#82 焼けつくもの
路肩に一台のピックアップ・トラックが停車していた。後輪のタイヤがパンクして力尽きておりしぼんだゴムがぐったりと地面に横たわっていた。その傍に女がひとり立っていてこちらに両手を振っていた。
先頭を走っていたアリサは後続に合図を送り停車した。半装軌車とトレーラーも停止する。銃架についている護衛の男が煙草を放り捨てて棹桿を引いた。大口径弾が薬室に装填されるがしゃんという音が風に混じって空気を震わせた。
アリサは二輪車から降りて散弾槍の負い革を肩にかけ女に歩み寄った。距離は二十か二十五メートル。雲ひとつない空から叩きつけられる陽光がアスファルトに砂や岩、人間に至るまでをじりじりと焼いていた。
ちょうど好かったよ。女は口を開いた。しわがれた声だった。サングラスで目元を隠していた。すまないが助けてくれないか。
どうしたの。
見てのとおりパンクさ。完全に動けなくなっちゃった。このままじゃ焼け死ぬよ。
私はスカベンジャーだよ。
手を貸してくれるならなんでもいいよ。謝礼は払うから。
待ってて。道具を取ってくる。
ありがとうね。
彼女はサングラスを外してウィンクしてみせた。片目が白く濁っており光を喪っていた。唇に傷がありそこだけがナイフで抉られたようにへこんでいた。
アリサは目を細めて女の顔を眺めてから隊長らの元に戻った。隊長が運転席の窓から身体を乗り出して云った。
なんだい立ち往生かい。
アリサは首を振った。――罠。数日前にあんたの顔見知りの隠れ奴隷商を襲ったのと同じ連中だよ。映像の中にあの人の顔があった。
隊長は女のほうを見てからアリサに向き直った。窓枠に乗せていた腕を車内に戻した。護衛の男は重機関銃のトリガー脇のハンドルを両手で握り背を曲げていつでも射撃できる姿勢をとった。
隊長は云った。……確かなのかい?
再生機は嘘をつかない。撹乱機で隠すことはできても捏造は無理だ。
スクランブラー? そんなもんがあるのかい勉強になるね。――正確な配置は?
洗い出す。いつでも応戦できるようにして。
アリサは半装軌車の助手席から顔を覗かせている少女に視線を向けた。お菓子の食べかすが口元についていた。彼女は話を聞いていたことを示すようにうなずいてみせた。アリサも首肯して云った。
ごめんトフィー、お願いできる?
もちろんよ。少女は笑顔で答える。――お役に立てて嬉しいわ。
トフィーが胸元のペンダントに両手をかざす。はめ込まれた紺碧の魔鉱石。術式と共に石と同じ色をした光の奔流が太陽光にも劣らない眩しさで視界を焼いた。閃光は一瞬だった。
アリサは目を開けた。同じく光から顔をそむけていた女の周囲、――岩陰、看板の裏、パンクしたトラックの後方、打ち捨てられた装甲車輌の死角に至るまで、――八人ばかりが手製のパイプ・ガンを握って隠れている姿が映像として重なって映し出された。まるで突如として錆びた塗装に発光塗料で描かれた人型の模様のように。全員がはっと顔を上げて互いの身体の浮き上がった輪郭を見交わす様子までが手に取るように分かった。
アリサの横で隊長が口笛を吹いた。護衛の男も目を見張って呟く。……お嬢ちゃんが訳ありの理由がこれで分かったよ。
アリサは呆然としている女の前に改めて歩み出て云った。
――見ての通りだよ。バレバレ。武器をこっちに寄越してもらえば見逃すから穏便に済ませられないかな。云っとくけど相手が私以外のスカベンジャーだったらこうはいかない。今ごろ皆殺しになってあいつらの餌にされてる。
アリサは散弾槍を構えたまま顎先を動かして上空を指してみせた。女もつられて見上げた。喉仏が上下した。視線をこちらに戻したときその瞳に宿っていたのはこれまでアリサが何千回と目にしてきた冷たい炎だった。ひとの心を芯まで焼き焦がす灯。魔鉱兵器と並んでかつて世界を覆い尽くした焔。
ちくしょうめ、と女は呟く。隠れている連中に向かって武器を棄てるよう叫ぶ。何人かが物陰の外に銃器を放り出す。両手を挙げて立ち上がり姿を顕わにする。次の瞬間その腕は引きちぎられ中空を舞う。まるで内側の肉や骨が沸騰して爆発したかのように。遅れて頭が熟れた果物か何かのように弾け散る。骨片と脳漿まじりの血煙が青空を鮮やかに彩り刹那の模様を描く。
背後からの銃声に振り返る間もなくアリサは道の脇の窪みに飛び込んだ。受け身がうまくいかずに頭を打った。額から流れ出る血を拭うこともせずトレーラーのほうをかえりみると護衛の男が重機関銃をフルオートで掃射しているところだった。大口径弾は車輌や看板の薄っぺらい金属板を易々と貫通して遮蔽の裏にいる賊どもの内臓を背骨や肋骨ごと吹き飛ばした。広告には五十キロ先のダイナーの人気メニューである特産ステーキを宣伝する文言が踊っていた。看板が穴だらけになり判読不能になるころには隠れて頭を抱えていた男女がまとめて禿鷲のための特製ランチに成り果てていた。
