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くず鉄拾いのアリサ  作者: かべるね
ハイウェイ(約44,900字)
85/91

#78 河川の底、屋根の下

 干からびた川筋が道の脇に延々と走っていた。外輪船の時代には多くの人と物資が行き交い戦時中には避難民の命を幾許(いくばく)か繋ぎとめた川だった。大量の死体と病原菌を下流に運んだ媒介者でもあった。今は一滴の水も流れてはいない。役目を果たしたかのように。

 川床を歩くと流された人の骨が次々に見つかった。男はまだ柔らかさを抱いている砂を一つかみして持ち上げた。指の間からさらさらとこぼれ落ちていった。砂が落ち切って(あらわ)れたのは小さな骨の欠片だった。喉仏のように見えた。浅黒い傷だらけの手のひらに骨の白さが目に焼きついた。


 ――何か見つけたの?

 銀髪の少女が話しかけてきた。くず鉄拾いのアリサと共に旅をしている得たいの知れない女の子だった。彼女もまた川床に降りていた。アリサは上の道からこちらのようすをじっと観察していた。紅い外套の下に手を隠していた。

 男はキャラバンの隊長に視線を移した。トレーラーの屋根に座り重機関銃の回転銃架の作動を確認している。

 彼は少女に向いて云った。……何も。骨と砂とばかりさ。お嬢ちゃんは?

 これ見て。

 差し出されたのは貝殻だった。それもこの辺りのものとは思えないほど大きく渦を巻くような形をしていた。それは樹皮や岩肌や魚の(うろこ)と同じくかつての世界の面影を偲ばせる地図の断片だった。千々に破れて繋ぎ合わせ方も分からない無数の紙切れ。


 男は口角を上げた。――掘り出し物だな。

 おじさん善い人ね。

 なんだと。

 凄んでるけどほんとは善い人なんでしょ。

 男は答えずに煙草を取り出したが少女の顔を見てパックに戻した。

 ……善人は護衛の仕事なんぞやらんさ。銃の代わりに鍬を握って農場でも耕してる。

 アリサだって物騒な大砲を持ってるけど善い人よ。やむを得ず人を殺すことだってあるけど素敵な人。

 あまり人を殺すなんて単語を出さないほうがいい。可愛いのに台無しだ。

 おじさんにも家族はいるの。

 いたさ。戦争前。娘がね。

 今はどうしてるの。

 死んだよ。

 どうして?

 飲み水がなくなったんだ。苦しい死に方をさせてしまった。

 生きていたらわたしと同じくらい?

 話を聞いてたか。戦争前のことだ。存命なら今ごろは伯爵夫人にでもなって社交界の話題をかっさらっていただろうよ。

 少女は謎めいた笑みを浮かべた。

 伯爵夫人? ――おじさんって貴族だったの?

 物の喩えに決まってるだろ。

 そうよね。


 少女は笑って巻き貝の表面を真っ白な指でなでた。男はまるで幻獣の(ひづめ)を眺めるかのようにその指に魅入った。この世界でいったいどのような生まれ育ちをしていれば白磁のような肌を保てるのか不思議でならなかった。


 少女はつぶやいた。……ねえおじさん。

 なんだ。

 善い人なら約束してほしいの。

 善人じゃない。なんだ。

 約束して。二度とアリサを屍肉喰らいなんて呼び方をしないって。とても哀しそうな顔をするから。


 男は今もこちらを見張っているくず鉄拾いの少女を横目で見た。それから銀髪の少女に向き直った。

 ……お嬢ちゃんはあの子の妹か?

