第215話 結
「……でもね、シエル。君にはできないよ。何があっても君に俺を殺すことは、できない」
悲しそうに笑ってセスが言った。
その言葉と表情で私の思考は一気に現実へと戻される。
「できるよ。さっき話したでしょ? 僕はフェリシアを殺したんだ」
「そうだね。君はフェリシアを殺した。同じような状況になれば、他の人間も殺せるだろう」
あっさりと手の平を返してセスが言う。
一体何なんだ。あれだけ私は人を殺せないなんて言っておいて、矛盾しているにも程がある。
「じゃあ」
「だからだ」
言いかけた私の言葉を、セスは強い口調で遮った。
「だから君は俺を殺せない。君が人を殺せるのは、自分の命より大切なものを守る時だけだ。君には、君の命以上に大切なものはないだろうと思っていた。そうであって欲しいとも思っていた。でも……君にとって何よりも大切なのは俺なんだろう? その俺を、君が殺せるわけがない」
射抜くような強い視線だった。
怒っているともとれるような険しい表情。できるものなら是非やってくれと言っているかのようだ。
その強い視線に耐えられず、私はセスから目を逸らした。
「でもシエル、覚えておいて。俺は君を殺せるよ。君が俺の傍からいなくなるのなら、何の躊躇いもなく殺せる。誰の元へも行かせない」
その言葉で視線を戻すと、セスは再びあの妖艶な笑みを浮かべて私を見つめていた。
この笑みの前では何もかもすべて、何の意味もなさないんだと思い知らされているかのようだった。
まるで、悪戯が見つかってしまったのは私の方だと言わんばかりに。
「ずいぶんと手酷いお仕置きだね、セス」
「お痛が過ぎるとどうなるか、ちゃんと分かってもらわないとね」
狂ってしまえば、私はセスを殺せるのだろうか。
私だって、セスが私から離れていくのなら何の躊躇いもなく殺してしまいたいのに。
あぁ……どうしたら狂えるだろうか。
「君は俺に愛を請わないんだね。自分の愛を疑うなと言うばかりで、愛して欲しいとは言わない」
「…………」
唐突に告げられた言葉で思考を戻す。
確かに、そういう趣旨の言葉は口にしていなかったかもしれない。
でも。
「どうしようもなく欲しているよ。狂おしいほどに、僕を求めてほしいと思ってる」
「……そう」
私の返答に満足したかのように、セスはまた妖艶な笑みを見せた。
よくできました。そんな言葉が聞こえてくるような気がした。
「じゃあ1つ、君の目に見える愛をあげるよ」
そう言いながらセスは首元を緩め、黄色い宝石がついているネックレスを首から外した。以前それを見た時に、秘石と重なって綺麗な碧になっていたことを思い出す。
「これは?」
差し出されたそれを受け取りながら私は聞いた。
「俺の大事なものなんだ。だから肌身離さず着けていてほしい。誰にも見つからないよう、服の下に隠してね」
「…………」
求めていた答えとは違う。
が、聞き方を変えてもこれ以上の答えは返ってこない気がして、私は素直にネックレスを首から下げた。
「ありがとう。僕も何かあげたいけれど、何もあげられるものがないな……」
これが目に見える愛だと言うのなら、私だって目に見える愛をあげたい。
しかし自分が持っているものでそれに等しいものは何もなかった。
「じゃあ俺に名前をちょうだい」
「……えっ?」
あまりにも唐突に発せられた言葉は、理解しがたいものだった。
一瞬、考え込んでいたから理解できなかったのかと思ったけれど、ちゃんと考えを巡らせてみてもやはり理解できなかった。
「名前?」
「君の本当の名前。あるよね? 知りたいんだ」
「…………」
笑みを浮かべてセスが言う。
先程までの妖艶な笑みではなく、フワッとした柔らかい笑みだった。
本当の、名前。
シエルという器の名前ではなく、"私"の名前。
誰からも呼ばれなくなって久しいその名前。
教えたら、セスはその名を呼んでくれるのだろうか。
「……結」
「ユイ」
優しく心地いい声だった。
まるで大切なものを愛でるかような、そんな優しい顔と声で私の名前を呼んでいる。
「ありがとう。これは……俺だけの名前だ」
そうかと思えばそう言って不敵に笑う。
お前は俺のものだと言われているみたいで、一瞬で体が火照り、心臓が早鐘を打った。
「僕の国の言葉で、"結ぶ"という意味なんだよ」
私はそれを悟られないように、慌ててそんな取り留めもないことを口にした。
「……じゃあユイ、俺と君が離れられないようにちゃんと結んでおいて。君の名前で」
――――私はもう狂っているのだろうか。
狂気で結ばれた愛にさえ、喜びを感じてしまう。
それでセスを繋ぎ止められるなら、幾重にも巻き付けよう。
だからどうか、逃げないで。




