第十五話 見知った少女と見知らぬ瞳
ワーカーホリックと呼ばれるような人達とは、こんな感じなんだろうか。
ふと、そんなことを思う。まあ、自分のことなのだけれども。
何ということはない。先の会話のこともあってか、何気なくこれまでの自分の休日のことを考え、本当にアレは休日だったのかと思っただけである。
前日に使用した消耗品を補給し直し、汚れ傷ついた武器防具の点検を行い、先のことを考え魔物の予習などを行なう。遊びに入る暇などはなく……それに最も近かったのが昼食時にアークさんの店でする雑談であったあたり、ちょっと自分でもどうかと思った。
記憶の蘇る前の自分はかなり余裕がなかったんだなと、今更ながらに気付く。今も状況はそれほど変わってはいないのだけれども、やはり知識の差というのは大きい。かつては命が掛かった状況で闇雲に試行錯誤しなければならなかったのに、今はある程度の手掛かりがあるのだから。
もっともだからといってそれほど余裕があるわけでもないけれども、多少の遊びの時間を挟むぐらいならば出来るだろう。
まあ結局のところ何が言いたいのかというと……この中途半端に余った暇は時間はどうしようかと、そういうことであった。
遊ぶ時間が出来たところで、今まで遊ばなかったからか、何をすればいいのか思い浮かばないのである。
「うーむ、どうしたものか……」
かつては何をして暇を潰していたんだっけか、と思い出そうとするも、思い浮かぶのはゲームをしていた記憶だけであった。あとはインターネットぐらいだろうか。当然ながら、両方ともこの世界にはない。
ゲームという意味でならば多少はあるけれども……基本それらは他の誰かと共に遊ぶものである。しかし生憎と、僕はこの街に友人が……というか、知人に限ってすらもほとんどいなかった。
否、正確に言うならば、この世界には、ともいうべきなのかもしれないけれども。
生まれてからずっとを過ごし、何となくこのまま死ぬまでここで過ごすんだろうと、そんなことを漠然と考えていた生まれ故郷は以前言ったように既に滅んでいる。そこに住んでいた僕以外の人達も同様だ。
唯一の例外であるアイリスにしても現在は仕事中であるし、さすがにそこに行って暇だからゲームしようなどと言いだすほど僕は厚顔無恥ではない。リリィやソフィーも同様だろうし……そもそも彼女達にとっての僕はただの客に過ぎないだろうし。
そうして考えていると、僕はふとあることに気付いた。
「あれ……? 知人の数が少ないっていうか、片手で数えられるレベル……?」
我ながら幾らなんでもそれは少なすぎじゃあ、と思うも、いやいや、と首を振って否定する。
これはきっと知人の定義を狭めすぎたのが原因に違いない。定義をもっと広めればそんなことは……ほら、例えば他にもアイリス以外のギルドの人とか――ギルド行った時に話すのはほぼアイリスだけれども――定義次第では今擦れ違った人だって知人になるし。
「……ん?」
などと馬鹿なことを考えていると、たった今擦れ違った二人組のことに一瞬遅れて気付いた。その場に止まって振り返り、離れていくその背中を視線で追いかける。
別に擦れ違ったから知人だとかいう話を引きずっているわけではなく、本当に知人だったのだ。というかその片割れはアイリスである。
これでもう片方が男であったならば、すわデートかとネタにもなったかもしれないけれども……生憎とその相手も少女であった。
いや、でもデートという可能性はまだ……、などと本人に知られたら怒られるだろうことを思いながらも、さてどうしたものかと考える。何に対してのものかといえば、つまりはこの暇潰しになりそうなことをどうするのか、ということだ。ぶっちゃけ何してるのか凄い気になる
まあまだ仕事中のはずだから、最も可能性が高いものとしては必要なものの買出しとかをしているのだろうけれども……或いはやっぱりデートとか――
「っと」
人通りが凄い、というほどではないものの、そこそこの人の流れはある。気付けば見失いそうになっていた二人の姿に一瞬迷い、けれども結局追いかけることにした。
見つかったら多分怒られるけれども、好奇心には勝てなかったのだ。仕方がない。
ちなみに僕が居たのは当然のように東の区画の一角である。むしろだからこそ余計に好奇心が増した、とも言えるだろう。
冒険者ギルドはこの街の中で最も巨大な影響力を持っている組織だ。そのことを考えれば、わざわざ買出しなどをする必要はないはずなのである。逆に向こうから売りつけてくるレベルだろうし、言えば持ってくるだろう。