 ちがうわ。――でも家族と同じくらいに大事な人。

 忠告しておくがスカベンジャーとつるんでもロクなことにならんぞ。

 約束して。

 …………分かった。わかったよ。

 やっぱり善い人だわ。


 少女は微笑んだ。休憩が終わり川床からハイウェイへと登っていく少女の背中を男は見ていた。それから川床に敷き詰められた柔らかい砂を手でもう一度すくった。だが鼻を鳴らして砂を捨てるとショットガンを担ぎ直して歩き出した。


   ◆


 道中はひどい猛暑だった。オーデルの平原を砲弾孔の一つたりとも逃さずに照りつける陽射しは舗装道路を熱したフライパンに変えていた。スヴェトナは半装軌車(ハーフ・トラック)のハンドルを握り直して前方を睨みつけた。額から鼻筋へと流れ落ちる汗を給仕服の袖口で拭いた。燃料節約のためにエアコンは切ってあった。

 アリサみたいにゴーグルかサングラスを用意すべきだったなと助手席に座るトフィーに声をかけた。返事はなかった。少女は真っ赤な顔をして席にへたり込んでいた。スヴェトナは水を手渡すとクラクションを鳴らして前方を走るアリサに合図を送った。一行は停止した。アリサが二輪車から降りてトフィーの容態を確認したあとトレーラーに近づき隊長と話し合った。


 隊長は手ぬぐいで汗を拭いて云った。――仕方ないよ。昔ながらのやり方に戻ろう。

 危険じゃないかな。

 今夜なら月明かりも充分だ。それに私も限界さ。無理をすることはない。

 分かった。


   □


 叩き割られた家畜の骨が焚火跡の周りに投げ棄てられていた。底に穴が空いた鍋がありその中にも割られた骨が入っていた。スヴェトナは骨を拾い上げて断面を観察した。

 キャラバン隊長の女性が後ろから声をかけてきた。好い出汁がとれたのだろうね。

 調理中に穴が空いたのなら災難だな。

 ああ。――鍋一杯の水も台無しだ。私なら発狂してる。

 それでここは?

 隊長は腰に手を当てて周りを見た。

 私の生家、だったところさ。


 牧場は風化した屠殺場に成り果てていた。ところどころに屹立する杭とよじれた有刺鉄線だけがこの土地にもかつて名前が付けられていたことを示していた。

 牧場の外れには丘をくり抜いて造られた蔵があり朽ちた木製のドアが地面に転がっていた。中には蓋を割られた(たる)が詰め込まれていた。かすかな芳香が鼻をついた。


 隊長はスヴェトナの隣に立って云った。

 昔はここにシエスコを保管していたんだ。近くの農園で叔父が果樹と酒造を営んでた。毎年シーズンになると酒造りに勤しんだもんだよ。一族総出でね。

 みんな死んだのか。

 その直截な物云いは将来命取りになるよ。

 悪いね口が悪くて。

 目つきはもっと悪い。

 放っといてくれ。

 隊長は腐った樽の縁に手を触れた。…………ご推察のとおりさ。両親も兄弟も親戚もみんな逝っちまったよ。育てた家畜を載せるための貨車に今度は自分たちが載せられてね。限界まで詰め込まれて地平線の向こうに往っちまった。死に顔も見てない。

 隊長さんはよく助かったな。

 いろいろあったのさ。――さぁ、おチビちゃんの様子を診てやろう。 


   □


 トフィーをソファに寝かせて汗を拭いてやった。塩を溶かした水も飲ませた。そのあいだくず鉄拾いの少女は部屋を歩き回り何かできることはないかと訊ねてきた。隊長とスヴェトナが口を揃えて今はないと伝えるとアリサは膝を畳んで丸くなった。

 トフィーが顔を歪めた。笑顔を浮かべようとしていた。……心配性ねアリサは。

 他人事みたいに云わないでよ。アリサは呟いた。無理しないで早めに伝えてくれたら好かったんだ。

 ごめんなさい。迷惑かけちゃって。

 スヴェトナは云った。てっきりお前は暑さに強いと思ってたんだがな。

 どうして?

 湯たんぽみたいに体温が高いから。

 人を何だと思ってんのよ。

 動く抱き枕?

