第四十一話 ミノタウロス
「トウマさん、今日も迷宮に向かうつもりですか?」
「うん、そのつもり」
「……そうですか」
連続探索数が六日になろうというのに、今日もアイリスからあの言葉を聞くことはなかった。
その様子はいつもと変わらないように見え……しかし当然ながら、そんなわけはないのだろう。
とはいえその内心を僕が推し量ることは出来ない。あのタイムリミットを告げた時のそれが分からないのと、同じように。
でも。
「まあ、うん……さすがに明日は休むからさ。今日ぐらいは、大目に見て欲しいかな」
何が起こるのか分かっていない以上、最後の一日は休息に当てるべきである。それはそう思ってのことであり、だから今日は六日目にも関わらず、迷宮に行くことにしていたのだ。
もっとも、今の僕ならば大丈夫だと思っているからでも、あるのだけど。
「……私は何も言うつもりはありませんし、するつもりもありません。トウマさんのやりたいようにやればいいのではないでしょうか」
溜息交じりの言葉は、或いはこちらを突き放すもののようにも聞こえた。でも向けられている視線から、そうではないことは理解している。
しかしそれが信頼から出たものかというと、微妙なところだろうか。少なくともそれは僕には、激励であるかのように聞こえたのだ。
少しは安心してくれれば、と思ってのものだったのだけど……逆に励まされるとは。
湧き上がってくる何とも言えない思いに、僅かに視線を逸らす。
ただ……うん。そう言ってくれたことに、安堵を覚えたのも、事実だった。
僕がこれからやろうとしていることは、間違いなく無茶だ。決して勝算がないわけではないものの、最低限その程度の自覚はある。
そう思った上でやろうとしているとはいえ、やはり不安というのは拭いきれない。それを読まれての言葉であったのならば……。
そこまで考え、やれやれ、と、アイリスには分からない程度に小さく呆れの息を吐き出す。勿論それを向けるのは、自分自身に対してだ。
未だ被保護者気分が抜けていないというか、何というか。まあ、というよりは単に頼っているというだけなのだろうけど、それもそれでどうなのかとは思わなくもない。
とはいえ、今のところ足りていない部分は、どうしようもないだろう。そこら辺は、今後の課題ということで――
「うん……ありがとう」
一先ず、頭を下げた。
本当にアイリスには助けられっぱなしだなと、思いつつ。
いつか助けになれればと、そんなことを考えながら。
「何のことかは分かりませんが……どういたしまして、とは言っておきましょう」
――何はともあれ、まずは今日のことを、無事に終わらせてからだ。
最後の一歩を踏み出すと同時、響く音の種類が変わった。
階段が終わった証であり、階層へと辿り着いた音でもある。
――東の迷宮、第十六階層。
久しぶりに訪れたそこで、周囲を眺め、なるほどと納得した。その場を流れている、空気の質のようなものに対して、だ。
第十五階層までとは、明らかに雰囲気が異なっていた。あの時は突然のことであり、そんな余裕はなかったから分からなかったものの、こうしてじっくりと眺めているとよく分かる。
或いは、既にここのことを知っているためにそう感じているだけなのかもしれない。そう思いながらも、実際感じた通りである可能性は否定できないとも思っていた。
理由は、ここにミノタウロスが出てくることである。
一階層下りただけなのに、明らかに難易度が上がりすぎている、ということだ。迷宮とはそういったことも有り得る場所だ、などと言ってしまえばそれまでではある。しかしそれならばそれで、第十六階層から先は実は別の迷宮であった、などということになっていても不思議ではないだろう。
まあ、何にせよどうでもいいことではある。僕は今日ここに、そんなことを考えにきたわけでもなければ、調べにきたわけでもないのだ。
もう一度周囲を眺め、深く息を吸い、吐き出す。恐怖も、不安も、全て息と共に押し流した。
――ここに来たのは、ミノタウロスとの再戦のためであった。
厳密に言うならば、アレは戦闘などと呼べたものではなかったから再戦とは少し異なるような気もするけれど、感覚としてはそういったものなのだ。
冷静な部分の自分が無謀だと叫ぶのを、知っていると切り捨てる。そんなこと、ここに来るまでの間に散々考えたことだ。
