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くず鉄拾いのアリサ  作者: かべるね
ハイウェイ(約44,900字)
86/91

#79 聖域

 食事を終えて暗くなり暑さが弱まるのを待ってから一行は牧場跡を出発した。隊長が予測したとおり夜道は明るかった。雲ひとつない夜空に月は太陽の幼子のように邦間道路に光を届けていた。アスファルトから放たれる熱気が揺らめいて遠くの景色をかすかに沈めていた。小石を踏んづけてがたんとうなる二輪車をあやしながらアリサは昼間よりも速度を落として東へ進み続けた。


 線路の路肩に浅く掘られたくぼみがありそこに三十人から四十人分はあろうかという遺骨が散らばっていた。年月が経ち砂塵にさらされ月明かりが淡く照らし出す中でも骨の白さはゴーグル越しの視界に焼きつくようだった。スキー用の青いリュックサックや銃撃で割れた赤いスーツケースが(むくろ)のよどみに色を添えている。供えられた花の代わりに。あるいは墓標代わりに。


 アリサ。半装軌車(ハーフ・トラック)からスヴェトナが通信で話しかけてきた。聞こえてるか。

 どうしたの。

 あの死体だまり、見覚えがあるんだが。

 何度か通ってるからね。

 ずっと放置されてるのか。

 私が覚えてる限りは。

 なんて可哀想。トフィーが割り込む。誰も弔ってあげないのね。


 アリサはゴーグルを外して上空を見た。禿鷲どもは今日もぴったり後にくっついてこちらを見下ろしていた。また数が増えているように思えたが数えることはしなかった。それから視線を前に戻して云った。


 目印になるんだよ。このあたり特に何もないから。

 嫌でも目につくのは確かだな。

 スヴェトナならきっと懐かしいはず。

 なんでだ。

 私たちが初めて会った場所の近くだ。

 ああ……。

 どんなところ、とトフィー。

 アリサは云った。いつもと同じ。死体と埃とゴミだらけだよ。私たちが逢うまではね。


   □


 ツェベック老紳士が遺したモーテルはしばらく見ないあいだに前哨拠点(アウトポスト)らしきものへと姿を変えていた。管理棟や客室の建物はそのままに鉄条網が敷地を取り囲み四つの監視塔が対角線上にそびえ立っていた。道は廃タイヤや車輛の残骸をバリケードにして幅が車一台分に狭められている。かつてアリサとスヴェトナが返り討ちにしたツェベックの元従業員らが乗っていた丸焦げのトラックも有効活用されていた。

 アリサはスピードを落としてトレーラーと併走し隊長に話しかけた。

 前までは無人だったんだ。

 私もこの辺りは久しぶりだ。いつの間にこんな拠点をこしらえたんだか。

 引き返すの?

 いや手遅れだ。場合によっては払うものを払ってさっさと通り抜けよう。


 急いでおさらばしたほうがいいだろう。ミスター・ホプキンスが割り込んだ。ここは嫌な感じがする。

 大ファンであるラジオのパーソナリティの眼を見ながらアリサは訊ねる。

 何かご存知なのですか?

 いや。――とにかく物々しい雰囲気だ。私が訴えかけても奴らの心を動かすことはできそうにない。

 ホプキンスさんの弁舌をもってしてもですか……。

 護衛の男が鼻で嗤った。――むしろ逆効果だろ。大先生のご高説に苛立って一斉にぶっ放してくるかもしれん。


 アリサは男を睨んだが何も云わずに前に向き直った。散弾槍を肩に担ぎ二輪車は駆動状態のまま手で押して歩いた。スヴェトナに合図を送りトフィーを座席の下に伏せさせてから腰に提げたマチェットの柄を何度か握って感触を確かめた。


 ――止まれ。おい。

 歩哨に立っていた男が歩み出て云った。思っていたよりも若い声だった。色褪せたカーキ色の軍服にグレードの低いヘルメットを被っていた。その下にある顔は幼かった。まだ二十にも達していないように思われた。格好は軍人だが懸垂のひとつも出来なさそうなほどに痩せていた。


 若い軍人は声を張りあげて続けた。今にも裏返りそうな声音だった。

 積み荷を検めさせてもらう。いいか。そのハーフ・トラックとトレーラー両方だ。抵抗しなければすぐ終わる。――いいか? 俺の云ってることは分かるか。


 隊長が煙草の煙を吐き出して云った。――そんな身構えなくても何もしやしないよ。好きなだけ見とってくれ。

 よし。大人しくしてろよ。

 別の若い兵士が二人ほど前に出てきて荷台の点検を始めようと車輌の横に回り込んだ。そのとき火を焚いたドラム缶を囲んで談笑していた下士官らしき男が振り返ってこちらを見た。アリサの姿を認めると厚い瞼が大義そうに持ち上がり口髭のたくわえた顔をほころばせた。


 ――これはこれは、と彼は云った。いつかの屍肉喰らい、――いやスカベンジャー殿じゃないか。

 アリサは青い眼を開いて男の姿を凝視した。

 前にここで会った。

 覚えていてくれて嬉しい。

 新兵の訓練をしていた……。

 今でもそうだ。あれからこいつらも少しは経験を得て今の時代にふさわしい兵士になりつつある。――おい荷の確認は必要ない。忘れたか。お前らに快適なベッドをこしらえてくれたあの子だよ。


 兵士らが集まってきてアリサを取り囲み口々に礼を述べた。隊長ら以上にスヴェトナとトフィーのほうが驚いたように口を開けてその光景を見ていた。

 後になってトフィーは云った。だってほんとうに驚いたのよ。アリサがあんなに多くの人に歓迎されてるのって初めて見たから。いつもなら睨まれるか無視されるか唾を吐き捨てられてたのに!


