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第273話 慟哭

「私が視なければ死ななかったであろう転生者は数多くいた。君だって、私が視なければここに呼び寄せられることはなかっただろう。でも私はそうと分かっていても転生者の監視をやめることはなかった。何故だか分かるかい?」


「…………」


 急に穏やかな笑みを浮かべてミハイルが聞く。


 だが私は答えることができなかった。

 恐怖で震えて、言葉がでなかった。


「すべては暇つぶしのためだ!」


「……っ」


 憎悪のこもった顔で、再び私を睨みつける。

 思わず私の足が後ずさった。


「2000年という気の遠くなるような時間、私はたった1人でここに在り続けた。誰も来ない。誰からも名を呼ばれない。誰も私を見ない。もう、私の側にいた2人の顔も思い出せない。もちろん、転生する前の記憶など、ほとんど忘れ去った。家族の顔も、友の顔も、何もかも! この絶望は君には分からないだろう!? 転生者をここから監視することしか、私にはやることがなかったんだ!!」


 あまりにも悲痛な叫びだった。涙は出ていないのに、泣いているようにさえ見える。


 私には到底分からないほどの絶望を、彼は負っている。転生者を監視することによってその人が世界から消されてしまうかもしれないと分かっていながらも、彼はそうせざるを得なかった。それほどまでに、この何もない空間は彼を狂わせたのだろう。誰であってもきっと同じことをしたはずだ。


「君が私の力に呼応した時、嬉しかった。君がここに来てくれれば、私はこの絶望を終わらせることができるかもしれない。来てほしい。殺してほしい。そう強く願い続けた結果、君を呼び寄せ、結界を突破させるに至った。なのに前回、寸での所で邪魔が入ってしまった。だが結界を突破してしまった以上、その時点でリリスには気取られている。リリスは精神体の君に直接干渉することはできないが、現実世界にいる君を消すための画策はしていることだろう。もう時間がない」


「…………」


「だからシエル、私を殺してくれ。そして、全員であの場所を離れるんだ。私の存在が消えればリリスは転生者を把握することができなくなる。あの場所から離れてしまえば、君の居場所を気取られることもない。君はこれからもセスと共に生きていけるんだ」


「僕が……貴方を殺す……?」


 言っていることは分かる。それがミハイルの救いになることも分かる。そうしなければ自分が消されるであろうことも分かる。

 しかし突然そんなことを言われ、はい分かりましたと人を殺せるような神経は正直持ち合わせていない。


「何を躊躇ためらうことがある? 私を殺せばみんなが幸せになれる。もちろん、私もだ。私を救ってくれ、シエル」


 そう言ってすべてを受け入れるかのように、ミハイルは両手を広げた。


「…………っ」


 体が震えている。

 フェリシアを殺した時は体が勝手に動いたが、あの時とは違う。自分の意思で、明確に目の前の人間を殺さなければならない。


「さぁ、時間がない。早く」


「…………」


 心臓が、これ以上ないほど煩く鳴っている。

 息が、苦しい。


「早く!」


「……う、うわあああああっ!!」


 急かす声に私は目をきつく閉じて手を突き出し、岩の槍で突き刺すイメージで術を放った。


「ダメだよシエル。精神体である今の君に元素は扱えない」


「…………」


 ミハイルが発した静かな声に目を開けると、先ほどと変わらないままの光景があった。

 両手を広げたミハイルが、悲しそうに微笑んでいる。


「でも一緒に持ってきたものがあるだろう? ほら、君の腰に」


「え……?」


 言われた通り手を腰に持っていくと、硬い感触が伝わってきた。

 いつも着けている2双の短剣だ。


「どうして……これが……」


 その内の1本を引き抜きながら無意識に呟く。

 夕食を食べ、みんなで飲んでいた時には着けていなかったはずだ。


「君がいつも身に付けているものは精神体になっても共にあるということさ」


 ミハイルのその言葉で左手を胸に当てると、硬い宝石の感触が服の上から伝わってきた。セスからもらったペンダントだ。確かに、これも肌身離さず身に付けている。

 私はそれを強く握りしめて右手で握った短剣を見つめた。


 これでミハイルを刺す。


 刃物で人を傷つける。殺す。


 この、ずしりと重い短剣で。


「シエル」


 それで刺せ、という意味の呼名。


「ま……待って……待ってください……。僕にはできな……」


「神術ではできるのにそれではできないとでも言うのか? 人を殺すということに何の変わりもないのに?」


「…………」


 鼓動が速い。息が苦しい。体が震えて、どうしようもない。


「ふざけたこと言ってないでやれよシエル! 早く俺を殺せ!! 殺せえええぇぇぇ!!」


「…………っ!!」


 憎悪に顔を歪めたミハイルの激しい慟哭に気圧されて、私は一歩を踏み出した。

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