九話
霧夜が異世界にいられる時間は大体三時間くらいである。それは、彼が示す数字の刺青が証明していた。
実際、前回はその刺青がゼロになった瞬間、彼は元の世界へと戻ったのだ。
……そこが脱衣場であり、姉が服を脱いでいる最中であった、という事件があったがそれはまた別の話。
結局、何が言いたいのかというと腕の刺青の数字がゼロになれば彼は自動的に返ることができるが、逆を言えばそれがゼロにならない限り、元の世界へは戻れない仕組みになっているのだ。それを早めることができないのは既に確認済み。
故に、彼は時間が来るまで時間を潰す必要があったわけだが……。
「……何でこんな状況になってやがる」
最近、というかこの世界に来れば必ず言っているような台詞を口にする。
霧夜は今、とある廃墟へとやってきていた。元は協会であり、ボロボロになった参列席や欠けている十字架と言った具合にかなりガタがきている。が、建物そのものは埃やシミがあるものの、どこも崩れておらず、屋根もしっかりしている。
そんな場所で何故だか霧夜は食事をしていた。
「おや、【守護精】様、食べられないんですか? せっかくのご馳走なのに。あっ、もしかして遠慮とかしてるんですか? 大丈夫です。今日は腕によりをかけましたから。量も沢山ありますので、どうぞ遠慮なく……って、あ、もしかして嫌いな料理がありましたか!? すみません、せめてどんな料理が苦手なのか聞くべきでした!?」
いや、そうじゃないんだが……心の中で呟くも口には出さない。出したら出したでそれはまた面倒になりそうなのは目に見えている。
「今更だが、ここがお前らの拠点なのか?」
「ああ、そうだよ。何せ僕ら貧乏人だから。宿を借りて生活するわけにはいかないんだ」
「そうかよ……ん? ちょっと待て。俺の記憶が正しけりゃこの前倒したツノザルとかいう連中の角は高く売れるんじゃなかったのか?」
「あー、それはその……」
「そうなんです! 聞いてください【守護精】様!!」
霧夜の言葉を待ってましたと言わんばかりにフィセットが怒りを顕にする。
「ツノザルの角を売却しに行ったら、たった三百セルトだったんですよ!? まぁ相場をよく知らない私達ですから、それでも構わないと思ってたんですけど、次に来たツノザルの角を売った相手には五千セルト払ってたんですよ!? ぼったくりです!!」
「一つ聞きたい。それってどれくらいぼったくられたんだ?」
「えーっと……日本で換算するなら、五十万円相当のものを三万で売らされた、みたいな」
それは確かにぼったくりだ。憤慨する気持ちも分かる。
「でもあれは仕方ないよ。僕らがそれだけの知識を知らなかったんだ。そして、相手は交渉事が得意の商人。言い訳の仕様もなく、僕らが悪い。次からは気を付ければいいだけの話さ」
「そ、それはそうですが……」
口籠るフィセットの頭を撫でながら翔は笑みを浮かべる。少女の頭を撫でる、という行為を自然とできることが不思議であると感じるのは、それだけ霧夜が女性慣れしていないからか、はたまた翔が女性慣れしすぎていのか。
「潔いいんだな、お前」
「そうかな?」
「普通、それだけのものカモられたら怒るだろ」
「まぁ確かにね。でも、終わったことをいつまでもうじうじしているのは意味がないだろう?」
何とも前向きな考え方だ。その理屈は正しい。間違っていない。
だが、と霧夜は思う。
本当にそれだけが理由なのか、と。
「それにしても、山堂君は本当に強いんだね。あれってどこかで教わったの?」
瞬間、怖気が走った。
「……おい、その呼び方やめろ。男に君付けされるとか、気色悪すぎだろうが」
「え? そうかな。じゃあ、山堂って呼んでいい?」
「別に構わねぇよ。君付けされないんだったらな……んで、あれってなんだ?」
「戦い方だよ。拳法とはちょっと違うけど、でもただの喧嘩殺法でもなかったよね」
「そうですねぇ。私もあんな戦い方は初めて見ました」
二人の疑問は尤もだろう。何せ、霧夜の戦い方は王道から逸れたある種の邪道なのだから。
「……あれは昔、少しの間世話になったリハビリの医者に教えてもらったやつだ」
「えっ、リハビリ?」
ああ、と言って霧夜はスープを一口飲む。
「十年位前にバスの事故に巻き込まれて、両手が上手く使えなくなった時期があってな。その時リハビリとして武術を教えてもらったんだよ」
