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スディン王子の嫁探し

作者: 白石令

『各国の尊き王家の血を引きし王子たちよ! 過酷な冒険の末の運命の出会いをしてみたくはありませんか? 数々の試練の乗り越え、眠り姫を目覚めさせよう! 歯車は今、廻り始めたっ!』



 そんな内容の冒険勧誘チラシを何度も読み返したあと、俺はそれを背後に控える剣士にずいと突きつけた。

「エルー、これは何だ?」

「――魔女の呪いで100年の眠りについた姫君が、今年王子の愛によって目覚めるとお告げがあったらしいな。それで各国の王子に口づけさせて目覚めさせようっていう、まあ一種の道楽のようなイベントだな。貴族でもいいそうだが。未婚者限定」

「そうじゃないっ! 俺が聞きたいのはだな、何でこんなくそ怪しいもんが、俺の机のど真ん中に置いてあるのか、ということだ!」

「その方がおまえの目につきやすいと思ったんだが?」

 この野郎、腹が立つほど澄ました顔しやがって。俺が何故怒っているのか、とっくに承知のくせに。

「エルー、これは俺への嫌味か。新手のいやがらせか?」

「いやがらせ? とんでもない。興味があるかと思ったから置いてやったまでだ」

「……どーいう意味だ」

「そのままの意味だよ」

 言い切り方が見事だった。

 返す言葉を失った俺に、すかさずエルーは言いつのる。

「だが確かに、一介の家臣が出すぎた真似をしたか。んじゃあスディン、おまえの愛するご家族に、19にもなって恋人もおらず付き合っても1ヶ月で破局するその言い訳は、自分でするということだな?」

「う……」

「たとえばそれで眠り姫を目覚めさせて妻とすれば、ご家族だけでなく国民も安心するだろうと思ったんだがなぁ」

「うう……」

「俺も乳兄弟として、日々悪夢に悩まされているんだぜ? おまえが王位を継いだとき、隣がずっと空っぽで、結局国は滅びるという」

 う、嘘だ! 悪夢を見るほど繊細な神経してないだろう、おまえは!

「まあ眠り姫を目覚めさせられるのは運命の相手だけらしいから、おまえは無理だろうがな……何しろすべての女の運命から逃げられると評判なくらいなんだし」

「何だその評判!? いつから!?」

「だが駄目で元々だ。いいか、スディン。確かに嘘くさいイベントだが、もしこれで眠り姫を連れ帰ることができたら、もう父君や姉君方からの嫌味やいじめもなくなるんだぞ?」

 うっ!?

「失うものはない。得るものはあるかも知れない。それでもおまえは行かないと?」

 そう言われると心が揺れる。

 こんなイベントにすがらないと恋人も見つけられない、と認めるのは癪だが、行っても別に損はないわけだ。エルーがこういう風に言うときは、必ずろくでもないことが待っているものだが……

 俺は恐る恐るうなずいた。

「……わ、分かったよ。行く」

「よし。じゃあ注意事項を読み上げるから、よく聞いてろよ」

「ああ」

「『注意事項・このイベントには危険が多数ありますが、これが原因で命を落とされても、我々実行委員会は一切責任を負いません』」

 ちょっと待て。

「ただのお遊びじゃないのか!?」

「さっきも言ったとおり、暇を持て余してる王侯貴族の、暇つぶしのようなイベントだろうな」

「じゃあ何で命の危険があるんだよ!」

「眠り姫のもとに辿り着くまで、試練や困難が多々あるんだろ」

「何だそれはあああっ! 俺は嫌だぞ! 失うものがあるじゃないか!」

「……残念だな、スディン」

 エルーは四角い機械を取り出してみせた。

「今の会話はすべてこの〈吸音機〉に記録してある。まさか第一王位継承者が約束を反故に――なんて、しないよな?」

 きょ、脅迫してきやがった。

「だ、だが、命の危険があるとは聞いてなかったぞ」

「訊かれなかったからな」

「だがその、仮にも第一王子が死ぬようなことがあればだな……」

 俺は何とか食い下がる。

 チキン野郎と言うなかれ。俺の運動神経はひどいのだ。胸を張って繰り返そう。俺の運動神経はひどい。

 しかし、エルーは自信満々の笑顔で俺の肩を叩いた。

「大丈夫だ。俺がいるんだから」

 それが一番信用ならないんだよ。

「どうしても嫌か」

 どうやら顔に出ていたらしい。

 エルーは大きなため息をつくと、さっと背を向けた。

「この〈吸音機〉を姉君方にお渡ししてこよう」

「うわ――っ! 待った待った分かったああああっ!」

 冗談じゃない。あの年増どもに前言を撤回したなんて知られたら、ここぞとばかりにいびられるっ!

