんか?」

「そのくらい、儂でも知ってるわい。せやから、禄な者はおらん言うのや」

「美しくて、立派で、見るだけでも、罰が当りそうやねんで。仏さんて、ホンマに貴いのやと、一度見たら、頭あがらんようになるねんで」

「お妙坊、それはな、建前いうのや。大きい声では建前を大いに言うてええねん。せやけどな、建前があれば、必ず裏がある。家を全部、前ばかりで造る訳にはいかんやろ。前が造られれば、必ず裏が出来る。人の造ったものには、必ず裏がある。この裏を見ておかな、表さえ意味が分からんのやで。仏さんでも、天子さんでも、全部同じや。表の話に儂ら、騙されてはあかん。これは裏の話やさかいに、大きい声では言われんのや。分かるか?」

「姉さん、分かる?」

 お妙は、伝さんのややこしい話をおぼうに渡した。

 おぼうには伝さんの話が概略飲み込める。日頃から講釈を聞いているからである。人の造るものには必ず裏と表がある。仏さんでも同じ……。と言うことは、仏さんも人が造ったものなんか? と伝さんに訊ねたことがある。伝さんの知識は誰から伝えられたものかは知らないが、伝さんは即座に諾いた。となれば、仏さんとは、家と同じ物で、表もあれば裏もある。造り主におもねりもする。通りがかりの者を驚嘆させ、畏怖を覚えさせるが、しかし、打ち壊すことも出来る。そのような人の造り物にぬかづき拝み崇めるというのは、どこか真実からはずれている。にもかかわらず、いつのまにか人が本気になってしまう。それが、魔物の力や、とも言う。

『大きい声では言えんがな、仏さんとは、魔物やねんで』そう言うて、伝さんはおぼうの胸に手を伸ばしたのであった。『仏さんがこうして胸を撫でてくれるか? 悲しゅうて泣いているときに、仏さんが一緒になって涙を流して抱いてくれるか?』もちろん、そんなことはない。おぼうには、自分の醜さを意にも止めずに情を寄せてくれる伝さんが、豪華な建物の中で、ふんぞり返っている仏さんより、はるかに嬉しかった。

 しかし、お妙にそれをどの様に伝えられるであろう。お妙は見かけの美しさ、立派さに感動する芽ぶいたばかりの若葉の乙女である。あかんといえば、そんなことはない、と反発する。現実に、目の前に、美しく、荘厳であるものを、逆に醜いと言っては、その裏付けの掴めていないうちは理解出来ないであろう。

「今は分からんかて、そのうちに、分かって来る。仏さんを自分の屋敷に祭っている者は、みんな、腹黒の悪人たちなんや」

 伝さんが、これで話は終わり、と言うように、お妙の肩を叩いて、足早に歩き出した。

 お妙はおぼうの横に付き添って、なおも、首を傾げる。

「そんなこと、あらへんな? 立派な家に住まはる人は、仏さんがあんじょう褒めて、ご褒美にくれてはるんやろ? ええことをしたさかいやろ?」

 おぼうは答えるかわりに、お妙の手を握りしめた。二人は、いや、先に行く伝さんを含めた三人は、京極通りを北へ向かっていた。佐々木道誉は、別名『京極殿』とも言われるが、それは近江の佐々木京極という親の姓名によるものだが、構えた邸宅が京極(京の東の極まる所)と呼ばれる場所でもあり、それで人々は京極殿とも呼ぶのだった。(現在の新京極は明治になって行楽用に拓かれた)

 人通りの多い四条を越えたところに、はたして、一際大きな屋敷が現れた。門の前は、身動きも出来ないほどの人だかりである。四条の人の流れは、すべてこの屋敷を目指していたのかと思わせるほどの賑わいであった。

「大きな家やな。まるで、お寺みたいや」

 お妙が呆気にとられる。本瓦葺の反り屋根が、塀の向こうに悠然と聳えていた。大棟には祇園社の楼門と同じ形の獅子口(経巻)が、眼下の人間たちに、何かもの言いた気な風情で、丸口を三つ並べていた。

 唐破風を横に向けた平唐門は、一際大振りに造られていた。刀を差した男や烏帽子をかぶった者たちが、絶えず出入りしている。用事もなさそうに、ただ、出入りの者を眺めているだけの群衆もいる。その中には、女たちもいる。お妙やおぼうと同じく、噂を聞きつけて集まった遊女や傀儡師、白拍子たちであった。



天龍寺住職・春屋妙葩


「殿、釜ん座の鋳物屋金兵衛がお見えでございます」

 木階(きざはし)の下で家僕が片手を地面に付いて、殿上の主、佐々木道誉に来客を伝えた。道誉は僧形の男と歓談しているところであった。

「おお、金兵衛が来たか。奴はどんな顔色をしておる?」

「は、極々平静で」

「平静ではおもしろうない。うろたえた顔をしておるなら通せ」

「は……」

 家僕が去った。客間の正面に木階を設けているところは、寝殿造であったが、内部は板敷ではなく、全面に畳が敷かれていた。

「さて、お客人であるのならば……」

 僧形の男が暇せねばなるまい、というように口吻する。しかし、言葉だけが態度を示して、座り込んだ体はビクリとも動かない。主の道誉はすでに壮年期を過ぎた六十二歳の老人であったが、やや甲高い声の響きは歳を感じさせない気迫が篭っていた。一方の僧侶は歳の頃五十歳代。道誉よりは若いのだが、声は逆に老人であった。

「今も言うておった度肝を抜く生け花の仕掛人が金兵衛という男じゃ。奴がどう細工をしたか、まあ、聞いてみるとよい」

 道誉は畳から立ち上がった。今までの客殿であれば、板敷の間に身分に応じた着座の畳が並べられているものだが、道誉の客間は、板敷全部に着座用の畳が敷き詰められ、身分を示す場所が分からなくなっていた。道誉は気の向いたままに、そこら中の畳の上に太った体を投げ出す。一方、僧形の男は、本来、自分のような高僧の者が座るための上畳が配置されるであろう位置を見当つけて、そこに座っていた。僧は、立ち上がった道誉を視線の脇で見ながら、感情の動きを捨てた平板な調子で話をした。

「職人も河原乞食出身の立石僧と同じ者。彼らは金さえ貰えば、何なりと工夫するでしょう。所詮は、金の為に力と智恵を使う賎しい者たち。彼らに与える金は、捨て銭と同じで……」

「その話はもうよい」

 立ち上がった道誉は、僧が語りだす話の腰を折った。

「坊主の言わんとすることは分かっておる。職人下郎風情に金をばらまくよりは、寺に寄進すれば功徳が積めるというのであろう。生憎だが、儂は寺に金をやるよりは乞食にくれてやるほうが面白いのじゃ」

「それも功徳の内ではございますが、しかし、信心のない乞食にくれてやるのは、河原に水を撒くのに等しいことで、仏は喜びませぬ」

「正直に申せ。仏ではなく、坊主が喜ばぬのであろう」

「殿には負けます」

「儂が寺に金をやらぬから地獄へ落とすというのであれば、落として見ればよい。金を寺にやる者が地獄へ行くか、乞食に金をやる者が地獄へ行くか、まあ、見ておれ」

「殿は地獄へ行く方ではござりませぬ」

「なぜじゃ?」

「人を地獄へ送る者は、地獄の使い人。閻魔大王の御使者でござります」

「お前たち坊主はだから、権力者に喜ばれるのじゃ。大した悪るじゃの。儂がいくら人を陥れようと、陥れられて敗れさえせなんだら、坊主たちが儂を守ってくれる。勝ち残った者をお前たち坊主は守る。坊主はそもそも何が目当てなのじゃ? 金か? 土地か? それとも天皇か?」

 畳敷きの客殿は、衝立がすべて脇に片付けられていた。非常に広い。畳の縁が一直線に伸びている。体の大きな道誉は、その畳の縁を歩きながら、僧の前を行き来する。

 道誉が客間を一往復したとき、庭に、背を曲げた男が家僕に案内された。勝手が分かっているとみえて、家僕に挨拶をして、一人で庭を横に迂回して近付いて来た。

「坊主、生憎だが金と土地はやらぬ。相国寺とか言う寺を将軍御所の近くに造りたいと言うのも、己れが開山になった寺が一つ欲しいからであろう。諦めろ。儂が生きている限り、これ以上の馬鹿寺は造らせぬ。いくら儂の機嫌をとっても無駄じゃ。諦めろ、諦めろ。そのかわり、酒はいくら飲んでもよいぞ。唄とうてもよい。舞うてもよい。女が欲しければ女をくれてやるぞ。たまには女を抱いてみることじゃ。そうすれば金も土地もいらぬようになる。欲が洗い落とされるわ」

 木階の下で、金兵衛がお辞儀をした。道誉は僧侶を笑い飛ばして回廊に出ると、太った体を欄干に持たせかけて、

「どうじゃ? 金兵衛の首をはねる準備は出来ておるぞ」

 と、乱暴な言葉を投げかけた。そして、木階を上がれと手招きをした。金兵衛はふたたび深くお辞儀をした。

「殿の御意に叶わぬ時は、金兵衛、首を落とされても、恨みは致しませぬ」

「恨んでもかまわぬ。儂はの、いくら人を殺しても、人をはめ落としても、地獄には落ちぬ男よ。そこの坊主が保証してくれた。儂は閻魔大王の使いじゃとな。さあ、儂の申しつけた花瓶は出来たのか?」

 金兵衛は木階の前で腰を屈めたまま答えた。

「花を切りとらず、大地に根を下ろしたまま生けることの出来る花瓶を造れと……」

「そうじゃ」

「しかも、その花は天を突く巨木ばかりで……」

「そうじゃ」

「金兵衛、神仏に祈願して、前代未聞の花瓶を工夫いたしました」

「花は大きいぞ、花に見合う花瓶でなければ、金兵衛、そちの首、必ず落とすぞ」

「お恨み、致しませぬ」

「恨んでもよい、と申しておるであろう。酒がある。坊主が一人で飲んでおるわ。お前も上がって飲め」

「殿、お酌を勤めさせて頂きまする」

「阿呆か、儂は女子の酌しか受けぬわ。誰かある! 女子を呼べ! 金兵衛が女子が欲しいと言うておる。金兵衛にふさわしい女子を連れて参れ。ちと、変わった女子がよいぞ」

 道誉が首を半回転まわして、誰にともなく、虚空に向かってどなった。

「殿、御指名を」

 金兵衛を案内した家僕は既に去っていたが、何処からともなく道誉の声に答える者がいた。

「誰でもかまわぬ。新しい奴がいい。おらぬのなら、表で拾って来い」

「そのように取り計らいます。しばらくお待ちを」

「金兵衛、来い」

 道誉は金兵衛を促して、再び居間に戻った。

 道誉にからかわれた僧は、背筋を伸ばして胡座かきに座っていた。金兵衛の目にも、本物の坊主であった。というのは、主人の道誉も坊主であったからである。道誉の場合は、形だけの偽坊主であったが。

「金兵衛、自分で注いで飲め。この坊主は天下一のクソ坊主じゃ。誰か、分かるか?」

 金兵衛は顔を上げて、無言のまま端座している僧の横顔を見た。普通の者で有れば、視線を合わせて微笑を返すものであるが、この僧侶はまるで、金兵衛の存在が目に止まっていないようであった。よほどの修行者と見た。

「初めての御拝顔で、かたじけのう御座居ます」

 金兵衛は僧侶に向かって合掌した。

「金兵衛、何を言うのや。かたじけのうなんぞあるものか。これはただのクソ坊主じゃ。クソ坊主であって、これだけふん反り返っておれるところが、天下一の証拠じゃ。金兵衛、以前の天龍寺の坊主を知っておろう。乞食二十年の大燈国師と張り合うたクソ坊主を」

「では……」

「そう、こいつはその夢窓の一の弟子じゃ」

「存じております。こちら様が夢窓国師様の後継ぎ、法嗣となられた春屋妙葩僧正様……。確か、三年前のことで、天龍寺に御住持なされたのは……。私めもよく覚えております。あれは尊氏将軍様がお亡くなりになされた年でした。天龍寺が燃えましたときに、再建の大勧進職の御勅命を受けて、見事、旧に倍する大伽藍を整えられたのが、春屋妙葩様。天龍寺の御住持様は、この方をおいてはいないと思っておりました。左様でこざいましたか。ここで御拝顔出来ますとは、有難いことで……」

 それでも、僧は依然同じ姿勢を崩さなかった。

「天龍寺のコマーシャルはよいわ。それより金兵衛、知っておるか? 儂も夢窓の弟子じゃ。じゃが、儂は坊主は性に合わん。もし若禿になりさえしなければ坊主になど成ってはいないところじゃ。ところで、坊主、儂は一体、夢窓の何番目の弟子じゃ?」

 今度は、道誉は三具足(香炉・花瓶・燭台)や仏像を置いた押し板(後世の床の間)の度まん前に座った。まるで、道誉自身が仏像のような有様であった。

 春屋はそれを無表情に見つめた。居間に畳を敷き巡らすのは、禅宗の僧侶が始めだしたものだが、それは、高貴なお方の着座する同じ畳に自分も座る、という連帯から着想されたものであった。いつでも、自分より身分の高い者、仏恩のある高貴な方にあやかり、同じ者になる、という願望が本意である。けっして、その逆を願うものではなかったはず。七朝国師・夢窓疎石の一の弟子を自他ともに任ずる春屋妙葩は堅くそう信じている。従って、最高僧位に辿り就いている春屋は、将軍や天皇と同席する時以外は、全面畳敷きの居間というものは、快くは思えないのであった。この場合、道誉はともかく、卑賎な職人に過ぎぬ金兵衛とかいう男とも畳を接して同列に着座しているのが、自分の権威を侮辱されている感触となっていた。せめて、仏間の前で、自分が仏像の如く端座しているのであれば……。

