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第五十一話 未知

 最初の頃こそ楽しげに周囲を見回していたリナリアではあったものの、その顔が曇るのに大した時間は必要なかった。

 十分が過ぎる頃にはその兆候が現れ始め、二十分が過ぎる頃には明確になっていく。三十分が過ぎる頃には歩く勢いすらも衰え、ついにはその口より言葉が零れ落ちた。


「ぬぅ……未知の癖に大して変わらんのじゃ」


 呟かれたその愚痴に、しかしこちらとしては肩を竦めるだけである。その気持ちは理解できるけれど、それは既に経験済みのことなのだ。

 であればこそ、これは予想できた展開でしかない。

 それに――


「まあ簡単に何かが見つかるんなら、誰かしらが既に見つけてるだろうしね」

「そうだね。どんな状況だろうと、物好きの一人や二人、出てくるものだ。だというのに報告がされていないということは、少なくとも近くには変わったものはない、ということになる」


 そういうことだ。

 もっとも三十分という時間を短いと見るかは、人によるだろうけど。


「むぅ……確かに言われてみれば、その通りではあるのじゃが……」


 理解は出来るものの、納得できるかはまた別。

 その不満顔で、リナリアは言外にそう告げていた。

 とはいえ何とかしたくとも、こちらとしては出来ることは何もない。精々が、早急に何か見つかるようにと祈るぐらいだろう。

 勿論そのために、周囲に視線を配ってもいるけれども……と、そこで、今まで会話に加わっていなかったリリィに気付く。その顔を俯けており、そもそもこちらに視線すらも向けてはいない。

 また緊張しているのかと一瞬思い……しかしどうにもそういった様子でもなさそうだった。


「リリィ、俯いてどうかした?」

「……別に俯いてるわけじゃないわ。地面を注視しているから、結果的にそうなってるだけよ」

「何でまたそんなことを……いやまあ確かに薄暗いから、足元が不安になるのも分かるけど」

「そういうわけじゃないわよ。……テレポーターとかいうのがあるのかもしれないんでしょ?」


 リリィの言葉に、なるほどそういうことかと頷く。

 確かに、未帰還領域に飛ばされてしまうような罠があるともなれば、警戒しても不思議ではない。

 というか、普通のことではあるだろう。

 が。


「警戒しても意味ないと思うよ? 見て分かるようなものじゃないし」

「え? じゃあどうするのよ? 避けられないってこと?」

「正確には、リリィじゃ分からない、って言うべきかな? 罠の一つだからね。一目でそれと分かったら罠の意味がないし。まあリズなら分かるだろうけど」

「そうだね。これ見えてもそれなりの数の罠に引っかかってきたし、引っかかる前に分かる自信はあるさ」

「……それは自慢していいことなのかしら?」

「結果的に見破れるようになっているのじゃから、自慢していいのではなかろうかの……というか、もうこの際出てくるのはそのてれぽーたーとやらでも良い気がしてきたのじゃ」

「良くはないから落ち着こうか」


 諌めながら、しかしその気持ちも理解は出来た。

 経験済みだとはいえ……いやだからこそ、何でもいいから変化をと求めてしまうのは、よく分かるのである。

 ただしあの変化をもう一度味わいたくはないので、それに関しては積極的に勘弁して欲しいところだけど。

 いや、せめてこれがリリィだけであれば、或いはありだったかもしれないものの……さすがに二人を守りながらというのは少々厳しいものがあるだろう。

 それに、変化を加えるだけであれば、もっと簡単にそれを行なうことも可能だ。


「それにしても、変化ね……なら緊迫感を出す意味でも、リリィを前に出してみる?」

「……え?」

「……ぬ?」

「ふむ……」


 三者三様の反応と共に、視線が向けられる。そしてそのうちの一つが、すぐにジト目に変わった。


「あのねぇ……冗談でもそういうこと言うのやめてくれる?」

「いや、割と冗談じゃないんだけど」

「……へ?」


 そう、それはリリィをからかうためのものでなければ、冗談でもない。リリィが頷けばすぐにでも実行するような、本気の言葉であった。

 その理由を、リズは察しているだろう。その口元に浮かんでいる笑みが、それを示していた。


「ふむ……トウマは何故そう思ったんだい? 普通に考えれば、料理人見習いが前衛に出るなど無謀でしかないが」

「まあ普通ならね。僕だってさすがにそこら辺で屋台でも出してるような普通のおじさんと迷宮に来ることになったとしたら、前衛してなんて言わないし」

「なら、尚更何故だい?」


 だから敢えてそう聞いたのは、それをリリィに分かりやすく伝えるためなのだろう。

 とはいえ、どう言えば分かり易いだろうか。

 そう思い、考えながら……ふと視線が止まったのは、リナリアだった。

 おそらくリナリアもリナリアで何かあることを感じ取っているのだろう。これからどういったことになるのか、それを楽しみにしている、といった顔をしていた。

 ふむ……身近なところから攻めるのが、理解しやすい、かな?