「うん、ちょっと待って欲しい。リハビリとして武術を習うっていうのはどうなんだろうか」
「仕方ねぇんだよ。言いたかねぇが、当時の俺は荒れまくってたからな。普通のリハビリの医者じゃ暴れる俺をどうにもできなかったんだよ。んで、そんな俺の相手をできる奴が一人しかいなかったってだけの話だ。自分でも当時の俺の状況が普通じゃねぇってことくらい理解してる」
この話をするといつもこのリアクションであり、そしてそれも当たり前だと霧夜も理解している。何せリハビリに武術を習う、というのはやはりおかしいだろう。しかも、それが邪道な部類となれば当然だ。
「だが、結果的に俺の両手はある程度まで回復した。んで、俺は学んだ武術……ああ、手刀術っていうんだが、それを十年間身に着けてきた。その結果があれってわけだ」
「そ、そうだったのですか……しかし、あの戦い方は両手が使えなかった人の動きには見えませんでした」
「両手が動かなかったっていうより、俺の場合は指が動かなくなかったってやつだからな。今でも複雑な指の動きはできねぇよ」
「っ!? す、すみません。ぶしつけなことを言いました……」
「構わねぇよ。別段、生活に困ることはねぇからな。まっ、箸が持てねぇのは日本人としてどうかとは思うが。フォークでうどん食べるとか、未だに違和感半端ないからな」
皮肉な一言に霧夜は一人、苦笑する。
しかし、言ったように生活には支障はない。食事も箸が使えないだけで、それ以外を使用すればいいだけの話。
手刀術に関しても基本は指を開いた状態だ。複雑に曲げたりすることがないからこそ、霧夜でも使用できるのだ。
「……リハビリで武術を学んだのは分かったけど、それだけであれだけの技術を生み出せるなんて、やっぱり君は凄いよ。僕とは大違いだ」
その言葉に霧夜は手を止める。
しかし、そんな彼に気付いていない翔は言葉を続けた。
「僕はさ、元の世界にいた時からこんな感じで。だからみんなからダメなやつだって言われ続けてきた。平凡どころか、それ以下。何をやってもダメダメでうまくいかない。普通のことをするにしても他の人より劣る。こんな奴だから鬱陶しがられても仕方ないよね」
乾いたような声音で笑みを見せる。
それは自嘲であり、苦笑。自分はダメなやつなのだと認めている証拠だった。
「だから……だからさ。異世界に来た時、もしかしたら僕にも何か特別な力ってものがあるかもしれないと思ったんだ。でも……逆に何にもない、ただの落ちこぼれだって言われて、ああやっぱりそうなんだって現実を叩きつけられたよ」
結局、場所が変ろうが現実というものは変化しない。
出来ない奴はどこへ行っても出来ないのだ。それを翔は身を持って思い知ったのだ。元の世界だろうが、異世界だろうが、自分は落ちこぼれでだからみんなから認められない。それが事実で世の中の理なのだと理解した。
だから―――
「だから、テメェは何もせず、ただそうやって自虐してるってわけか?」
不意に。
何やら不満げ、というか苛立ちを覚えている霧夜が口を開いた。
「山堂……?」
「俺はな、別にテメェがどこの誰で、何をしてきたのか、んなことを知りたいわけじゃない。どうでもいい。俺にとって大事なのは、俺のことだけだ。自己中だのなんだのと言われるのは慣れてるし、実際そうなんだろうよ」
だが。
「今のテメェはそんな俺を……認めたくはねぇが、使役している立場だ。そんな奴が自分は弱い、自分はダメな奴だって言われて気分が良いと思うか? そう思うんだったらテメェはマジでどうしようもないクズだよ」
「ちょ、【守護精】様、それはあまりに言いすぎです……!!」
「黙ってろ、チビ。この際だから言ってやるよ。テメェ、努力したことねぇだろ?」
「何、を……」
「言ってるかって? ハッ、そのままの意味だ。テメェは今まで自分の状況をどうにかしようとしたことねぇだろ? 自分の状況は変えられないから何もしない。そういう奴だよ、テメエlはな」
「そんなことは……」
「ないとは言わせねぇぞ。何故なら、お前は今まさに、何もしてねぇじゃねぇか」
言われ、翔は何も言わない。いや、言えない、と言うべきか。
その言葉に反論できないということは、正しくそういうことなのだから。