「殿は、言わずと知れたこと、一の弟子でござりましょう」

 仏像の如く座り込んだ道誉に対する春屋の皮肉であった。

「儂が一なら、お前は何番じゃ」

 道誉は意にも止めずに畳み掛ける。

「さて、それは殿御が今、申されました」

「金兵衛、こいつは禅坊主じゃ。禅坊主と言う者はひねくれておっての。まともに答えはせぬ。ようそれで地獄に落ちぬここと、儂はいつも感心しておる」

 金兵衛が顔を崩した。春屋はニコリともしない。

「なぜじゃ、坊主。儂は合点がいかぬ。どうして坊主が地獄に落ちずにいるのじゃ。儂に言わせれば、地獄行きの一番手は、坊主をおいて他にはないと思うぞ」

「さて、それはよい御質問。暴けば身も蓋もないと申します。そこで、お答えすれば、閻魔大王は地獄にいて地獄に落ちませぬ」

「ワハハハハ、これじゃ、これじゃ。金兵衛、分かったか。仏も坊主もいい加減なものよ」

「それを言うてはなりませぬ。高貴なお方も暴けばただの人。同じ人間の中に、尊い者と賎しい者を区別してこそ、人の世が生まれます。暴くよりも包み隠してこそ、人の世は守られて行きまする」

 春屋は背筋を伸ばしたまま、抑えた声で語る。道誉は足を投げ出し、その足で畳を打ちながら、さらに言う。

「坊主、お前はホンマに天下一の坊主じゃ。間違いない。天子様が喜ぶじゃろ。せいぜい仏様大事、天子様大事で頑張っておれ……」

 道誉は、畳を打つだけではもどかし気に立ち上がった。

「……儂はの、つい今し方も言うたが、あの世の仏様に興味はない。この世の天子様にも興味はない。あの世の仏がこの世の儂に逆らうなら、儂は仏でも天子でも容赦はせぬ。お前たちがいくら仏や天子が尊いと言うても、儂がひとたび蹴飛ばし、刃を入れれば、見る影もなくなるであろう。しょせんはただの人間が勝手に祭り上げたものに過ぎぬ。尊いの、恐れ多いのというて、崇めさせようとするのは、それが我が身に都合がよいからじゃ。違うか?」

 春屋の前で、ドスンと一つ足踏みをした。春屋は平然と背筋を伸ばしたままで顔の向いた正面を見つめている。

「……今までの時代ならいざしらず、これからは仏も坊主も人の世にくちばしを入れぬことじゃ。死んだ者の回向だけいたしておればよい。生身の人間を小賢しく教えようなど思わぬことじゃ。仏など、元々はただの人。人が人で留まっておれば、人として尊ぶ道もあろうものを、人を越えたものになったがために、仏は人の世に災いとなっておる。人を越えたものと言いながら、所詮は人が崇め祭り、人が持ち上げてやらなんだら、人の世で威張ることも出来ず、存在しておることも出来ぬ。見下げておるただの人間がいなければ威張ることも出来ぬ仏がなんで尊いものか。え? 坊主よ、黙っておらんと、何とか言うて見よ」

 答えを迫られて、春屋は眉一つ動かさずに口を開いた。

「我が宗は、不立文字を教義といたしておりまする。言えば身も蓋もない。殿御のような話を坊主めが語りだせば、もはや、天子も将軍も守護職も尊ぶ存在ではなくなりましょう。それでは人の世は末でございます。人の世の生きるよすがの秩序がなくなります。人の世に必要なものは、何よりも上下のけじめでございます。人を教え人に命ずる尊い者は誰であり、そして教えを受け、命じられて働く者は誰であるか。このけじめがついていてこそ、人の世は納まります。人の世の平和を願う以上、上下のけじめを築き上げ、それを守ることこそ肝要でございます」

「儂の聞いておることに答えろ。強者が保身のために作り出した仏の何処が、真実に尊いというのじゃ? 人が造って、人が守らな存在しない仏の何処が尊い?」

「仏に仕える坊主めは、何よりもまず、仏の尊さを説きます。尊い者の存在を説き、それを守ります。人の世は、ここから始まります。尊い者と賎しい者とを区別してこそ、人の世が成り立ちます。人の世が成り立てばこそ、仏の道も説法も生きて行きます。この人の世を守るためには、尊さを越えた真実には、目をつぶります。敢えて語らず、あえて文字を立てず、知りつつ語らぬ拙僧の胸中、お察し願いたいものでござります」

「知っておるのか? 知っておって答えられぬというのやな。分かった。もうよいわ。とにかく儂は坊主を信じぬ。仏も信じてはおらぬ」

「それは、拙僧とて同じでござります」

「お前も仏を信じてはおらぬと言うのか?」

「御意」

「夢窓が聞けば嘆くであろう」

「とんでもござりませぬ。これは師の直伝でございまして、仏も法も語るにおよばず、頼れば転ける。こは不立文字の奥義なり」

「仏を信じぬのが奥義か?」

「口外相成らず、と」

「口外しておるではないか」

「いかにも、拙僧の負けでござります」

 春屋は頭を上げたまま、悠然と敗北を認めた。道誉は再び大口を開けて笑った。小組の入った折上格天井に、道誉の豪放な笑い声が木霊した。



はい・いえ・あの


「殿!」

 道誉の笑い声に呼び出されたように、家僕が濡れ縁に現れた。

「殿、面白い名の白拍子が表に来ております」

「娘なら連れて来い。器量がよければ召しかかえてやると申せ」

 道誉はなおも立っていた。立ったまま春屋の前や、金兵衛の前を行き来していた。

「金兵衛、坊主と話すのは面白い。お前も何ぞ、坊主をからかってみろ」

「滅相もござりませぬ。お坊様は仏様に仕えるお方、罰が当たりまする」

 道誉はまた笑った。

「罰が当たると申すなら、儂には如何なる罰が当たると思うか? 金兵衛! そちは坊主を崇めておる。儂は坊主をからかいいたぶっておる。さて、仏とやらは、何れを褒めると思うか?」

「申し訳ありませぬ! 金兵衛、鋳物をつくるより他に、何もわかりませぬ」

「坊主! 学問を極めたそちが、言わねばならぬ。不立文字などと、小賢し気なことを言わずに申して見よ」

「殿には罰は当たりませぬ。だが、下々の者は、いかに仏を崇めると言えども、罰が当たります。それは、前世からの因果によりまする」

「それが、不立文字の中身か? そのような話なら、ことさら不立文字と言う必要はないわ。申してみよ、不立文字の正体を!」

「言葉では言えない故に……」

「ところが、坊主は既に言うておる。儂はお前たち禅僧のそう言う煮え切らぬところが嫌いじゃ。仏も仏説も因果応報も、すべて嘘の皮だと、なぜはっきり申さぬ。それを隠して、不立文字としかつめらしい顔をする。頼れば転ける。そう申したであろう。夢窓の大悟であることは儂でも知っておる。元々存在しないものに頼れば、人は転けてしまう。分かりきったことじゃ……」

「さすがに、師、夢窓疎石のお弟子でござります。さて、女子もお見えの様子、拙僧めは、ぼつぼつこの辺で……」

 こんどは口先だけではなく、本気で立ち上がりかけた。

「かわわぬ。坊主とて女子は好きであろう。まだ、聞かねばならぬこともある。坊主の建てたがっておる相国寺とか申す寺の話もまだ聞いてはおらぬ」

 道誉はまたも春屋を制して、木階に導かれた一人の娘に、上がれと命じた。案内した家僕が娘を促す。

 客殿の内と外に行灯が灯された。客殿につながる回廊にも灯された。暮れ落ちる茜色の夕空と同じ色の明りが、屋敷中に灯された。

 行灯の明りに客殿の内部が、光りはじめた。柱や欄間、天井など、いたるところに使われている金箔が、あたかも落日の断片をちらばしたかと思わせる光を放っていた。

 家僕に背中を押されて、木階を登った娘は、濡れ縁で平伏した。

「表で、明後日の花見の宴を尋ねていた娘でござります」

 付き添った家僕が説明した。

「よう来た。何も気兼ねはいらぬ。自分の家と思うて心安うするがよい。さあ、参れ。ここに来て、儂に酌をしてくれ」

 娘は震えていた。平伏したまま起きあがろうとしなかった。

「娘!」

 道誉が語調を変えた。

「娘、言うことを聞かぬと懲らしめるぞ。名はなんと申す?」

「はい……」

 娘はやっと、一言発した。

「うむ、ハイ、と言う名か?」

 道誉の顔にいたずらっ気な笑みが浮かんだ。

「いえ……」

「なに? では、イエと言う名か?」

「あの……」

「さて、娘は面白い名よの。今度はアノと言う名になったか」

「……、……」

 道誉の太った丸い顔がますます丸くなった。つい今しがた、春屋とやりとりをしていた真剣な厳しい顔とは別人の様な穏やかさであった。からかいながらも娘をいとほしんでいた。しかし、娘の方はかえって緊張し、言葉を途切らせた。

「わかったぞ。そちの名は、ハイイエ・アノというのじゃな。面白い名の白拍子と聞いていたが、なるほど、これは面白い!」

「申し上げます」

 木階の下で、家僕が口を入れた。

「この娘の名は、仏の妙法と申しております」

「仏の……?」

 春屋の表情が変わった。娘など興味はない、とばかりに見向きもしないでいた春屋が、仏の妙法、と聞いて、顔を娘に向けた。

「娘!」

 道誉が顔に笑みを浮かべたまま、語調だけ厳しく言う。

「はい」

「そちは名を幾つ持っておる?」

「あの……」

「アノは聞いた。他に?」

「お(みょう)と申します」

「うむ、今度はお妙か。さて、これで名は幾つになったぞ?」

 道誉は、金兵衛に問いかけた。金兵衛は神妙な顔で首を傾げて、答えようとしない。娘がやっと、顔を持ち上げた。一座の誰を見るともなく、顔を挙げて言った。

「わらわの名は、妙法と姉様に聞いております。妙法は仏じゃと姉様は申しておりましたが、わらわには分かりませぬ。妙法の妙の一文字をとって、お妙と呼び慣わされております。ハイ・イエ・アノは、名前ではございませぬ」

 道誉が笑った。大声で笑った。

「お妙とはよい名じゃ。気にいった。仏を名前にするとは、何ぞ子細もあるのであろう。平の清盛に取り入った仏御前にでもあやかったのか?」

「あの……」

「仏御前はの、そなたのように、オドオドとはしておらなんだ筈じゃ。厚かましく自分を売り込んだのじゃ。儂でなければ、そなたのようにおびえた娘は、とっくに追い出しておるぞ」

「子細は何も分かりませぬ。姉様から、お前の名は仏の妙法、そして、私の名は菩薩、と申しまして、それで、姉様は菩薩の菩の字で、おぼうと呼び慣わしておりまする」

「待て、娘!」

 声をかけたのは道誉ではなく、春屋妙葩であった。

「先ほどから聞いておると、妙法だの菩薩だのと、お前は何を口走っておる。この世で一番尊い御名を軽々と名乗るとは、いったい、お前の氏素性は何ぞ? 答えてみい。これは仏に仕える僧侶として、問わねばならぬ」

「はい、わらわは……」

「娘、いや、お妙。いつまでも縁におらんと、ここへ参れ」

 道誉が優しい声で言った。春屋はお妙を睨んでいた。

「申し訳ございません。表で姉様が待っております。姉様が心配しております」

「先ほどからこの娘、いや、お妙は、姉様、姉様と申しておる。表に置いておかんと、なぜ一緒に連れて来なんだ。誰か、この娘の姉様とやらを連れて参れ」

 道誉が庭に向かって怒鳴った。木階の下に控えていた家僕が答える。

「連れの者は片端女かたわめでございます。お屋敷に穢れがあってはなりませぬと思いまして……」

「かまわぬ。片端(かとうど)であろうと乞食であろうと、かまわぬからここに連れて参れ」

 家僕は、畏まりました、と答えて立ち去った。

「娘、拙僧の問に答えよ」

 春屋が再び尋ねた。

「はい、わらわの素性は、わらわには何も分かりませぬ。すべて、姉様が存じておりまする」

「よいよい。その姉様とやらを、今呼びにやらせた。さあ、儂に酌をしろ」

 お妙は道誉の側に寄った。瓶子(へいじ)を取る手に震えはなかった。舞いで鍛えた手足である。人に見られる中を舞い続けて培った芯の強さであった。

「よい顔をしておる。しかし、惜しいのう。化粧で隠しておるが、紅班瘡にかかったようじゃの」

「申し訳ございませぬ」

「紅班にかかるのが何でお前が悪かろう。お前の罪ではないから気にするではない」

 道誉はお妙に優しかった。お妙を睨んでいる春屋はそれに文句を挟んだ。

「すべては因果応報と申します。顔を醜くする病にかかるということは、その因を前世に作っております。今の果を見て、その因を知ることが出来ます」

「坊主、飲み足らんのなら、もっと飲んでよいぞ。女が欲しいのなら屋敷の召使をくれてやろうか」

「滅相もございません」

 はじめて春屋の顔に微笑が浮かんだ。しかし、微笑を浮かべているのは顔の皮膚だけであった。目も小皺を作って笑っていたが、皮膚の下には、笑っていない本体が、道誉とお妙を睨んでいた。

 一度去った家僕が再び現れた。家僕の後には、木杖を付いたおぼうが、体を極力揺らさないように懸命に腕に力を入れて、付き従っていた。木階の前まで来ると、体を投げるように倒して、座り込んだ。

「醜い姿をお見せして相済みませぬ。どうしても参れと命じられまして、恐れ多いことながら、まかりこしました。尊貴なお方の前で、生きた思いもございませぬ」

 遜る言葉でありながら、語調は明瞭でしっかりしていた。しかし、言葉の美しさとは裏腹に、その体は正座もできず、右足を奇妙に後ろへ引いていた。

「このお妙とやらは、何事も姉様姉様と申すでな。いや、お妙はよい妹じゃ。さあ、上に上がれ。気にすることはない。座れぬのなら寝ておってもよいぞ。ここは、尊いの賎しいのという区別は何もない所じゃ。坊主がいたからとて、気にするな。いくら坊主が威張っておっても、所詮は同じクソ垂れじゃ。さあ、上がれ、上がれ。見ればまだ若いの。それにしても、お前が菩薩とは面白い。その(いわ)れを聞かせてはくれぬか」

 道誉はおぼうにも優しい眼差しを向けた。それとは反対に、春屋は険しい目つきでおぼうを睨んだ。お妙を横目で、正面におぼうの両睨みであった。

 おぼうは促されるままに、木階を登った。

「お怒りに触れて、殺されるを覚悟いたしております」

「誰も殺すと言うてはおらぬ。それとも、誰かそのような不埒(ふらち)を申したか? そなたを脅すような者がいれば、儂に知らせろ。たとえ坊主であろうと、天子であろうと、必ず儂が成敗してくれる」

