追憶・1
クルスの調べ。
それはアルディナに自死を禁じられた天族が自死を可能とするために、長年の研究を経て生み出された神術である。
神力に音を乗せることによって発動し、扉に触れている人間を肉体ごと消滅させるという性質を持つ。
自然に放出されていく神力に音を乗せるので、封力の首輪や呪術によって神力が封じられた状態でも使うことができ、なおかつ召喚術に分類されるので自死にはあたらず魂も滅せられない。
扉とは触媒に陣を刻印したものを指し、術の発動と同時に消滅する。
天族は死後、アルディナの側近、クルスが奏でる笛の音に導かれてアルディナの元へ還る、と言われていることからこの名がつけられたのだという。
禁忌を犯す術にクルスの名を使うなど皮肉としか思えないが、天族自身はクルスの調べに導かれていると捉えることで、自死の罪悪感を減らしているようだ。
しかし、"神力に音を乗せる"という極めて難しい発動手順が必要なことにより、この術を使える人間は天族の中でもわずかしかいない。
これが後に知り得た、クルスの調べの概要である。
「あーあ……まさかこんな結果になるなんて……リリスに怒られちゃうな」
深いため息とともに肩を落とし、ローレンスが言った。
この時の俺には、なぜセスが口笛を吹いただけでシエルが砂のように崩れて死んでいったのか理解できていなかった。
クルスの調べという術の存在は聞いたことがあったが、自死ができない天族が自分を殺すための術、というだけの知識で、発動に何が必要なのかも、どう発動させるのかも全く知らなかった。天族が自分を殺すための術のはずなのに、なぜシエルを殺すことができたのかも、扉とやらが何なのかも分かっていなかった。
この時点で分かっていたのは、"セスがシエルを殺した"という事実のみだ。
俺は戦慄した。
好いている女の命を、あの一瞬の判断で奪ったことに。
そりゃあ簡単じゃなかっただろう。苦渋の決断だったはずだ。そうしなければ俺たちのためにシエルが自分の命を絶っていたのも事実だ。
それが、天族が生まれながらに強いられている"自死の禁止"という強迫観念の心理から来るものなのか、それとも単にシエルは俺のものだという独占欲の心理から来るものなのかは分からない。
分からないが、そのための扉とやらをあらかじめシエルに渡しておいて、実際それでシエルを殺したなんて。
狂ってるとしか思えなかった。
「なんてことをしてくれたのかな、セス君。クルスの調べでシエルちゃんを殺しちゃうなんて。おまけにミランダまで」
ローレンスがセスの大腿部の裂傷を強く踏みつけた。
「ぐああぁっ……!」
「これでミハイルを失うことになったらどうしてくれるんだよ」
「ぅああああああぁぁっ!!」
尖った靴の先が、傷口に埋め込まれる。
溢れた血液がローレンスの黒いブーツを濡らしていく。
「やめろ!! もう殺してやってくれ!」
苦痛を与えるためだけの残虐な行為に見ているこちらが耐えられず、俺は叫んだ。
シエルが来るまでの間でも、セスはかなり痛めつけられている。それでもシエルを助けられるかもしれないという、わずかな可能性を信じてあいつは耐えていた。
それが失われた今、きっともうあいつの心は折れている。
シエルに自死をさせるという目的が果たされなかった以上、ローレンスに俺たちを助ける義理もない。ならば早く楽にしてやってほしい。
もちろんシエルの本意ではないだろうが、このまま腹いせで苦痛を与え続けられるのもまた本意ではないはずだ。
そう思うのは、俺も狂ってしまったからだろうか。
「そういうわけにはいかないんだよね」
しかし無慈悲にもローレンスはそう告げて、セスの血を指で掬い取って舐めた。