さらに言うならば――言い方は悪いものの、こんな東の区画のような場所ではなく、北の区画に店を構えているようなところから、である。例え何らかの理由があって買いに出なければならない事態になったとしても、普通ならばそちらへと向かうだろう。資金的な面でも気にしないでいいだろうし。
だから、こんなところに何の用がと、気になったのだ。
考えてみれば、僕はアイリスが普段何をしているのかほとんど知らないのだ。ギルドで受付嬢をやっていることは知っているし、行った事も見た事も対応された事もあるけれども、まさかずっと受付だけをしているわけではないだろう。
冒険者が受付に来るのは、ある程度時間が決まっているということらしいし。ならば他の時間には何を――と考えるのは、自然なことだと思う。
「それで――なんだ――」
「そう――それは――」
ある程度離れてはいるものの、二人の会話は多少漏れ聞こえてくる。もっとも本当に多少だから、内容はほとんど分からないけれども。
ただ、おそらくはよくある世間話のようなものだろう。アイリスと話をしている少女の顔には、何処となく見覚えがある。多分同僚なのだろうし、それぐらいは普通だ。
けれども、やはりというべきか、その雰囲気は僕の知っているものと少し違うように見えた。
というか、僕の勘違いでなければ、僕と話してる時より、柔らかいような……?
同性の友人だということを考えれば、多少雰囲気が異なるのはともかく……いや、だからこそ、それが当たり前のことなのだろうか? この世界の僕が幼い頃から共に過ごした記憶があるとはいえ、所詮異性であるし、今は居候の身である。あの少女が一体何時からの知り合いなのかは分からないものの、僕よりも近しい関係だとしても不思議ではない。
ちょっとしょんぼりするけど。
まあ、でもとりあえず今はそんなことはどうでもいいことだ。肝心なのは二人の目的であるけれども……今のところ何かを買う様子どころか見てすらもいない。
目的は裏通りの掘り出し物……いや。それこそ、ギルドの人間がすることではない。正規の値段で幾らでも融通を利かせることが出来るのだ。あるかも分からないものを敢えて探す必要は存在しない。
まあそれもそのうち――
「……っと」
それでもそっちに用事があるのは違いないのか、道の途中で脇に逸れていった二人の姿が消える。それを僕は、足早に追いかけた。
裏路地は色々と複雑なので、少し目を離しただけですぐに見えなくなってしまうし、それを繰り返せば何処に行ったのかすらも分からなくなる。さすがに曲がった直後に見失うようなことはないだろうけれども――
「――それで、一体何の用ですか、トウマさん?」
「……あれ?」
目を離す時間は少ない方がいい、とか考えていたら、曲がり角のすぐそこにアイリスともう一人の少女が立っていた。
えーっと……つまりこれは。
「ああ、すいません、人違いで――」
「それで通じると思っているんですか?」
「無理ですよね、はい」
言い逃れは不可能らしい。知ってた。
それにしても、気配をなるべく消すようにしていたつもりなのに、何故分かったのか。
「何故も何も、隠れるでもなく後を付けて来たら普通に姿が見えるんですから、意味ないでしょうに」
確かにその通りである。
「というか普通に擦れ違っているのですから、逆にそんなことをしたら怪しいだけです」
「それもその通りだけど……あれ? 擦れ違ったのに気付いてたんだ」
「当たり前ではないですか。むしろ何故気付かないと思ったのですか?」
「いやあ、特に声とか掛けられなかったし、気付かなかったのかな、と」
「ここには仕事で来ているのですから、私用で声は掛けません」
言われてみれば何処までもその通りだ。
まあ本気で隠れて追跡する気があったかというと、そんなわけでもないのだけれども。気配とか言い出している時点でお察しである。
と。
「ふふ……」
不意に聞こえた声に視線を向ければ、アイリスの隣に居る同僚であろう少女が忍び笑いを漏らしていた。
しかしその様子に、僕は首を傾げる。今のやり取りにそんな面白い要素があっただろうか。
いやまあ僕の間抜けな様がツボに入った、とかならば分からなくもないけれども。
「あ、ごめんね。別にトウマ君の様子がおかしかったとかじゃなくて……アイリスちゃんの様子がいつもと違うから、つい、ね」
「アイリスの……?」
確かに、先ほど見かけた様子から比べると、若干違うとは思うけれども……笑うほどのことだろうか?
