#48 空の薬莢
かつて激戦区だったオーデルの平原地帯には無数の記憶が今も野ざらしにされている。邦間道路を少し離れて丘の上に登れば戦場の痕跡を一望することができる。砲撃で穿たれたクレーター。ジグザグに蛇行しつつ何百キロも掘られた塹壕線。弾痕が風化しないままに残されたコンクリート製のトーチカ。修復されないまま大地に残された傷跡の数々。
中でもアリサが目を惹かれたのは山のように積まれた空薬莢だった。魔鉱兵器が大々的に使用される前はまだこうした旧式の火薬が平和的に用いられていたものだった。棄てられた薬莢の数だけ撃ち込まれた先にいた兵士あるいは民間人は地獄を見たはずだった。戦争初期は錆びやすい軟鋼ではなく真鍮製の薬莢が使われていた。そのため今の時代になっても運が好ければ風化せずに放置されたままの山が見つかった。
再生機を使えばそれら薬莢の山が出来上がるまでの一部始終を眺めることができる。突撃のための前準備として三日三晩かけて平原の向こうの敵陣にひたすら砲撃を浴びせ続ける。砲を操作する兵士達は最低限の声かけを挟みながら黙々と機械のように砲弾を送り続けていた。ズラリと並んだ火砲の後ろの地面には白い煙を上げて熱を放射し続ける薬莢が瞬く間に散乱した。誰かが踏んづけて転んでしまわないよう後方担当の雑役が手押し車に薬莢を積んでは戦線の後ろに運んでいく。そうして空っぽの山ができあがる。
すべてはベルトコンベアに載せられた部品のように淡々と進行した。整然とした役割分担だった。戦争がまだしも秩序を保ち統一された大義のもとで戦われていた時代の話だった。自らの生存という目的以上に大切なものが未だに信じられていた時代の。たとえそれが人を殺傷するための火薬であろうとも少なくとも薬莢の中に何かが詰め込まれていた時代の。
□
父を継いでスカベンジャーになったばかりのころはそうした砲弾の薬莢の山を取り崩しては町に持ち帰るということを毎日のように繰り返していた。腰が痛くなるまで一日中拾い集めてはわずかな小銭を手に入れるのだ。それでどうにか食料と水と燃料と弾丸と雀の涙ほどの貯金を得た。
決して実入りの好い仕事とは云えなかったが比較的安全なのは確かだった。
二輪車の荷台に積みこまれた空の薬莢は運転中互いにぶつかり合い“カラカラ”という乾いた音を立てた。荒野と化した風景の中でひたすらハンドルを握りながらその音を聴いていると誰でもいいから目の前に現れた人間に罵詈雑言をぶつけたくなる気持ちになった。野宿することになって薬莢が詰まった袋を枕にして眠ろうとした夜も何度かあった。寝付くことができずに寝返りを打てば空っぽの薬莢は空っぽな唄を頭の下で奏でたものだった。
父親が亡くなってからというものアリサはほとんど一度も涙を流したことはない。
だが断言できることが一つある。
それはあのころが一番辛くて苦しい時期だったということだ。
父を真似て日記をつける習慣は今でも続けている。
しかしその時期の記述を読み返す気力はまるで起きない。
□
――なに黄昏てるんだ。
施設の屋上でオーデルの夕焼けを眺めているとスヴェトナが後ろから声をかけてきた。
従者の少女は腰に手を当てて仏頂面だった。
不用心だな、アリサ。
そう?
手すりにもたれかかるな。クライク少年みたいになるぞ。
あの子を床から引っぺがすのには苦労したね。
ああ。いずれ死ぬにしてもあんな最期はごめんだ。
トフィーは?
あいつならねぐらに戻ってる。本ばかり読んでるから頭が疲れてるんだろ。
そっか。
何か考え事か。
いや……。アリサは錆びついた手すりからそっと手を離した。もしトフィーが本当にこの施設で何十年も生きてきたのだとしたらどんな気持ちだったんだろうと考えてた。独りきりで寂しかったのか。それとも案外楽しくやっていたのか。
どうかな。外から見てるとただの生意気でマセた子供にしか見えないが。
むしろあの子供っぽさが却って気になるんだよ。
スヴェトナはアリサの隣に並んで立ち平原を見つめた。
確かにな。まァ話してる昔話の内容が事実ならどんなに無垢な子供でもまともな神経でいられるはずがない。
……気がついてた?
