幕間 闇の向こう側とその欠片
宵闇だけが広がる中を、二つの影が駆ける。音もなく、風のように素早く、しかし確かな存在感を持つそれらは、それでも誰にも気付かれることなく街中を抜けていく。
先頭を走るのは、紅蓮の如き紅だ。まるで黒で塗り潰された街中を切り裂くように、先へ先へと進んでいく。
そのすぐ後を走るのは、静寂な湖面の如き水色。ひっそりと、それでいて流れるように、纏わり付く闇を気にすることなく先へと向かう。
二人は視線を交わすこともなく、ひたすらに地を蹴り進み――不意に音が響いたのは、街の城門を飛び越えた直後のことであった。
「ったく、まさか街の外に出てるなんてな……面倒ったらありゃしねえ」
声は、先頭を走る少女のものだ。言葉の通りに面倒そうに溜息を吐き出すも、その速度が緩むことはない。荒野の真っ只中を突き進みながら、不意にその肩が竦められた。
「分かってるよ、放っといたらより面倒なことが起こるってのはな。だがこれが面倒なことに違いはねえだろ?」
独り言を言っているだけにも見えるが、そうではない。少女――テミスは、後方からの視線を感じ、その意図を読み取ることで言葉を返したのだ。
後方を走る少女――ティアとの付き合いも、何だかんだでそれなりに長い。視線一つで言いたいことを察する程度、訳ないことであった。
もっとも今回向けられたそれは咎めるようなものであったので、視線さえ感じる事が出来れば誰だって理解できた事であろうが。
そして再度同じような視線が向けられ、テミスもまた同じように肩を竦める。言いたい事は分かるが、それとこれとは別問題なのだ。
ただ、愚痴を言ったところでどうしようもないこともまた事実である。再度溜息を吐き出すと口を噤み、睨みつけるように前方に向けている瞳を細めた。
二人がそのような真似をしている理由を知るには、今から三十分ほど時間を巻き戻す必要がある。
時刻は深夜過ぎ。場所は、冒険者ギルド本部。いつものように秘密の会合を行なおうとしたまさにその時に、それは起こった。
唐突に周囲に響き渡ったのは、けたたましい音である。トウマなどが聞いていれば、聞き覚えのあるそれに別の意味で驚いたかもしれないが、どちらにせよ煩いことに変わりはない。
だが問題だったのは、そんなことではなかった。その音が鳴ったこと、それ自体が問題だったのである。
ただ、即座にその問題に気付くことが出来たのは、アイリスとテミスの二人だけであった。理由は単純で、その意味を知っているのが、二人だけだったからである。
もっともどちらかというならば、それが普通だ。ギルド職員でなければ、その音を聞く機会などないはずだからである。
そして二人が知っていたのは、年に一度訓練と称し、聞く機会があったからだ。しかし逆に言うならばそれ以外に聞く機会はなく――聞いてはいけない音であった。
その音というのは、封印区画に異常が発生した際に鳴らされる音なのである。
封印区画とはその名の通り、ギルドによって封印の判断がなされ、その処置が施されたものが置かれている場所のことだ。ギルドの真下、第三階層に存在していており、その上の第二階層には、ラグナで犯罪を犯した者を収容しておく施設などもある。
ともあれ、そこで発生した異常事態だ。そのことがどれだけ危険であるかは今更言うまでもなく、しかもタイミングは最悪であった。
その状況で最も疑われるのは誰か。それを考えれば、アイリス達が迅速に動いたのも当然のことと言えるだろう。
端的に結論を述べてしまうのであれば、異常の原因はすぐに発覚した。封印区画にて隔離されていた、とあるものが無くなっていたのである。
当然独りでに無くなることは有り得ず、侵入者の存在も明らかになる――むしろそれこそが異常の原因であったと考える方が自然だろう。
しかしそのことでアイリス達が困惑することとなったのは、侵入者の痕跡がなかったから――では、ない。逆だ。これでもかというぐらい、その場にはその痕跡が残されていたのである。