「えーと、リナリアに一つ聞きてみたいことがあるんだけど、いいかな?」

「ぬ? 妾か? なんじゃ?」

「うん、リズの戦いっぷりについてなんだけど、どう思う?」

「ふむ? リズの戦いっぷり、かの? そうじゃな……凄い、としか言いようがないの。貧相な語彙力で申し訳ないと思う程度には、それしか言いようがない」

「なるほど。じゃあ同じ質問をリリィにも向けてみるけど、どう思う?」

「え、どうって言われても……わたしも同じよ。凄い、としか言いようがないわ」


 それはリナリアに倣ったわけではなく、本心からの言葉だろう。

 しかし同じでありながらも、それは同じ言葉ではなかった。

 何故ならば。


「具体的に何でそう思ったのか聞いてもいい?」

「具体的に、って言われても……あんな風に、一瞬で魔物を細切れにしちゃうのよ? 凄いとしか言いようがないでしょ?」

「ふむ、なるほど……じゃあもう一度リナリアに質問するけど、リズが魔物を細切れにして倒してるって分かった?」

「ぬ? ――そんなもの、分かるわけがないのじゃ。妾は一般人じゃぞ? 明らかに達人クラスの腕の持ち主であるリズの攻撃が見えるわけがないのじゃ」

「……え?」


 リナリアの言葉に呆然となるリリィに、僕は肩を竦め、リズは苦笑を浮かべる。先の言葉が同じではないとは、そういう意味であった。

 そしてこの件に関しては、リナリアが正しい。何せリズのレベルは三十であり、その腕前は間違いなく上級冒険者級だ。どれだけ手加減をしたところで、一般人の目でその剣閃が追える筈がないのである。

 どころか、手加減している今でさえ、初級冒険者が反応できるか微妙なところだ。少なくとも僕は、リズの攻撃に魔物が反応できているのを見たことがない。南の迷宮でさえ、だ。


「ちなみにリリィは、リズの攻撃がどこまで見えた? 軌跡でもいいんだけど」

「……え、っと……軌跡でいいんなら、一応全部見えた、けど……」

「ほう、見えてるのは分かってたけど、それは少し予想外だね。一応今放っている攻撃は、南の迷宮での攻防を想定してのものだったのだが」


 そう言ってリズは本当に驚いている様子だったけど、僕としてはそんなものだろうと思っていた。

 攻撃が見えていたこと自体は、攻撃の瞬間に視線が動いていたことからも明らかであり、リズが気付いたのもそれが原因だろう。

 しかし僕にはあと二つほど補足可能な情報があった。

 その一つが、リリィのレベルである。


 ――十三。


 そう、レベルだけで言えば、リリィは初級冒険者の域に達しているのだ。

 しかもこれはかなり前に見た時から変わっておらず、南の迷宮に行ったことは関係がない。つまりはレベルだけで言うならば、路地裏で襲われそうになった男達よりも、よほど高いのである。

 もっとも幾らレベルが高くてもそれを発揮できなければ意味がないし……あとは多分、筋力的な意味だけで言うならば、おそらくは発揮できても大差はなかったのではないかと思う。

 それは同時に、情報の二つ目とも関連している。

 リリィのスキルを確認した時、その一つに闇纏いが存在していた。実際この目で使用した姿を確認しているから、使えるのは間違いがない。

 ただしあれを覚えるには、二十後半程度の敏捷力が必要だ。リリィのレベルとは噛み合わず……しかし一つだけ考えられることがあった。

 レベルが上がる際、ステータスの各数値も上昇する。が、それは一律に上がるわけではなく、詳細は省くけれど、先天的要素と後天的要素の複合結果により偏るのだ。

 先の二十後半程度の敏捷力というのはあくまでもその平均的数値であり、人によってはもっとレベルが上がらなければ到達しなかったり……もっと早い段階で到達していたりする。

 要するに、リリィのステータスはおそらく敏捷力に特化している、ということだ。

 最初から狙ってそうしたのか、或いはそうなっていたからそれに相応しいスキル構成にしたのか……それは分からないものの、まあどうでもいいことではある。

 重要なのは、リリィが二十後半程度の敏捷力を持っている、ということだ。

 敏捷力は自身の行動速度の他にも所謂動体視力などにも関わってくる。現在の僕とほぼ変わらぬそれがあるならば、そりゃあ見えるだろうという話だ。

 とはいえ完全に見えていないのは、本人がそれを自覚していないせいだろう。そのせいで本来の力を発揮することが出来ていない。

 スキルに関しても言われた通りやっているだけで、本人は何がどうなっているのかよく理解してないようであるし。

 尚、敏捷力が高い分、逆に他のステータスはかなり低いことになっているはずだ。特に対となりやすい筋力に関しては、ほぼ一般人と変わらぬレベルなのではないだろうか。発揮できても筋力的には大差がなかったというのは、そういう意味だ。