 俺がすがりついて喚くと、エルーはあっさりこちらに向き直って、満足げな笑みを浮かべた。

「行くんだな?」

「い、行くよ……行きます」

 こうして俺は、いるかも分からない眠り姫探しをさせられる羽目になったのだった。



『レェディィィエッス・ゥエェェーンドォ・ジュエントルメェ――ンっ! と言っても女性は一人もいらっしゃいませんがぁっ! とにかく、ただいまより開会式を始めさせていただきますっ!』

 司会者はマイクを握りしめ、ひとりで盛り上がっていた。

 なんとなく癇に障るなぁ、と我ながら理不尽なことを思いつつ、俺は溜め息をつく。今日何度目だろうか。

「そういや、一人も女がいないな。華がない」

 隣でエルーがぼやいた。

 まあ、死ぬ危険のあるものに女性は来ないだろう。

『不肖ながらわたくしっ! 司会を務めさせて頂きますフォーと申しますっ! 今年32歳、妻はもちろん子供も二人おりますっ! ちなみに19のときに結婚いたしましたっ!』

 どうでもいい。その自己紹介ものすごくどうでもいい。俺と同じ歳に結婚してるってなんだよ。不公平だ。

「しかし意外と人いるんだな。王族とか貴族ってのはみんな暇なのか? それとも、わざわざこんなイベントに参加してまで女が欲しいのか?」

 掃いて捨てるほど女が寄ってくるエルーらしいセリフである。

 呪われろこの野郎。

『――眠り姫は魔女に呪いをかけられ――』

 気づけば、壇上でマイクを握る人物が変わっていた。ハゲ頭の中年親父だ。名札には委員長と書いてある。

 エルーが欠伸をした。

「お偉方の話ってのはどこでも一緒だな。内容は薄いのに長い」

「否定はせんが、それには俺も入ってるのか?」

「いんや。スディンは俺にとってお偉方には入らないからな」

 それは喜ぶべきなのか、怒るところなのか?