それだけであればただの間抜けと捉える事もできようが……それならば、今度はそこに辿り着くまでに侵入者の姿を見つけることが出来なかったのがおかしい。
そこに何処かちぐはぐな印象を受け――だが何にせよ、追わないという選択肢はなかった。
かといって全員で追わなかったのは、アイリスかテミスのどちらかは残らないとこの異常が周囲に伝わってしまうからである。厳密に言うならば、それそのものは問題ではなかったが、そのことを調べられてしまうと、芋づる式にアイリス達のことも発覚しかねない。
故にその場に残る者と後を追う者に分かれることになった、というわけである。
一方。
同時刻、南の迷宮の入り口傍に、二つの影が忍び寄っていた。
とはいえあくまでもそれは本人達にとってはそのつもりであった、というだけであり、実際には相当にお粗末なものである。初級どころか見習いの冒険者にすら見咎められかねない、それはそういったものだ。そうならなかったのは、単にその場に誰も居なかったからに過ぎなかった。
そう、その場には誰もいなかったのである。夜中であろうと関係なく居るはずの守衛の姿すら、その場にはなかった。
居たのは、他にたった一つのみ。誰かと言っていいのかすら分からない、黒いローブを纏った何かだ。
しかし見るからに怪しいそれに対し、むしろ二つの影は――男達はホッとした様子で近付いていった。
「よう。こんなとこを指定してくるなんて何事かと思ったが……ちゃんと居てくれて安心したぜ。ま、居なきゃ居ないでこのままバックレてただけだがな」
「むしろそっちのがこっちとしてはよかったんじゃね? こんな時間だとはいえ、誰にも気付かれずここに来れた上、あの城壁まで越えられたんだぞ? やりたい放題できんだろ」
「確かにな。だが……つまり俺達はそれを捨ててわざわざここに来たってわけだ」
「ああ。まさがその報酬がこれよりちんけなんてこたないよな……? 期待してんぞ?」
そのようなことを言いながらさらに近付いていく男達の顔が、月の明かりに照らされ、闇夜に浮かび上がる。それは特別何ということのない、何処ででも見かけそうな顔であったが――トウマやリリィが見ていれば、驚いたことだろう。
男達は、リリィを襲おうとしていた、あの者達だったのである。
そしてアイリス達が見ていれば、また別の意味で驚いていたに違いない。男達は、未だ第二階層に収容されているはずなのだ。
「それだけじゃねえ。俺達はこれのためだけに、わざわざ捕まったりもしたんだ」
「殴られてまでな。……ちっ、思い出したら腹立ってきたな、あのガキ共。ここに来る前に、一度礼をしに行くべきだったか?」
「どこにいんのかわかんねえだろ。それに、何……この後で存分にやってやればいいだろ?」
「……それもそうだな」
男達が言い合っている間も、ローブのそれは反応すら見せることはなかった。ただ、男達のことを観察するように眺めた後で、不意に言葉が放たれる。
『……それで、物はどうした?』
声は、男とも女とも取れるような、不思議なものであった。篭っているくせに聞き取りづらいということはなく……いっそ不気味と言うべきかも知れない。
男達がそこに反応しなかったのは、既に一度聞いたことがあるからか。気にした様子も見せずに、腰から下げていた袋を手に取ると、その口を開け中身を見せるように突き出した。
「おう、これだろ?」
「言われたから盗ってきたが……本当にこんなんでよかったのか? 他にも何か色々と凄そうなのがあったけどよ」
その中に入っていたのは、一見すると植物にも見え、しかしすぐにそうではないことに気付くような、何処か不気味な何かである。
だが見た目に反しそれは怪しいものではなく――端的に結論だけを言ってしまうならば、それはマンドラゴラであった。
ただし男達が盗ってきたそれは、ギルドにて封印されていたものである。普通であるはずがなく……それは見た目からして一目瞭然であった。