機関銃が唸りを止めた。弾切れか。それともオーバーヒートか。アリサは身を起こそうとしたがすぐ目の前のアスファルトを銃弾が穿つのが見えふたたび顔を伏せた。岩陰に隠れていた男が一人だけ生き残っていた。訳のわからないことを喚きながらこちらを道連れにしようとめちゃくちゃに撃ちまくっている。アリサは身を伏せたまま降参しろと再度呼びかけたが聞き入れられるはずもなかった。
耳慣れた甲高い音がした。スヴェトナが半装軌車から身を乗り出してライフルを構えているところだった。術式を唱えるために唇を動かしているのが見えた。銃身が青白く光り輝き少女の藤色の髪や瞳を晴天の色に染め上げていた。
発射された魔鉱弾はそれまで彼女が使用してきた火焔の弾丸とは速度がまったく違った。アリサは瞬きさえ挟んでいないはずだったが次の瞬間には弾丸は岩を貫通して男の身体を天高くに舞い上げていた。まるで何も遮蔽物がなかったかのように。白い粒状の軌跡を残しながら弾丸は視界から消え失せた。光跡は放物線を描いておらず真っ直ぐ中空を横切っていた。地平線の向こうまで射程があるのではないかと思われた。軌跡が完全に消え去るのと同じタイミングで人間だった物体が地面に叩きつけられ血や臓物の一切合切が砂の上にぶちまけられた。
動くものはなかった。相手が殲滅されたのを確かめるとアリサは地面に仰向けになって息を整えた。トフィーがトラックから飛び降りてこちらに駆けてくるのが見えた。スヴェトナも片足をかばいながらやってくる。
――アリサ、ねえ、怪我はない?
トフィーがのし掛かってきて身体のあちこちをぺたぺた触ってくるのでアリサは手首をつかんで止めさせた。溜め息をついて微笑みを浮かべようと努力した。
大丈夫。平気だよ。
ほんとう? 頭から血が出てる。
撃たれたわけじゃない。これで済んだのが幸運だった。
まったくだ。スヴェトナが手を貸しながら云う。最後のは危なかった。あいつの持ってた銃が粗悪品でなければ命中して今頃は地面をのたうち回っていたかもしれないんだぞ。
ありがとう。助かった。
従者の少女は眉間にしわを寄せる。いや、……まだまだ遅い。遅すぎた。お前が撃ちかけられる前に素早く反応すべきだったんだ。まさかいきなり隊長さんの連れがぶっ放すとは思わなくてな。
そうよ。あんまりだわ。トフィーがうなずいて同意する。そして原型を留めていない死体の溜まりに目を向ける。……あの人たち降参しかけてたのに。
死体の周りには戦闘が終わったことを確認した禿鷲たちが舞い降り始めていた。まだ息のある者がいないか軍用ショットガンを構えて遺体を検分していた護衛の男が眉をひそめて後ずさるのが見えた。それから隊長と合流して何事か話し合ったあとこちらに歩いてきた。
隊長がアリサの全身を観察してから云う。――大した怪我はないみたいだね。安心したよ。報酬の上乗せが必要だね。
アリサは顔を伏せた。私は一発も撃ってない。お礼ならスヴェトナに云ってよ。
そうそれだ。驚いたよ。なんだいあの威力。岩をプティングか何かみたいに貫通するなんて。特注品か?
ああ。スヴェトナはライフルの飾り彫りに視線を落とす。大事な形見だ。
そっちのお嬢ちゃんの魔鉱石も凄かった。一瞬で敵を丸裸にしちまった。
トフィーはそれには答えずに隊長と男を睨み返した。――わたしはあの人たちに隠れても無駄だって教えるために使ったのよ。それをいきなり撃つなんて酷いわ。見てよあれ。わたしのお母さんが作ってくれたハンバーグだってあそこまでぐちゃぐちゃじゃなかった。
トフィーに指さされた護衛の男は顎髭に当てていた指を頭の後ろに動かした。そして遅くまで起きている子どもをあやしつけるかのような口調で云った。
――……ああするのが正解なんだ。あの場ではな。降参したと見せかけて背中を撃ってくる手合いにこれまで何度遭遇したか数える気にもならんよ。俺が駆け出しの時分はそれで同僚を何人も失くした。お嬢ちゃんにもいずれ分かるよ。甘さの代償はいつか必ず跳ね返ってくるってな。
隊長がうなずいて後を引き継ぐ。私もあるいは他の場所なら見逃したかもしれないね。だがこの辺り一帯はそんな半端な覚悟は通用しないんだ。分かっておくれ。
ホプキンスが会話に加わる。だが話くらいは聞いておきたかった。番組で共有できる有用な情報が聞けたかもしれん。
起きちまったことは仕方ねえだろ。こっちが連中の晩飯になってたかもしれないんだ。
護衛の男はそう吐き捨てると背を向けてトレーラーに戻った。機関銃を点検するため銃架によじ登る。隊長も車輌に向かった。スヴェトナは医薬品を取りに戻った。
アリサは禿鷲どもの方へと歩いた。最初に話しかけてきた女の姿はなかった。というよりも判別ができなかった。死体の位置からおおよその推定ができるくらいだ。再生機を取り出してダイヤルをいじり映像を出力する。新緑色の光で投影された生前の彼女たちが浮かび上がる。口論している。
――ここでやらなきゃ死ぬだけだよ。
だから云ったんだ商人を襲うべきじゃねぇって。殺しが専門の屍肉漁りが雇われて俺たちの後を一生追ってくる。そんなリスクを冒したのに収穫はゼロ。痩せた奴隷じゃ捌くこともできねえ。何て報告するんだ?