けれどもアイリスはそれに心当たりでもあるのか、ジト目のような視線を向けていた。
「エイナさん……?」
「ごめんごめん、分かってるってば」
それだけで互いに理解できたのか、その話はそこでお終いらしい。どういうことなのか、気にならないといえば嘘になるけれども……それよりも、今の僕には気になることがある。
例えば、何故彼女が僕の名前を知っているのか、とか。
「あ、そういえば、トウマ君はわたしのことを知らないんだっけか。エイナ・クラネルトだよ。よろしくね」
「あ、うん、よろしく。……この場合、僕も一応自己紹介しといた方がいいのかな?」
「何故それを私に聞くんですか?」
「アイリスの同僚っぽいから、かな? 僕のこと知ってたのも、大体それ関係でしょ?」
「確かにエイナさんは私の同僚ですし、トウマさんのことを知っていたのも……まあそれで間違いはありませんが。それとこれとは関係ないと思います」
うん、まあ、関係はないよね。正直ノリと勢いで聞いただけだし。
「はぁ……ですが一応答えますと、礼儀としてしておいた方がいいとは思います」
「そっか。じゃあ、えっと……トウマ・クジョウです。改めてよろしくお願いします?」
「何故疑問系になったのですか?」
「さぁ?」
それこそ何となくじゃないかな。
「あはは、うん、改めてよろしくねー。あ、わたしのことはエイナでいいからね。堅苦しいのもいらないし」
「分かった。僕のこともトウマで……って既に呼ばれてるか」
「だねー」
そうしてにこやかに自己紹介も終わり、ということで――
「それでトウマさんは、結局何がしたかったんですか?」
やっぱ誤魔化せないか。まあ分かってたけれども。
「いや、まあ正直ただの好奇心なんだけど……アイリスがこんなとこで何してるのかな、と」
「……はぁ」
呆れたような溜息を吐き出され、視線を逸らす。
いやだって……ねぇ?
「同意を求められても困るんですが」
「あー、でも分かる分かる。要するに、可愛いアイリスちゃんがよくないことをしてないか気になった、ってことでしょ?」
「んー……まあ大筋で合ってる、かな?」
余計な装飾が混ざってはいるものの、間違ってはいない。
けれども何か気に入らないことがあるのか、アイリスからはジト目を向けられた。
「……トウマさん?」
「いや、だってほぼその通りだし」
「だってさ」
何が楽しいのか、エイナはアイリスへと楽しげな笑みをむけ、対してアイリスは何処か不満気だ。
一体何処に不満に思う要素があるというのか……ああでも、ギルドの内に居るアイリス達とギルドの外に居る僕とでは何らかの認識の違いがある可能性もあるのか。というか、そもそも何故ここに居るのかもまだ分かってないし。
「ほら、ギルドならわざわざこんなところまで来なくても、呼び寄せることが出来るでしょ?」
「……なるほど。そういうことですか」
「なーんだ」
何処かホッとした様子のアイリスと、残念そうなエイナ。やはり認識に齟齬があったようではあるけれども……一体どういうことだと思われていたのか。
まあそれはともかくとして――
「それで、何してるのか聞いてもいいのかな?」
念のためにそう言って聞いたのは、仕事で来ていると言っていた以上、中には答えられないこともあるだろうからだ。
もっともこうも堂々と歩いているのだから、目的程度だったら特に問題なく教えてくれるのではないかと思ってもいるけれども。
「……そうですね。むしろ、ちょうどよかったとも言えますか」
「うん?」
結論を先に言ってしまえば、アイリスはその目的を素直に教えてくれた。
ただ――僕としては、それは少々予想外のものであったのだった。
「明けの明星というお店、知っていますよね? 私達の目的は、そこへと行くことです」
「いやー、やっぱりトウマ君はさすがだよね。まさか既に知ってて、しかも常連さんだなんて」
「さすがって言われてもなぁ……ただの偶然だし」
「むしろ偶然だから凄いんだけどね」
これが褒め殺しというやつなのだろうか。褒められて悪い気はしないはずなのに、その理由がよく分からないこともあってか居心地の悪さの方が強い。
アイリスは我関せずといった様子だし……少しは助けてくれてもいいんじゃないかな?