 まあ何にせよ、今の状況は宝の持ち腐れであり、少しずつ自覚させ発揮できるようにしていった方がいいと、そういうことである。スカウトになるにしろ、ならないにしろ、その力は無駄にはならないだろうし。

 ともあれ。


「まあつまりそういうわけで、リリィは自分がどう思っていようとも、ちょっと普通ではないってこと。目だけじゃなくて、多分ここら辺の魔物相手なら、問題にならないぐらい動けると思うよ?」

「ま、だろうね。動体視力が良いという人は珍しくはないが、そこまで見えるのならばそれだけということはないだろうしね」

「え……で、でも……ま、まだ魔物と戦うなんて……正直、怖い。迷宮を歩くのには少し慣れてきたけど……魔物の姿を見かけると、身体が竦んじゃうし」

「ん? いや、別に魔物と戦わせるつもりなんてないけど?」

「……え? だって、前に出る、って……」

「うん、言ったけど、文字通りそれだけの意味だよ? 後ろで守られてるよりは緊張感もあるし、変化も生じるでしょ?」

「……」


 無言のままジト目を向けられるのを、肩を竦めて返す。まあ、敢えて勘違いするように言ったのも事実ではある。

 ただ。


「少しずつ慣れていくって意味で提案したのも事実だよ。まあ本気でやる場合は第一階層から徐々に、って形になるだろうけど」

「そうだね。ここからでも問題はないだろうが……万が一、ということもある。急ぐ必要はないのだし、ゆっくりと慣らしていくことになるだろうね」


 何にせよ、結局今やらないという意味では、同じだけど。

 変化を生じさせるのは簡単だけど、それをやるかどうかはまた別の話なのである。


「ふむ……つまり、リリィにはそれなりの才能が眠っている、ということなのじゃな」

「だね」


 レベルという概念が存在していない以上は、そう言ってしまうのが無難だ。

 厳密に言うならば、リリィのレベルが高いのは、おそらくスキルを覚える過程で組み手か何かでもしたのだろうと推測されるも……まあ、どうでもいいことではある。

 今のリリィはそれなりにレベルが高い。重要なのはそれだけであり、それだけで特定の人から羨望の眼差しを送られるには十分な要素なのである。


「ぬぅ……正直言って羨ましいのじゃが、今は我慢じゃな……ここで無茶をしようとすると、後で怒られるしの」


 なんかその言葉はどこかで聞いたことがあるような気がして、苦笑を浮かべた。

 まあでも、無茶をしないで済むならば、それが一番だ。それが分かっていて、そこで留まれるだけ、何処かの誰かよりはマシだろうと、再度苦笑を浮かべる。


「ま、無茶をしないって方針には異論はないかな。というわけで、残念ながら今回は何の変化もなし、ということで」

「うむ、仕方ないの」


 リナリアもさすがにリリィが危険な目に遭う可能性を取ってまで変化を求めてはいないのか、素直に頷いた。

 もっともリナリアがそういう少女だと分かっていなければ、最初からそんな提案はしていないけれど。


「……わたしは別にやってもいいわよ?」


 しかしリリィはリリィで変な意地でもあるのか、淀んだ瞳と共に言葉を投げられるも、肩を竦めて返す。

 生憎とそれは、誰も望んではいないのである。

 ここには居ない人のことも、含めて。


「気持ちは嬉しいけど、気持ちだけを受け取っとくよ。無茶したらアークさんに怒られそうだしね」

「ぬ? アークとは、リリィの親御さんのことかの?」

「というよりは、保護者に近い……のかな?」

「ふむ、妾にとってのマリーみたいなものかの。……うむ、それは怒らせたらいかんのじゃ。怖いからの」

「だね。僕にも怒ると怖い保護者代わりが居るからよく分かる」


 僕達は見つめあうと、頷きあった。分かり合った瞬間である。


 などということをしている間も、実は足は動き続けていた。変わらぬ周囲の中を歩き、時折現れる魔物はリズが瞬殺する。

 しかしそうしていてもやはり何も起こらず、リナリアではないけど、何でも良いから何か起これと思ってしまうのは仕方がないのではないだろうか。

 そしてそんな祈りが通じた――通じてしまったのか。

 そこに辿り着いたのは、そのすぐ後のことであった。











 行き止まり。