通常マンドラゴラとは白から茶色をしているものなのだが……そのマンドラゴラは、全身を真っ黒に染め上げていたのである。
『……ふむ、確かに』
しかしローブの何者かは、それを気にすることなく……どころか、その声に満足気な色すらも乗せていた。男達からそれらを受け取ると、袋から取り出しそのままローブの中へと仕舞う。
男達がその様子を不気味そうに眺めていたのは、そのマンドラゴラがどういったものであるのかを、知っていたからだろう。
通常のマンドラゴラであれば霊薬の材料となるが、黒く染まってしまったそれはもうそうして使うことは出来ない。何故ならば、黒く染まってしまったということは、その呪いが全身へと至ったことを意味するからだ。
それは迷信などではなく、事実である。採集方法を間違えてしまうと呪いに襲われるように、マンドラゴラはその内部に呪いを溜めているのだ。
霊薬とする場合はそれを取り除くのだが、溜まっている間のそれは熟成され、放っておくと全身に行き渡ってしまう。
そうなったマンドラゴラは、触れるだけで呪いを感染させ、さらには尽きることがない。マンドラゴラごと処分するしかなくなってしまうのである。
しかも処分には高位の錬金術師の力が必要であり、ギルドで封印されていたそれらは、アークに頼むはずのものであった。優先度の高いものから順に回していたため、今まで処分されずにいたのだが、それが盗まれてしまった形である。
まあこの場合での問題は、それを盗まれたことというよりは、ソレが呪われた様子もなく素手で掴み、仕舞ったことだろう。
一体何者なのか。見た目からして怪しかったそれに、男達は改め訝しげな視線を向け――
『さて……褒美であったか』
だがその言葉に、疑問を忘れ喜色をその顔面一杯に広げた。
何せギルドにわざわざ捕まった後で封印区画まで忍び込み盗んできたものだ。当然そんなことがばれれば極刑は免れ得ない。その対価となれば、否が応にも期待せずにはいられず――
『では、受け取るがいい』
それが、男達の耳にした最後の音であった。
直後、二つの身体が一瞬にして、跡形もなく弾け飛ぶ。あまりにも呆気なく、簡単に。おそらく男達は、自分が死んだことにすらも気付けなかっただろう。
『苦しむことのない死。これ以上ないほどの褒美だろう?』
有り触れた言葉と言えば、有り触れた言葉だ。しかしローブのそれは、その言葉を本気で言っていた。
心の底から、それが褒美に値するものだと思っていたのである。
何故ならば――
『ふむ……なるほど、気付かれていたのか。まあ、物は既に回収済みだ。特に問題はあるまい』
その言葉に応えるように、その場に新しく現れたのは、二つの影。
テミスとティアであった。
その姿を目にした瞬間、テミスはその口元を引き攣らせていた。
一目見ただけで分かる。アレは、今まで相対してきたものの中で、最悪の部類に入るものだ。
アレを相手にするぐらいならば、上級の未踏破階層に単身で乗り込むほうがまだマシだろう。それはそういうものであった。
だが生憎とここで引き返すという選択肢は無い。もっともそもそもの話、今から逃げようとしても逃がしてはくれないだろうが。
「さて、うちのギルドに侵入してくれたのはテメエ……じゃ、なさそうだな」
それでもその態度は崩さずに、目を細める。
感じたのは、僅かな大気の揺れ。そこに流れている、微かな死臭だ。
そこからたった今誰かが殺されたことを察し、さらにそれが下手人だろうということまで読み取る。
一歩遅かったかと舌打ちをするも、すぐに切り替えた。
「ま、テメエがやらせたってことに変わりはなさそうだし、問題はねえ。何のために呪われたマンドラゴラなんかを必要としてやがる」
『……ふむ、ギルドの人間か。まだ接触するつもりはなかったのだが……問題はない。私の復活の為の贄は、幾らあっても困ることはないからな』
その言葉にテミスは一瞬眉根を寄せ、直後に目を見開く。何を言っているのか、その意味を理解したからだ。
「復活……だと……? テメエ、まさか……!?」