「助けるも何も、楽しそうでいいではないですか」
「まあ確かに楽しそうではあるけど……エイナが」
「うん楽しいよ? トウマ君とは今まで話したくても中々話す機会がなかったからね」
本当に楽しそうな顔でそんなことを言われてしまえば会話を中断する気にもなれない。
まあ僕としても、美少女とのお喋りそのものが嫌なわけもないので、少しぐらいはこのまま雑談を繰り広げていても構わないだろう。
「そういえば、エイナは普段何してるの?」
「え、まさかいきなりそんなこと聞かれるなんて……わたしのこと気になっちゃった?」
「さり気ない振りをして相手のことを聞き出す……なるほど、これがトウマさんのいつものやり方なんですね」
「うん、話の流れがおかしいよね? ギルドで何してるの、って意味だからね?」
「なーんだ、残念」
まあ気になった、というのは強ち間違ってもいないけれども。
見覚えはあるのに、何処で見かけたのか具体的なところは思い出せないのである。気になって当然だろう。
とりあえず受付ではなかったのは間違いないのだけれども。
「まあ、そうだね。トウマ君は全然こっち来ないから、覚えてないのも無理ないかも」
「エイナさんはギルドの食堂で働いている人です」
「あー……なるほど。だから見覚えはあるけど、よく分からなかったのか」
冒険者ギルドの建物の中には、受付や鑑定所以外にも実は食堂なども存在している。
もっともこれは個人的には酒場と呼ぶべきなんじゃないかと思っているようなところで、あまり行きたいと思えるような場所ではない。別に何が悪いと言うわけではないのだけれども……まあ単純にあの中に飛び込みそこで馴染んでいる自分が想像できないのである。
情報の収集や仲間を募集する際にはそこそこ便利らしいのだけれども、今のところどっちも必要はないし……今後も使用することがあるかは何とも言えないところだ。
とはいえそれは併設というか、すぐ傍に存在しているものなので、ギルドに入れば勝手に視界に入ってくる。当然そこで飲み食いをしている人や働いている人達の顔も見えるわけであり、確かにそれならば見覚えはあるはずなのに何処で見たのか分からない、というようなことになっていたのも納得であった。
「ということは、もしかして明けの明星に行くのは、そっち関係?」
エイナが働いているのが食堂であり、明けの明星も食堂だ。アークさんの腕前は疑う必要がないほどであるし、なるほどそういうことならば――
「あー、うん、ちょっと違うかなー」
「ちょっとと言いますか、正直関係はないですね」
違ったらしい。じゃあどういうことなのかと。
「まあ、あれかな……ギルドには色々あるってことで」
「というよりも、そもそもエイナさんが一緒に居るのはただの付き添いのようなものですから。要するに、暇だから付いてきた、というところです」
「ちょっとアイリスちゃん、それだと人聞きが悪くないかな? まるで暇な時はわたしは仕事しないで別のことしてるみたいだよ?」
「まるでと言いますか……暇になるとちょくちょく受付に遊びに来るのは何処のどなたでしたっけ?」
「えー、え、っと……お? おっと、分かれ道だね……トウマ君、どっち行けばいいのかな?」
「何と言う露骨な話題転換……」
まあでも、どうして働く場所が違う二人の仲が良いのか疑問だったけれども、そういうことなのか。右に向かって先導しながら、その情景が簡単に想像出来てしまい苦笑を浮かべた。
ちなみに何故僕が未だ二人と一緒に居るのかは、明けの明星へと案内をするためである。どうやら二人は目的地の詳細な場所を知らずに来たらしい。
それでどうやって行くつもりだったのかを聞いたら、周囲に聞きながらどうにかするつもりだったとか。あの人の居なさを考えると、果たしてそれで辿り着けたのかは疑問である。