 一言で言い表してしまえばそこはそういうわけであり、しかし同時にそれだけではなかった。

 それがあったのは、足元である。


 ――魔方陣。


 所謂それは、そういうものであった。


「ぬぅ……? 待ち望んでいた変化ではあるのじゃが……これは、何なのじゃ? 何らかの罠かの?」

「魔方陣、とか言うんだっけ? 迷宮にはこんなものまであるの?」

「んー……少なくとも僕は聞いたことがないけど……どう思う、リズ?」

「ふむ……そうだね、私も聞いたことはないし、見たこともないものだね。ただ、罠……というのとは、少し違うような気がするかな」


 それは同感である。

 先にも少し話したけれど、罠とはそれと分かってしまっては意味がないのだ。勿論そうして油断させておいて、というのもないではないけれど、これは幾ら何でも違うだろう。

 それに、この世界で魔方陣とは普通使われるものではない。理由は単純で、意味がないからだ。

 魔導書に書かれていたり、マジックスキルの中には発動時に魔方陣が出現するようなものもあるものの、それはあくまでもフレーバー的なものであり、ただのエフェクトに過ぎないのだ。魔方陣そのものに意味などはないのである。

 しかし何の意味もなく描かれているというのは、やはり考えにくい。魔方陣そのものには意味がなくとも、そこには何らかの仕掛けが存在している、と考えた方がいいだろう。

 通常そういったものを調べるのはスカウトの役目なのだけれど……まあ、言っても仕方のないことである。僕達でどうするのか、考える必要があるだろう。


「一番いいのは無視することだけど……」

「ぬ……? 折角見つけたのに、無視してしまうのか?」

「だよねぇ。勿体無い気がするしね」

「とはいえ、勿体無いからって、危険かもしれないものをどうにかしようってのは、それはそれであれじゃないかしら?」

「その意見はもっともだが……まあ、所詮東の迷宮の第六階層にあるものでもあるしね。そう気を張る必要もないだろうさ」


 勿論例外はある。件のテレポーターのように、東の迷宮の浅い階層だからと油断できないものも存在しているのだし、これがそれより性質の悪いものだっていう可能性も否定は出来ない。

 が、あくまでもそれは可能性の話だ。そんなことを言い出したら、何だって有り得るようになってしまう。

 例えば、この魔方陣を起動させることで、あの邪神が蘇る、とかもだ。

 有り得ないとは分かってはいても、可能性がゼロではない以上否定もしきれない、ということになってしまうだろう。

 そしてそんなことを言っていたらキリがなく、大体迷宮に魔方陣なんてあからさまなものがあれば聞いたことがないわけが――


「……ん?」


 そこまで考えたところで、ふと何かが引っかかった。

 そう……そんなあからさまなものがあれば、話題に出ないわけがない。話題に出ていれば、覚えていないわけがなく……しかし少なくとも僕は、そんな話をアイリスから聞いた記憶はない。


 ――アイリスからは。


 では、それ以前には……?

 迷宮に、魔方陣。そんな話を、何時か何処かで、聞いた覚えがあるような……?


 ――なんて、そんなことを考えていたせいだろうか。


「ふむ……案ずるより産むが易し、などとも言うしの。まずは触ってみたらどうなのじゃ?」


 反応が、一歩分遅れた。


 リズも思考に意識を割いていたのか、咄嗟に動くことは出来ず、リリィに動けというのは、そもそもが無茶な話だ。

 魔物の気配もなかったため、碌に警戒もしておらず……そんな意識の合間を縫うように、その足が前に出、手が伸びる。

 言葉よりも先に、止めるべくこちらも手を伸ばすも――遅かった。


 リナリアの手が魔方陣に触れたのと、直後にそれが反応したのはほぼ同時。

 まるで待ち構えていたかの如く、一瞬にしてその全体が光を放ち、輝きだした。


「あー……うむ。妾今ふと思い出したのじゃが」


 それを眺めながら、ゆっくりとこちらを振り返ったリナリアの顔に浮かんでいたのは、気まずそうな、何ともいえないものであった。これで失敗失敗、とか言って笑みでも浮かべられていたらさすがに拳を振り下ろせざるを得なかっただろうけど、その必要はなさそうで一安心である。

