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追憶・2

 唐突に視界が切り替わった。


 俺からはそう思えた。


 おそらく実際のところは、あれから幾分か経過している。


 目に映るのは診療所の天井で、耳に届くのは誰かのすすり泣く声。

 そちらの方を見ると、レクシーが横たわるセスの胸に顔をうずめ、泣いていた。


「……レクシー……」


 ローレンスがセスの血を舐めた瞬間から今までの記憶がない。

 忘却がないはずの俺の記憶が、失われている。


「ヨハン……」


 レクシーが顔を上げて俺を見た。泣き腫らした目で俺を見て、震える声で俺の名を呼んだ。


 俺もセスも、診療室の床に転がっていた。

 レクシーが中へと引きずり込んだのだろうか、床には引きずったような血痕が残っている。


 体を起こす。

 ミランダに傷つけられた肩口には簡易的な処置が施されていた。


「お前が処置してくれたのか?」


 そう聞きながら隣に横たわるセスの息を確かめる。

 セスにも同様の処置が施されていた。


「…………」


 息はあった。

 セスにとって良かったのか悪かったのかは分からないが、まだ生きている。


 なぜセスは生かされているのだろうか。


「どうして……シエルがいないの……」


 俺の質問には答えず、レクシーが弱弱しく言った。


「…………」


「うぅっ……」


 言葉を返さない俺の態度で察したのか、レクシーが再びセスの胸に顔を埋めて泣きじゃくった。

 それを直視するのが辛くて、俺は逃げるように立ち上がった。






 すぐに俺はセスの処置に取り掛かった。

 セスはそれを望んではいないのではないか、そう思う気持ちもどこかにはあった。


 だがきっとシエルはセスに生きて欲しいと願っているだろう。

 どっちにしろ俺にも、セスを治療しないという選択肢は選べない。


 一体何のためにローレンスは俺とセスにシエルが知り得た世界の真実を告げたのか。

 そうしておきながら、なぜ俺とセスを生かして帰したのか。


 生かされている意味とは何なのか。


 こうすることは、果たして正しいのか。


 答えは出ないまま、俺は無心でセスを治療した。






 俺たちは診療所の前で倒れていたらしい。

 それをレクシーが見つけて中に入れてくれたんだそうだ。

 さすがに女の手じゃ俺たちを中に引きずり込むだけが精一杯で、床に転がっていたのはそのためだった。


 あれから丸1日。

 目を覚ましたセスが何を語るのか聞く勇気がなくて、俺はセスを薬で眠らせ続けている。

 診療所は開けていない。とてもじゃないが、そんな心境にはなれなかった。


 レクシーは、1人で行こうとするシエルを引きとめている途中で記憶が途切れているのだと語った。

 目が覚めたらベッドに横たえられていて、枕元にはシエルが使っていた香水が置かれていた、と。


 自分はもう帰ってこない。でも俺のことは絶対に助ける。セスのことも助けたいと思っている。そう言っていたんだそうだ。


 シエルが俺の元に来てから2日足らず。

 ミハイルと邂逅してから俺たちがミランダに襲われるまでは、半日ほどしか経っていない。

 ミハイルを殺せれば死を回避できるかもしれないと、自分で自分を傷つけてまで夢に戻ろうとしたシエルが、そのわずかな時間でそこまでの覚悟を決めた。


 どんな気持ちでレクシーに"自分はもう帰ってこない"と告げて、どんな気持ちでローレンスと対面して、どんな気持ちで傷ついていくセスを見て、どんな気持ちで自分に刃を向けたのか。


 想像を絶するに余りある。


 

 あまりにも理不尽で、あまりにも哀れではなかろうか。



 もしこの命でシエルが助かるのなら、喜んで差し出してやりたいほどに。


 せめてあの時、シエルをもう一度ミハイルに会わせることができていたなら。

 毒という方法がだめだったのか、それとも他の要因があったのか。


 どちらにせよ、自分の提案した方法は彼女とセスをいたずらに苦しめただけだった。



 気が狂いそうだ。



 理不尽なこの世界と、自分自身への怒りで。

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