もっともそれでは無理そうだから僕が案内を申し出たわけではなく、どちらかといえばこれは罰ゲームに近い。
余計なことをやらかしたからね……むしろこの程度で済んでよかったと思うべきかもしれない。
ともあれそういったわけで、僕は二人を連れて絶賛先ほどまで歩いていた道を逆走中だ。何故ちょうど僕が出てきたところに入ったのか……まあだからといってどうというわけでもないのだけれども。
既に歩き慣れた道であるため、二人と雑談を交わしながらでも問題なく進むことが出来る。むしろその分足取りも軽く、気が付けばそこへと到着していた。
「ここが……そうですか」
「……思ってたよりも普通だね」
そしてそこを目の前にして、何故か二人は緊張しているようであった。ただの食事処に入るのに、何故緊張する必要があるのだろうか。これが一人でというのならば……まあ、分からなくもないのだけれども。
そもそも結局何の用があって来たのかも聞けてはいないものの、そういったことはよくあることだ。とりあえず案内は終了したわけだし――
「じゃ、僕はこれで」
「あ、待ってください」
今回は別に逃げようとしたわけではなく、理由を話せないということはこれ以上僕が居てはまずいだろうと判断したからなのだけれども……何故か引き止められた。
「すみませんが、中まで案内してもらってもいいですか?」
「あー、うん、そうだね。その方がいいかも。わたし達と向こうとの顔合わせが済むままでいいから……お願い出来ないかな?」
「んー……まあ、別にいいけど」
ここまで来たら、その程度大差はない。
しかし何故わざわざそのようなことをするのか……やはり気にはなったものの、きっと聞いたところで教えてはくれないだろう。或いは、入ってみれば分かることか。
二人の視線を背中に受けながら、扉へと手を掛ける。いつも通りの軽やかな音を響かせながら、開いた。
「……え? まさかトウマの他にも客が……!?」
「いやそこで驚いちゃ駄目なんじゃないかな看板娘」
気持ちは分かるけれども、普通だったらこの時点で回れ右してるんではないだろうか。
というか、僕が最初に来た時には普通に対応してた気がするんだけれども……アレは一体何だったのだろう。本当に最初だからこそ出来たことだったのか。
まあそれはどうでもいいとして――
「あれ、トウマ? どうしたのよ? 何か忘れ物でもしたのかしら?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……何と言ったものか。まあ道案内してきた、ってところかな」
ここで雑談に入ってもアレなので、適当に話を切り上げ横に一歩ずれる。そうなれば当然僕の後ろから付いて来ていた二人の姿が見え――リリィの目がスッと細められた。
「……久しぶりですね」
「……そうね。確かに、久しぶり」
その会話は、そんな言葉から始まった。
顔見知りであったことに驚くも……実のところそれに気付いたのは、少し経ってからのことだ。最初に驚いたのは、その二人の口調であった。
冷めたというか、何と言うか……特にリリィの方のそれは、今まで僕が聞いたことがないようなものである。そこでまずは驚き、内容を反芻してから二度驚く。
しかし僕が驚いていることなどお構いなしに、二人の会話は進められる。
「それで、一体何の用かしら?」
「それは、わざわざ言うまでもなく分かっているのではないですか?」
「……それもそうね。それにしても、よくここが分かったわね。誰にも言っていないはずなのに」
「……道案内をしてもらいましたから」
「道案内……? そういえばそんなことを……ああ」
リリィの視線が僕へと向き――僅かにその顔が歪んだ。そこに込められている感情は、一体何だろうか。悔しさのようにも、悲しさのようにも見える。
或いは、怒りか。
「なるほど……そういうことだったのね」