 まあこのまま無罪放免となるかどうかは、また別の話だけれど。


「色々と言いたいことはあるけど……一先ずは置いておこうか。で、何を思い出したって?」

「うむ、実は妾マリーから何か行動を移す前に一度よく考えろと言われていたのじゃ」

「……言われてたのに、案ずるより産むが易し、なの?」

「それは妾の座右の銘じゃからな」


 そんなことを言われているのにそれが座右の銘なのか、或いはそれが座右の銘だからこそそんなことを言われているのか。

 まあ、何にせよ……後悔先立たず、ということに違いはない。

 溜息を吐き出した。


「……すまぬのじゃ。迷宮では注意しなければならないと分かっていたのじゃが、これまで何もなかった故……いや、これはただの言い訳じゃな。妾の不注意のみが原因じゃ」

「まあ、やっちゃったことはもうどうしようもないしね。それより、動ける?」

「うむ、先ほどから試してはいるのじゃが……どうにも腕が張り付いてしまっているようでの。無理そうじゃ」

「やっぱりか。……リズ、腕を斬り飛ばせばどうにかなると思う?」

「多分無理だろうね。腕のみを固定してるのはそれが最初の手間だということだけで、妨害しようとすれば次は足か……それか、身体全体にでもなるんじゃないかな?」

「だよねぇ」


 こういったものの定番だ。そう簡単に脱出できるのならば、苦労はしない。

 もっとも、というよりは、どちらかと言えばそれは弾き飛ばされないための処置なのだろうけれど。これが罠でない以上、本来はそのためのもののはずだ。

 そう断言出来るのは、これが何であるかを思い出したからである。

 そういえばと頭を過ぎるのは、かつて誰かが言っていた、迷宮に設置するという移動装置。その基点となるのが、魔法陣などとも言っていたような気がする。

 普通であれば使うことはないのだから、分かりやすいだろうとかも。

 確かに分かりやすくはあった。問題は、あまりに使わない知識過ぎて、今の今まで忘れていたことだけれど。


「うむ、まあ、じゃろうな。分かっていたことじゃ。しかしだからこそ、妾に触れるか、ここに入るでもしない限り巻き込まれることはないじゃろう」


 その言葉もまた、正しいことであった。

 移動装置である以上、周囲を無差別に運んでしまうのは問題だ。その選定の為に、そういったセーフティを用意しておくのが普通である。

 それは移動装置としては当然の情報であり……ただし普通の一般市民は移動装置なんてものをそもそも知らないのだけれども……まあ、それはどうでもいい話だ。

 重要なのは、そこが罠との決定的な違いだということである。

 この状況であれば、罠であろうと移動装置だろうと結果的に違いはない。迷宮内の移動装置とは、要するに奥へと簡単に進むためのショートカットだからである。

 しかしそれは、それを発動させた本人にとっては、の話だ。

 罠は発動させたが最後、周囲すらも巻き込むものであり、けれど移動装置は、望まなければ周囲の者は巻き込まれることはないのである。

 つまり――


「なに、先に述べたように、責任は全て妾自身にしかない。まあ、迷宮に来るという時点で覚悟していなかったわけではないしの……遠慮なく置いていくが良いのじゃ」


 そう言ってリナリアが浮かべたのは、何かを諦めたかのような笑みだった。

 それを、何処か浮かべ慣れていると……そう思ったのは、何故なのだろうか。

 肩を竦め、溜息を吐き出した。


「……ま、仕方ないか」

「……うむ、そうじゃの。これは……仕方のないことなのじゃ。じゃから――」

「とりあえず、説教は後でかな。まあ、それとは別にマリーさんに報告する必要がありそうだけど」

「う、うむ? ……うむ。そうじゃな、後でちゃんと説教は受けるのじゃ。なに、妾これでも悪運は強い方でな。ちゃんと無事に戻る故、マリーへの報告はちょっと――」

「さて……こういう時って、どういう言葉を掛ければいいのかな?」

「さて、生憎と私もこういう経験はないからね。だが、個人的には大層なものは……いや。そもそも必要ないと思っているかな。行動で示してくれれば、それでいいさ」

「そっか」

「んー……ぬ? ……トウマ? ……リズ?」


 いい加減話が噛み合っていないことに気付いてきたのか、訝しげな視線を向け、声を掛けてくるも、そこに反応はない。

 ただ。


「リリィは何かかけて欲しい言葉とかあったりする? 今ならリクエスト受け付けてるけど?」

「り、リクエスト……? ……い、いらないわよっ」

「何で若干間があったの?」

「煩いわよ別にいいでしょっ。大体がそもそも必要ないことなんだし。アンタが言ったように、仕方のないことで、誰も悪くはなくて……ただ、夢から覚めて、起きたときに、気分が悪くなりたくないだけだもの」

「……リリィ?」


 やはり誰も答えず、二人の顔に浮かんでいるのは、苦笑だった。

 多分、僕の顔に浮かんでいるのも同じだろう。

 ただ一人、リナリアだけは、何処か呆然としたものを浮かべているけれど。

 しかしそれに構うことなく、僕達は言葉の代わりとばかりに、一歩を踏み出した。

 前に、魔方陣へと向けて。


 光が満ちたのは、その瞬間であった。

 踏み締めた足元から、一瞬にして僕達の視界を真っ白に染め上げる。

 それは視界だけではなく、思考にまで及び――その光に押し流されるように、意識まで白で塗り潰されていくのであった。











 意識が途切れていたのは、果たしてどれぐらいの時間だったか。

 数秒と言われればそんな気もするし、数時間と言われたらそんな気もする。何処か時間の感覚が曖昧なまま、それでも思考は瞬時に戻った。

 同時に戻った視界は、直前までのそれと違いクリアなものだ。もっともそれは予想通りであるので、驚くに値しない。すぐさま周囲を見回し、視界で確認すると同時に気配を探ったのは、以前の経験からである。