それこそ、そのことを思いついてから、ここに辿り着くまでの間、ずっと。
その上で、挑戦すると決めたのである。
レベルが二十に至ったとはいえ、未だ単純な能力で言えばまだミノタウロスの方が上だろう。それも、理解している。
――それでも、だ。
何故そんなことをするのかと言えば、きっとプライドのようなもののためなのだろう。
あくまでもプライドのようなものであり、決してプライドそのものではない。もしこれがプライドであったのならば、もっと色々なところで発現しているはずだ。
だからこそそれは、プライドのようなものでしかないのである。
――僕はここ最近の間で、三回もの間死にかけた。
よくもまあと自分でも思うし、運が良いのか悪いのかよく分からない、とも思う。
ただ問題はそこではなく、内容――というより、その相手である。
最初の相手は、オークキングであった。
多分最もどうしようもなかった相手であり、しかし唯一胸を張って――言えるかはともかくとして、僕が倒すことの出来た相手だ。
実際にはそれがただの自爆であったのだとしても……僕がそれを引き寄せたのは間違いようがない事実である。
二回目の相手は、サイクロプスであった。
多分最も引けなかった相手であり、しかし唯一戦闘開始の時点で勝ち目のあった相手だ。
そしてその通りにして、僕は勝利した。例え相手に傷一つ与えることが出来なかったとしても、時間を稼ぐことを勝利条件にして、見事達成したのだから、それは勝利と言ってしまって問題はないはずだ。
そういった意味で言えば、三回目のミノタウロスとのそれも、僕の勝利に違いはないのだろう。
僕は逃げ延びることを勝利条件とし、それを見事達成した。何の問題もない。
ない、はずなのだけど……唯一ミノタウロスだけは倒すことが出来なかった、というのが、他二つとの違いだ。
つまり、勝利に違いはなくても、引き分けに近いというか、何と言うか。
まあ……だからこそ、プライドのようなものなのだ。プライドには程遠く、くだらないものである。
でも。
それでも、もしもミノタウロスを倒すことが出来れば……僕は今度こそちゃんとした自信を持てるような、そんな気がするのだ。
だから。
「……ふぅ。よし」
再度息を吐き出し、軽く掌を開閉する。
ここまで最短距離を走ってきたとはいえ、傷一つなく、体調は万全。不安要素は……上げていったらキリがない。
故に。
――勝つ。
拳を強く握り締め、それだけを思った。
――などと言ってみたところで、実際にはまずミノタウロスを見つけることが出来るか、というところからして問題があったりする。
何故ならばここは、未帰還領域だ。情報など欠片もなく、ミノタウロスが居ることこそ分かったものの、逆に言うならばそれ以外は何も分かっていないに等しいのである。
あの時は他の魔物の姿は見かけなかったけれど、居ないとは限らないのだ。西の迷宮にはミノタウロスしか出てこない階層があるらしいものの、ここもそうだとは限らない。
そして仮にそっちを先に見かけてしまうか、こちらが見つかってしまったのならば、一旦全力で逃げ仕切り直す必要があっただろう。
それは非常に格好が付かず間抜けですらあり――だからその姿を見かけた時にまず感じたことは、安堵であった。
「……まずは第一関門突破、ってとこ、かな?」
さらに言うならば、その時ミノタウロスが二体以上居ても当然駄目である。一体でも勝てるか分からないのが二体とか、それはもう無謀とかいう話ですらない。その時点で回れ右をして、やはり仕切り直す必要があっただろう。
それもまた格好が悪いものであり、出来ればやりたくはなかったものである。
やらずに済み、一先ず安堵の息を吐き出す。
しかしここですぐさま飛び出し、戦闘をする、というわけにはいかなかった。それはまだ、早い。
ミノタウロスが居たのはそれなりに広い部屋であったためか、どうやらこちらには未だ気付いていないようである。それは確かな幸運であり、ただ、必須な条件だったかというと、そうでもない。
どっちにしろ、こちらには気付かせなければならないからだ。
それは万が一……否、確率的にはもっと高いだろう、いざという時の保険のためである。
とりあえずはそのためにもと――左腕を前方に突き出す。
そして。
「――ライトニングボルト!」
――アクティブスキル、マジックスキル:ライトニングボルト。