「賎しい身分でございます。素性を語れば、御不興を買いまする」

「かまわぬ。儂は素性など気にはせぬ。おぼうとやら、そなたは儂のバサラを聞いておるであろう。妙法院御所さえ焼討ちにした男よ。それも、素性なき一雑兵の為に仇討ちをしてやった。氏素性で人の軽重を考える者なら、門跡の住まいを何で焼討ちにしょうぞ。儂には天皇も坊主もただのクソ垂れじゃ。わかるか、おぼう。と言うことは、そなたのような片端(かとうど)でも、天皇と同じと言うことじゃ。さあ、安心して語るがよい。なぜ、菩薩と言う名をもろうた?」

「わたくし……」

「うむ、申せ」

「……もとは祇園の田楽一座におりました。今様と舞いを習い、併せて、軽業もいたしておりましたが、足を傷めて務められなくなり、座を離れました。その時、幼いお妙が私のあとを追って座を離れ、以来、姉妹として二人で暮らしております」

「おぼう、儂はそなたの名の謂れを聞いておる。いや、今、何と申した? するとお妙は、実の妹ではないのか?」

「実の妹と心得ております。いえ、そう申しては罰が当たりましょう。わたくしには仏様も同じこと」

「なるほど、それで菩薩と名を付けたのか」

「いえ、妹は菩薩の名ではなく、妙法でございます。一座の智恵者が付けた名前で、この子は仏じゃと。私めの名も、その智恵者が付けて下さいました。いえ、決して仏信心の殊勝さからではございませぬ。客を喜ばせるためでございました」

「うむ、客を喜ばせるとは、また、いかがな訳じゃ」

「お耳に入れて良い話ではございませぬので……」

「かまわぬ。人が身の上を語るのに、良いも悪いもない。何があろうと、かまわぬ。申せ」

「……、一座の頭は『菩薩が舞い、菩薩が返る』と人々に呼びかけました。わたくしの逆立ちに『さあて、皆の衆、よくぞご覧あれ、菩薩が返りますぞ宙返り。菩薩の生身(なまみ)をご覧あれ』と面白おかしく囃子(はやし)たてるのでございます。客を喜ばせるための呼び名が、わたしの名になってしまいました。罰が当たろうと言うものでございます。そのあと、わたくしが不具になりましたのも、仏の罰と心得ております。しかし、妙法のお妙は、まだ幼くて、人前の芸が出来ずにおりましたので、仏の名を汚すこともなく、済んでおります」

 菩薩の生身、に道誉の顔が嬉しそうにほころんだ。

「そうか、生身を見せるための口上であったか。女のアソコでは面白うない。菩薩と言えば、これは意味も深い。いや、なかなかな智恵者じゃな。なに、罰当りなものか。罰ではない。罰などでは断じてない。夢窓の一の弟子の儂が保証してやる。して、菩薩のおぼう、今はいかがじゃな?」

「?……」

「いまも、菩薩の生身をいたすか?」

 道誉は今にも涎が出そうなほど口の端を緩めた。険しい目つきで睨んでいた春屋も、一瞬、相好を崩した。が、春屋の場合は、気を引き締めるように、すぐに元の表情に戻ってしまった。

「いえ、足を傷めて以来と言うもの、わたしは芸をいたしておりませぬ」

「惜しいの。菩薩の生身、ぜひ、見たいものじゃが……」

 それは無理と言うもの。歩くのも不自由なおぼうの体を見れば、誰も、本気で要求出来ることではなかった。道誉の願望も、残念! で終わるところであった。ところが……。

「おぼうとやら!」

 春屋であった。

「菩薩や仏の名を語るそなたは、名の謂れを隠してはならぬ。そなたの名前の謂れは、菩薩の生身であろう。ならば、その生身を見せるがよい。この世で最も尊い御名を使っている以上、それを見せねばならぬ。菩薩の名前だけ使って済ましてはならぬ。出来ぬことはあるまい。身は動くではないか。さあ、殿の御所望じゃ。菩薩の生身を見せてみろ。僧侶としての儂も、菩薩の名をかたるそなたの菩薩を確かめておかねばならぬ」

 春屋の話には、一々文句を挟んでいた道誉も、この時は、春屋に逆らわなかった。おぼうが平伏し、許しを求めても、

「かまわぬ。やってみろ。気にするな。なにも賎しいことではない」

 と、励ますように促すのであった。



  神様と仏さんとどっちが好き?


 おぼうとお妙が、京極佐々木道誉の屋敷を暇したのは、それから間もない頃であった。行きがけに二人を案内した伝え乞食の伝さんは、既に帰っていた。日もすっかり暮れて、あたりには人影も疎らであった。通りの交差する辻には、篝火が明々と焚かれていた。京の町、四十八辻には篝火が焚かれる。警護の武士が徹夜で火を守るのが建前であったが、河原から離れた奥まった辻では、篝火の点火に侍が姿を見せるだけで、あとは町(間地)の(つら)(ほお)の住民が交代で木戸番をかねて火を守る。しかし、京極通りは不穏な河原に近く、各辻々にはぬかりなく警護兵が待機していた。四条から南へは、高辻、松原と、篝火の不寝番が設けられていた。そして、辻には必ず木戸が設けられ、木戸番人がおかれていた。昼間は解放されている木戸も日没とともに閉門される。夜間に余所者を町に入れないためである。それでも用事で遅れた者は、木戸番にくぐり銭を払らって、脇の小さなくぐり戸から通してもらう。木戸は町の関所であった。

 都の中に住む者は、借家代や地代、棟別銭などの支払いに耐えられることが条件であり、彼らは生計の確立している自らに誇りを持ち、未だ都に住むことの出来ない者たちを蔑視していた。収入のない貧民たちは当然、都の中に住むことは出来ない。いつ、洪水が襲うかも知れない危険な鴨の河原に、大勢の貧民が群がり住むのは、安全な都に住みたくても収入がないためである。ところが、ひとたび戦乱が起こると、こうした木戸番もなく、誰でも都に出入りが可能となる。そのまま空き家に住む事も出来る。しかし、争乱が納まり平和が訪れると、都の辻には再び木戸が設けられ、不法?侵入の貧民は締め出されてしまう仕組みであった。

 帰りの遅れたおぼうとお妙は、幸い小銭を持っていた。木戸番が不審そうにおぼうの足を見る。都の中では、不具者は己れの身を恥じて、家の外へは出ないものと決まっている。そこへ、恥ずかしい姿を平気で人目に曝して歩く者がいれば、それは恥を知らない余所者と判る。そういう者は河原乞食と決まっていた。もしも、木戸銭を払わないようであれば、と、木戸番がおぼうを睨む。その時は、簀巻きにして鴨川へたたき込むのが慣わしである。河原乞食や不具者は、仏罰を受けた人非人と、物知り学者や僧侶から教えられている。簀巻きにして鴨川に放かすのは、ゴミ掃除、とぐらいにしか、都に住む者たちは考えていない。

「ご苦労さんどすなァ」

 おぼうは木戸番に、丁寧なねぎらいの言葉をかけて、木戸銭を渡した。木戸番は拍子抜けして、にわか愛想をつくる。ちなみに、京言葉の代表でもある祇園の芸者言葉は、客への媚びもさることながら、都人に対する自己防衛としての機能も持っている。必要以上に侮られ、嘗められない為に、つとめて、美しく、丁寧に、と。

 各辻を通るたびに同じ繰り返しであった。直接、四条から河原へ出れば、木戸銭は一度で済むのであるが、足の不自由なおぼうは木戸銭を数回払ってでも、歩き安い京極通りを利用する。

 木戸番の視線に見送られて、再び松原通りを東へ出た。言葉真似をする子供たちの剽軽な姿が思い出された。もちろん、その子供たちもいない。河原にはそこここに明りが見える。日没とともに河原住まいの者は眠りにつくのであるが、中には帰りが遅れて、遅い夕餉をとる者もいる。たとえば、庭造りに出かけている者たち。寺や私宅の庭造りは、石運びや土掘りなど、ほとんどは河原に住む屈強の男たちが従事した。都人は、土に汚れる作業を卑しんでいたからである。

 河原へ降りる前に、二人は五条橋へ登った。満月前の月が、早や中天にさしかかっていた。

「もう、こりごりやな」

 欄干に持たれて、おぼうが安堵とも嘆息ともつかずに言う。

「うち、どうなるんかと思ったえ」とお妙。「菩薩の生身なんて、うち、初めて聞いたわ」

「言うつもりやなかったんやけどな。物解りのええ殿さんやと感心して、つい油断したんや。それにしても、お妙に救われたわ」

 おぼうは、お妙に感謝の気持ちを伝えたくて、一言つけ加えた。

「かまわぬ、やれ」と促されて、窮地に陥ったおぼうを、お妙は「姉様は体が不自由です。姉様に代わって、わらわが務めます。姉様をお許し下さい」と、道誉の前で懇願したのであった。道誉はうなづいた。「もう、よい」と、杯をお妙の前に差し出し、酌を求めた。それで、生身云々の件は無事に逃れたと思ったところが、またしても、坊主の春屋であった。

「菩薩の生身に代わって、仏の生身を見せようと言うのだな。いずれも見せねばならぬ。尊い御名を使う以上は……」

 道誉の顔に再び微笑が浮かんだ。

「お妙も出来るのか?」

 道誉の視線がお妙の足に向いた。

「どの様な芸か、解りませぬ。でも、姉様をお許し頂けるのなら、わらわは何なりといたします」

「坊主、いかがじゃ?」

 道誉が、春屋に問いかけた。その眼差しは、再び、春屋への意地の悪いからかいが篭っていた。春屋は咄嗟に道誉の眼光を読んで回避した。

「なかなかの姉思い。しかし、菩薩の仏のと言うておれば、いつかは仏罰を受けるであろう。仏罰を座して待つと言うのなら、それでよし。みずから進んで罰を受けて行く心根があれば、仏は一層の慈悲を垂れるであろう。拙僧は何も無理強いはいたさぬ。止めるも、いたすも、その方の心のままじゃ」

 おぼうとお妙は、途方にくれた。やれば、慈悲がある。やらぬのなら刑罰を待

て、と言うことであった。つまり、拒めば後で鞭で打たれるか、着物をはぎ取られて辱めを受けるかも知れない。春屋は言葉に含みをもたせて、選択をおぼうとお妙に任せると、再び背筋をのばして仏像の表情に戻った。道誉はニヤニヤと笑っていた。

 そのとき、家僕が将軍様の御使者云々と、来客を告げた。道誉は居合わせた一同に散会を命じた。鋳物師におぼうとお妙の三人は木階を降りたが、春屋は道誉とともに回廊を去って行った。

「あの坊さん、うち、大嫌いや」

 お妙が吐き捨てる。「なんぼ偉いかしらんけど、うちらを鼻で馬鹿にしてたわ。仏罰が当たるやて。うちらに罰当てるのなら、仏さんにも罰当たるわ」

 口から出任せの悪態であったが、仏さんにも罰が当たる、と言うお妙の言葉は、聞いているおぼうにはおかしかった。だれが、仏さんに罰を当てるのだろう? 仏さんにも罪があるのだろうか? その罪とは? うちらに罰を当てるから?

 ひと休みすると、五条橋を降りて河原を歩いた。春のおぼろ月ではあったが、足元は明るかった。

「姉さん」お妙が言う。「姉さんが菩薩の生身なら、うちは、仏の生身になるのん?」

「もう、その話は止めよし」と制するものの、お妙は気になると見える。

「姉さん、うちにも教えて」

「阿呆言いな」とおぼう。

「そやかて、もしあのとき、将軍様のお使者がお見えになりました、言うて来なんだら、うち、姉さんの代わりにほんまに軽業やってたんえ。うち、きっとひっくり返って、様ないことしてたわ。少しは稽古してたら、ああいうとき、無事に乗り切れるのやし。なあ、教えてぇなぁ」

「あかん! 軽業いうても、どんなことするのか知ってるのか?」

「どんなことするのん? 綱渡り? 逆立ち? そして? 足も開くの? ややわあ! 逆立ちして足開いたら、着物全部めくれるわ。そんなの、恥ずかしいわ」

「そやからあかん言うてるやろ。お妙はそんな端ない芸をしてはあかん。お妙は、神様に見てもらうええ踊りを工夫するんや」

「そやけど、姉さんもしてたんやろ。うちも逆立ちやトンボ返りしてみたいわ」

「あかん言うたらあかん。それより、明日から実っちり稽古やで。花見は四日やし。今日は一日やから、稽古するのは明日と明後日しかあらへん」

「姉さんも行こ!」

「うちは行かれん」

「あの殿さん、言うてたやん。輿にのせてやるて」

 別れ際に道誉が「京極まで出て来れば輿に乗せてやる。おぼうも必ず参れ」と一言いい添えたのであった。

「鼓はお梅さんに頼んであげるさかい、お妙だけ行きや。もし、うちが行って、あの殿さんに見られたら、また、菩薩の生身を見せい言われるわ」

「大丈夫や。そのときは、仏の生身をご覧あれ、言うて、うちが代わりにやったるし。そやけど、今度は偉い人も仰山来はるし、その中で、そんなこと言うはずないわ」

「そやな、お妙の言うとうりや。そやけど、坊さんもいるやろし、うちは、仏さんや坊さんが苦手や」

 今度の窮地も、居合わせた坊主が原因だった。身の程をわきまえろ、と叱る坊主の前では、嫌われる姿の自分がいては、また何時、何癖を付けられるかわからない、とおぼうは危惧された。

