一話
「……ってな夢を見た」
平日の朝、といっても既に十一時を過ぎようとしている時間帯。霧夜は行きつけの喫茶店で少々…いや、かなり不機嫌な声音で愚痴を零していた。
苛々としている彼の言葉に耳を傾けているのは一人の男。年齢は三十前後といったところか。黒髪の長身であり、室内だというのにサングラスをかけており、手慣れた手つきでグラスを拭いている。
喫茶店の店長・如月大和であった。
「ふーん。つまり、こういうことか? お前は何だかよく分からないところに呼ばれて、訳の分からないこと言われながら、何だか自分が馬鹿にされていると感じて暴れようとしたら、滅茶苦茶強い女剣士と戦ってボコボコにされた夢を見た、と」
「……ああ、そうだ」
事実であったため、何も言い返せない。しかし、夢のこととはいえ他人に自分が圧倒された、と言われるのはやはり歯痒いものを感じさせられる。
「そりゃまたけったいな夢を見たもんだな」
「おい、人が真剣に話してるのに、雑に扱いすぎだろ」
「いや、夢の話で真剣って言われてもな……それに内容からして半分は自業自得だろ、それ。理由はどうあれ、先に暴れ出したのはお前のほうなわけだし。っていうか、女剣士にやられるって、お前どんだけ溜まってんだよ」
「おいこら殺すぞ」
「あー、悪い悪い。今まで女ができたことがない奴に失礼な発言だった。謝罪するよ」
「よーし、謝る気ゼロだなその態度は。いいぜ、表出るか、ああ?」
「遠慮しとく。これでも店長なんでな。暴力沙汰はお断りしてるんだよ。不良グループと乱闘して謹慎処分くらっている誰かさんと違ってな」
如月の言葉に「けっ」と言いながら出されていたコーヒー牛乳を口にする。氷たっぷりなそれは少し吸い上げるとほぼ無くなっていた。
「それにしても、こんなところにいていいのか? お前、教師とかに目ぇつけられてんだろ?」
「はっ、こんな時間帯にこんなところに来る先公がいるかよ。ばれなきゃ問題ねぇんだよ。それに家に閉じこもってても何もねぇしな」
「後者については同感だが、だとしても早めに帰れよ。お前のことだからまた余計なことに首を突っ込みそうだ」
「……別に。余計なことに首をつっこんだ覚えはねぇよ」
霧夜のことばに如月は苦笑しながら続ける。
「不良連中に連れて行かれそうになってた女の子助けるために相手全員を病院送りにした挙句、現場でぶっ倒れて寝てたやつの台詞じゃねぇな、それ」
「ぶっ」
コーヒー牛乳を飲んでいる最中に言われたせいか、唐突にむせ返す霧夜。
「おい、大丈夫か?」
「げほっ、げほっ……だ、誰が助けただ!! あれは助けたわけじゃねぇし!! たまたま俺がむかついた奴らが連中だっただけだし!!」
「はいはい。そういうことにしておいてやるよ。まっ、その女の子も気づいたらどっか逃げてたんだろ? 白状だとは言わないが、残念だったなぁ。もしかしたらそこからいい感じになって、お前にも春が来ていたかもしれないのに」
「分かってねぇよな、あんた。全く分かってねぇよな? マジで一戦やらかすか?」
鬼気迫る顔つきで拳を握りしめるも、如月は全く動じる様子はなく、そのまま霧夜が飲み干したグラスを持って行く。
「けどお前、不良連中とやりあった割りには怪我してねぇのな。いや、お前の実力は知ってるし、疑うわけじゃねぇけど、それでも無傷っていうのは流石におかしいだろ」
「知るか。寝てたら勝手に治ってた」
「わーお、何その不思議現象。お前もしかしてウルヴァリン?」
「はぁ? 何だそれ」
「……マジかー。これが通じないかー。これがジェネレーションギャップかー」
訳の分からないことを口にしながら、如月は何故か落ち込んでいた。時たまあるいつものことなので、霧夜は取り合わないまま、近くにあったテレビに視線を移す。
『続いてのニュースです。先日から○○市××区の谷山翔さん(15)が行方不明になっている件について、警察は誘拐事件の可能性もあるとみて捜査を続けています。谷山さんの目撃情報について近隣住民から聞き込みをしているということですが―――』
物騒な内容のニュースにしかして霧夜は何の反応もみせない。しいてあげるなら「またか」と心の中でつぶやく程度。このご時世、行方不明になることはただごとではないが、別段珍しいことでもない。誘拐や殺人による被害と考えられる一方でただの家出の可能性だって十分にありうる。特に先程の内容は霧夜と同じ十五歳の子供。学校や家庭環境が嫌になって姿を晦ました、ということも考えられるだろう。もしそうだと仮定して、その気持ちは分からなくもない。
