第178話 ゲート
私と女が驚きの表情を浮かべて何かが飛んできた方へと視線を向ける。
「セス……!」
茂みの奥にいたのはライムに跨ったセスだった。
弓を手にしている。きっと先ほどのあれはセスが放った矢だったのだろう。
セスは険しい表情で女を睨みながら弓を捨て剣を抜き、ライムの手綱を引いた。ライムが勢いよく助走をつけ、ジャンプして茂みを越える。
ライムの着地地点にいた女は、大きく後方に飛んで距離を離した。
セスはライムから降り、私とリッキーの方に行くように声をかけて女の前に立ちはだかった。
その姿に安堵感を覚え、私はこちらへと早足で歩いてきたライムの顔を撫でた。
「このようなことをされる覚えはないのだが、連れが何か失礼でも?」
感情を込めずにセスが女に言う。
こちらからはセスの背中しか見えないが、きっとあの氷のように冷たい表情を浮かべているに違いない。
「いいえ、特には。貴方があの坊やの連れなのね。これは厄介だわ」
厄介だわ、なんて言いながらも穏やかな笑みを崩さずに女が言った。
「ではなぜこのようなことを?」
「獣やモンスターよりも人間の方が餌に適しているの」
餌……? あの黒い獣の餌ということ?
この女は私をあの獣の餌にするつもりだったのか。
「森の奥に獣に喰われたような人間の死体があった。この森に人間を餌とする獣やモンスターはいない。お前だな?」
淡々とセスは言うが、その内容は恐ろしいものだった。
すでに餌にされた人間がいるというのか。この女の手によって。
「ええ、そうよ。でもあの人間より、エルフに天族、貴方たちの方がよっぽどおいしそうね」
「喰われてやるつもりはない」
穏やかに紡がれた女の言葉に、セスは冷たい声色で即答した。
「そうでしょうね。ここで貴方たちと戦ってもこちらが負けるだけでしょうから、舞台を移すことにするわ」
女の話が終わらないうちに一瞬で地面に青い魔法陣が描かれ、この場にいる全員が淡い光に包まれた。
「……っ!?」
かなりの広範囲に展開されている陣は、舞台を移すという女の言葉から考えるとおそらく転移陣だ。が、簡単に出られるほど小さくもない。ざっと見た感じでは直径50mくらいはある。
私やセスだけなら術が発動する前に走って出られるかもしれないが、馬車に繋がれたままのリッキーがいる。
「シエル、君だけでも陣から出ろ!!」
セスはそう叫びながら剣を構えて、地面を蹴った。女を倒すつもりのようだ。
それなのに、セスもリッキーもライムも陣の中に残して私にだけ逃げろというのか。
「いやだ!!」
私はそう叫び返してセスに加勢しようと、手を翳して力を込めた。
だが、女を足止めするつもりだった術は発動せずに、視界が暗転した。
リィンの転移術は一瞬で視界が切り替わったが、今回はそうではなかった。高いところから落ちているような感覚と共に、体の中を掻き回されているような酷い不快感が数秒続いた。それがあまりにも辛くて、きつく閉じた目を開くことができない。
突然衝撃もなく地面に足がつき、私はバランスを崩して盛大に転んだ。
が、その痛みよりも先ほどの不快感が残した余韻と、何かが体に纏わりついているような重苦しい威圧感が自分の感覚を支配している。
重い。体が重く、息苦しい。
顔を上げて周りを見ると、すぐ近くにライムと、馬車に繋がれたままのリッキーがいた。2頭とも若干落ち着きなくその場で足踏みをしている。
少し離れたところにはセスと女もいた。が、セスは膝をついて蹲っているように見える。そんなセスを先ほどと同じ穏やかな笑みを浮かべて、女が見つめていた。
転移された場所は、見渡す限りの草原だった。
しかも、今まで見たこともないような色合いの草原だ。
まず草が赤紫色をしている。空の色も同じような色で、どこかどんよりとした雰囲気が感じられた。
「……!」
不意に何かが地面を走ってくるような音がして視線を向けると、先ほどの森にもいたモンスターが私たちの方に向かってきていた。
急いで立ち上がり、かまいたちを放ってモンスターを倒す。
倒れたモンスターの近くにはセスが先ほど矢で射た、あの黒い獣の死体も転がっていた。
人間と動物とモンスターを対象とした転移陣だったということか。馬車も一緒に転移されたのは、リッキーの体がそれに触れていたからだろう。
「ようこそ、ルブラへ。来るのは初めてよね?」
女がまるで自分の家に招き入れたかのように言った。