『ほう……もしや私のことを知っている口かね? だが、無駄話は嫌いではないが、今の私にはあまり時間がない。褒美を与えるので、これで我慢してくれ』
言った瞬間であった。テミスの頭部に爆発が生じ、爆ぜる。
先ほど男達を始末した時のものとは別のものだが、威力の程は遜色がなく――
『ふむ、油断をしていたつもりはなかったのだが……というよりは、私の推測が甘かった、というべきだな、これは』
発せられたのは、何処か感心したような響きを含んだ声であった。
「ふん。生憎と、テメエを認識した瞬間からこっちには油断なぞ欠片もねえからな」
それに応えたのは、緊張を含みながらも、自信に満ちたものだ。
爆発が晴れた先にあったのは、無傷の頭部。庇うように持ち上げられた左腕には僅かに傷があるも、両者共にそれが傷だとは認めないだろう。
「つーか例え油断しなかったとしてもこの程度で殺されてやれるかよ。こっちは伊達や酔狂でタンクやってんじゃねえんだぞ? それに――」
『――む』
「――ファイアーストーム」
直後、言霊に応じ、大気が爆ぜた。
瞬間的に莫大な量の炎が発生し荒れ狂う様は、まさに名前の通りに炎の嵐だ。現象だけで言うならば以前トウマも目にした炎柱にも似ているが、その規模と密度が異なる。
数値に表せば数十倍にもなり、それがもたらす余波のみで空間を歪め、地面を溶かす。
そしてそれを放ったのは、他でもない。最初から口を挟むことなく、そのタイミングのみを図っていたティアだ。
「~~~~っ、さすがにこうも近いと熱気がすげえな……耐え切れないほどじゃねえが」
頬を流れる汗に、熱にも強いはずの自分が余波でこれかと、相変わらずの火力に、呆れにも似た感嘆がテミスの口元から漏れる。それを目にして平坦で居られるような者など、上級冒険者の中にすらいないだろう。
だが汗を拭うことなく、ジッとそこを眺め、瞬きすらする様子がないのは、その程度で倒せるような相手ではないと分かっているからだ。
そしてそれを肯定するかのように、炎の中から、ゆらりとローブが歩み出てくる。
ローブは燃えるどころか煤けた様子すらなく――
『ふむ……ここまで出来るものが居るとは――』
「――エクスプロージョン」
しかし構うことなく、続けざまに言霊が紡がれた。
それにより発生し襲い掛かったのは、爆撃。ただし今度のは、規模的には極々限定的なそれだ。ファイアーストームどころか、ファイアーボールにすら劣る。
だがあくまでもそれは初動の話に過ぎない。威力の面で言うならば、文字通りの意味で桁が異なり――それを証明するものが、一瞬の後に訪れた。
それはつまり余波であり――しかし余波に過ぎないはずのそれが、ラグナの城壁にすら届きかねないほどにまで広がった。
地面が抉れ大気が掻き乱され、周囲に存在しているありとあらゆる物を薙ぎ払う。
そしてそれはテミスすらも例外ではない。踏み止まることすらも出来ずに、諸共吹き飛ばされた。
「……っ! 馬鹿っ、それを使う時はせめて一声かけとけ!」
「……追撃すべき場面かと思って」
「その判断は間違っちゃいねえんだが、こっちにも被害来てんだろ! つーか自分にすら来てんじゃねえか!」
そもそもエクスプロージョンは、本来障壁を張ってから使うものである。それのおかげで衝撃を防ぐことが出来るのだが……当然その分攻撃は遅れ、先の場合は防がれてしまう可能性もあった。
故にそれを嫌っての追撃は、判断だけは間違っていない。が、そのせいで術者本人であるティアまでもが吹き飛んでいるのは、少々情けなさもあった。
だがどうやらその甲斐は十分にあったようだ。
『……ほう。これは予想外だ』
爆撃地より現れたのは、右半身をごっそりと消失したそれであった。それでもローブを纏ったままであるのは、それがあくまでもローブの形を模った何かでしかないからだろう。
未だ余裕そうに見えるそれに向け、ティアがさらなる攻撃を仕掛けようと右腕を持ち上げ突き出す。