「姉さん、神様と仏さん、どっちが好き?」

 お妙が急に話題を変えた。

「……?」

「お寺には坊さんがいて、仏さんがいるやろ。お宮には坊さんも仏さんもいてへん。神様がいてはる。姉さんは、どっちが好きやねん?」

「仏さんも神様も、うちらの好きになるもんと違ゃうやろ」

「では、神さんと仏さん、どっちが、女が好き?」

 何を言おうとしているのだろうか。

「仏さんは女嫌いと決まっているし」と、おぼう。

「ほんなら、女のうちらは仏さん嫌いや。神さんも仏さんと同じに女嫌いか?」

「神さんには女神もいはるし、男と女の神さんがいて、夫婦になるのやから、女嫌いとは言えへんやろうな」

「そやろ。それで決まったねん。仏さんやない、神さんのほうや。うちたちが好きになっていいのは」

 子供と思っているうちに、いつのまにかお妙はすっかり賢くなっていた。おぼう自身は自分の体のために、仏や坊主が嫌いであったが、お妙もまた今日、罪や因縁の話で、不幸な境遇の者を差別する仏教に対して、反発を覚えたようである。それをお妙は巧みに、女を卑しみ嫌い退ける仏教の特質から絡んで行くのであった。力が強く、それ故に征服者の地位に辿り着いた者の子孫たちは、その境遇と力が仏によって愛でられている。前世に築いた徳の果報である、と。良いことをすれば、その報償は支配者たちのような富と力であると。必然的にそのような思想は、無力な者、みじめな者、不具者病人を、罰を受けている者、賎しい者、忌み嫌うべき者とみなし、排斥嫌悪を正当化する。そして、慈悲をもって助けてやる、という、徹底的に強者の優越論理で接するのである。そのような仏教であればこそ、宿命的に男よりも力の劣る女を蔑視することになる。そこを、お妙は女の立場から、女を嫌う仏さんはうちたちも嫌いやと、仏教への逆らいを見せるのであった。

 頭のいい子や、と、おぼうはお妙に感心しながらも、しかし、仏教は最高の学問であり、帝王の信仰する宗教である。それに逆らいを持つことは、一抹の不安を覚えずにはおれなかった。


 翌日、おぼうとお妙は、朝から夕方までの丸一日、五条橋の東、六波羅蜜堂の参道で、西山の花見に備えて、唄と舞いの稽古に専念した。河原では、見物人は寄って来るものの、皆、銭無しばかりである。同じ稽古をするなら、その稽古を見て、銭を投げてくれる可能性のある場所が望ましかった。六波羅蜜堂よりは、清水寺のほうが参拝者は多く、銭になるが、しかし、見物人が多すぎるのは、稽古には向かない。清水寺よりは近いこともあって、平清盛を祭る六波羅蜜堂へ出かけたのであった。


♪いずれか西山へ参る道

 大宮葛野桂川

 桂の里も越え行きて

 物集女(もずめ)の向うは大原野

 ここは都の西方浄土

 花に夢みる花の寺


 神歌の内の社寺参拝案内を、おぼうは西山参りとして作ってみた。四句作りが原則であるが、その後に、五句、六句を試みに添えてみた。お妙と共に、節回しを工夫してみた。

 昼ごろは見物人も集まった。銭は滅多に投げられなかったが、今日は銭が欲しくて唄うのではないから、気にもならない。ひと休みしたとき、

 ♪花に夢みる花の寺!

 お妙の節回しを真似る声が聞こえた。見ると、昨日の子供であった。男の子と女の子の二人であった。お妙が手招きする。もう一人の子は? と問う。

「頭が痛いねん、そんで寝てるねん」と言う。

「昨日は寒かったし、あんなに裸やったさかい、きっと風邪ひいたんやろ」

 とお妙が言うと、

「違ゃうねん、罰当たったねん」

「そやねん、そやねん」と交互に応える。

 おぼうが足元の投げ銭を拾って、

「罰など当たらへん。お坊さんの真似してそんなこと言うんやないえ。さあ、銭やるさかい、その子にも飴買うてやりや」

 と、二人の子供に渡した。二人は手を取り合って駆けて行った。

 子供が去った後、今度は伝さんが来た。

「あれさあ、京極のお屋敷に召し抱えられたのと違ゃうのんけ」

 と意外そうであった。事の次第をおぼうが説明した。二人は話がはずんで終わりそうにもない。お妙は一人で唄いながら舞いだした。


♪遊びをせんとや生まれけむ

 戯れせんとや生まれけん

 遊ぶ子どもの声きけば

 わが身さえこそゆるがれる


♪よくよくめでたく舞うものは

 巫女 小楢葉 車の筒 とかや

 やちくま 侏儒舞い 手傀傴

 花の園には蝶 小鳥


♪よくよく心の澄むものは

 霞 花園 夜半の月 秋の野辺

 上下も分かぬは恋の路

 岩間を漏りくる滝の水

        (以上三首 梁塵秘抄より)



  前代未聞・花見の対決


 二日後の貞治五年(1366)三月四日、バサラ大名の異名を持つ京極佐々木高氏入道道誉は、古今未曾有の一大観桜宴を、西山の勝持寺で敢行した。

 実はこの日、都では斯波高経も花見の宴を開いていた。

 五年前に、斯波高経は道誉の娘婿に内定していた尾張氏頼(高経の先妻の子)への執事職を妨害して、道誉には関係の無い当腹息子の義将を執事にすることに成功していた。尊氏亡き後の動乱を道誉の才覚でともかくも無事に乗り切ったことへ対する配慮もあって、道誉の娘の婿に執事職を与えようという幕府重鎮たちの意見が出た。それを高経は妨害した。執権に道誉を関わらせまいとする策で、鳶が油揚げをさらう式に、執事の権力を高経が掌握したのであった。

 高経は道誉を見事に出し抜き、今や幕府の実権を握ったも同然の権勢の奢りに酔っていた。七条東洞院の屋敷を三条の高倉へ新築し、さらに、実力のほどを見せんと、五条橋を棟別銭も取らずに架橋して、人々の耳目を引きつけていた。まさに得意絶頂の中で、将軍御所における盛大な花見の宴を呼びかけたのである。

 本来なら、斯波高経の先腹息子氏頼に嫁いでいる道誉の娘云々と、ややこしい経路をとらず、直接道誉の息子か孫へ執事職を与えてもよいはずである。だが、道誉は足利家の外様であり、それ以上に、道誉は余りにも多くの事件を起こしていた。従って、直接道誉の子息を執事にする訳にはいかなかったのである。

 道誉の起した代表的な事件として、天台座主の法親王が住まう妙法院焼討ちがあった。それは今でも人々の語り草である。天皇になる資格を持つ親王が天台宗の親分となって住んでいる門跡御所を焼けば、普通であれば完全に失脚するところである。それを失脚もせずに尊氏の右腕としての実力を保ち、権謀術数をふるって来たことへ対する諷詆(ふうてい)嫌猜(けんさい)が人々にあった。河原乞食のような民衆は道誉を面白がったが、秩序を重んじる学者や評論家、上流階級の者たちは道誉を蔑んだ。人の世の秩序も権威も省みない品性卑しき成り上がりの罰当りな野人のような大名であると。

 一方、道誉にしても、自ら求めて最高権力の座を狙おうとはしていない。幕府重鎮四職家の一つに迎えられてはいるものの、執権職を狙おうとはしなかった。斯波が道誉を出し抜き、執権を握っても傍観していた。

 トップに立つよりも、一歩身を引いて権謀術数を楽しむのが道誉であった。したたかな智恵者というべきである。トップに立てば必ず滅びを迎える。それは歴史の証明でもある。従って、執権から外されはしても、それは道誉にとって、京極佐々木一族の安泰の保証と喜んでいたのかもしれない。斯波高経の息子、幼い義将に執事職が任命され、高経が補佐役に決まっても、道誉は意にも止めていなかったのである。

 だが、斯波高経にとっては、何事にも道誉が気にかかる。目の上の瘤であった。管領の権力を利用して(執事がこの時より管領と呼ばれるようになった)、一族の領地を拡大しながら徐々に自信を付けてきたところで、道誉への挑戦を試みたのも当然といえる。それが五条橋であった。なにしろ、道誉に架橋奉行が命じられていたのを、道誉がいつまでも着工しないから、という理由のもとで、勝手に架設したのである。架橋工事で道誉の鼻をあかし、次に、花見の宴の企画となった。道誉へ対しても招待が送られ、承諾の返事を取り付けていた。内外に、斯波の実力を宣伝するのが花見の目的であった。

 仕掛けられれば道誉は反撃に出る。花見で己れの権勢を誇示し、道誉を衆人の中で侮辱しょうと構える斯波に対して、逆に斯波を陥れてやろうと狙う。斯波の向こうを張って同じ日に花見を計画したのであった。

 その花見の日が、三月四日である。花見による決戦と言えた。まさに後にも先にもない出来事であった。両雄、花見で雌雄を決しようとしているのである。

 道誉が都中の有芸者に、破格の報酬をひそかに約していたのは、まさに戦いであればこそであった。屋敷に備えていた金銀財宝のすべてが西山へ運ばれたのである。

 斯波高経はその噂を聞きながらも、遠い西山のことと鼻で笑っていた。一人二人は行くとしても、なにが都中の者を連れ去って行けるであろう。同じ花見であれば、その美しさを誰知らぬ者もいない三条富野小路の将軍御所の花に人気が集まるのに決まっている、と堅く信じていた。道誉は必ず失敗する。道誉が花見で再び赤恥をかけば、今度こそは道誉を落してやれる、と斯波高経はほくそ笑んでいた。


 花見当日の四日は、朝から都中の人の動きに異変が起こった。肩に荷物を担いだ者が、常は東へ行くものが、この日は西へ目指して陸続と続いていた。高経の屋敷は三条に近く、高倉通りと東洞院通りに挟まれており、通り過ぎる人々は、あれが執権殿のお屋敷よ、七条の屋敷が妖怪に取り付かれて焼け出されたあとに、移って来たのがここの屋敷よ、などと指差し語るのであった。しかし、この執権の斯波がまさにこの日、御所で花見の宴をとり行なおうとしている事は、荷物を背にした人々の多くは知るところではなかった。知っているのは、バサラ大名が西山で金をばらまく盛大な花見を行なうということだけであった。なぜなら、斯波高経の花見には、平民たちはお呼びではなく、有芸者も家柄のある者だけに限られていたからである。

 高経にとって、貧民たちが西山へ行く分は問題ではなかった。だが、公家や守護大名まで一族を引き連れて出かけているとなれば、心中穏やかではない。西山へ行く公家たちの中には、示し合わせて高経の屋敷に立ち寄る者もいた。高経に挨拶をすませると、素知らぬ振りで語り合う。

「今日はどういうわけやのう。人が西へ、西へと行くわいのう。なぜじゃのう。御所へ行く者がおらんわいのう」

「白拍子や猿楽者が行くのをわしは見たぞえ。きゃつらが西へ行くということは、西になんぞ面白いことでもあるのに相違ないぞえ」

「そうやのう。西になんぞ面白いことでもあるのに相違ないのう。身どもも面白いものが見たいのう」

「西へ行って見ようぞえ。面白いものを見に行こうぞえ」

 ニヤリと笑って、公家たちも西山へ向うのであった。


♪いずれか西山へ参る道

 東寺唐橋吉祥院

 桂の川も越え行きて

 物集女(もずめ)の向うは大原野


 西山へ向う人々は口伝えに唄っていた。この時、物集女の向こうは大原野、と唄われたことで、向日むこうと言う地名が生まれた?

 人々が口にする唄の出元はお妙であった。お妙の歌う唄を一人が覚え、その一人が他の者へ伝え、瞬く間に広まった。そのお妙の唄は、おぼうの工夫であった。そのおぼうは、西山へ向かう人々の中にはいなかった。おぼうのかわりに、鼓打ちのお梅ばあさんがいた。お梅ばあさんが(むしろ)を背負い、お妙は衣装類を肩に担っていた。

 お妙は、人々がいつの間にか盗んで、作者も問わずに歌っている『西山へ参る道』の唄を聞いて、その続きを唄った。


♪いずれか向うは大原野

 花のお寺のその近く

 上下わかたぬ恋の道

 在原業平の十輪寺

♪藤原の神様大原野

 吉田の社と競いつつ

 ここは西山、西方浄土

 花に夢みる花の寺


 一昨日から昨日にかけて、おぼうが苦心して作った唄だった。聞きなれない唄やと、またも近くの者がそれを覚え、自慢気に他の者たちへ歌って聞かせる。『花に夢みる花の寺』の最後の句が、とりわけ人気を呼んでいた。

 小荷物を担いだお梅婆さんはお妙にたえず話しかける。

「そうだろうかね。西山は西方浄土だろうかね。おぼう姉さんは行ったことあるんだろうか。おれなんか関東から来ただろう。関東から見れば京の都こそ西方浄土だ。ところがどうだ。浄土どころか、死人ばかりだ。臭い所だ」

 お梅婆さんは関東武士の女房であったという。鎌倉幕府が崩壊する頃、足利尊氏に寝返って都に来たと言う。そして夫は病気で死に、他の雑兵の妻となったものの、その夫も兵役で討ち死。幾度か男と連れ添いながら、すべて先立たれ、女の魅力もなくなって河原乞食の仲間に入ったのである。言葉は今も関東訛りのままであった。

「……東山も鴨川も臭いんでおれはびっくりしたんだ。今度の西山はどうなんだろう。本当に浄土なんだろうか。当てにはならないんだ。おれは信用してないんだ」

 んだ、んだ、そうかも知れない。だが、お妙は期待するものがあった。今を時めくバサラの殿様とも面識を持ったのである。一抹の不安とともに、あるいは、と夢みる思いに駆られるのであった。

「……しかし、おぼう姉さんは偉いよ。ええこと言うたんだ。『人の苦しみは人が作っている。人が原因で人に苦しみがあるのなら、苦しみを乗り越える方法が必ずあるはず。苦しみのない世界もあるはず』とね。だけど、おれには分からん。おぼう姉さんは仏さんとお寺が大嫌いだろう。そのくせ、西方浄土と言うんだからな……」

 背中一杯に荷物を背負って歩き続けたお妙は、桂川の渡しについたときには、すっかり草臥れ果てていた。口達者なお梅婆さんもへたばっていた。

 芽ぶいたばかりの若草の上に座って、一休みした。お梅婆さんがまたお妙に話しかける。

「お妙ちゃん、忘れるんじゃないんだよ」

「……?」

「お殿様にお目通りしたんだろう。大したもんだよ。おれはさ、お妙ちゃんはきっと、あのお殿様に召し抱えられると思うんだ。そうしたらさ、おれのこと忘れないで一言(ひとこと)いい添えてくれるんだろうね。なにしろ、お妙ちゃんのことは、十年も前から知ってるんだ。付き合ってるんだ。おれはあんたとおぼう姉さんと二人を、随分いろいろ面倒見たんだから。忘れたら駄目だよ。おれもお妙ちゃんと一緒にお殿様のおそばに行けるように、言うてくれるんだろうね? どうなんだ?」