 結論から言ってしまえば、特に何かが起こるということはなかった。魔物の襲撃などはなく、その気配すらもない。

 ついでに言うならば、全員がバラバラになっている、などというようなことないようであった。地面に触れたままのリナリアに、慣れない感覚に少し酔ったのか、ふらついているリリィ。僕と同じように周囲を警戒しているリズと、全員同じ場所に居る。

 それらのことを確認し、安堵の息を吐き出した。

 そうして、再度視線を巡らせる。今度は周囲の様子を、よりはっきりと確認するためだ。


「んー……ここは部屋、でいいのかな?」

「の、ようだね。まあ、ギリギリ、といった感じではあるが」


 通路よりも一回り大きいだけの部屋。ここはそんな感じの場所であった。

 上下左右にあるのはむき出しの岩肌と、そこは先ほどまでとの違いはなく、本当にそれだけだ。さらに周囲を見回してみても何の変哲もなく、僅かな期待を覚えつつも探した魔方陣は影も形もない。或いは双方向に通じる装置ではないかと期待したものの、やはりそう都合よくはいかないようだ。

 まあそれもまた予想通りではあり……道へと通じているのは、左右の二つのみ。

 さて。


「どうしたもんだろうね……?」


 呟きは独り言であり、同時に問いかけでもあった。

 それに応える形で、リズの言葉が返される。


「ふむ……まあここでのんびりしていても仕方ないだろうから、あの左右の道を探るとして……方法は三つ、かな?」

「三つ? 一つが全員で片方ずつ向かうとで、もう一つが二手に分かれて両方同時に探るので……?」

「もう一つは、一人がここに念のために残って、という形かな」

「ああ、なるほど」


 などということを話していると、どうやらリリィが回復したらしい。


「うぅ……まだちょっと気持ち悪い」

「大丈夫? 休んでてもいいよ?」

「そうだね。出来るだけ早く動いた方がいいだろうが、そこまですぐじゃなくてもいいだろうしね」


 それは気を使ってのものではあったけれど、嘘というわけでもなかった。

 早く動いた方がいいというのも事実ではあるものの、どっちにしろそれ以前の段階で多少の情報を集める必要があるからだ。完全な未知のまま手探りで先に進むとか、怖いにも程がある。

 しかしその提案を、リリィは首を横に振って拒絶した。


「ううん、大丈夫……本当に、ちょっとだし。……というか、何で二人は平気そうなのよ?」

「んー……慣れ、かな?」

「ふむ……ま、そういうこと、だね。迷宮の探索をしていると、色々なことがあるものさ」

「……そうなの?」

「続けてれば、多分リリィもすぐに分かるよ」

「……出来れば分かりたくない気がするわね」


 何とも言えない表情を浮かべるリリィに、肩を竦める。

 まあ、実際ないに越したことはないのだけど……何せパーティー結成初日からしてこれだ。リリィは以前にも碌でもないことに巻き込まれていることを考えれば、おそらくその祈りが届くことはないだろう。

 それは同時に僕も巻き込まれる、ということではあるものの……最近では割と諦め気味だ。というか、むしろ僕が巻き込むまである。

 と、それはともかくとして。


「リナリア? 大丈夫?」


 先ほどから、リナリアはピクリとも動いていなかった。

 気絶しているわけではなさそうだけど……まあ、肉体的にはこの中で唯一の一般人だ。リリィも意識的にはほぼ一般人だけど、意識していなくともその肉体は一般人のカテゴリからは外れている。リナリアだけに何らかの悪影響が起こっていても不思議ではない。