しかしそれを止めたのは、攻撃を受ける側であるローブのそれであった。勿論命乞いのためではない。
『無駄なことは止めておいた方がいい。ああ、私に通用しない、という意味ではないぞ? 次の一撃で私は跡形も無く消滅するだろうが、それはこの身体が、というだけだ。そもそもここまでやられては、あと一分も持つまい』
その言葉を証明するかの如く、少しずつそれの身体は崩れ始めていた。目を凝らすまでもなくそれは明らかであり、確かに今更追撃を仕掛けたところで意味はないだろう。
だが攻撃を止めさせた理由が分からずに、テミスは警戒を怠らないままに口を開く。
「……攻撃を止めさせた理由はなんだ? まさか冥土の土産をくれるわけじゃねえだろ?」
『私が死ぬわけではないからな。なに、一つ興味深いものを発見しただけだ』
言って、それの視線が向けられたのを、ティアは感じ取った。不思議と目どころか顔すらも認識できないのだが、それが自分を見ていることだけは分かるのだ。
敵意も戦意も感じないことから既にティアは警戒を解いており、首だけを不思議そうに傾げる。何らかの感情を向けられているのは分かるのだが、それが何なのかがティアには分からなかったのだ。
もっともそれは単にティアがそういった感情に疎い故に分からなかっただけであり、向けられているものは極一般的なものである。
――即ち、興味と好奇心だ。
『その力、英雄モドキと同種のものだな。何処で手に入れた?』
「……?」
その意味を、ティアは理解することが出来なかった。その言葉が何を指しているのかも分からなかったのだが……何よりも、その力はティアが生まれつき持っていたものである。何処でと問われても、答えようがなかった。
ちなみにテミスはその両方の意味を何となく理解してはいたが、答える義理はない。ただ肩を竦めてみせるだけだ。
『……ふむ、まあいい。まさかまた遭遇できるとは思っていなかったが……どうやら私も、存外運がいいらしいな』
言いたいことだけを言って、それは消えていった。
後に残ったのは何もなく……それを確認してから、テミスは大きく息を吐き出す。そこには、多大な安堵が含まれていた。
随分呆気なく勝ったように見えるが、そんなことはない。そう見えるのは、この場にティアが居たからだ。代わりに他の誰が居たところで、こういう結果にはならなかっただろう。
厄介事は増えたようだが、一先ず無事に済んだだけで十分である。
テミスはその場を再度見渡した後で、もう一度だけ、息を吐き出すのであった。
「ってなことがあったわけだ」
ギルドへと戻り、先ほどあったことの説明を終えたテミスは、そう言って話を終わらせた。吐き出した息が僅かに安堵の色を帯びているのは、言葉にすることで先の状況を改めて認識したためか。
ちなみにテミスが話をしている間、ティアは特に口を開くことはなかった。ただ時折頷くだけであり……まあ、いつものことだ。
そしてそれを聞いたアイリスはというと、片手を額にあて、溜息を吐き出している。
だがその理由は、ローブのそれが理由ではなかった。いや勿論それも厄介ではあるのだが――
「つまり、マンドラゴラの奪還には失敗した、というわけですね」
「……諸共吹き飛ばした」
「だから何で胸張ってんだ……と言いたいとこだが、今回のはしゃあねえな。アレは多分既にどっかに転送済みだ。ローブの中身は見えないってよりは、何もないように見えたからな」
要するに、アレの手に渡った時点でどうしようもなかった、というわけだ。
しかしそれは何の慰めにもなりはしない。
「マンドラゴラを戻せない以上、誤報だということには出来ませんが……どうしましょうか」
――警報は鳴ったものの、無くなったものは何もなく、つまりは誤報だったのだろう。
そういった方向で対処しようとしていたアイリスであるが、生憎とその手段は使えなくなってしまった。
そしてそれが使えないということは、誤魔化すという手段が使えないということと同義である。芋づる式に、この場で会合が行なわれていたことが露見してしまうことも、だ。