 ぶっ飛ばすわよ。

 それくらい元気なら大丈夫だな。


 隊長がホプキンスに向き直る。

 ……というわけだ先生。少し危険だが夜間に出発する。身体を休めておいてくれ。

 構わんよ。私もうんざりしていたところだ。水はあるかね。


 二人と護衛の男が去るとスヴェトナはアリサに目を向けた。まるでジャングルに生息する小動物のように部屋をあちこち見回して落ち着かなげに身じろぎしていた。水の入った洗面器とタオルを差し出してスヴェトナは云った。

 ……そんなに何かしたいなら交代してくれ。私は夕食をこしらえるから。

 わ、――わかった。

 ねえスヴェトナ。

 なんだトフィー。

 ホワイトシチューがいいな。

 お前ほんとうは元気だろ。

 ちがうわ。空腹でクタクタよ。あなたの手料理がないと今にも枯れちゃいそう。

 昨日あんだけ食ったのにか?

 思い出すだけでお腹が鳴るくらいに美味しかったってことよ。

 よく口の回る……。

 私からも頼むよ。アリサが云った。まるで瀕死の床に就いたペットの看病でもするかのように少女の汗を拭いながら。たまには贅沢も必要だよ。前金も入ったし。

 やったわ、とトフィー。スヴェトナは立ち上がりながら爪で頬を掻いた。――お気楽なもんだなまったく。

 休める時に休んでおかないとね。

 それもお父上の教えか?

 アリサは無言でうなずいた。


   □


 別室に設けられた厨房に入ったスヴェトナは立ち止まって呟いた。おっと。

 そんなに意外かい。

 キャラバンの隊長は調理用ナイフを手に持ち家庭用エプロンを身につけていた。色落ちしていたが花柄だった。今にも洗剤の匂いが漂いそうな戦前の名残を遺した衣服。

 スヴェトナは云った。……意外というか面喰らった。落差に。

 これでも戦争が起きるまでは同じエプロンを着て今みたいに台所に立ってたんだよ。母を手伝ってね。家畜の肉やミルク、採れたての野菜を使ってシチューを作ってた。

 それに似たものは作れないか。うちのお姫様が所望してるんだ。

 あいよ。


 隊長が芋の皮についた泥を落としているあいだスヴェトナは火を熾してミルクを温めた。ガスはまだ使用可能だった。隊長がセーフハウスとして時折り生家を利用しているのだという。

 芋を洗いながら彼女は云った。詮索するつもりはないがあんな子は初めて見たよ。

 訳ありなんだ。誰だってそうだろ。

 お姫様のことじゃないよ。

 アリサ?

 ああ。――スカベンジャーなのにそれを感じさせない。まるで旅行作家みたいにあちこちに目を向けてる。私らには見えない何かを子猫みたいに必死に探してる。

 そんなに珍しいのか。私はアリサ以外のスカベンジャーにはほんの数人しか会ってないから分からんが。

 希少種さ。


 隊長は芋に視線を落としたまま云った。地中でしぶとく生きるそれは破滅の時代においても根を張って多くの人間や動物の命を救っていた。


 隊長は続ける。……私は仕事柄、スカベンジャーによく会う。中でも記憶に残ってるのが一人いる。ある日この家で休むために立ち寄ると先客がいた。床下に隠しておいた金も宝石も保存食も再生機で見つけられて洗いざらいバッグに詰め込んでた。それでガスを繋いでお湯を沸かして悠々と珈琲(コーヒー)を飲んでた。帰ってきた私を見ても眉ひとつ動かさなかったし私も声ひとつ出なかった。情けないことにね。何が面食らったって私が居間に入るまでその男の侵入にさえ気がつかなかったことさ。完全に不意打ちで気配は埃ひとつ分も感じなかった。――で、珈琲を飲み終えるとそいつは無言で立ち上がって散弾槍を担いで私に一瞥さえせずに出て行った。サロッサ人の帽子を被ってて(いや)な臭いがした。私は背中を見送るしかなかった。小指一本でも銃把に伸ばせば上半身を消し飛ばされそうな気がした。私が今もこうして生きてるってことはその直感は正しかったってことさ。こいつにだけは逆らっちゃいけないってね。――護衛を雇うようになったのもそれからだ。金を惜しんで死んだら元も子もないと教わった。