 関東言葉から出る特徴かもしれないが、お梅婆さんは言葉がきつい。語尾に、だ、だ、と力をこめて巻くしたててくると、圧倒されるものがあった。

 京の言葉では、このようながさつな語尾は努めて使わないようにするものだが、お梅婆さんは到って無神経であった。都に移ってから、すでに三十年は経っていると聞くが、京の言葉に改める意志はないようであった。自己主張の押しを強く出すには、このような言葉が適しているのかもしれないが、聞いている者は神経が草臥れて来る。

 桂川から吹き寄せて来る風は快かった。空気が澄んでいた。鴨川の悪臭に馴れていたお妙には、まさに極楽浄土から吹き寄せて来るよそ風と思えるのであった。だが、岸辺には死臭を引きずった都の人々が次々に押し掛けて来る。なぜか不安を覚える。浄土ではないかも知れない……。

 渡しに二艘の舟が近付いて来た。人々が争って駆け寄って行く。最初の一艘に侍や坊主たちが乗り込んだ。次の二艘目には、公家が乗り、すぐに続いて階層の高そうな僧侶が乗り込んだ、送れて荷物を背負った芸人たちが乗った。

「こらこら!」

 僧侶が言う。

「こらというのが分からんか。未熟な者め、と言うのがコラの意味じゃ。こらはここから前に来てはならん。こらは後ろの方におるのじゃ。身分と言うものを考えろ。儂らは前世から縁あって貴い仏様にお仕えする者。こらは仏縁の無い罪深い穢れた者。穢れた者はいつでも身を低うせなならん。穢れて徳の無い者は、その生い様と貧しく哀れで無力なことからすぐにわかる。そういう者は人並みに頭を高く上げるではない。己れを恥じて首を垂れ、身を屈めておるのじゃ。そうしておれば、有難くもお慈悲深くもお優しいお優しい仏様にお目をかけてもらえる。よいか、心するのじゃぞ。今から行くところは、それはそれは豪華で立派で大きいお寺じゃ。この世の立派で美しいものすべてを寄せ集めて飾りつけている、まことにまことに、有難い有難いお寺じゃ。普段であれば、山門から中へは一歩も入れはせぬところじゃが、今日は特別に山門が開けられる。有難いであろう? ん? 今からそこへ参るのじゃぞ。そこには仏様から前世の徳を愛でられた沢山の尊いお方がお見えじゃ。こらはその方々へ礼を逸してはならんぞ。どなたも仏様に御恩のあるお方ばかりじゃ。儂は僧侶として、こらどもに教えておかねばならぬから言うのじゃ。いつも貴い仏様の教えを述べるのが儂の仕事じゃからな。なに、解ればよいよい。徳のない汚れた者はこうべを垂れて、そこへ下がっておれ」

 よく通る声だった。人々はかしこまって身を低くした。お妙一人、背を伸ばして、彼方桜の花に明るく輝く西山を眺めていた。教えを述べた僧侶は、紅班の後がほのかな痣になって残っているお妙の横顔を睨んでいた。



  お妙の煩悶・仏とは?


 西山勝持寺は奈良時代の役の小角が草庵を建てて住んだのに始まると伝える。そのあと、最澄が桓武天皇に寺の建立を命じられ(延歴一〇年791) 薬師如来を彫って本尊とし、小塩山大原坊と号したという。その位置は、比叡山延暦寺から見て、南西の方角に当たり、比叡山~都~勝持寺と斜めに連なっている。

 従って都の裏鬼門に当たるために方除祈願として、ここに寺を建立させたのである。都の守護に役だったか否かは分からないが、その後、この地域が戦略上の要所として武人たちに重要視されてきたのは事実である。つまり、都へ攻め入るための兵力の集結地として、お誂えの立地条件を持っている。周辺の土地は肥沃であり、都人の目には止まりにくい。そして一たび桂川を渡ると、都攻めの障害は何もなく、一気に攻め入ることが出来る。逆に攻められれば、西山の懐は深く、守るにも、逃げるにも容易であった。

 勝持寺という寺号は、その含みであろう。この寺に財を寄進し、この寺を大事に守れば、勝ちを持つことが出来るという意味であり、寺号を勝持寺と変更した仏陀上人(仁寿年間851-854 文徳天皇の帰依で寺を再興)は、たぶんに戦略家としての才も持っていたのであろう。

 事実、坊主というものは、武家出身が多い。出家を隠れ蓑に情報収拾に励み、それを一族の檀那に流し、さらに寺院そのものが、一朝有事の際の兵舎として機能するのである。力を持ち、富を蓄えた者は当然のことながら、寺院建立に荷担する。一族の中で学問に向いた者を出家させ、支援を与える。出家した坊主の任務は、一族の菩提と一族の繁栄の祈願に勤めることである。だからこそ戦いの時には、寺はその一族のためにすべてを捧げるのである。民衆の幸福と平安、それが一族に好都合なときはそれを歌うが、一族にとって関係のないときは、民衆のことなど構いはしない。民衆から搾取略奪が必要なときにはその手伝いもする。つまり、略奪搾取を受け虐待されても恨みを持たない民衆をつくり出すのが、その任務である。仏の教えは、そのためにはまことに巧妙で、好都合に出来ていた。

 仏説に逆らい、仏教を否定するほどの思想も拠り所も人々は持ち合わせていない。生半可に頭のいい者は、まず仏教を学ぶ。仏教に取り込まれる勉学を行なうのであるから、その仏教を乗り越えることなど、不可能な話である。もし人の中に、可能性を期待するとすれば、それは学ばなかった者であろう。頭脳優れて学ばずにいた者、それは、人の階級からはずされていた世に言う河原乞食たちであった。彼らの反抗、彼らの人間性自覚……。

 およそ、世の中から否定されている者が人間の自覚を持つとき、既成の思想と価値観は崩壊へ向かうのである。ただし、人々の中に共感する者がいればの話だが……。

 お妙には理屈は分からない。坊主の話はいつも圧倒的な力で迫って来る。その話を聞いていれば、ただ、平伏するより他にない。なにが、どう、違うと言うて坊主の話に逆らえるであろうか。お妙も、もう少しで人々に見習って平伏するところであった。だが、お妙にはおぼうの姿が脳裡に浮かんでいた。おぼうが自分を救ってくれた以上、おぼうを蔑む物の考えには組する事は出来なかった。頭を下げない自分が坊主に睨まれているのは分かっていた。分かってはいても、おぼうを意識しているお妙には、人と同じように頭を垂れることが出来なかった。結果は、身に禍いを招くかも知れないと気使われながらも……。

(これからもおぼう姉さんと組んで生きていれば、片端(かとうど)を嫌う人の世から、うちも同類として嫌がらせを受ける。一体、うちはおぼう姉さんに救われるのやろうか、救われへんのやろうか。救われなければ、その時は、おぼう姉さんから離れてよいのやろうか? では、自分を救ってくれるものだけが自分に必要なの? そうだとすれば……。うちは、今まではおぼう姉さんが必要やった。そやけど、これからは、おぼう姉さんはうちにとっては必要ではないかもしれへん。自分に益することを求めて、自分の幸せのために生きて行くのが人やと言うのなら、うちはおぼう姉さんと別れてもよいはず……)

 そこまで考えて、お妙は身震いした。やりきれない嫌悪と反感を覚えた。それは坊主の説教への嫌悪と反感でもあった。


 桂川を越えると、西山勝持寺はすぐだと思われたが、実際はかなり遠い。お梅婆さんが、荒っぽい関東語をむき出しにぼやき始めた。

「遠いんだね。桂川のそばではなかったんだ。まだ歩くんだね。おれはもういやだ。大概でくたびれた」

「もう少しえ、気張りよし。桜の花が、ほら、あそこに見えてるし」

 お梅婆さんを励ますお妙も草臥れていた。歩くのがしんどいのではない。舟の上の不快な気分のために疲れているのであった。

「坊主は嫌いや……」

 お妙は口に出してつぶやいた。

「そうだ、見えてる、見えてる。もうすぐだ、もうすぐだ」

 お梅婆さんが、お妙のつぶやきとは無関係に声を張り上げて歩き出した。後について行きながら、また思い出すのであった。

(……なぜなの、なぜおぼう姉さんが、蔑まれるの? なぜ、うちらが河原に貧しく住むと言うて、軽蔑されるの……。そりゃ、五体満足で美しくて力が強くて、富栄えている人は羨ましい。そやから、その人たちは立派で、うちたちは賎しいというのはなぜ? 前世からの罪? 何の罪? 仏に仇をしたから? 人を殺めたから? その結果が、貧乏で病気になって、片端(かとうど)になる? そういう者は罪人だから人々に嫌われて軽蔑されるのが当然? おぼう姉さんが罪人? このうちも罪人? そして、うちたちを嫌って軽蔑する人たちが罪のない立派な人? それ誰が言うたん? ほんまなん? ほんまに前世なんてあるのん? 間違うてはいいひんの? もし、誰もそういうことを言わなければ、うちも姉さんも辛い思いをしなくてすむのやし。そして人も、うちたちを穢れた罪人として軽蔑して嫌ったりしなくてすむはずやし。誰とでも仲良くなれるはずやし。あの人と付き合っては損や、なんて考えんですむのやし。いったい誰なんえ? 仏様の教えでいい目に合っている人は誰やねん? その人が自分に都合のいいように教えを作ったのではないのん? 仏様て、お釈迦様やろう。お釈迦様て、乞食なの? 王様なの? ……)

 つくづく仏も坊主も嫌いやと思った。立派なものが急に嫌いになった。美しく飾りたてたもの、見栄えのいいもの、それにはやはり、裏がある! 仏さんにも裏がある! 家には必ず裏が有るように、見てくれは建前に過ぎない……。それは真実ではない……。

 人々は桜の花に導かれながら長い道のりを歩いた。お妙もお梅婆さんも歩いていた。身なりの立派な人は馬に乗っていた。賑々しく飾りたてた車に悠然と乗っている人々もいた。彼らは一様に美しかった。汗をかきながら歩いている者は、そのきらびやかで荘厳な美しさに嘆息していた。だが、お妙はそっぽを向いていた。ついしばらく前のお妙は、見てくれの美しさ荘厳さに感動したものであったが、今のお妙は、見栄えのいいものがすべて嫌いになっていた。お梅婆さんは、お妙の袖を引っ張っては、あは、あは、と言って見とれていた。


 物集女(もずめ)の里を通り過ぎて、花の寺まであと一里という小畑川に辿り着くと、人々は一斉に歓声を上げた。目の前に黄金の橋が架かっていた。欄干も擬宝珠も、ようやく高く上がった日輪に照らされて、目も眩むばかりの黄金色に光り輝いていた。金箔が隙間もなく張り付けられているのであった。足元の床には緋毛氈が敷かれていた。さながら極楽浄土の入口の感があった。

 大概で人々は歩き疲れている。これ以上は歩く気力も失われようと言うとき、疲れを一気に吹き飛ばし、欣喜雀躍、さらに一里の長さをものともせずに歩かせようという見事な演出であった。

 山門に辿り着くまでの小さな谷川の橋にも、すべて、急ごしらえの飾り擬宝珠が付けられ、金箔が張られていた。床板にも同じく高価な毛氈が惜しげもなく敷かれていた。人々はそのつど、土足を恐れて草鞋をとった。

 山門の奥の参道にも、一寸の隙間もなく緋毛氈が敷かれていた。呆れ驚きながら、人々はここでも一様に履物を脱ぐ。しかし、侍や貴族たちは土足のまま参道を登って行く。裸足の人々を脇に退かせて威張って登る。そのうちの一人が埃にまみれた芸人の裸足を見とがめた。

「お前たち、汚い足じゃのう。谷へ行って洗って来い」

 人々に動揺が広がった。あわてて、毛氈の外へ出る者もいた。そのときであった。

「構わぬ、かまわぬ。裸足になどなることはない。土足でよい、土足でよい」

 甲高い声があたりに響いた。佐々木道誉であった。しかし、人々は誰も履物に足を入れようとはしない。道誉の後ろには、僧侶が付き従っており、道誉とは逆に、威厳を見せて、土足相成らぬ、と無言の睨みを利かせていた。舟の中で説法していた例の坊主であった。

「儂が言うのじゃ。土足でよい。今日ばかりはここは寺であって寺ではない。仏も乞食もみな同じじゃ。身分など何もないと思え。乞食がどうしても裸足で歩くと言うのなら、儂らも裸足になることじゃ」

 そう言うなり、道誉は履いていた草履をはねとばした。付き人の若侍があわてて、その草履を拾い、自らも、道誉に倣って裸足になった。我も、我もと裸足になった。当惑しているのは僧侶ひとりであった。

 裸足の一行を従えて、得意然と坂道を登る道誉は、脇に身を引いている芸人の中にお妙を発見した。お妙ひとり、顔を上げて道誉を見ていた。

「おお、来ていたか、なんとか申したの。ん、仏じゃ。仏の妙法と申したの。菩薩はどうした?」

 お妙は道誉の視線を待っていたのである。

「姉様は人様に迷惑をかけてはならぬと申して、参られませぬでした。先達っては失礼をつかまつりました、重々御容赦のほどを、と姉様は申されていました」

 道誉はうなづきながらお妙の手を取り、一緒に参れと命じた。お妙を横に従えて、道誉は後ろの僧侶に話しかけた。

「この娘はの、仏の妙法というものじゃ。有難いであろう、ん? 坊主。この娘を拝んで見ろ。仏じゃぞ。生きた仏じゃ。木や石で作った仏を拝むよりよほど有難いとは思わぬか。どうや、坊主、この娘を拝むことが出来るか?」

 僧は返事をしない。舟の上で威張っていた顔はどこにもなく、途方に暮れた気弱さを見せているだけであった。

 お妙は嬉しかった。桂川以来、鬱いでいた気分も一度に晴れた。坊主の鼻をあかした心持ちであった。この坊主は、ここの寺の住職であろうかと、お妙は思った。初めて道誉の屋敷に招かれた時にも、僧がいた。あのときの僧は、道誉にいくらからかわれても、平然として応対をしていたが、今度の僧は、趣が異なっていた。しかし、いずれも、お妙の身分を卑しむことにおいては変わりはなかった。