 が、どうやらそういった様子でもなさそうだった。


「……ぬ。い、いや……大丈夫……なの、じゃ」


 動き出したリナリアの目が、こちらに向けられる。その動きは何処かぎこちさなこそあったものの、きちんと焦点は合っているし、危険な感じはしない。

 とはいえ、大丈夫そうかというと、それはまた別の話だ。

 いや、具体的に何処かどうおかしい、とかは分からないのだけれど。


「……本当に? なんか、大丈夫、って感じじゃないけど」

「いや……本当に……大丈夫なのじゃ」


 首を振り、手元を擦ったリナリアの視線が、再度こちらを向く。

 確かに、先ほどよりも少しは力強さが増したものの、何処か不安定なのに変わりはない。

 しかしそれを指摘するよりも先に、リナリアの口が開いた。


「それよりも、聞きたいことが一つあるのじゃが……聞いてもよいかの?」

「聞きたいこと? まあ、別にいいけど……僕に分かることなら」

「なに、簡単なこと故大丈夫じゃ。……それでじゃな。何故、妾を見捨てていかなかったのじゃ?」

「……うん?」


 首を傾げたのは、それが予想外の質問だったからである。

 いや、本当にそんなことを聞かれるとは思ってもいなかったし、むしろ何故そんなことを聞くのか、という方が分からなかったのだ。

 というか、そもそもその理由というのは、何も難しいことでも、珍しいことでもない。


「何故って言われてもね……僕達今依頼中で、しかもそれはリナリアの護衛ってものだしね。さすがにそれを放り出すってわけにも」


 そんなことをしてしまえば、折角クエストを受注可能な程にあるギルドからの信頼を裏切ることになってしまうだろう。依頼の一方的な破棄は、相応のペナルティが課せられる、という話でもあったし。

 特に問題であったのは、あの状況で僕達が引いた場合どんな判断がされるのかが分からなかった、というところだ。依頼主がいない以上僕達はどうとでも言い繕う事が出来るし、それをギルド側も加味するはずである。

 まあ表面上はお咎めなしとなるかもしれないけれど……多分あまりいい結果にはならなかったのではないだろうか。


「……あぁ。うむ……そうじゃな。……確かに、そうじゃ」


 その言葉に、リナリアは何事かを納得したように頷いた。疑問が晴れたとばかりに、その表情は何処かすっきりとしている。

 しかし同時に、そこに少しばかり別の何かが見え隠れしているような気がするのは、おそらく気のせいではないだろう。

 まあ、というか。


「なら――」

「もっとも、そんなものがなかったとしても関係なく飛び込んだだろうけどね」


 言いかけの言葉を遮り、肩を竦めた。

 途端にぽかんとした視線を向けられ、苦笑を浮かべる。

 いや、別に先の言葉も嘘ではない。そういった面があったのも、事実ではあるのだ。

 建前でしかないのも、否定はしないけど。

 そしてそんなやり取りに、僕のパーティーメンバー達も苦笑を浮かべていた。


「ま、だね。仮とはいえ今私達はパーティーメンバーとなっているわけだし……パーティーメンバーを見捨てるほど、私は薄情ではないのさ」

「というか、見捨てたりしたら寝覚めが悪くなるって、さっきも言ったでしょ。それに、そもそも何故って言われても……理由なんて、必要ないわよ。困ってる人が居たら、助ける。当たり前の話でしょう?」


 そう、それは当たり前の話だ。

 リナリアの周囲に居た人達にとっては違ったのかもしれないけれど、それをこちらに求められても困るのである。


「もっとも、あの場で触れてたのがリリィだったらどうなってたかは分からないけどね」

「ちょっ、ちょっと何でよ!? 助けなさいよ!」

「いや、それはつまりリナリアを巻き込むってことでしょ? 護衛対象を巻き込むのも、ね。だからその時には、リナリアはリズに任せて、僕だけが向かうことになってたかな?」

「ふむ、そうだね……そうなった可能性があったかはともかく、もしそうなっていたとしたら、そうしただろうね。急いでギルドまでリナリアを送り届けてから、すぐに戻ってくる、という感じかな?」