「アタシ達が居た痕跡は何とか消そうと思えば消せるが、誰かが居たってことだけはばれるだろうしなぁ……そうなると、ここはもう使えねえだろうし。色々と捗るから便利だったんだが……」
結局のところ、問題となるのはそれだった。
この会合は――というよりは、そこで交わされる会話の中身は、外に漏らしてはいけない類のものだ。単に魔導具などで防音を施しておけばいいという話ではなく、出来るならばこうして集まっていることそのものすらも知られない方がいい。
まあつまりは、今後は何処で集まるのかという話であり――
「……アイリスの家?」
「却下ですね」
何気なく口にしたティアの言葉を、アイリスはにべもなく切り捨てた。
とはいえ実のところは、それが最もいい選択だ。場所柄機密を扱いやすく、周囲の者はそれを気にしない。最善であるのは間違いなく……だが同時に、最も有り得ない選択でもあった。
「もうこの際巻き込んじまえばいいんじゃねえの?」
「駄目に決まっているでしょう。というか、この間から妙に巻き込もうとしていませんか?」
「だってアイツが居たら楽しそうだろ?」
「そんなことで巻き込もうとしないでください」
「ちっ……冗談だよ。んじゃ……」
半ば以上本気であったが、名残は微塵も感じさせず、テミスはその視線を次の対象へと移動させる。
もっともそちらはそちらで、その返答は考えるまでもないことであったが――
「……無理」
「だよなぁ……となると――」
「……普通にわたしのところでいいんじゃないのかしら?」
そこで不意に割り込んできたのは、四人目の声だった。
三人から少し離れたところで、何処か所在投げに佇んでいるその姿に、自然と視線が集まる。それから逃れるようにその顔が逸らされ、金色の髪が流れた。
「いいのか?」
「……いいも何も、それしかないんじゃ仕方ないでしょ? まあ、お父……アークさんも、知らない振りはしてくれるだろうし」
その場に居る四人目の少女――リリィは、言葉の通り仕方なく提案した、といった様子であったが、それも当然のことだろう。
何せ厳密に言うならば既にあの店はリリィの家ではない。あくまでもリリィは、あそこまで住み込みで働いているに過ぎないのだ。
まあ他にも色々と理由はあるのだが……それでも、それしかない以上は、仕方がないのである。
「……まあ、しばらくはそれで乗り切るしかありません、か。リリィさん、すみませんが、それでよろしくお願いします」
「分かったわ」
そこで一旦話が途切れてしまったのは、まだこの状況に慣れていないからだろう。
というか慣れるも何も、リリィがこの場に参加するようになったのは今日が初である。なのに始めようとするや否や警報が鳴り響き、次は開催場所の変更だ。若干の戸惑いも含め、そうなってしまうのも当たり前であった。
だがこのまま黙っているわけにもいかず、何より今日はこの後色々と小細工を仕掛けなければならないのだ。早々に終わらせてしまうべく、まずはアイリスが口を開く。
「さて、では一先ずその件はそれでいいとして、次にいきましょうか。まあとはいえ、実際にはあまり話すことはありませんが」
「おいおい、話すことがないって、色々あっただろうが。ついさっきのことも含めて、よ」
「確かにその通りですが、その上で、での話です。より厳密には、話せることがない、と言うべきかもしれませんが」
「あー……まあ、確かになぁ。要はただの結果報告にしかならねえしな」
「そういうことです」
例えば、今回はアイリスが視た未来が初めて外れたわけだが、その理由は不明のままだ。そもそも前日にずれた時点で意味が分からず、何が影響を与えた結果なのかが分からないのである。検証しようにも、今回は要因が多すぎて、やりようがないのだ。
まあ、その理由の一つに、アイリスがそれを積極的に検証しようとしない、というのもあるが……そこを問い詰めたところでそれこそ意味がない。
「東の迷宮のアレも完全に詰まっちまったしなぁ」
