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53話 不安の渦と テイクアウトの美味なるチキン



「・・・・・そういうことです」


 伯爵は静かに締めくくる。そこには嘲笑の匂いはない。



 サンジェルマン伯爵のいうそういうことは、この五つを全部含む。



✔ タイムスリップしている人物(以下A)は、この場の四人以外にいる

✔ Aの人物はアンたちの邪魔をしている可能性がある

✔ Aの人物は一人なのか複数なのか性別も不明 

✔ 伯爵は二十世紀に戻るつもりはない

✔ 伯爵はアンたちの仕事を手助けするつもりも邪魔するつもりもない



 一つだけでも驚くけれど、こんなに固まって殴り掛かられたら、どうやっていいのかもう全くわからない。


 そして、そのAの人物がどう動くかで、これからの仕事の成否が大きく変わる。


 このヴェルサイユで出会った人間は何十人、目にしただけならば何百人もいるだろう。

 そのなかの誰かが、同じタイムスリップした人間だなんて。

 そして、その人物が悪意を持って、自分たちを見張っているとしたら―――


 もっと知りたい。聞いておかなくては。知っているのはこの男しかいないんだから。


 すっかり穏やかに変わった今の伯爵なら話してくれるかも―――アンはまたはっきりと聞いてみる。


「私たちがすでに会っている人で、タイムスリップして来た人はいるの?」


 アイリスもフィービーもこれが聞きたい。

 誰が悪意を持った同じタイムスリップした人間なのか。



「それもわかりませんね。まあ、エメ男爵夫妻は違うと思いますがね」 少し笑う。


 エメ男爵夫妻が候補リストからはずれても、ヴェルサイユ宮殿に住んでいる人間は千人以上とも言われている。二十一世紀で言えば、ラスベガスにそそり立つメガホテルの宿泊客のなかから犯人を捜す感じだ。ヒントがなければ探せないではないか。


 怖くなったフィービーが突然、言い出す。


「――まさか、ポリニャック夫人がタイムスリップして来ているなんてことある?」


 サンジェルマン伯爵は、フィービーを見てまた微笑む。


「怖がらせてしまいましたね。さすがにポリニャック夫人は十八世紀の人ですよ。そうじゃなければ、マリア・テレジアは依頼なんてしてこないでしょうから」



「そうですよね……でも私たちがもう出会った人だったらと思うと―――まさかシャルロットとかは違うの?」


「シャルロットが?」 今度はアンが驚く。シャルロットに対する疑いなんてこれっぽちも思ってなかったから。


 あの気のいいシャルロットが、タイムスリップしていて悪意をもって自分たちに近づいたなんてありえるのだろうか?(23・24・25話参照)


「まさか、それはないと思うわ」 アイリスも言いながら、サンジェルマン伯爵が何を言うか、すぐさま視線を移す。


「シャルロットについては……どうなのでしょうね。 私は違うのではないかと思うのですが、確証はありませんね」


 少しほっとするが、確証がないならば疑ってかからなくてはいけないのだろう。すごく悲しい。



「……わかったわ。来てよかった」 アンは落ち着かない心を、必死で落ちつけながら声を出す。


「――私のこれからの居場所は、この宿屋の主人に伝えておきますよ」



「ありがとう。……もう帰ります、私達」 


 アンはアイリスの表情を伺い、伯爵に帰ると伝える。アイリスももうこれで十分だと感じている。


「伯爵。ありがとうございます。よくわかりましたわ」 アイリスが立ちあがり、優雅に伝える。


「美味しい紅茶、御馳走様でした」 フィービーもわざと涙を見せつつ立ち上がる。


 三人は宿屋を出た。


 お互いの顔を見る。アンとアイリスの顔には思いつめた表情が、フィービーには不安を持てあましてどうしていいのかわからない表情が浮かんでいる。


 アンは心底疲れていた。


「早く帰りたいわ。アイリス、どっちに行けば宮殿?」 


「アン、まだテイクアウトがあるわ」 


「あ――そうだった。美味しいお店をシャルロットに教わっていたんだったわ」



 実はヴェルサイユ。テイクアウトという概念がすでにある。

 しかも、驚くなかれ、王の食卓の余り物がテイクアウトになっている。


 余り物がテイクアウトに変身!


 国王の食卓にはふんだんに食事が並ぶのだが、当然食べきれない量が用意される。


 なぜ食べきれないか? それはマリー・アントワネットは小食だったからではなく、アントワネットがどれだけ食べても、ルイ十六世がどれだけ大食漢であっても、それ以上に作って出すから、必ず余るのだ。


 余り物は衛生上の問題で、即、廃棄処分……にはならない。 


 国王の食卓で残ったものは皆に分配。そこからさらに分配。そしてヴェルサイユの町でテイクアウトとして、「販売」されていたのだ。


 二十一世紀から来た身からすると、そんなシステムあり? 衛生管理は? と驚くが、余り物であっても国王・王妃と同じ食事を食べてみたいという気持ちは抑えられない。


「ここだわ、このお店よ」 アイリスはアンよりは興奮度合いがすくなく、道案内も的確だ。


「このチキンが、昨日の王様の食卓で出たやつだよ」 店の主人が愛想よく話しかけてくる。


「昨日ね? ならいいわ。三つくださいな」テキパキとアイリスが決める。


「あいよー。お嬢ちゃんたち、べっぴんさんだねえ」


 アンたちがまさか三十才をすぎているとは露知らず、若い子向けの褒め言葉を投げてくる。

でも今は、ハリウッド女優のサービス精神をもっても、付き合う気力はない。


 三人は美味しそうなチキンを買うのが精一杯。そしてすぐさま宮殿への帰途についた。宮殿までは大体一㎞ほど。歩いて十分帰れる。


 人通りはまだ多い。色々話したいことはあるが、ここで話すのはやめたほうがいい。聞かれていい話ではない。


―――アパルトマンに戻るまで、三人は無言で歩き続けた。 


 タイムスリップした人間は誰なのか? それぞれ頭の中で過去に会話した人間を当たりながら。



ヴェルサイユでは、本当に王室用の食事で食べ残しというのでしょうか「余り物」が下げ渡されて町で売られていたそうです。衛生管理はどうなんだ!!と聞きたくなりますよね? 


おっしゃる通り、腐りかけの肉なんかも売り出されていたようです。なので、ソースをかけてごまかしたりというアレンジ?もあったとか。もはやアレンジではなく、食品衛生法違反にしか思えませんが。今の世ならその店は、営業停止でしょう。


文中でアイリスが「昨日の?」と確認しているのはそのためです。一週間前のじゃお腹壊しそうですもんね。



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