周りの環境や視線が鬱陶しいと感じるは自分にだって分かるのだから。
「あー、またこの手のニュースか。怖いねぇ、行方不明」
「そうか? どうせ家出かなんかじゃねぇの?」
「それだったらいいんだが。殺人とか誘拐とかもあり得るからな。それに……もしかしたら『あれ』だったりもするかもしれないし」
「あれ?」
如月の言葉に霧夜は眉をしかめる。
そんな彼に「ああ、そうか」と納得したような顔つきで店長は言う。
「お前、あんましネットとか見ないんだったか。なら仕方ねぇな。まぁつっても都市伝説の話なんだが……今、行方不明になってる連中の中には異世界に召喚されてるって噂なんだよ」
その言葉と共にやってきた一瞬の沈黙。
そして。
「……よし、そうか。帰るわ」
「おいこら、聞いておきながらその態度はないだろう」
「いや、異世界って……ありえねぇだろ、そんなこと」
「いや、そうなんだけどよ。よくよく考えてみろよ。今の世の中、GPSやら監視カメラやらがあるご時世だ。人間探すのに多少は苦労するが、それでも頑張れば見つかる可能性は高い。それでも見つからないってことはこの国、ひいてはこの世界にいないから。だから見つからないってのがネットの噂の言い分だな」
「ハッ、バカバカしい。その言い分が通るなら、指名手配犯は存在しねぇだろ」
「そりゃそうだ。けどよ、そういうのが噂になっちまってるのが現状だ。特に学生の間でな」
「そうなのか?」
「そうだよ、現役高校生。とはいっても、その理由は学生達が現実世界に嫌気がさしてるからってことなんだろうけどな。こんな現実はいやだ、別の世界で生きてみたい……そんな想いが異世界に召喚されてるっていう馬鹿げた噂に行きついているんだろう」
「くだらねぇな」
「厳しいな……だが、お前はどうなんだ?」
その言葉に「あ?」と霧夜は首を傾げる。
どういう意味だと言わんばかりの視線に如月は続ける。
「お前の武術は凄い。それは認めてる。お前もそのことを自負してるはずだ。だが、その武術を活かす場面、状況が今の世の中にあるのか? ねぇだろ。折角努力して培ったのに、それを活用できねぇ。いっちまえば無用の長物に成り下がっちまってる。けど、それが我慢ならねぇ。だからお前は余計なことに首をつっこみたがるんじゃねぇの?」
「……だとしたらなんだってんだ」
「否定しないところがお前らしいな。まっ、つまりはだ。お前はこの世界に飽き飽きしてんじゃねぇの? んでもって、もし自分の力が存分に発揮できる世界があったら、行きたいと思わないのかって話」
挑発じみたその言葉に、けれども霧夜は反論しない。ただ黙って如月から視線を外すだけだった。
その様子を見ながら、如月もまた苦笑する。
「悪い悪い。言い方があれだったな。でもま、そういうことだよ。他の奴もみんなそう思ってるのさ。自分の能力が引き出される場所が欲しい。今の自分に何の才能がなくても、それを貰える世界が欲しい。それだけの話さ」
誰しも自分が活躍する場所にいたいと思うのは当然だ。
けれど、今の社会それを獲得できるものはどれだけいるだろうか。どんなことにでも優劣は存在する。できる者、できない者がいるのだ。そして、例え能力があったとしてもそれ以上の才能を持つ者が近くにいれば、その者はできない者というレッテルを張られるわけだ。
本当はもっと実力がある。本当は認められるだけの能力がある。それを評価されないのは今の世界が悪い。なら、別の世界でなら自分はもっと活き活きと暮らしていけるはずなのだ。
そんな妄想は、しかして誰もが思うことなのだ。
そして、それは霧夜も例外ではない。
「けどまぁ、何はともあれ正直少し安心したよ。お前も男だって分かって」
「はぁ? そりゃどういう意味だ」
「いや、だってそうだろ? 美人のお姉さんにボコボコにされる夢なんて、そりゃお前が―――」
「コロスゾ」
殺気立つ言葉に「おーこわこわ」と両手を上げながら答える店長の姿は全く反省の色はなかった。
これ以上ここに居ても疲れるだけだ……そう判断し霧夜はそのまま店を後にした。