「誰も口を割らなかった……というよりは、誰も知っている様子がありませんでしたからね」
「オマエのその目がもうちょっと使えりゃなぁ……」
それは愚痴でしかなかったが、愚痴であることが分かっているからこそ、アイリスとしては肩を竦めるぐらいしか出来ることはない。
「仕方ありません。あの人達はこの目のことを真理の瞳、などと呼んでいましたが、実際にはそこまで便利なものではありませんし」
「自分よりレベルが下のやつ相手限定で、少しでもレベルが上のやつのことが掠ってると役に立たなくなるとかなぁ……どういうことなんだよ。そのせいで迷宮関係は全滅だし」
「仕方ありません、所詮ただの副産物ですからね。それにこれのおかげで、人が嘘を吐いているかどうかを大体の場合見極めることが出来るようにもなりましたから、まったくの無駄だというわけではありませんし」
薄闇の中で交わされるのは、二つの声だけだ。
リリィは未だ分からないことの方が多いために口を挟むことが出来ず、ティアは挟む気がない。自然とそうなるのは当然のことであり、故にどちらかが黙ってしまうと必然的に会話も途切れてしまう。
再び静寂が訪れた。
「さて……本当にどうしましょうか」
「ま、話すことがねえんならとっとと偽装工作にでも移るかね」
「そうですね……その方がいいかもしれません」
「っと、その前に一つ確認なんだが……今日出てきたのは、アレってことでいいんだよな?」
「……アレ?」
それが何を指しているのかが分からず、リリィが首を傾げ……同時に、何故かティアも首を傾げていた。
それを見て、テミスが苦笑を浮かべる。
「おいおい、リリィはともかく、ティアは分からんと駄目だろ」
「……駄目?」
「いや、駄目……だよな?」
「何故自信を失くしているんですか。私がテミスさんに話した時にはティアさんもいたのですから、当然知っていなくては駄目です。……ですが、ティアさんは確かに攻撃担当ですから、知らなくても問題ないと言えばないですね。リリィさんは……もう少し色々と分かってから、でしょうか」
「んだな。いちいち説明すんのも面倒だし……そのうち機会も訪れんだろ」
「意外と適当ねぇ……」
「そうでなくては、やっていけませんから……色々と」
何処となく意味深な言葉を最後に、会話が途切れる。
そうして三度沈黙が訪れる――その直前に、アイリスの身体がふらりと傾いた。
「――お、っと」
だが唐突であったそれに、慣れてきたのか、地面に倒れこむ前にテミスがその身体を支える。
とはいえその場に居る全員がそれに慣れているわけではなく……リリィが驚きの声を上げたのは、そのさらに後だ。
「えっ、な、何!? だ、大丈夫なの!?」
しかし慣れているという意味ならば、当然のようにアイリスが最もそうである。
「……っ、はい、いつものことですから。テミスさんも、ありがとうございます」
「おう」
テミスが離れるとアイリスは自分の足でしっかりと立ち、それを見て僅かに構えていたティアが力を抜く。
リリィが安堵の息を吐き出し――
「……さて、どうしたものでしょう」
呟かれたアイリスの言葉は、何処か戸惑ったようなものであった。
そのことに、テミスが訝しげな視線を送る。
「あん? 何だよ、何か視えたんだろ? 変なもんでも視えたのか?」
「そうですね……変と言えば変でしたが……」
そう言ったきり、そのままの様子でアイリスは何事かを考え始めた。
テミスばかりか、ティアまで不思議そうに首を傾げているのは、アイリスが何かを視た直後にそうした態度を取るのは初めてだったからである。リリィに関しては、そもそも何のことかすらも分からずに困惑気味の視線を向け――三者三様の視線を向けられながら、それでもアイリスは微塵も気にすることなく思考を続けていく。
そして。
考えが纏まったのか、その視線をテミスへと向け――その言葉を、口にしたのであった。
「テミスさん、クエストの発行をお願い出来ますか? 内容とその相手は――」