さすがに攻撃の瞬間にはこちらに気付いたものの、どれだけの力があっても雷速で迫る攻撃はかわしようがない。閃光が貫き――
『――――――――ォォォォオオオオオ!!!!』
――咆哮が、迷宮を震わせた。
致命傷を負わせられると思っていたわけではないけれど、どうやら有効打にも遠いらしい。
ただ、今にもこちらを殺しそうな眼光で睨んではいるものの、すぐにこちらへと向かってこないあたり、幾らかの効果はあるようだ。これで無傷だったらこのまま逃げ帰っていたところだったけど、それなら予想の範囲内である。
即座に踵を返し、地を蹴った。
同時。
――アクティブスキル、サポートスキル:フィジカルブースト。
ここの特性は、当然以前のままだ。曲がりくねった道を、一時的に上昇した脚力で駆け抜ける。
途中でポーションを飲みながら、後ろを振り返ることはしない。そんなことをしなくとも、僅かな地響きと咆哮が、追ってきていることを伝えていた。
ここまでは一本道だったので、分岐点で待つ必要もない。その部屋へと滑り込むようにして入り、出口付近までやってきたところで反転。
直後、入り口に影が飛び込み――
「――ライトニングボルト!」
――アクティブスキル、マジックスキル:ライトニングボルト。
再び放たれた雷光が、その身体を焼く。僅かに焼け焦げたような匂いがしたのは、気のせいか。
しかし。
『――――――――ォォォォオオオオオ!!!!』
あっちも対抗するように、咆哮が放たれ――
「――ライトニングボルト!」
――アクティブスキル、マジックスキル:ライトニングボルト。
左手を突き出したまま、構わず連続でぶち込んだ。
光の余韻が収まらぬ内に、三度目の紫電が奔る。さすがに耐え切れなかったのか、ミノタウロスの身体が、大きく一度跳ねる。
ポーションを飲まずとも再度ライトニングボルトを撃てた理由は、単純だ。他のステータスと同様に、精神力もまたレベルアップで増加する。二十になったことで、ようやく連続で放てるようになったのだ。
とはいえ、やはりまだまだ有効には遠いだろう。ここはポーションをがぶ飲みして叩き掛けるべきかと一瞬考え――次の瞬間には地面を蹴っていた。
後ろではなく、横。しかしその勢いは明らかに自身の出せるそれよりも速く、視界に映ったのは突撃を終えたミノタウロスと、振り切られたその腕。
既知感を覚え、これでもまだ足りないのかと思ったのと、背中に衝撃を感じたのはほぼ同時であった。
「――かはっ!」
息を吐き出し、壁に沿ってずるずると滑り落ち――
「……は、ははっ」
つい笑いが漏れたのは、変わらぬ強敵さ故か――それとも、その強敵の攻撃を、今度はきちんと両腕で防ぐことが出来たからか。
痺れはあるものの、開閉した両手に痛みはない。想像とのずれによりかわすことは出来なかったけれど、反応は出来たし、防ぐことも出来た。
ならば、何の問題もない。
そしてその事実は相手の優位性を微塵も否定する要素ではなく、だからこそ問題がなかった。
「そう……そう来なくっちゃ」
立ち上がりながら、剣を引き抜く。
見据えるその先には、ゆらりとこちらを振り向く、強者の姿がある。
――弱者を倒しても意味はない。同格を倒しても価値がない。
自信とは、強者を倒してこそ、得られるものだ。
だから。
「――勝負だ」
それを得るために、力強く地を蹴った。
甲高い音が響き、周囲に火花が散った。
すぐに身体を引いたのは、いい加減タイミングを覚えてきたからだ。それでも流しきれない威力に腕が軋み、地面を削りながら吹き飛ばされる。
しかし衝撃ごともらっていたのに比べれば、格段の進歩だろう。未だ押されていることに違いはないけれど、そんなことは今更である。
追撃に突進してきた姿に、判断は刹那。それもさすがに、覚えてきた。
アレは後ろや左右に逃げては駄目なのだ。瞬間移動速度であればまだ相手の方が上であり、斬撃速度も桁違い。防げるとは言っても完全ではない以上ダメージは負うし、下手に早くかわしすぎれば追撃の餌食だ。
タイミングさえ合えばかわせるとは思うものの、それを掴むためには試行回数が足りず、下手をすれば胴体から両断されかねないものを受け続けるのは精神衛生上悪すぎる。
だからこそ、踏み込むのは前。真正面から対抗するように、その眼前へと飛び込み――ミノタウロスが腕を振り上げた瞬間、滑り込んだ。