 頭のよさそうな者はおしなべて、身分、身分と言い出す。その中で道誉一人が身分の上下を不問にしていた。しかも、身分の最高位に座る者をからかい、虚仮(こけ)にしていた。仏さえ嘲笑っていた。天皇さえも同列であった。

 お妙は道誉こそ、人の中の人、と思えた。バサラ大名と、半ば嘲り気味に噂されているものの、それは道誉に身分を嘲笑され、権威を否定された為の反感から出るのであろうかと思った。

(いっそ、こんな嫌やらしい不潔な坊主、追い払えばええのやわ……)

 ……そしてお寺から、仏も坊主も追放して、後には住む家のない乞食や病人、孤児や年寄りを招いて住ませてあげれば、どれほどうちは嬉しいやろう。この殿様なら出来るのでは? と、考えるのであった。

 しかし、現に見るところの道誉は、なぜか坊主をからかい虐めながらも、決して追放しょうとはしない。

 (ひょっとすれば、この殿様も本気ではないのかも……)

 お妙は、頼り甲斐のある殿様と嬉しく思う反面、あるいは、と言う幻滅の予感も覚えるのであった。

 登り坂の参道を上がりきって、中門に辿り着くと、道誉はたちまち多くの人々に取り囲まれた。お妙を振り返って、

「娘、あとで今様を聞かせてくれ」と、言い残して、坊主と共に境内へ消えて行った。



  絢爛豪華・花の寺


 境内は見渡す限り満開の桜であった。そよ吹く風に舞い降りる花びらは、黒い地面さえも桜色に彩どっていた。人も着飾り、山も大地も、風さえも着飾っていた。見る目を驚かすこと忘我のごとく、一歩三嘆して本堂へ進めば、そこには巨大な四つの立花が並べられていた。金色に輝く鍮石(真鍮)の花瓶はゆうに十囲はあろうかと思わせた。その巨大な花器に、天をおおう巨木の桜が生けられている。桜の木が若干小さいところでは、五囲の真鍮花瓶に数本が寄せられ綾を成している。途方もない生け花の湧現であった。

「あれが釜ん座金兵衛が苦心の花器よ。うまく造ったものよ、桜が根をおろしているとはとうてい思われぬ」と見る者すべて、賞賛を惜しまなかった。

 巨大な四つの立花の前には、香炉の机を置き、沈香や鶏舌香が惜しげもなく焚き上げられている。煙霧棚引き、得も言われぬ香りに満たされていた。また、本堂の左右には紅白の幔幕が引かれ、虎や豹の皮を敷いた反り椅子が並べ立てられ、中央木階の上には、百味の珍膳と金銀財宝が山のごとく積み上げられていた。そして、四つの立花の中央には、金箔の欄間で飾られた見事な舞台が設けられていた。

 周囲の立ち木の間には、芸人たちが一坪、二坪と銘々に蓆を敷きつめて、各々、出番を待っていた。

 この日は普段の競い茶の催しではない。花見である。闘茶だけの集まりであれば、まず山海珍味の食事を済ませてそれから四種十服の喫茶で産地の当て競技に入る。その後で、余興として歌舞演劇が催されるのが例である。だが、花見が目的であれば、闘茶を済ますまで音なしでいる訳にはいかない。道誉自身、到着が遅れていた。早や()ちした芸人や武士たちは、待ちわびている。ただちに、進行が命じられた。闘茶と演舞の同時進行であった。

「どなたからでも、舞台に上がりましょう。うまく舞うほどに、うまく歌うほどに、山と積み上げたる景品が投げられるでありましょう」

 舞台に上がった坊主が大音声で呼ばわった。道誉が本堂の木階を上がった。本堂の廊下には、特別賓客のための座敷が設けられていた。道誉の後には、二人の僧が付き従った。一人は追従笑いを浮かべた寺の住職であったが、もう一人は、不遜な面魂の天竜寺住職春屋妙葩であった。だが、遠うく離れた見物人たちには、太った道誉が見分けられるだけで、二人の僧までは分別はつかなかった。

 まず猿楽師があがった。鼓をうつ者、笛を吹く者などが、続いてあがった。祝いの舞楽が納められると、あとは、我先に芸人たちが舞台に上がった。椅子に座る公家たちは、気に入った芸人へ扇などの手持ちの小品を投げ与えた。守護大名たちも負けてなるかと、大口や小袖、刀などを与えた。また、道誉は道誉で飯を食うかたわら、仏前に積み上げた景品を鷲掴みしては豪快に投げあたえた。

 連綿として舞台の演舞は続いた。道誉たちは、賑やかな舞台を脇目に見ながら食事を済ませると、ただちに闘茶を行なった。これは室生の大和茶よ、これは醍醐の山城茶。こちらは宇治の朝日茶よ。いや違う、これこそは栂尾の深瀬茶で、妙恵上人の直伝、高山寺の本家本元の本茶に違いない、と口上駆引きを述べ合って、各自こっそりと自分が本気で推察した本茶非茶を記入して行く。それを十回繰り返す。当たった数を点数に付け、最高得点者から順に、景品として出された仏前の品々が与えられるのである。面白いことに、獲得した景品は自分の物として持ち帰るのではない。集まった演舞者に一品残さずくれてやるのが道誉の茶会であった。従って、闘茶のかたわら、舞台へ景品を投げては一服するのであった。

 お妙は群衆の競い合う演舞に紛れて、一度舞台に上がった。お梅婆さんが鼓を打った。だが、次から次に舞台に上がる者が多いために、お妙の演舞は目立たなかった。投げられた物は小袖と刀であった。

 少しでも多く舞台に上がらないと損であったが、都中から押し掛けている芸人たちのひしめき合う中では、出番がなかなか得られなかった。なにしろ、景品欲しさに、坊主風情まで舞台にあがって、裾をからげた卑猥な踊りを見せるのであった。むしろ、そのような猥雑な踊りと唄が喝采を呼んだ。


 日が傾きかけたころ闘茶も終わって、道誉は破廉恥な踊りにわき返る境内を見回した。酒が行き渡り、誰も彼も、自制心をか殴り捨てていた。どこからわいて来たかと思われるほどの大勢の坊主たちが、すっかり調子に乗って、尻振り踊りに加わっていた。道誉は横の春屋を促した。

「のう、坊主、そちも何ぞ舞ってみい。死人の真似をして黙しておるばかりが能ではあるまい」

 もちろん、春屋が舞台に上がるはずのないことは分かりきっている。だが、このくらいな道誉のからかいで困惑するような春屋でないことも分かっている。

 春屋は首を巡らして近くに控えている住職を手招きした。

「殿が、舞いを御所望じゃ。死人のような舞いではないぞ。仏に捧げる生き生きとした舞いを見せるように、申し伝えよ」

 住職は自分に舞いを命じられずにすんで、やれやれと安堵して出て行った。ややあって、舞台にあがって呼ばわる者がいた。やはり坊主であった。

「滑稽踊りはこのくらいでよいほどに、つぎはまともな舞いを披露いたせ。さあさあ、仏様の御前じゃ。高貴なお方の御前じゃ。麗しくも神々しい舞いを舞おうぞ、舞おうぞ」

 坊主は日々の読経で喉を鍛えている。ざわついている境内の隅々まで響きわたった。頬かぶりをして出番を待っていた男が、舞台の横手で立ち往生した。その男の後には、それぞれにとびきり滑稽で思いきり出鱈目な、あたかも六百年後のジスコやロックのような、見るも聞くも耐えられないようなばかばかしくも阿呆らしい唄と踊りを一発ぶちかましてやろうと考えていた輩が、場違いとばかりにすごすごと舞台から離れて行った。

「さあさあ、高貴なお方にお見せいたす高貴な踊りを御披露いたしましょうぞ。さあさあ、どなたかおりませぬか、どなたでも舞台にお上がりなされ」

 道誉は春屋の巧妙な逃れ方に感心した。したたかな糞坊主じゃ、と、周囲を見回すと、春屋はすでにいずこともなく姿を隠していた。

「誰が高貴な舞いを舞えと言うた。構わぬ、滑稽おどりをやれ。裸踊りでも構わぬぞ、そこの坊主、口上ばかりいわんと、お前が衣を脱いで、裸踊りをやってみせろ」

 怒鳴りちらして道誉は回廊から本堂の背後に回った。本堂の後ろは仏堂、僧堂と続いていた。還暦を過ぎた道誉は、さすがに疲れて、ひと休みするつもりであった。

 道誉が姿を隠したとき、舞台に上がる者がいた。白拍子姿のお妙であった。水干に立烏帽子、それとさきほど貰ったばかりの本物の刀をはいていた。美しかった。頬に残る紅班の痕も化粧で跡形なく隠され、類まれな美少年姿であった。

 お妙のあとに続いて登った鼓打ちのお梅婆さんが、深々とお辞儀をして、口上を述べた。

「仏様の前に、かしこみかしこみ捧げまするは、今様の法文歌(ほうもにか)。舞い納めまするは、いまだ穢れなき十六娘、その名も仏の……」

 お梅婆さんは、お妙の名前を紹介しょうとしていた。『その名も仏の妙法御前』と続くのである。お妙はその言葉がお梅婆さんの口から出ないうちに、朗々と声を張り上げて歌いだした。



♪ほとけはつねにいませども

 うつつならぬぞあわれなる

 人のおとせぬあかつきに

 ほのかに夢にみえたまう


 お梅婆さんは、結局は言うことはすべて言うて、それから一節遅れて鼓を打ち始めた。だが、お妙の声で、消されたはずであった。


♪ほとけはどこよりか出でたまう

 中天竺よりぞ出たまう

 こさがらふら城 王舎城

 きりだらこたに 鷲峰山


♪弥陀の御顔は秋の月

 青蓮の眼は夏の池

 四十の歯茎は冬の雪

 三十二相 春の花


 歌いながら舞うのである。白拍子たちが寺で奉納舞いを演ずるときに使われる今様の古典であった。節は哀愁をおびた中にも優美で、舞いは静かな動きで、見る者を幻想の世界へ誘わずにはおかなかった。今までの余りもの猥雑で喧噪な演舞とは正反対であった。人目を引いた。幾百人、幾千人と知れず境内を埋めた群衆は、一段高く設けられた金襴の演舞台で優雅に歌い舞うお妙に魅せられていた。

「うつくしいのう」

「さわやかじゃ、これこそ仏前の舞いじゃ」

「この今様を存じておるかの。後白川上皇の『梁塵秘抄』にも載せられているほどの、よい今様じゃ。法文歌と申してな、二百二十首ある中の、その内の仏歌として納められておる。ほれ、最初に歌とうたであろう、♪仏は常にいませども……、あれはとりわけ心にしみる歌として知られておる」

 博学な公家が解説をしていた。木階の近くでは、坊主たちが恍惚として見とれていた。指をくわえている坊主もいる。よだれを落しかけて急いで拭き取る坊主もいる。坊主たちは『梁塵秘抄』などどうでもよかった。仏歌であろうと、今様であろうと、どうでもよかった。ただ、男装したお妙の清楚な美しさに魅せられていた。姿は少年であったが、美しく化粧して歌い舞う姿と声は初々しい娘の色香に満たされていた。

 坊主はおしなべて好色と決まっている。禁欲の生活を課せられるために、かえって欲が強くなる。女を蔑み否定する仏教思想の中で、坊主たちは悩み苦しみ、結局は解決が得られないまま、蔑みの欲望の中に女を追い求めているのである。欲望に翻弄される自己嫌悪は、欲望の感情を最大限にわき起こして来る女への嫌悪でもあった。

 自己統制の出来ない複雑で矛盾した想念に我を忘れている坊主の肩を叩く者がいた。道誉の元を離れた春屋妙葩であった。将軍の信任厚い夢窓国師の高弟である。肩を叩かれたのは、住職であった。

「あの白拍子の身分を確かめなされたか?」

 住職は「いや」と首を振る。

「仏前に捧げる、と口上する以上、賎しい者であってはなりませぬぞ。人は身分相応の分を守っておらねばならぬ。賎しい者であれば、賎しい者にふさわしい歌と舞いを演ずればよい。例えば、六百年のちに、演歌とかジャズとか申すだらしのない下作な歌と踊りにうつつをぬかす輩のようにな。その時代でも、支配者たちは高貴な音楽を愛好して、大衆の下作な歌は自分の子弟には馴染ませずにいるのじゃ。下作な輩には、演歌やジャズで酔わせておく。そうしておけば、高尚な芸術を下作な連中は振り向かぬ。大衆はエロと頽廃を好む者となる。連中はそれでますます頭脳は劣化して低級な者となって行く。だが支配者階級は違う。支配者という者は、いつの時代でも極々少数の者で固められる。自分らの子弟が確実に最高の地位を守ることこそ肝要である。そのためには、下作な大衆と吾々とは、世界を別にしなければならぬ。大衆には堕落を、吾々には高邁さを。まちがっても、大衆と同一の世界に身を置いてはならぬ。そうしてこそ、下作な者と吾々との間に能力の差が生まれて行く。吾々は普段から、自分のため、子弟のため、我々が獲得した身分の安定のために、賎しい者と、尊い者とを区別し、住む世界を分けておかねばならぬ。その決まりを守るために心しなければならぬ……」

 春屋は言葉をきった。一息入れて、再び話を続けた。

「……そこで、あの女が、高貴な歌と舞いを奉納するのにふさわしい身分の出生であれば、それでよい。だが、もし、賎しい女であれば、すべては仏を欺くために舞っていることになる。仏を欺くことは、仏の果報で高い身分に付いている者を嘲ることになる。貴公はそれでよいと思われるか? よいのなら、貴公は住職の地位を捨てるべきでありましょう。否であるのなら、舞いが終わった後、必ず訊ねることです。今も、殿が申されたであろう。衣をはいで裸踊りをやれと。あの女が賎しい身分であれば、仏を欺き笑った罰に、あの女に裸踊りをやらせるがよろしかろう。それを不問にして避ければ、あるいは、貴公が裸踊りをしなければならぬかもしれませぬぞ」