   □


 下士官らしき男は清掃されたモーテル跡のことを上に報告し資材を運んで拠点に作り変えるよう命令を受けていた。彼の連れている新兵たちは廃材のひとつも持てないのではないかと思われるほど痩身だが目つきも立ち振る舞いも以前とは違っていた。注意しないと分からないくらいに微かに。(ひな)が羽根を生えそろえさせてきたかのように。アリサは歩哨に立つ彼らの戦前の銃を横目で見た。古びながらも目的を果たすには充分なほど手入れされていた。下士官らしき男が云うには今の兵士に必要なのは体力ではないのだという。いざというときにきちんと動作するよう銃のメンテナンスを欠かさないこと。そしてためらいなく引き金を引けるよう訓練しておくこと。誰に対しても。


 キャラバンの隊長と軍人が情報を交換しているあいだアリサはスヴェトナのほうを見た。彼女は藤色の眼を細めて管理棟のほうを見ていた。無表情だった。そこはかつての主人が撃ち殺された場所だった。彼を殺した元従業員は云っていた。人が変わっても犯した罪は変わらない。下士官が連れてきた兵士たちはあの場所に遺った血痕もきれいに拭ってしまったのだろうかとアリサは考えた。

 一方のトフィーはまるで新しく我が家に迎えられたペットのように若い兵士たちに話しかけられたり食糧の缶詰を与えられたり焚き火のそばの特等席をあてがわれたりしていた。乾パンとチリコンカンを詰めこんでハムスターのように膨らんだ彼女の頬を指さして兵士たちは笑っていた。あるいは故郷に置いてきた妹や幼馴染のことを思い出しているのかもしれないとアリサは想った。


 休憩が終わり若い兵士たちは散開していった。その全員がトフィーの柔らかい手に握手した。誰もが力加減を迷っているのが見て取れた。最初にアリサたちを制止した歩哨の青年は仲間たちからどやされるまで握っていた。そして何度も振り返っては手を振りながら持ち場に戻っていくのだった。トフィーはそのあいだずっと笑顔だった。

 アリサたちと下士官らしき軍人のみが灯を囲んでいた。男は訊ねた。

 ――詮索するわけじゃないんだが。もう一人は降りてこないのか?

 隊長が答える。中で休んでる。高齢の客人でね。日中の暑気にあてられた。

 ああ今日は格別にひどかった。

 何か用事かい。

 用というほどのことじゃない。軍人はガンオイルで汚れた指で口髭(くちひげ)をこすりながら云った。さっき通りがかったとき窓の隙間から横顔が見えた。どこかで見たことがある。

 そうかい。

 ――有名人だからじゃない?


 トフィーが口を挟んでホプキンスの名前とラジオ番組のタイトルを挙げてみせた。次にアリサがあの人の大ファンなのと付け加えた。スヴェトナが慌てて少女を立ち上がらせて半装軌車(ハーフ・トラック)の脇に連れていった。トフィーが文句を云った。何するのスヴェトナ。――ばかお前。連れの情報をぺらぺら喋ったら信用を無くしちまうだろ。――わたしは気にしないわ。――アリサが気にするんだよ。迷惑をかけたいのか。――それは……。――後で謝っとくんだぞ。


 二人の会話は丸聞こえであり隊長も軍人も苦笑していた。隊長の護衛である男もナイフで木彫り細工を作りながら口の端を曲げていた。アリサは何も云えずにうつむいて首を振るしかなかった。

 軍人はアリサに向き直って云った。

 ……まったく不思議な子だな。戦前の農村を描いた絵画から何かの間違いで飛び出してきたのか。

 あの子は、――ちょっと訳ありで。

 赤子以外に事情のない奴なんていないさ。特に破滅の時代を生き残ったような手合いはな。私もそうだ。隊長さんも。護衛も。――お前の大ファンであるミスター・ホプキンス大先生も。

 昔に会ったの?

 人違いかもしれん。だが会ったとしたら戦中だ。ここのところ記憶が途切れがちでいかんな。

 戦中……。


 アリサは軍人の男を見返した。自身の老いた頭のことを茶化していたが目は笑っていなかった。あるいは人違いどころかあまりにも鮮明に覚えているのに口には出さないだけなのかもしれない。それは分からない。再生機でも人の心の中までのぞき込むことはできない。魔鉱石は世界を焼いた。文明のことごとくを滅ぼした。その力をもってしても人間の心はこの世に遺された最期にして無限の聖域だった。


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