五話
「お客さん、すみませんけどその顔やめてもらえませんかねぇ? 他のお客様が怖がるので」
引きつった笑顔……正確には今にも怒りを爆発させそうな表情を浮かべながら言う如月の言葉につい、あぁ? と言い返しそうになる霧夜。しかし、周りをよく見てみるとこちらを見ながら本当にどこか怯えているような雰囲気がひしひしと伝わってきた。
ふと、店の鏡に映る鬼のような形相をした男を見つける。それが自分だということに気がつくのは然程時間はかからなかった。
「……悪い」
「お? 今日は何か素直だな。まじでどうした?」
「別に何でもねぇよ。ただ気にくわないことがあっただけだ」
投げかけられた言葉に適当に返す。
何も霧夜も好きで朝っぱらから不機嫌な空気を出しているわけではない。
原因は昨日の件。異世界やら召喚やら契約やら、訳の分からないことが多すぎて、理解が及ばないことを詰め込まれてパンクしている、というのも無論ある。
しかし、一番の要因はそこではない。
霧夜が出した条件。その最後の言葉に二人が返した言葉は一つ。
『それは難しいです』
何故?
『彼女は最高位の召喚者『大賢者』の【守護精】で、そうそう人前に姿を現しません。さらに言えば『大賢者』も迷宮の深部攻略の最前線にいる方で地上には滅多に出てきません』
ならば自分達がその最前線に行けばいいのでは?
『迷宮の最前線に行ける者は実力を認められた者のみ。今の僕じゃ許可が降りないんだ。無理に行こうとしても迷宮を守る衛兵に止められるだけだし、もしそれをくぐり抜けたとしても待っているのは魔物の群れ。どう考えても強硬手段は使えない』
その意見には納得したくはなかったが、しかし納得する他なかった。
ならば方法はないと?
『一つだけ。『大賢者』は最前線にいます。が、無論地上に戻ってくることもあります。その時を狙えばもすかすれば』
『でも、決闘してくれって言われて承諾してくれるとは到底思えないけど』
確かにそうかもしれない。しかしそれはどうでもいい。相手の都合などしったことか。相手が目の前にいればそれでいい。
ならば、次はいつ地上に戻ってくるのか。
『それは……分かりません……って、のわぁ!? やめてください、拳を下ろしてください!! 本当にわからないんです!! 最前線組はその層を攻略し終えると帰ってきますが、それがどれだけの日数がかかるかは誰にもわからないんです!! 三日で終わったこともあれば、ふた月もかかった場合もありますし!! つまりその時その時で変わってくるんですぅ!!』
『とは言っても、最前線に向かったのはついこの前みたいだから、どっちにしろ今すぐ戦うことはできないよ』
言われ、苦虫を噛んだ表情を浮かべたのを霧夜は覚えている。
あの戦いが夢ではないとするのなら、現実だというのなら、自分は女に敗けた事実を持っているということになる。それは認めたくない事柄だ。そして、それをそのままにするというのはもっと無理な話だ。名誉挽回、汚名返上、なんでもいい。もう一度戦い、今度こそ勝つ。それが霧夜の現在の目標となっていた。
だというのに、それが先の話で、いつになるか未定だと言われれば誰だって不機嫌になるものだと思う。
「まぁ、何があったかは知らないが、学校にはちゃんといけよ。謹慎処分期間が終わって今日からだろ?」
「わかってる。親みたいなこと言うなよ」
そういいながら、霧夜は勘定を払い、店を出て行った。
流石に営業妨害はまずいだろう。
*
学校という場所はあまり好きになれない。
別段、勉強が嫌というわけではない。無論、したくないという気持ちはあるが、それよりも厄介なことがある。
ふと周りを見渡す。そこにいたのは、こちらに視線をひっそりと向けながら各々小さな声音で話すクラスメイト達。
その言葉はあまり好意的なものではなかった。
「ねぇ聞いた? また山道君、喧嘩で謹慎処分になってたんだって」
「ああ聞いた聞いた。何でも他の高校の不良連中とやりあったって」