 最後の言葉が、住職を震え上がらせた。バサラ大名のことである。何を要求するかしれない。しかも、道誉の友人のように振舞っている春屋が言うのである。将軍の信任もあり、禅僧としても最高の智恵者として通っている。勝持寺の住職風情とは格が違っていた。

「もっともでござる。もっともで……」

 と、住職はうなずき、ただちに従者に耳打ちをした。


 お妙は見ていた。舞いながら見ていた。舞い馴れているお妙は、舞台に上がっても冷静であった。道誉がどこかで見ているのではなかろうかと、たえず注意していたために、二人の僧が、顔を寄せ合って自分の方をちらちら見ながら話をしているのに気付くことができた。お妙は二人とも覚えている。背筋を伸ばしているのは、道誉の屋敷で虐められた忌まわしい僧である。たしか、天竜寺の住職と聞いた。もう一人の、腰を屈め気味にした僧は、桂川の渡し舟で説教をし、首を垂れないお妙を睨んでいた。嫌な予感があった。


♪ほとけも昔は人なりき

 われらもついには仏なり

 三身仏性 具せる身と

 知らざりけるこそあわれなれ


 平家物語の中の、祇王の歌の元歌とされる今様を最後に歌った。万雷の拍手がわき起こった。仏堂も揺るがすかと思われた。お妙は深々とお辞儀をした。次から次に舞台に投げ物が飛ぶ。お梅婆さんが拾い集める。歓声と拍手に誘われて、花吹雪がお妙に降り注がれていた。

 拍手の中を去ろうとしたとき、進行係の坊主が舞台に上がってきた。

「そこの女!」

 大きな声であった。

「女、そちの氏素性を名乗れ!」

 お妙はもういちどお辞儀をして舞台を去ろうとした。

「待て女、高貴な舞いを仏に捧げる以上、そなたは高貴な氏素性であろうのう。さあ、申せ!なぜ申さぬ。よもや、仏様に顔会わせも出来ぬ身分ではあるまい。もしも、罪業深き賎しい身分を隠して舞ったとあれば、それは尊い仏様を欺いたことになる。仏様を欺いたとあれば、懲らしめにお前の衣をはぎ取らねばならぬ。さあ、恥ずかしくない氏素性を申すか、さにあらずば、仏様と皆の衆へ詫びて、裸踊りをいたすか、さあ、女、いずれを取るか。名乗れぬ素性であれば、今すぐ、この場で、偽りの衣を捨てて、まっ正直に裸になって踊れ!」

 場内は坊主が何を言っているのかわからず、拍手と讃嘆がつづいていた。腰を抜かさんばかりに驚いたのはお梅婆さんであった。お妙は立ち尽くしていた。救いを求めるように、仏堂を見つめていた。

(また、あの坊主に違いない。うちを見ながら、こそこそ話していたわ。仏さんがホンマに貴くて立派なら、今すぐ、うちを助けや)

 下っ端の坊主が三人上がってきた。二人がお妙の腕をとった。一人が……。境内は以前、意味が汲み取れず、また趣向の違った演舞が始まるのかと、拍手がさらに高まった。

(剥ぐなら剥げ。あんな坊主がお前の弟子なら、見ているがいい。必ず、仕返しをしてやる。火を付けてやる。寺という寺に火を付けて回ってやるさかいに……)

 お妙は服を剥がされた。歓声とどよめきがわき起こった。拍手をする者、笑う者、叫ぶ者。天空を覆い尽くした桜の花が、人々のどよめきに誘われて一度に落下して来た。お妙は桜に包まれた。水干をはぎ取られ、襦袢までむしり取られたあとのお妙の裸体を、桜の花片(はなびら)が包み隠そうとしていた。素裸のお妙の上に花が舞う。お妙が桜か、桜がお妙か、天の涙か風の嘆きか、広い境内を埋めた無数の桜花が、お妙の裸身を求めて吹き寄せていた。

 だが、物好きな期待に興奮した群衆には、花は一片も目に入っていなかった。



  帰って来ないお妙


 おぼうは鴨の河原でお妙の帰りを待っていた。朝早く、お妙とお梅婆さんを送りだすと、その後は一人で、洗い物や片付けなどで時間を過ごした。

 お妙は間際までおぼうの手を取って、一緒に行こうと促した。確かに行こうと思えば行けたであろう。人と同じ徒歩は無理としても、道誉の言質を盾に四条通りへ出て、荷車に乗せて貰うことも出来た。しかし、西方浄土にも見立てられている西山へ、不具の身で出かけることには憚られるものがあった。自分の存在が、不祥を招くかもしれないと。万一の不祥事があればお妙の身に禍いとなる。

 おぼうは長年、寺の門前で芸人家業を続けてきたこともあって、仏教の因果応報の理屈を聞きかじっている。病を持つ者、不具になった者、力弱く人に負ける者、貧しい者……。これらの者はすべて己れ自身の悪行の結果と見做されている。とりわけ、醜い片端人は蔑まれる。その罪はおそらく尊い仏に仇をなしたからであろうと見做される。仏に仕えて徳の高さを自負する者は、哀れみを向けて来るが、しかし、いかに、可哀想に、辛かろうに、と情けを向けたところで、本質的には、十悪五逆の己れの罪業で受けるべき罰を受けている者、という大前提は微動だにも揺らがないのである。心がけをよくして念仏を唱え、せめて来世では、いくらかでもましな者になれるよう仏様のお慈悲に縋りなさい、と、説教するのが落ちであった。

 まともな者、人として認められる者、さらには尊い者として崇められる者は、健康で力が強く、才能があって、一歩も二歩も人に抜きん出ることが必要であった。だからこそ、最高の聖者とされる釈迦は、肉体的にも三十二相を現わす化物に等しい超能力者となっている。例えば、腕は膝より長く、肌は金色、頭は頂肉髻成、歯は四十本、そして眉間からはサーチライトが出るという。とにかく人並みではアカンのである。人並み以下では言語同断、語るに足らず。人並み以上の優れた能力(極端には馬鹿並み、化物並みの能力)こそ、尊い者の証明とされている。最悪でも、人並み以下に成ってはならない!

 おぼうには身震いの出る恐ろしい強者の論理であった。もし、人が皆、この脅迫観念に取り込まれて、人よりも上に抜きんでる為の競争を始めだすと、一体全体、どういうことになるのであろう。弱者や落伍者たちは最早、対等の人とはみなされず、軽蔑と排斥が正当なものとされるであろう。たとえ、露骨にそのような態度を見せなくても、世界が違うとばかりに敬遠してしまう。精々、哀れみで見るのみである。仏像が、高見から哀れな者を見おろしているように……。

 今日の花見も、寺で行なわれるという。河原乞食の仲間同士であれば、互いに自分たちの到らぬことを知っており、人にはそれぞれに病や不自由があるものと理解している。したがって、不具も貧乏も蔑む対象ではない。しかし、今日の花見には、前世から仏に仕えて今生の果報を約束された貴族や公家、僧侶や侍たちが集まっている。仲間同士、皆で楽しく面白く過ごしている中で、おぼうのような軽蔑と敬遠の対象でしかない片端人(かとうど)が混入しては、彼らにとっては面白うかろうはずがない。追い出されなくとも、からかいや嫌みぐらいはすぐに出る。自分がからかわれれば、それはただちにお妙の身に禍いとなる……。

 そこまで考えると、おぼうは自分の存在がお妙にとって必ずしも幸いでないことに思い到る。親鳥は雛が成長すると必ず雛と別れるように、自分もお妙と別れた方が良いのかも知れない、と。末永く一緒に暮らしたいと思う反面、お妙の為には、自分の役割にけじめを付けなければならないと考えてしまう。なぜなら、人の世は、おぼうのような不具者を嫌うからである。いかなる聖人賢者も、不具者・弱者を尊い存在とはみなさない。価値なき者、嫌悪排斥されるべき存在という前提で、富と力と健康に裏打ちされた徳ある者として、寛容さと哀れみとを見せるだけである。助け救ってやる対象とは見ても、それ自体が敬い愛すべき尊い者とはみなさない。そこに強者の差別思想がある。そのような人の世界をこれから生きて行かなければならないお妙に、価値否定される自分が纏わり付いていれば、お妙の幸運を妨げる……。

 お妙が一人立ち出来ないのであれば致し方はないが、昨今のお妙は、娘盛りの色香も漂い、唄も舞いも充分に衆人を魅了させるだけの能力を身に付けている。あるいは大名に見込まれ取り立てられるかもしれないのである。そこに片端人が、身内顔で纏わり付いていれば、出世の機会さえ逸してしまうであろう。

 これ以上、自分はお妙のそばにいてはいけない、とおぼうは考える。しかし、理屈でいくら考えても、心情は別れを欲していない。鼓打ちのお梅婆さんにお妙を託して送りだしたあとも、おぼうは、お妙との変わらぬ生活を夢見ていた。夕方には、またいつもと変わらず、明るく陽気な声をはずませたお妙が帰って来る! その日の出来事を、眠る間際まで倦むこと知らずに話し続ける! それが何よりも楽しみであった。おぼうには、その楽しみがすっかり自分の感情に染み着いていた。お妙のためには、自分の元からお妙を放してやらなければ、と思う気持ちとは裏腹に、抜きがたいほどの愛着が深まっているのであった。

 お妙が出かけた後は、普段であれば、伝え乞食の伝さんが訪ねてくれる。しかし、今日は伝さんも朝早くから西山へ出かけているはずであった。彼はどこにでも顔を出す。せめて、お妙に付き添って後見をしてくれればと思うが、伝さんは一所に拘束されて過ごすことを嫌う。

 草屋の外は子供たちが騒いでいるだけで、大人の姿は見あたらない。雨が降らないかぎり、人々は泣けなしの薄給で寺院や都の荒仕事に出かける。庭作り、畑作り、家作りと、肉体労働が、河原の住人の仕事であった。残っているのは、子供と病人だけである。女でも、荒仕事を求めて都に出かける。男だけが働いて生活出来るほどの金は出してくれないからである。武力に物を言わせて蓄えた膨大な富を、貧しい者たちや労働する者たちへ放出しなければ「人」ではないと、心がける者など一人もいない。したがって、家族全員が健康でなければ人々は生活が出来なくなる。足枷となる病人や不具者は必然的に嫌われる。それはつまり、富を独占することが何よりも良いことと信じられているからではないのか? 人よりも多くの富を持つことが尊い! と。そして富と権力を持つ彼らの家に生まれることが果報とされる。前世の徳の結果であると……。まさにこの発想の基から、人を正当に合法的に差別することが可能になっているはず。彼らには甘露な仏の(のり)も、河原に暮らす貧民たちには悪魔のような思想であった。

 因果の教えが憎い。いや、それよりもなによりも、おぼうにとって恨めしくも悲しく思われるのは、そのような非人間的不合理性に気付き(いか)ることもなく、むしろ逆に、わが身の保全と優越を満足させるためか、あるいは生家への恩義のためなのか、欲得を捨てた有徳な人と言われる者においてさえ、人を差別する恐ろしい悪魔の思想に迎合し、それを積極的に宣伝流布していることであった。


 鴨の河原からは東山の桜が望見出来る。水面(みなも)には花片(はなびら)が漂い流れていた。風はなし、快晴ではなかったが、まずは申し分のない花見日和であった。腕支えの枝が付いた木杖に体を支えながら、おぼうは洗い物に朝の内の時間を使い、昼過ぎからは傷んだ草屋の手入れに専念した。時々、西の空を見上げる。薄い花曇りを透かして見える太陽が、気付かぬ間に西へ移動していた。

「あのお日いさんが、西山にかかる頃は花見も終わる。お妙の唄と舞いは誰にも引けはとらへん。あんじょう頑張りや。褒美を貰いすぎてもあかんえ。持って帰れへんやろ……」

 おぼうは、重苦しい想念を打ち切るように、独り言を言った。自分の独り言に、一人で微笑した。

 日が傾くにつれて、西の空を見上げる回数が増えた。薄い雲はいつか厚みを増して、時折、強い風が吹き抜ける。それでも、西の空は明るかった。

「あそこはまだ晴れているんやな。今日ばかりは、仏さんも意地悪せんといてや。お妙の晴れ舞台やし、あんじょうお天気にしてや。お妙が無事に舞い納めたなら、後でお賽銭あげるさかいにな」

 やがて、日が暮れた。おぼうは河原を出て、京極通りの近くで、お妙の帰りを待った。西山から帰るとすれば、七条あたりから現れるかもしれない。あるいは、殿様たちと一緒に四条まで行き、そこから帰るであろうか。担ぎきれないほどの褒美を背に「姉さん、姉さん」と明るい声で手を振って駆けて来るお妙の姿が瞼に浮かぶ。

 東山からはおぼろ月が上がっていた。傘をさしていた。時々、厚い雲に姿を隠した。暮れ六の鐘が聞こえた。

「褒美を貰いすぎて、帰るのが遅いのやろうか。いや、ひょっとしたら、殿さんに召し抱えられて、今夜は帰らんのやろうか。明日の朝、きれいなべべを着て、かえってくるのかもしれへんな。いいや、あるいは、乞食の(うち)には、もう帰らへんかもしれへん。使いの者が来るだけかもしれへんな」

 そんなことはなかろう、と思いながらも、それならそれで、お妙のために辛抱しょうとも思うのだった。

「そやけど、お梅さんまで召し抱えられるはずはなかろうし……。そやけど、わからへんな。お梅さんは関東の人で、佐々木道誉が若いときに鎌倉から京へ出て来るさい、雑兵の一人やった亭主の後をおって来た人や。私の亭主は殿様のために死んだと申し出て、お妙と一緒に召し抱えを頼むかもしれへんな……」

 そうなれば、あとに残るのはおぼう一人であった。十年前の孤独な心境が蘇って来る。

 時折、都から河原へ戻って来る人影が散見される。背の屈み気味な姿が見えると、お梅さんではなかろうかと思い、小柄な影が見えると、お妙ではなかろうかと、胸をはやらせるのであったが、すべては期待はずれであった。やがて、人影も見られなくなった。雨が降り出した。咽び泣くような小糠雨であった。雨に濡れながら、おぼうは暗闇の河原へ降りた。


