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プロローグ

「あの時、躊躇ためらわずに貴方を殺せばよかった」


 そう言いながら腰に帯びている短剣を引き抜いた。

 それは投げ出したくなるほどに重く、熱を全て奪われそうな程冷たい。


 一歩、二歩と踏み出した。

 地に足はついている。なのにどこか宙に浮いているような感覚がして、眩暈を覚えた。


「そこで躊躇ためらうのが、君という人間だ」


 目の前の人間が悲しげな笑みを浮かべて呟いた。

 どこか諦めているような言葉に、言い知れない怒りが湧き上がってくるのを感じる。

 目の前の人間に対してなのか、それができなかった自分に対してなのかは分からない。


 分からないが、今ならその怒りに任せてこの手を血で染められる気がした。


「もう躊躇ためらわない。僕には失うものなんて何もないのだから」


「そんなことはないだろう。君は"クルスの調べ"によって救われた。だから次は君が救ってくれ」


 歩を進めながら言う私を前にして、目の前の人間は自嘲気味な笑みを浮かべてそう返した。

 怖じ気づいて後ずさるでもなく、むしろ迎え入れるように両手を広げている。


 最初からこの人はそれを望んでいたのに、何故躊躇(ためら)ってしまったのだろうか。

 狂った世界で私は何故、狂いきれなかったのだろうか。


「そんなことをしても僕には何の得もない。でも、いいよ。救ってあげる。あまりにも哀れな貴方を」


 手が届く位置まで歩いてきた私を、その人はただ静かに見つめている。


「……ほら、そう考えると気持ちが軽くなるだろう?」


 そして柔らかく笑ってそう言った。


「ふざけないでよ。軽々しく人の命を奪えるほど、僕は狂っていない」


「狂ってしまえばよかったのに」


 怒りを含ませた私の言葉に、その人は嘲笑あざわらうかのようにフッと視線を外した。

 その言葉で一気に熱が上がる。


「簡単に言うな! それができたらこんなにも後悔の念に駆られていることはない!」


「……ぐ……ぅ……っ!」


 勢いに任せて持っていた短剣を目の前の人間に突き刺す。

 しかし肉を裂く鈍い感触と手を濡らす生温い液体の感触に、私はハッと我に返って短剣から手を離した。


 声も上げず崩れ落ちていくその人を前に、私の体も崩れ落ちそうになる。


「ああ……あああぁぁぁ……っ」


 湧き上がる慟哭どうこくの声を抑えることは叶わなかった。


「……ありがとう、シエル……」


「うわああああああああぁぁぁ!!」


 か弱い声を掻き消すように叫びながら、私は血濡れた手で耳を塞いだ。

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