身体を完全に倒しての、スライディング。
振り下ろされていれば危うかったものの、斜め下に軌跡を描いたそれは、頭上を通り過ぎる。そのまま股下を潜り抜け、跳ね起きと共に半回転。
――アクティブスキル、ソードスキル:ダブルストライク。
ミノタウロスはその身に鎧のようなものを纏っており、下手な斬撃は弾かれて終わる。こちらは斬撃耐性無効を持っているにも関わらず、だ。
アレは基本防具だろうと特性だろうと何にでも適用出来るものなのだけれど、どうやら単純に向こうの防御力の方が上、ということらしい。
それは僕が未だこの剣を扱いきれていないということであり――しかし今はそんなことを言っている場合ではない。
まともに攻撃したら防がれるというのならば、まともに攻撃しなければいいだけの話だ。
狙いは継ぎ目などの、鎧に覆われていない場所。間接部を狙うなど、そこまで細かく狙うことは出来ないものの、ミノタウロスが纏っているものはそれほどしっかり全身を守っているわけでもない。特に防御部分は前面に集中しているらしく、後ろは隙間だらけであった。
振り抜き、すかさず振り下ろし、それでも硬く通りにくい身体に顔を顰めるも、さらに一歩。
――アクティブスキル、ソードスキル:一刀両断。
「ぁぁぁぁああああ!」
気合を叫びながら、一閃。ガーゴイルを斬り裂いた時にも覚えなかった硬い感触に一瞬驚き、構わず振り抜く。鮮血が飛び散り――手応えから、致命傷には届いていないことを悟った。
現時点で最強の攻撃を以ってしても駄目なのかと思うも、すぐに相手の立ち位置に気付く。攻撃の直前に把握していたそれよりも、半歩分前に出ていたのだ。
それはつまり攻撃の瞬間に移動していたということであり、おそらくはダブルストライクの入りが甘かったために、一瞬早く硬直が解けてしまったのだろう。その一瞬で咄嗟に致命傷を避けるのだから、さすがと思うも、感心している場合ではない。
即座に地を蹴り飛び退いた直後、先ほどまで居た空間が、轟音と共に薙ぎ払われた。
着地し、構える先で、怒りを宿したその瞳が振り返る。ライトニングボルトを撃ち込んだ時点で相当ではあったものの、どうやら今の一撃はさらなる怒りを灯してしまったらしい。
しかしそれに僕が覚えたのは、むしろ安堵であった。
何故ならば、それはつまり、先の一撃が怒りを覚えるほどに脅威であったということだからだ。それは半歩だけとはいえ攻撃の瞬間に動いていたことからも明らかである。
今までの攻撃の際には、一度もそんな行動は取らなかった。ブレイクを叩き込んだ時も、至近距離からライトニングボルトを撃ち込んだ時も、だ。その代わりとばかりに、構わず攻撃を放ってきていた。
考えての行動というよりは、本能的なものだろう。それらは致命には届かないということを本能で知っていたから、それは普通に受け、攻撃することを選んでいたのだ。
だからその時はこちらの防御が間に合わずに吹き飛ばされ、先の一撃は致命にならないことを優先したからこそ、続く攻撃をこちらが回避することが出来た。
そういうことだ。
要するに、こちらの攻撃は一刀両断でさえあれば、アレの命に届き得る、ということである。問題はどうやって、というところではあるものの……それは戦いながら考えていけばいい。
倒せる可能性があるということが分かっただけで、十分なのだ。
故に、僅かに残していた後方への意識を捨て、完全に戦闘へと向ける。
――この部屋のすぐ隣には、階段が存在している。
ここまでアレを引き連れてきたのは、つまりいつでも逃げることが出来るように、ということであった。
倒せる可能性がないのであれば、その時点で即座に撤退を選ぶつもりだったのだけれど……可能性があるのならば、それはもう考える必要はない。
今までも油断や手加減をしていたわけではなくとも、少しだけ別の方向の思考が存在していたのは事実だ。
しかし今はもう、それもなくなった。ここからは正真正銘、殺るか殺られるか、である。
意識を目の前のそれにのみ集中し、研ぎ澄ます。音が消え、景色が消え、ただその動きだけを捉える。
呼吸している様子すらも視界に収め、動き出すその瞬間、合わせて地を蹴った。
何合打ち合ったのかは、既に覚えていない。
というか、打ち合えたと思えるようなものが何度あったのかは覚えていない、という方が正確かもしれないけれど。