「お前らがどういう扱いを受けているのか、それはまぁ想像はつく。それが全部お前らが悪いっていうつもりはねぇよ。でもな、少なくともお前はそれを変えようとは思ってねぇ。周りをどうにかしたいって思ってんなら少なくとも仕方がない、なんて言葉は使わねぇ」
そう。霧夜はようやく気付いたのだ。
先程、彼が潔いと思ったが、それは違う。彼は既に諦めているだけにすぎなかったのだ。言葉で言い繕うが、結局彼は自分では何もできない。だからしょうがないと、そういう風に捉えているにすぎないのだ。
そして、その事が霧夜は無償に気に食わない。
一方の翔は霧夜の言葉を聞き、握り拳を作りながらも言う。
「……君に何が分かるっていうんだ」
「よく分かるぜ。そういうどうしようもないクズを俺は一人知ってるからな」
そうよく知っている。
周りから暴力沙汰を良く起こす問題児だと蔭で言われ、誰からも必要とされずに腫物扱いされ、結果的に一人でいるようになった男を。その男もまた、自分の状況を仕方がないと受け入れ、改善しようとしなかった。する必要がないと思っていた。
だが、同じような状態の人間を見せつけられたせいか、そのことに対し、怒りを覚えた。
自分もこういう人間なのかと。
自分もこうして諦めているのかと。
故に、イラつくムカつく腹が立つ。
「知った風な事を言わないでくれ。僕は……君と違って何もない、平凡以下の存在なんだから」
「そうやって言い訳言ってりゃ許してもらえるってか? ハッ、つくづく甘い奴だな」
瞬間、霧夜は立ち上がり、机越しに翔の胸倉をつかむ。その瞬間、机の上にあった皿やらコップが地面へと落ちて行ったが、しかしそんなことは気にせず続ける。
「いいか? よく聞きやがれ、クソ野郎。自分のことを強いだの凄いだの言う奴が本当に強かったり凄かったりするとは限らねぇ。だがな、自分はダメな奴だと口にしてる奴が本当は凄い奴だ、なんてことは有り得ねぇんだよ」
能ある鷹は爪を隠す、という言葉がある。しかし、それでも本当に能力がある者は自分を過少評価することはあっても卑下することは絶対にないのだ。何故ならそれは逃げ道。出来なかったことに対しての言い訳。そんなものを作るのは自分に自信がない奴だけなのだ。
「この際だ、訊いてやるよ。谷山翔。テメェは一体、どうしたいんだ?」
「どうって……」
「このまま無能だと言われ続け、馬鹿にされ、指をさされたままでいるのか? それを仕方のないことだと、当たり前の現実だと受け入れるのか? 自分の力じゃどうしようもない。だから何もしない。流されるままでいくっていうのかよ?」
それは霧夜にとって無関係な話ではない。
彼が強くなろうと努力するにしても、このまま負け犬のまま流れに身を任せるにしても、そのどちらかに自分はついていく形になるのだ。そして、彼はこのままだと後者を選ぶだろう。
霧夜も分かってはいるのだ。自分にこんなことを言う資格がない、ということは。現に彼とて方向性は違うものの、似たような扱いをされているのだ。しかし、それを改善しようとはしなかった。力任せでどうにかなるのなら、既に解決している。そうはいかないのが人間関係というものだ。
正直な話、霧夜自身も半分困惑している。いくら自分に関わることだとしても何故自分はここまで熱くなっているのか。直に諦めようとする態度が気に食わない? 弱々しい頼りないやり取りが苛立つ?
分からない。分からないからこそ、彼は答えを求める。
「なぁ、答えてみろよ」
殺気立つような、けれどもそれ故に真剣な眼差しを前に翔は困惑しながらも口を開く。
「僕、は……僕は―――」
答えを出そうとした瞬間。
廻る。廻る。
霧夜の目の前の景色が一瞬にしてガラリと変わった。
そこは古びた教会ではなく、見知った学校の屋上へと続く階段の上。
「のっ、おっ!?」
唐突に階段の上へと転移したせいか、足のバランスが崩れ、霧夜はそのまま鈍い音を数度鳴らしながら転がり落ちていく。
そして折り返し地点の壁に激突し、大の字になって目をあけると、シミが気になる天井が広がっていた。
「……タイミング悪すぎだろ、俺」
自分の運の無さ、そして格好の悪さの呆れながら、霧夜は呟く。色々と疲れていた霧夜はそのままそこで意識を閉じる。
だが、彼は気付くべきだったのかもしれない。
今が既に六時限目が終わる時刻ということを。
その後、授業をサボったとして担任にこっぴどく説教をされたのは言うまでもないだろう。
ついにスットク切れ!!
書き上げ次第、投降します。