「……今のわざとでしょ?」

「何のことやら」


 視線を逸らし、肩を竦める。まあ、わざとだけど。

 と。


「……ぷっ、ふふ」


 笑い声に視線を向ければ、リナリアが肩を震わせながら笑っていた。

 ツボにでも入ったのか、そうしながら目元まで拭っている。

 そこまで面白かっただろうか……? まあ確かにリリィを弄るのは面白……おっと。


「うむ……ずっと思っていたことじゃが、今回のことで確信した。お主らは、かなりの変わり者なのじゃな」

「うーん、そうかな? 普通だと思うんだけど」

「うむ、そうだね。私達如きで変わり者と名乗るなど、おこがましいことさ」

「素直に同意はしかねるけど……でも、そうね。私達は、きっと普通よ」

「……そう、か。これが……普通なのじゃな」


 尚も身体を震わせているリナリアに、誰も何も言うことはない。

 ただそれが治まるのを待ち、その目元が再度拭われる。

 そうして顔を上げたリナリアは、もう普段の様子を取り戻していた。


「うむ……すまぬ、ちょっと取り乱したのじゃ。それと……妾の軽率な行動のせいで巻き込んでしまって、本当に申し訳ないのじゃ」

「だから気にしないでいいって」

「うん、誰かが困っていたら誰かが助ける。助け合いの精神、というのは大事だからね」

「私達の誰かじゃなくても、今度誰かが困ってたら助ける。それでいいんじゃないかしら?」

「うむ……うむ! 分かったのじゃ!」

「それじゃ、その話はここまでってことで……これからどうするのかって話だけど」


 即ち、先ほどの三択のうち、どれにするか、ということだ。

 まあ別に三択じゃなくても、もっといい案があればそれでもいいのだけど……。


「ふむ……とはいえ、正直妾どれがいいとか分からぬからの。任せるのじゃ」

「わたしも分からないから、任せるわ」

「ふむ……出来れば全員の話し合いの結果で決めるのがいいのだが……まあ、仕方ないか。ちなみにトウマはどれがいいと思う?」

「僕? そうだなぁ……」


 言われ、改めて考えてみる。

 とはいえ、実際のところはどれも大差はないはずだ。どれもメリットとデメリットがあり、情報が不足している現状、結局のところは好みの問題にしかならないだろう。

 それでも敢えて上げるとするならば――


「三番目、かな?」


 リナリアとリズで組んで探索し、僕は一人で探索。もしものためにリリィがここで待機、というのが無難ではないかと思う。


「ふむ……私とトウマが逆では駄目なのかね?」

「それでもいいんだけど、僕よりリズのがいざという時リナリアのフォローが出来るだろうしね」


 同様の理由で、リリィとリナリアをここに待機させもしない。今はここは安全のようだけど……突然何かが起こらないとも、限らないのだ。


「うむ……問題はないように思えるが」

「待って」


 しかしそこに待ったをかけたのは、リリィであった。

 はて、先ほど任せると言ったばかりだった気がするのだけど。


「ごめん、さっきは任せるって言ったけど……一ついい?」

「まあ、いいけど……?」

「トウマとわたしを入れ替えるのは、駄目?」

「え? それは……」


 駄目というか……まあ、駄目だろう。何せ何かあった時に、リリィだけでは対処することが出来ない。


「それはここに残っていても同じじゃないの?」

「確かにそれはそうだけど……どっちが危険な可能性が高いか、ってのを考えれると、ねぇ」

「わたしは絶対無理をしないし、何かあればすぐに戻ってきてトウマに助けを呼びに戻る。それでも?」

「うーん、それは……」


 実際のところ、隠形を本気でかけたリリィであれば、僕よりも余程安全だ。一部そういったものに耐性のあるものを除けば、ほとんど破られることはないと言ってしまっても過言ではないだろう。

 というか、その場合は僕でも相手にならないような魔物が相手となるだろうし、誰がその前に立っていようとも結果に大差はない、と言うべきか。

 そして耐性を持っているような魔物は、極端に珍しい。

 条件としては……悪くはない、かな?


「……リズはどう思う?」

「リリィの隠形はここに来る前に見せてもらったからね。アレならば、問題ないんじゃないかな? あとは、トウマの判断に任せるさ」

「うーん……」


 ちらりと眺めてみれば、リリィはジッとこちらを見つめていた。

 多分だけど、駄目といえば素直に引き下がるだろう。ただ……やりたがっているのは、痛いぐらいによく伝わってくる。

 確かにこういった役目は本来斥候のそれであり……しかしきっとそういうことではないのだろう。

 正確には、それだけではない、というべきか。おそらくは色々と考え、その結果の主張であり――


「……分かった。なら、今回はリリィに任せた」

「……っ! ……ええ、任されたわ」

「でも、いい? 絶対無茶はしないこと。何かを見つけたら、例え大丈夫そうでも、ここに戻ってきて僕に助けを求めること」

「分かってるわよ。わたしだって別に死にたいわけじゃないもの」

「あとは――」

「ふふ……トウマ、母親みたいになってるよ? そんなに心配しなくても、リリィは大丈夫さ。無茶をしそうにはない、ってのは、見れば分かるだろう?」


 思いつく限りの注意をしていると、リズからそんなツッコミを受けた。

 いや、でも、と反射的に思うも……確かに、その通りであった。


「それは……あー、うん。まあ……とりあえず、気をつけてね」

「それこそ、分かりきってるわよ」

「おや、私達には何もなしかい?」

「ふむ……酷い贔屓じゃの?」


 台詞とは裏腹に、二人の顔に浮かんでいるのはからかうような笑みであった。どの顔してそんなことを言うのやら、という話である。

 いやまあ、ある意味では間違っていないのだろうけれど。

 やれやれと、溜息を吐き出す。


「はぁ……二人とも、気をつけてね」

「うん、そうするよ。安心して吉報を待っているがいい」

「うむ、妾なりに頑張ってくるのじゃ」


 そしてやることが決まれば、行動までは早い。こんな状況であるから、とりあえず動いてみなければ始まらないのだ。

 そう言ってその場から三人が離れていくのを眺め、再度溜息を吐き出し……苦笑を浮かべる。

 さて、どうなることやらと、そんなことを思いながら、一先ずその場に座り込むのであった。

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