確かなことは、ただ一つ。僕はそんな表情のリリィを見たことがなかったし、向けられたこともなかった、ということだけだ。
「あなたが何を考えているのかは分かりますが、それは勘違いです。これはただの、偶然ですから」
「……それを私に信じろ、と?」
「別に私のことも、私の言葉も信じる必要はありません。ですが……その目で見て、信じられると思ったこと、人は、信じてもいいんじゃないでしょうか?」
「……っ」
……さて、何やらシリアスっぽい空気が流れているが、結局のところどういうことなのか。僕の役目は終わったっぽいのでこのまま退散してもいいのだろうけれども、何と言うか、動きづらい。
同じく今のところ蚊帳の外に見えるエイナへと視線を向ければ、苦笑を浮かべられた。
「まー、うん、ちょっと……色々とあって、ね」
「なんだろうけどねぇ」
冷たいと思われるかもしれないけれども、正直なところ出来れば僕とは関係のないところでやって欲しいものである。ぶっちゃけ先ほどの比ではないレベルで居心地が悪い……というかむしろ胃が痛くなるレベルだ。
リリィが何かしたのか、アイリスが――この場合多分ギルドだろうけれども――何かしたのか。何か余計なことに足を突っ込みかけている気がしているので、本気でさっさと逃げ出したい。
少なくとも今の僕には、余計な何かを抱え込めるほどの余裕など、ありはしないのだ。
ところで……ふと思ったのだけれども、この場に一人、居なければならない人が足りていない気がする。
そう、アークさんだ。先ほどから姿が見えないどころか、厨房の方にも居ないように見える。もう客が来ないということで、奥に引っ込んでしまったのだろうか?
でもリリィは居たわけで……まあだからどうしたというわけでもないのだけれども。ただ、少しだけ……そう、ほんの少しだけ、気になったのだ。
「まあ、これ以上余計なことを言うつもりはありません。あなたが何を信じて何を疑うのかは、あなたの自由ですから」
「……言われるまでもないわ」
「そうですか、それは失礼しました。それで、トウマさん」
「あ、え、僕? え、えっと……何?」
唐突に話を振られたので、つい挙動不審になってしまう。何だろうか……出来れば無茶振りは勘弁して欲しいのだけれども。
「ここまで案内ありがとうございました。もう大丈夫ですから」
「……ああ、うん、そっか」
無茶振りではなかったけれども、それは言い換えれば、もう用はないからとっとと帰れということだ。この空気の中にこれ以上居なくて済むのだから、ここはホッとするべきところなのだろうけれども……若干釈然としない思いがあるのは何故だろうか。
まあでもここで駄々をこねても意味はない。そもそも、とっとと帰りたいと思ったのも自分だ。ならば、ここは大人しく退散すべきだろう。
「それじゃ、僕はこれで」
「はい。それでは、また後で」
「うん、案内ありがと。またねー」
そうして二人の横を通り、店の扉を潜り抜け――
「ああそうだ……リリィ」
その直前。
「……何よ?」
振り返ることはなく、そのまま――何事もなかったかのように。
「――またね」
それだけを伝えて、店を後にした。
しばらくして、背後から扉の閉まる音が聞こえた。既にその向こう側で続けられているのだろう会話は漏れ聞こえてくることはなく、ふと、何気なく空を見上げる。
そこに広がっていたのは、抜けるような青空。世界が違っても、この光景は変わらないんだなと、何となくそんなこと思い――視線を戻すと、歩き始める。
休日の暇潰し方を考えていた時より、まだ大して時間は経っていない。つまりは、その考えを再開することも、見つけようと探し回ることすらも可能だ。
けれども――
「……帰ろうか」
何となく、その全てをやる気になれず。僕はそのまま、家へと向かい、歩いていったのだった。