しかしそれは単純な力量差であるから、どうしようもないものだ。幾ら集中したところで筋力は上がらず、タイミングを合わせたところで打ち合えるとは限らない。
否、打ち負けることの方が多く――ああ、また吹き飛ばされた。
しかも今回は体勢が崩れたところを強引に合わせたため、全身に衝撃を受けてしまった格好だ。
とはいえ情けない話ではあるものの、それも既に慣れたことである。
おかげで何処にどのぐらいのタイミングで壁に叩きつけられるのかが分かり、それに合わせ事前にその上空にポーションを出現させることさえ可能であった。
実際にそれを実行し、ポーションを全身に浴びながら即座にその場から飛び退く。轟音が響いたのは、ミノタウロスが壁にその手の斧を叩き込んだからだ。
さすがにアレを食らっていたらただではすまなかっただろうから、冷や汗ものである。
そのような思考を片隅で、身体は左腕を前に突き出す。口から紡ぎだされるのは、言霊。
「――ライトニングボルト!」
――アクティブスキル、マジックスキル:ライトニングボルト。
光が迸り――弾かれた。
「……っ!?」
それを防いだのは、眼前に突き立てられた斧。避雷針代わりとさせられた斧を通り、雷が地面へと流れていく。
どうやら何度も食らったことで、対応策を思いついていたらしい。
戦闘を繰り返すことで慣れるのは、こちらだけではない。当たり前のことだ。
『――――――――ォォォォオオオオオ!!!!』
避雷針としたとはいえ、全ての雷が流れきったわけではないだろう。それでも構わずミノタウロスは斧を掴み、吼えた。
その光景に、つい口角が吊り上がってしまうのは……さて、どういった感情によるものだろうか。
しかしそこに至るよりも先に、地面を蹴り付けた。
距離は一瞬で詰まり、斬撃が交差する。
振り下ろしと振り上げ。重力に従い力を込め――打ち勝ったのは、こちらであった。
やはり雷は流れきってはおらず、僅かに痺れを与えていたのだろう。ほんの少しではあるも、伝わってくる衝撃が弱かった。
だとしても、こちらがそこに何かを感じる必要はない。それを選択したのは、ミノタウロス自身なのだ。
すかさず押し込み、同時に一歩。そこは未だ剣の間合いではないものの――
――アクティブスキル、ソードスキル:ソニックスラッシュ。
構わず、斧の上を滑らせるように刃を走らせた。
ワイドスラッシュの上位・発展スキル、ソニックスラッシュ。斬撃を上乗せし、その距離を伸ばすことの出来るスキルだ。
ワイドスラッシュが結果的に複数に斬撃を分散するのに対し、こちらはそれを一つに纏めたようなものである。その分威力が通常よりも増し、距離が伸びるということで、回避され辛く致命傷を与えやすい。
そしてそれは同時に、本来は範囲外の場所から攻撃を与えることが出来るということでもあった。
踏み込みが浅かったことで油断したのか、少しだけ緩んでいた肉体の上を刃が滑り、血が噴き出す。
しかしそれでも、元が硬いことで致命傷には遠く――
『――――――――ォォォォオオオオオ!!!!』
振り回された斧を叩きつけられ、剣で防いだものの諸共吹き飛ばされた。
「……っ!」
地面を削りながら何とか止まり、即座に後方に飛び退く。
轟音が地面を揺らし、着地と同時に前へ。振り上げ――判断をしたのは一瞬。
本当にどれだけ打ち合い、殴り飛ばされ続けたのだろうか。
けれどだからこそ、分かったことがある。
例えば、このミノタウロスは自身の強さに自負があるのか、傷つけられると二合ほど力任せにぶん殴ろうとする傾向にあるとか。そのせいで普段に比べればほんの少しだけ、僅かにその後の行動が遅れるとか。
それ自体は致命にはほど遠い――それでも。
――アクティブスキル、ソードスキル:ブレイク。
振り下ろした刃は、打ち合いではなく、斧への攻撃。衝撃は斧から腕へと伝わり、本来であれば負けるはずの一瞬を、こちらに掴み取らせる。
その間に、一歩。ミノタウロスの肉体が締まったのは、先の攻撃を警戒してのものか。
しかし――当然、それが意味ないことなど知っている。意味があるものなど、最初から最後まで一つだけだ。
さらに、一歩。
――アクティブスキル、ソードスキル:一刀両断。
かわすつもりであったならば、余裕をもってかわされただろう。でも防ごうとしたのならば――その防御の上からすら、断ち切って見せる。