『――力なのです。それゆえ魔女は眠り姫に呪いを――』

 うわ、またさっきと同じこと言ってるよ。勘弁してくれ、こっちは早く帰りたいんだ。

 しかしそんな俺の思いとは裏腹に、実行委員長とやらの演説は長々と続いた。

 40分経ってようやく司会者が止めに入り、強制終了。参加者たちはすでにだらけきっている。

『さあ皆さま、お待たせいたしました! この壁の向こうに、眠り姫は眠っておりますっ!』

 妙にハイテンションな司会者フォーが、壇上の壁を示して言った。

 縦に1本、黒い筋が入っているだけの壁だと思っていたが、どうやら違うらしい。

『10人の勇者よ、この扉をくぐるのですっ!』

 ちなみに参加者は確かに10人だが、その従者や護衛も含めると20人は超えている。

 ゴゴゴゴゴ……と壁が震えた。

 黒い筋からぱらぱらと破片をこぼしながら、ゆっくりと左右に開いていく。

 一体何が待っているのか……俺も含め、その場の全員が固唾を呑んで見守った。

 やがて完全に壁がなくなってしまうと、そこに広がっていたのは――

 視界を埋め尽くすほどのイバラ。

「……イバラ……?」

 誰かの自信なさげな呟きが聞こえた。疑問形だったのは、何のことはない、色とりどりのイバラだったからだ。

 青、赤、黄色、紫、白に黒……目がちかちかするほどのカラーバリエーション。ペンキでもぶちまけたのかと思うくらいに不自然な色である。

『さあっ! イバラを乗り越え、無事にもう一度この床を踏めるのは一体何人なのでしょうかっ! おそらく半分も無理だと、わたくし司会者フォーは予想いたしますっ!』

 一同が呆気にとられる中、誰よりも早く立ち直ったのは俺ではない。

 エルーだった。

「んじゃまあ、行ってくる」

 すらりと剣を抜き放ち、無造作にイバラに歩み寄ると、ばっさばっさと斬り進んでいく。

『おおっと!? 最初に動いたのは何とも意外や意外っ! 美形の剣士ですっ! すごいです、あっという間に道を作っていっておりますっ!』

 他の参加者たちも我に返り、それぞれイバラを排除しはじめる。剣で普通に斬れるようだ。

 俺もエルーに走り寄る。ただし手伝いはしない。逆効果になるからだ。

 イバラは前が見えないほど密集していた。これではどれだけ広い部屋なのかも把握できない。

『それでは皆様、ご健闘をっ!』

 と、背後で司会者フォーが高らかに激励した瞬間、ゴゴゴガコンッと、恐ろしく軽い調子で壁が閉まった。

 早っ! 開くときはあんなに重そうだったのに!?

「あ、開かないっ!」

 誰かが絶望的な声を上げる。

 閉じ込められた。後戻りも棄権も許されない。なんだこの物騒なイベント。

 エルーだけがひたすらばっさばっさとイバラを刈りつづけていた。動じないにもほどがある。

 そのうち全員が諦めて作業に戻っていった。

 しばらくして――

「うわあああああっ!?」

 響き渡る悲鳴。

 俺はぎょっとして見回すが、イバラが邪魔で何が起こったのか分からない。

「い、一体どうしたんだ?」

「――スディン」

「な、なんだ?」

 エルーが冷静に告げた。

「このイバラ、動くぞ」

 振り下ろされたエルーの剣を、イバラがくねって避けている。

「……なんだこれはっ!」

 驚いてバランスを崩した。そこへイバラが突進してくる。俺は慌てて身をかわした。

「おい、スディン。あまり前へ出るなよ。死ぬぞ」

 エルーは襲い掛かってくるイバラをことごとくなぎ倒していく。さすがは国一番の剣士!

 ――しかし異常事態はそれだけでは済まなかった。

『ケケケケっ! なかなかやるな、兄ちゃんっ!』

『油断していたぜ……』

 イバラに顔が浮かびあがり、しかもしゃべったのである。

「おい、エルー! しゃべったぞ、こいつら!」

「聞こえた」

 なんでそんなに冷静なんだよ!?

『もうやめてっ! 争いは憎しみの輪を広げるだけよっ!』

 目をキラキラさせて叫ぶイバラ。ばっさりとエルーに上下真っ二つにされる。

 それを見て、ケバい紅色のイバラが口をとがらせた。

『サイテーっ! なにあんたーっ! 信じらんな――いっ! ムカツクーっ! チョーベリーバッドって感じーっ!』

 う、うるせえっ! 何だこのおかしなイバラどもは!?

 何しろそれぞれ違う顔がくっついていて、いろいろなことをしゃべくっているのだ。長くいたら正気を失うかも知れない。

『う……! ちくしょう、ここまでか……だが、これほど燃えたのは初めてだったぜ。やるな、あんた……』

 さわやかな青年顔のイバラが倒れた。なぜあんなに満足そうな笑顔だったのかが気になる。

『泣かない、で……いいのよ、これがあたしの……運命、だったの……あなたの、せいじゃない……自分を……責め……ないで……?』

 一体どんな物語が繰り広げられているのか。

『うう……っ、お、俺は……まだ……俺は……死ぬわけには……!』

 赤と緑2色のそのイバラは、豪快に倒れたあともぷるぷると痙攣(けいれん)しつつ立ち上がろうとしていたが、すぐに力尽きた。

『……すまない……レナ……約束を……守れなかっ……た……』

 名前があるんだ。

『どこ? ……あなたが見えないの……』

 そう言って死ぬ間際に体をくねらせたのは、目に痛い黄色いイバラである。ぽろぽろと涙をこぼしてみせても気持ち悪い。

『見せてやるぜ! イバラが持つ無限の力をっ!』

 無駄に叫んだそのイバラは、現れた瞬間エルーにみじん切りにされた。

 ――その直後である。

 俺たちの前に、一際大きく太い、鮮やかな色をしたイバラが、高笑いとともに出現した。

 金色に輝くその威容はまさに王!