「まじか。またかよ。これで何度目だよ。っていうか、何で退学にならないんだ?」
「さぁ? 親のコネとかじゃない?」
「俺は教師脅してるって聞いたけど」
「何にしろ、よくもまぁ平然と学校に来れるよな。迷惑がられてるの気づいてないのか?」
「そうだよねぇ。彼、何か怖いし。何考えてるのか分からないし。正直不気味」
「おい、滅多なこと言うなよ。あいつ、腕っぷしはマジでやばいんだから。病院送りにされてもしらねぇぞ」
あっまずい、と口にする少女。しかしその内容は全て霧夜に筒抜けである。よくもまぁそんな話声で聞こえないと思っているものだ、と半ば呆れながら視線を外へと移す。
彼らの言葉はいつものことだ。慣れている。無論、不愉快かどうかと聞かれれば、当然不愉快極まりない。だが、それを一々相手にするのもこれまた面倒であることは経験上よく知っている。こういうものは放っておくのが一番だ。これがエスカレートして物理的な嫌がらせなどに発展するならこちらとしても相応の対処はするが、彼らが行うのはこういった陰口のみ。何せ、本当の嫌がらせをすればどうなるのか、よく知っているからだ。ならば相手をするだけ無駄だ。
それに内容も嘘ばかりではない。不良と喧嘩したことは本当だ。本来なら糾弾されてしかるべき事柄なのだから、この扱いは妥当と言えなくもない。
そう。これは結局、自業自得の状況でしかない。
もしも本気で彼らの陰口が嫌なのなら、この現状に不満があるのなら、それを打開すべく動くべきなのだ。好感度を上げる、というやつか。けれどそれは霧夜には合っていないし、そもそもやる気がない。やる気がないのだから仕様がない。
本人がこの様がなのだ。もはや手遅れと言っても過言ではないだろう。
それになにより、一人は気楽だ。
誰かに合わせて気疲れすることも、自分を犠牲にして相手を持ち上げる必要もない。
自分は自分。それを貫けれるのならこれ以上楽なことがあるだろうか。
人間、結局自分が一番なのだ。そんな自分を蔑ろにして他人の顔色を窺う、なんて面倒なだけだろう。
けれどまぁ、それが社会というものであり、それに適合できないのが社会不適合者。その内容でいくのなら、霧夜は立派な社会不適合者だ。
他人のことはどうでもいい。自分のことが一番。そして何より暴れたい。こんな三拍子を持つ人間が普通な生活を送れるわけがない。特に最後の一つがひどいことは承知の上だ。しかし、それが山堂霧夜という人間であり、それを変えるつもりは毛頭ない。
こんな性格なため、無論友人と呼べる者もいない。
逆にこんな人間のクズのような男の知り合いなどそれこそ変人奇人と分類されるだろう。そして、この学校にそういう者は存在しない。
だから―――
「あの……山堂先輩、ですか?」
こういう風に誰かに呼び掛けられる、なんてことは有りえないのだ。
しかも女子生徒など、ほぼ奇跡と言っていい。
時刻は午前十二時半。場所は食堂。昼食時ということもあって、人混みで溢れていた。とは言っても、霧夜の周りは奇妙な距離があり、彼が座っている席の四方八方は誰もいない。そんな彼に呼び掛ける、という時点でその少女はある種注目の的になっていた。
「……誰だ、お前」
その言葉に少女は少々目を丸くさせていた。
茶髪のツインテール、身体は霧夜の口元ぐらい……恐らく百五十後半だろう。どこかやつれた、けれども綺麗さを忘れていない顔立ちは霧夜と同じ高校の制服を着ているものの、一点だけ左襟元にある校章が英数字のⅠとなっている。先ほどの言葉から考えて、彼女が一年の後輩であることは間違いない。
だが、それだけだ。それ以外にわかることはない。
訝しむ彼に対し、少女はどこか面倒くさそうにつぶやいた。
「一年の緋咲有美っていいます。あの……ここじゃ目立つんで、場所、移動してもいいですか?」
確かにその通りだ。このままでは居心地が悪すぎる。
それを理解しながら、霧夜は。
「飯、食ってからでもいいか?」
既に伸びきっているうどんを指さしながら、言い放った。