剣閃はその半ばまで潜り込み、そのまま振り抜けた。
今までにない量の血が吹き出――
「――ちっ!」
舌打ちは、瞬間的に後方に身体を逸らされたのを察したから。その一撃は深くとも、まだその命には届かず、しかしおそらくはこれが最後の――
「っ、のっ!」
その時には既に斧を持たず、代わりに腕が振り下ろされていたのを知っていたものの、構わず踏み込んだ。顔面を衝撃を襲い、視界が明滅し、それでも左腕を、傷口へと突っ込むようにして伸ばす。
叫んだ。
「――ライトニングボルト!」
――アクティブスキル、マジックスキル:ライトニングボルト。
至近からですら効かなかったとはいえ、さすがに傷口からならば防げまい。雷光が傷口から潜り込み、それごと内から焼き――
『――――――――ォォォォオオオオオ!!!!』
咆哮と共にさらなる衝撃を頭部に受け、それでも身体は逸らさず、左腕は触れたまま。視界は利かず、しかし感覚だけでメニューを操作し、ポーションを時間差で降らせる。
軽い衝撃と被った液体だけがそれが正しく行なわれたのだということを示し――
「――っ、ライトニングボルト!」
――アクティブスキル、マジックスキル:ライトニングボルト。
再度の紫電が暴れ、焼き尽くし――
『――――――――グォォォォオオオオオ!!!!』
苦悶にか、咆哮には異なる音が混じり――続けてぶちまけられた液体に、三度口を開いた。
「――ライトニングボルト!」
――アクティブスキル、マジックスキル:ライトニングボルト。
回復した視界に映っていたのは、焼け爛れた傷口に、迸る雷。
そしてそれでもまだ、倒れることのないミノタウロスに――ぶつかるようにして、最後の一歩を踏み込んだ。
左腕は引き、剣の柄へ。全てを力を振り絞るように、振り被り――
――アクティブスキル、ソードスキル:一刀両断。
「ぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!」
ミノタウロスの咆哮にも負けないほどの叫び声を上げながら、振り下ろした。
――直後に訪れたのは、静寂。
音が止み、周囲を静寂だけが支配する。
鮮血は、生じなかった。代わりに発生したのは、一本の線。
それはミノタウロスの身体を斜めに走っており――少し遅れ、その上から半分がずれていく。それは止まることなく続き――落ちた。
轟音が響き、それで思い出したかのように、鮮血が噴き出し始める。さらにはそれも後ろへと倒れていき――再度、音が響いた。
僅かに遅れて鳴った高い音は、剣が手から滑り落ちたことにより発生したものだ。
しかしそれを拾うでもなく眺め……何となく、右手を眼前に持ってくる。
そして。
開いた掌を、グッと握り締めたのであった。
眼前に持ってきた右手を、何をするでもなく、ただボーっと眺める。その視線の先にあるのは、見慣れた天井。
自室であり、今は夜だった。
ミノタウロスとの戦いから既に数時間は経過しているというのに、未だ余韻が抜けていない。さすがにあれ以上は探索を続けるのは無理だと判断して即座に帰還したのは、正しかったようだ。
もっともそのせいで大分早く戻ってきてしまい、多少アイリスからは訝しんだような目で見られたものの、何とか取り繕えた……と、思う。多分。
この調子では、ちょっと自信がないけど。
しかし何はともあれ――ミノタウロスに、勝った。
それだけは、事実だ。
そして。
あの日から数えて二十日となるのは、もう二日後に迫っていた。
いや、そろそろ、明日か。
その日に何があるのか……或いは、何もないのか。それはきっと、当日にならなければ分からないことだろう。
今言える事があるとすれば、ただ一つ。
今日まで僕は、出来る限りのことを精一杯やった、ということだけだ。明後日に何かがあり……僕がそれに何も出来なかったら、それはもうそういうことだったのだと諦めるしかないだろう。
ともあれ。
その日を十全で迎えるために、明日は一日ゆっくり休もう。
その後のことは、その時に考えればいい。
そう思い、僕は睡魔に任せて、その意識をゆっくりと闇の中へと落としていったのであった。
――この時の僕は、この世界のことを、完全に忘れていたのだろう。
――この世界は、優しく出来てなどはいない、ということを。
そのことを僕が思い出したのは、次の日になってからであった。