なにがだ。
この施設に初めて訪れて地下駐車場で一泊したときのことだよ。私達が使わせてもらったテントの以前の持ち主は誰だったのか。再生機を使って確かめて――。
ああ。スヴェトナはうなずいた。――そっか、あの絵本を読み聞かせてもらってた銀髪の子か。
そう。
じゃあやっぱり嘘は云ってないのか。あいつは本当に戦前から生きてるのか。
信じられないけど信じるしかないよ。再生機は嘘をつかない。妨害されてなければ。
スヴェトナは唇を微かに開けて何事かをぶつぶつと口にした。アリサを横目でちらりと見てから眉間に寄ったしわを二本の指で揉みほぐした。
――私だって変異生物やら何やらの話は耳にしたことはあるが……。
ありうると思う。おやつ代わりに魔鉱石を食べてるくらいだし。
スヴェトナは半笑いの表情で給仕服についた埃を払った。
まったく、やれやれだな。
□
それ以上は話し合っても結論は出なかった。夕食の支度が必要だったし子供の遺体を二人片づけたことで心も身体も休息を求めていた。屋上から階下に降りようとしたときスヴェトナはあるものに目を留めた。
それは小型の観覧車だった。吊り下げられたゴンドラの数は八つ。元々はカラフルな塗装が施されていたはずだが今はどれもがくすんでいた。そのうちの一つはちょうど地面スレスレのところで静止しておりうまく乗りこめそうだった。
なにコレ、と説明を求めるアリサにスヴェトナは教えてくれた。本来は回転する機構になっておりこれに乗って外の風景や街の夜景を眺めたりする代物のようだった。
スヴェトナは何度かうなずいてみせてからくるりとこちらに振り返って云った。
アリサ、――試しに乗ってみないか。
でももう動かないんだろ。
雰囲気だよ。一番下からでもオーデルの夕焼けは格別だ。
えらく熱心だね、スヴェトナ。
たまには羽根を伸ばして遊ぶのも大事だぞ。
遊びか……。
正直憧れてたんだよ。こういうの。
アリサは視線を落とした。スヴェトナは給仕服のすそを指でつまんでいた。
分かった、という言葉が自然と口から漏れていた。
□
動かない観覧車に向かい合って座りながら二人はいくつか話をした。どちらかと云えばアリサのほうがスヴェトナに求められるままに一方的に話していた。空の薬莢を拾い集めていた時代のこともほんの少しだけ話した。あまり口にしたくはない想い出だった。
スヴェトナは口数少なくうなずきを挟んでくれていた。アリサは何度もつっかえながら話を続けた。あまりに静かな空間だった。夕陽だけがそこにあった。空っぽの平原。空っぽの商業施設。空っぽの観覧車。話の内容もまた空っぽの容器についてだった。
父が亡くなってからの数か月ないし半年間。いちばん思い出しくなかった部分を話し終えてほっとしながらアリサは続けた。…………私はその時期どうしても納得できなかったんだ。自分の中でうまく折り合いをつけられていなかった。何もここまで空っぽの時代に生まれなくても好かったんじゃないかってさ。いくらなんでもあんまりだってクソ重たい薬莢の山を引きずりながら毎日思ってたよ。アレはひどかった。何も詰まってない癖にやたら重いんだ。本当に気が狂いそうだった。
それ以上は言葉が見つからなかった。アリサは沈黙して視線を膝に落とした。
話してくれてありがとうとスヴェトナが礼を云ってきた。
アリサは首を振った。
お互いよく五体満足で生きて出逢えたもんだな、と少女は続けた。
アリサはうなずいた。
お前のことを少しずつ知ることができて私は嬉しい。
そう?
ああ。
なら話した甲斐があったかな。
――今日は悪かったな。大人げない態度を取って。
何の話?
とぼけるなよ。
昼に私が話してた、教会で暮らしてる女の子のこと?
やっぱりとぼけてんじゃないか。
あれは――。
アリサは顔を上げた。口の動きが止まった。
スヴェトナは頬を紅潮させて目をそらしていた。
……私は、そいつとは仲好くできそうにない。教会で生活していたくらいだからそいつは聖職者の娘かなんかだろう。私とはまるで出自がちがう。こっちは信仰心の欠片も見いだせないような環境で育ったからな。
案外、正反対だからこそウマが合うかもよ。
私が云いたいのは――。スヴェトナは云いよどんだ。そしてこちらに身を乗り出してきた。……ただ、これからも私を信用して話したいことはなんでも話してくれってことなんだ。それだけだ。
アリサは座り直して身を引いた。無意識の行動だった。
――ごめん。あまりあれこれ話してスヴェトナに重荷を背負わせたくないんだ。
スヴェトナは席から腰を浮かせてアリサの前にひざまずくような格好になった。そして膝に置かれたアリサの手に自らの手を重ねてきた。観覧車のゴンドラが揺れた。錆びた金属がギギイっと音を立てた。スヴェトナの藤色の髪は夕陽に洗われて優しい橙色に染まっていた。
スヴェトナは呟いた。
分かってる。まだ何もかも話したい気分にはなれないんだろ。
うん。……ごめん。
謝るな。お前はただ、――人よりもほんの少し孤独に慣れ過ぎてしまっただけだ。
…………。
アリサが黙っているとスヴェトナがその手をそっと持ち上げた。そしてアリサの手の甲に自らの唇を口づけた。アリサは反射的に手を引こうとしたがどうにか思いとどまった。ただ沈黙を守って従者の少女の営為を受け容れた。
スヴェトナは唇を離して云った。
――少なくとも今のお前は空っぽじゃない。私が保証する。
アリサはうなずいた。二度、三度と。
それから咳払いを挟んだ。
でもお礼の言葉は喉から絞り出せなかった。