殺人専門のスカベンジャー? 別の女が鼻で嗤って云った。噂話を真に受けるんじゃないよ。負けた賭け金を取り返せばいいだけじゃないのさ。
俺はごめんだぞ。
じゃあ逃げるのかい。どっちにしろ死ぬんだ。次ここを通りかかった奴をなんとしても仕留めるんだよ。上手くいくって。
せめて場所を替えて――。
燃料も食料もないのに? おまけにパンクしちまった車で? 寝ぼけたこと云ってんじゃないよ。やらなきゃいけないんだ。
分かったよ……。男はほとんど泣きそうな声になっていた。なんでこんなことに。
しっかりしろ。別の男が励ます。農場には戻りたくないんだろ?
ああ。それなら死んだほうがマシだ。
決まりだね。最初の女が云う。しくじるんじゃないよ。
アリサは映像を止めた。トフィーが両手で顔を覆った。――やっぱり撃つべきじゃなかったんだわ。
ホプキンスが首を振る。そうはいかんよ。互いに相手のことを何も知らなかったんだ。私たちだって彼ら全員を養えるだけの食料も水も持ってないんだから。
でも……。
さあ車に戻りなさいお嬢さん。暑くなってきた。養生しないとまた倒れるぞ。
トフィーはとぼとぼと歩いていった。アリサは無言で見送った。ホプキンスが禿鷲の食事風景を見ながら云った。
もっとああした方が好かったと考えているのかね。
…………いつだってそう想って生きてますよ。
私も同じだ。もっと賢い生き方ができたのではないかと振り返ってばかりだ。でもそれでは前に進めない。
アリサは老いた男の背中を見ていた。戦時中の若い姿を考えると彼は見た目ほどは年齢を重ねてはいないはずだった。それから振り返り隊長と護衛の男がこちらを見ていないことを確かめてから低い声で云った。
――賢い生き方……。
ああ。
強制労働所の監督以外ということですか。
ホプキンスは振り返らなかった。沈黙していた。禿鷲が遺骸の肉と骨にツルハシを突き立てる音に耳を澄ませていた。アリサも黙っていた。やがて男は口を開いた。
…………どこで知ったんだね。
先の交易所。
なるほど。
それで答えは。
肯定も否定もできんよ。
どういう。
そういう戦争だったんだ。
それで片付けてしまっていいんですか。
分かっている。フェアではない。だが本当にそうとしか云えないのだよ。
…………。
そう。まったくフェアではない。不誠実だと思うよ。
前に仰いましたね。喪失があるからこそ人間は強くなれるんだって。
ああ。
あなたの命令で殺された人びとは強くなる機会さえ与えられなかった。
そうだ。
私も、――私の父さんもあんたの番組の大ファンだった。
伊達に収容所を運営していないからね。話すのは得意だ。勉強もたくさんした。本当にね。全身全霊を捧げたんだ。
アリサは押し黙った。
ホプキンスは空を見上げて云う。――で、オリーヴに突き出すかね。
オリーヴ。
隊長さんにだ。それで君の気が済むのなら抵抗はしない。
アリサは首を振った。
そうか。それなら好いんだ。がっかりさせてしまってすまないね。
本当にすまない、とミスター・ホプキンスは繰り返した。
禿鷲が翼を広げて飛び立った。
焼けつくような地上から離脱していった。
□
アリサは喰われた後の死体を埋葬しようとしたが今回ばかりは止められた。隊長はもちろんスヴェトナからも。この一帯は一日たりとも長居しないほうがいいと二人は口を揃えて云った。遺体は道の脇に無造作に重ねられることになった。そうして彼女らは数十年前に喪われ今も野ざらしになっている膨大な命の仲間入りを果たした。アリサはスヴェトナに額の傷の手当をしてもらったあと二輪車にまたがり絆創膏を指でなぞった。羽虫に覆われはじめた路傍の物体を眺めた。そして暑気を浴びてなお冷ややかに沈黙している散弾槍に視線を落とした。最後に空を見上げた。
アリサは一人も殺さなかったし一発の弾丸も撃たなかった。
今回ばかりは。
なのに上空を旋回する禿鷲の影を数えてしまっている自分がいた。