 スヴェトナは油をひいた鍋の底でわずかばかりの肉を焼き付けるといったん取り出してから隊長が切り分けた根菜を水といっしょに鍋に入れた。それから隊長に視線を移して云った。

 そのスカベンジャーなら私も会ったことがあるかもしれない。

 そうかい?

 やたらとつば(・・)の広い帽子を被ってて目元がほとんど見えなかった。恐ろしいってもんじゃないくらい素早い。でも軍人って感じでもなかった。

 どんな散弾槍を持ってた?

 アリサが持ってるのより一回り以上小さい。ぱっと見ただけだと大型の突撃銃みたいだった。

 隊長はうなずいた。

 本当に同一人物かもしれないね。――とにかく赤い外套は警告色さ。色が濃ければ濃いほどこっちの命が危ない。スカベンジャーに限った話じゃないが碌でもない連中は山ほどいる。そうしないと生き延びられなかったって手合いがね。あの子は数少ない例外のようだ。

 アリサの両親がいわゆる善き人だったらしい。私も会ったことはないが。 


 隊長はパック詰めされたミルクに香辛料を入れてかき混ぜながら笑った。

 善き人か。懐かしい言葉だね。まさかオーデルの荒野でそんな言葉が聞けるとは。

 スヴェトナはうなずいた。

 私は親の顔さえおぼろげだからアリサがちょっと羨ましい。

 親か。――親ね。


 鍋がぐつぐつと煮える音が二人の間をたゆたう。隊長は湯気を見つめながらヒビの入った窓を通して外の景色を見る。枯れ草がまばらに散らばる牧場とさえ呼べない空間。近い将来に荒野の仲間入りを果たすであろう人間の営みの痕跡。


 ある日のことだ。戦争が起きる前。隊長は語った。学校から帰った私はいつもなら親を手伝って牧場に出ていたがその日は部屋に駆け込んでベッドに突っ伏して泣いていた。たしか同じ学校の男の子にからかわれたんだと思う。もちろん黙って云わせたままに流せる性格じゃないから手を出した。だがすぐに反撃を喰らって負かされた。初等学校の時分なら男子が二、三人相手だろうと喧嘩に負けたことはなかったんだがな。それで悔しくて泣いていたら母が部屋のドアをノックした。

 隊長は窓の外を眺めながら云った。

 母は私を慰めたりはしなかった。私の肩をつかんで云った。――これからも世界はどんどん変わっていく。おそらくは悪い方に。競い合っていた男の子たちにもますます勝てなくなる。あなたを見る目も変わるだろう。そして下に見るようになる。ほんとうはお前のほうが強いのに。でも自分が下だと信じこんでしまうとそれは本当のことになる。だからわたしはこれからもあなたに厳しくする。先に謝らせてちょうだい。いつか分かってくれるときがくるから。――……そんなことを云っていた。それから世界はほんとうに悪くなっていった。両親や兄弟や親戚たちが線路の向こうに連れ去られたときも私は何もできなかったし二度と会うこともなかった。それでもこうして生きているのはあのときの母からの贈り物のおかげなのかもしれない。単なる偶然で生き永らえているとは考えたくないのさ。――人はこんな世界になっても生き延びていることには運の好し悪し以外の何らかの価値が絡んでいるんだと信じたくなってしまうらしい。


 鍋が煮立つと隊長は鍋にミルクを入れた。スヴェトナは黙っていた。隊長がどうしてそんな話をし始めたのかは分からなかった。ミルクと香辛料と油の好い香りが立ち昇ってきた。スヴェトナは飽きることなくその匂いを嗅ぎ続けていた。


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