 早朝、おぼうは草屋の入口を叩く音に目を覚ました。

「お妙か?」

 跳ね起き、転がるように入口へ行くと、

「わしや、わしや」

 と、期待はずれの声が返ってきた。伝え乞食の伝さんであった。

「……こっちにお妙坊、帰って来てるか? いてへんのか? ほんまに帰ってないのやな。さあ、えらいこっちゃ」

 草屋に入ってきた伝さんは、肩で息をしながら、へなへなと座り込んだ。驚いたのはおぼうである。お妙が行方不明だという。伝さんの話では、昨日、お妙は舞台の上で、素晴らしい舞いを演じたあと、何を思ったか、急に坊主と一緒に、とんでもない裸踊りをやってしまった。仏の前で、けしからぬ白拍子やと皆が怒り、坊主たちがお妙を連れ去って、そのまま、どこへ行ったかわからないという。

「わしはな、聞いて回ったんじゃ。寺のお坊さんにも聞いた。お侍にも聞いた。そやけど、誰も行方を知らへん。お坊さんなんぞは、仏の前で厚かましくも裸踊りをするような女は、地獄に落ちるのがふさわしい、と言うだけで、どこにおるのか知らぬと首を振る。罰当りに構うと、お前まで良いことはないぞと脅された。わしは何がどうなっているのやら、さっぱりわからん。なにしろ、わしは、あっちやら、こっちやら、覗き見に回るやろ、お妙坊が裸踊りを始めたときは、わしは、後ろの方にいたんや。どうなっていたのやら、ようわからへんのや。お妙が坊主の衣を剥いだと言う者もいたが、わしはそんなことはないと信じている。しかし、お妙が坊主と一緒に裸踊りをして、舞台を坊主と一緒に降りたのは確かに儂も見た。そのあとがわからへんのや」

「お梅さんは、どないしたんや? お梅さんが側にいたやろ」

「あの婆さんは、気ィ狂ったように泣いているばかりや。おぼうさんに会わせる顔がない言うて、泣いていた。わしは、夜中ぢゅう、捜して回ったんやで。そやけどわからへん。ひょっとすれば、一足先に帰っているかもしれへん思うてな、それで、夜も寝らんとこうして、様子を見に戻って来たんや。ここにも、いいひんとすれば、どこへ行ったんやろ。神隠しやな。いや、仏隠しや。仏さんが怒らはって、お妙さんをどこぞへ連れ去ったのや」

「阿呆、言いな。バサラの殿さんは? 殿さんに召し抱えられたのと違うのか? 殿さんに聞いたのか?」

 おぼうは殺気だって、伝さんの胸をつかまえ揺さぶった。激しく揺さぶりながら返事を迫った。だが、伝さんの身分では、佐々木道誉に近付くことなどできるものではなかった。朗党の者に訊ねるのが精一杯であった。その彼らにしても、舞台で面白い舞いをやった白拍子がいた、というだけのことしか知らなかった。

 伝さんは言うだけの事を言うと、居間に横倒れになって、そのまま眠り込んでしまった。おぼうは悔いた。行くべきであった。自分も無理をしてでも、西山へ行くべきであった。自分が側に居れば、いくら片端人と蔑まれようと、身を投げ出してでもお妙を保護してやれたであろうに……。

 花見は二日間、行なわれた。(後日、話が誇張されて、二日が二十日間と伝えられた)おぼうは、三日待った。何があったにしても、必ず帰って来ると信じた。四日目に、佐々木道誉の屋敷を訪ねた。目通りが出来ずに、翌日も訪ねた。それでも会い出せなかった。お妙という白拍子は、召し抱えられてはいないという家人の答えであった。しつこく食い下がると、あのときの白拍子は坊主を誘惑して裸踊りをやったために、偉い坊様が立腹して場外へ追い出していた、とだけ、聞き出すことができた。お妙が坊主を誘惑? 嘘に決まっていると思った。お梅さんなら正確なことを知っていると思われたが、そのお梅婆さんも帰っては来なかった。再び、西山へ行って戻ってきた伝さんの話では、お梅さんは桂川のほとりで惚けたように彷徨(さまよ)うばかりで、川を渡ろうとはしないという。


  炎の中の狂女の舞い


 一年が過ぎた。西山勝持寺は再び桜の花におおわれた。だが、花見の宴はなかった。人気のない境内には、雪が降り積もり舞うように、音もなく落花の舞いが続いていた。

 堅く閉じられた山門の前に、二人の女がいた。境内から吹き寄せる花吹雪にあおられて、二人は口論していた。若い女は赤ん坊を抱いていた。年増の女は木杖を突いていた。赤ん坊が時折むずがり、泣き声を出す。

 木杖をついた女が言う。

「戻らなあかん。うちと一緒に、もう一度、はじめからやり直そう」

 おぼうであった。そして、赤ん坊を抱いた女が応える。

「もう、嫌やや。踊りも唄も、もう、うちには出来へん」

 お妙であった。一年前、お妙が忽然と行方不明になったあと、二人はこの日はじめて再会したのである。

 おぼうは、お妙を捜して西山に移り住んでいた。住むつもりではなかったが、一度、西山まで来れば、再び鴨川まで戻る気力を失った。桂川沿いを彷徨している内に、お梅婆さんと会うことはできたが、彼女は半ばボケ状態に陥っていた。詮方なしに一緒に暮らしていた。

 そして、三月四日、ちょうど一年たったこの日、お妙が嬰児を抱いて桂川を渡って来た。赤ん坊を寺に捨てると言う。お妙に取りすがりながら寺まで来たのであった。

「な、自棄(やけ)おこしてはあかんし。考え直しや。踊りさえ出来れば、何とか、生活は出来る。身を持ち崩さんとすむのやさかい……」

 何度も言った言葉を、また繰り返す。お妙も同じ言葉の繰り返しのであったが、次第に言葉は激高していた。

「嫌やや言うたら嫌やや。姉さんかて、嫌やらしいことしてたんやろ。うちらが踊れば、そんな踊りをせなならんねん。うちはもう嫌やや」

「嫌な踊りを自分からすることはいらへん。ええ踊りだけを覚えて、あとは、何も出来ません、と言い張ればええ……」

「姉さん、何もわかっていいひん。何事も身分というものがあるんや。賎しいうちらがええ踊りをすると、仏さんを欺くことになるんや。賎しい乞食の身分に合うた踊りて、何やねん。裸踊りなら、はじめから踊らんと、客取って寝たほうがましや」

「仏さんはうちも嫌いや。そやけどな、この世は仏さんだけやあらへん。仏さんよりもっと立派なものが、必ずあるはずや。うちらを罰当りの罪人と言わないものが、きっとある。うちらを酷い目にあわせて、力の強いずるい者ばかりが、ええ目にあって、それを前世の果報と褒めそやすような仏さんなんぞ、少しも立派やあらへん。うちらが自棄を起しては、仏さんや坊さんが、それ見た事かとますます威張り出す。高い所から、目ェ細めて見おろすばかりや。自棄を起しては仏さんに負ける。悔しい時ほど、身を正さなあかんのや」

「姉さん、そない言うても、うちら仏さんに勝てるわけあらへん。頭のええ人は皆んな、仏さんの教えが最高て言うてはる。うちらが仏さんはアカンいうても笑われるばかりや。『やっぱり賎しい身分の者は性根も(いが)んで、貴い教えにも従えぬ。あれやから、非人の身分に生まれたのや』と言われるだけや」

「頭のええ者はな、馬鹿なんやで。頭のええのも馬鹿の内、言うてな。嘘やない。頭のええ者は間違ったことを正確に覚えることしか出来へんのや。自分が勉強して覚えたことを、捨てることの出来ないのが、頭のええ者や。たとえ、禅宗の偉い坊さんのように、仏は糞拭き紙と同じ、とか、盗人と同じとか、狂っているとか、もともと無いもの、と悟ったところで、自分たちの身分を都合よく守ってくれるさかいに、本音は後ろに隠して、仏様ありがたや、と言い出す。悟っても、その悟りを隠すという、ずるくて汚い生き方しか出来へんのや。それが、頭のええ者の限界や。

 そやさかいに、あんな阿呆学者の言うことなど、聞くこといらへん。うちらを救えへんのは、もう解っていることやし、そんな嘘っ八の泥棒の仏さんなんか、忘れてしまおう。仏さんに踊りを見せると思わんでええのや。ええ踊りは、仏さんではないもの、仏さんなんか、足元にも寄れないほどの真実なものに捧げるためのものなんや」

「ほなら仏さんより他に、何が有る言うねん?うちらが賎しい者ではないというのなら、誰が賎しいんやね。誰が賎しくなくて貴いのやねん」

「なにか、きっと、ある! うちらは罪人やない、賎しい者ではない、うちらも同じ人間、と言うて、うちらの手を取って口吻(くちづけ)してくれる何かが、きっとあるはずや。それが、なにかは、今のうちにもわからへんけど……」

「そんなことあらへんわ。乞食を同じ人間というて、好き、言うて口吻けするような、そんなものはあらへん。聞いたことないわ。うちは乞食の上に、今は淫売なんやで。なんで、こんなうちに口吻してくれるような、仏さんよりもっと立派なものがあるなんて言うんやねん。うちに口吻(くちづけ)する者は、女房のいない間抜け男か、物好きな助平男しかいいへんのや。仏さんより立派なものて、そんな間抜けな男のことなんか?」

「それが何か、うちにもわからん。間抜け男でも、真実にお妙を思うてくれるなら、その男の中に、あるいは何かが有るのかもしれへん。それを感じとれば、もう自棄も起さずにすむやろ」

「うちは、何も感じられへんわ。うちは、ただ歯痒いばかりや!」

 お妙が声を荒らげた。赤ん坊が泣きだした。

「……こんな赤ん坊も、うちはいらへん。誰の子か分からんのや。坊主の子かと思うと、うちは腸が煮え繰り返るねん。どうせ、うちを嘲り遊び物にした男の子供や。捨ててやる。思い知らせてやる。そいつの子供は捨子になるんや。精々仏さんに拾うて貰うがええ!」

「子供は二人で育てよう。な、うちたちも捨てられていたんや」

「いやや。うちはこれからも生まれて来る子を、みんなここのお寺に捨てに来る。育てば仏さんを恨めばいいんや。うちと同じように恨んで、仏さんも貴い人間も、皆んな恨んで、火ィつけて燃やしてしまえばええんや。こんな世の中、ないほうがましや」

「この子は、うちが貰うて育てる」

「あかんわ! 門の前に捨てるんや。全部、仏さんと坊さんの責任や。姉さんが貰う言うのなら、うちは、この子を投げるえ!」

 お妙はいきなり、赤ん坊を頭上に振り上げた。赤ん坊が泣いた。火がついたように泣いた。

 おぼうは体を泳がせ、杖を取り落として、その場に崩れ落ちた。語る言葉もつきていた。

 桜吹雪が、二人の女と赤ん坊を包み込んでいた。花吹雪の中を、赤ん坊の泣き声だけが響きわたっていた。


 それから二十五日のち、天竜寺が全焼した。紅蓮の炎に照らし出されて、唄い舞う一人の狂女がいた。足が異様に裾から飛び出ていた。片足で舞うのか、宙に浮いて舞うのか、命からがら逃げだした坊主たちには、見分けがつかなかった。

「天女が舞うておる」

 一人の坊主が言った。

「天女の足がいずこかを指し示しておる。あの足は、何を語っているのや」

「大地を示しておる」

「いや、燃える炎を示しておる」

「寺を燃やせと言うておる」

「仏を燃やせと言うておる」

「天女は仏などいらぬと言うておる」


♪お妙やいずこ 私のお妙

 仏様に見捨てられ

 赤子さえも投げ捨てた


♪仏様や恨めしや

 お前も女から生まれた癖に

 高見の見物憎くらしや


♪女が泣けば火を付けまする

 寺を燃やそう

 仏を燃やそう


♪貴いお方がいなければ

 賎しい者もいないはず

 仏様さえ死んだ癖

 高見の微笑み憎くらしや


♪貴い仏と言うならば

 片端人(かとうど)の私を抱いて見や

 私を抱けないお前なら

 お前は私よりなお賎し


♪燃やそう燃やそうお寺を燃やそう

 貴い人などいりませぬ

 仏様などいりませぬ


♪仏がこの世にいるかぎり

 片端人病人貧民は

 前世からの罪人と

 蔑む口実作ります


♪燃やそう燃やそう仏を燃やそう

 仏いなけれりゃ貴人もいない

 上下の区別も払われて

 人は人だけが ただ有難い


♪燃やそう燃やそう

 仏も寺も燃やしてしまおう

 ……


 燃やされた天龍寺は、春屋妙葩の努力で再建された。しかし、六年後、再建なった天龍寺を待っていたように、再び燃やされた。春屋はまた再興勧進職を拝命して再建した。だが、七年後、またまた天龍寺は燃えた。燃やされるたびに春屋は造営大勧進職を拝命して、再建に当たっていた。

 その後、都は応任の乱を迎える。乞食たちも雑兵として、東軍と西軍に加わった。彼らは戦うよりも寺を燃やす事に情熱を傾けていた。都中の寺に火を付けて回った。彼らは聞いた。燃え上がる炎の中から聞こえて来る狂女の歌声を。彼らは確かに見た。炎に照らされて、ある場合は片端人の姿を、ある場合は、赤ん坊を頭上に振りかぶった肢体美しい女の姿を……。


            小説『花の寺』了

 脱稿したのは、かれこれ二十年ほど前であろうか。(ここに投稿した現在が、2022年2月だから?40年以上前?)

 当時、私は本気で歴史に残る名作をものにしようと取り組んでいた。その為に可能な限り、資料を調べ上げた。そして、ある小説教室の自称文芸評論家(三流に決まっている)に読み料を支払って見てもらった。すると…二十人ほどの受講生の面前で「この人は異常だね。差別用語を平気で使っている。呆れてしまう。その上この人は障害者ばかりを書く。障害者を主人公にしたものなど読みたくもない。障害者の話など書かずに、健常者のドラマを書くものだ」と侮蔑された。

 私はそれ以後、その教室から去った。差別用語を使うから怪しからん、と指弾されなければならないとしたら、障害者や過去の歴史上の幾多の非人道的差別は、書いてはならない、と言うことではないか! それこそ由々しき差別偏見思想と言わなければならない。

 私の挑戦は、その後「空と海」と題して空海へ向けられていたのだが、ある私的出来事により挫折して終わった。いま再び……?

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