『先に進みたければ、俺の屍を越えていけっ!』

 イバラ王がエルーに襲いかかる。

 エルーは無数の触手を斬り飛ばし、イバラ王との間合いを一気に詰めた。

 切断された触手が打ちあげられた魚みたいにピチピチ跳ねていて、とてもグロテスク。

『甘いわぁっ!』

 イバラ王は横手から一撃を放った。

 しかしエルーはそれを屈んで回避。がら空きになったイバラ王の腹へ刃を打ちこむ。

 続けて剣を引き抜くと、とどめとばかりに振り下ろした。

 金色の液体が飛び散る。

『なぜだ……なぜ、この俺の猛毒スペシャルアタック・スペシャル・スペシャルバージョンが……』

 スペシャル何回言うんだよ。

『ふ……そうか。絆……か』

 いや誰も何も言ってないし。

『俺の負けだ……力だけでなく、心においても……』

 もう訳分からん。

 金色のイバラ王が倒れると、他のイバラたちも次々に(しお)れ、崩れ落ちていく。

 イバラたちの屍の向こうには、きれいなお花畑が広がっていた。



 多くの花々が咲き乱れている。

 蝶々がはらはらと横を通り過ぎていった。

 見上げるとなぜか青空と太陽が顔を出していて、花畑の先には立派な城が建っている。

 ……ここどこだよ。

「室内じゃなかったか?」

「まあ、天井に穴があいている室内ってのも前衛的でいいんじゃないか?」

「前衛的とかそういう問題じゃなくてっ! ――あーもういい! とにかく城に行くぞ!」

 俺は城を指差した。おそらく眠り姫はあそこにいるのだろう。他の参加者たちも我先にと向かっている。

「よし。じゃあここはやっぱりスディンが先に」

 どん、と背中を押された。俺はつんのめり、片足で2、3歩進んで踏ん張った。が、やはり耐えきれずに転倒する。

 ――かち。

 右手に何か固いものが当たった。それと同時に、地の底からごごごごご……と重い音がせりあがってくる。

「……なんだぁ!?」

 焦って手を離す――それが間違いだった。

 いきなり俺の下の地面が隆起したのだ!

「うわわわわわっ!?」

 驚いた刹那、俺の腕を何かがかすった。見ると、地面から太い針のようなものが突き出ている。じんわり、痛みと血が滲んだ。

 なんだよこれ!

「――うわあああっ!」

 俺が声を上げるより先に、誰かの悲鳴と、どおんっ、という爆発音が轟いた。灰色の煙と焦げ臭い匂いが漂ってくる。

 血の気が失せていくのが分かった。

「地雷、でもあったかな? 見ろよスディン」

 のほほんと傍観してんじゃねえよ!

 そもそも俺はそれどころではないのだ。岩の針が次々と地中から生えてくる。モズの早贄(はやにえ)はごめんだ。

 必死に岩の針を避けつつ、なんとかその危険地帯から這い出る。

 エルーは相変わらず、平然と周りの惨状を観察していた。

「ど……どうなって、いるんだ、これは……?」

「城に入るのにも試練があるようだな」

 そういう問題じゃないだろう。

 ずどぉぉん……

 遠くで誰かが煙と一緒に星になった。合掌。

「やっぱり地雷が仕掛けてあるな。これは面倒だぞ、スディン」

「面倒……そうか、面倒で片付く問題なのか、おまえにとっては……」

「そこで俺に策があるんだが」

「却下」

 俺は間髪入れず言った。

「なぜ」

 予想外だ、とばかりに眉を上げるエルー。

「おまえの案、というか言動は、ことごとく俺の身に危険が及ぶようなものばかりだろう」

「別に故意にやってるわけじゃないが」

 そうだな、7割くらいは天然なんだよな。

「……故意だろーとわざとだろーとそう意識してやっていよーとっ!」

「スディン、どれも同じ意味だぞ」

「とにかく! 俺は危険なことは嫌だ!」

「大丈夫だスディン。今回はおまえに危険はない。おそらく」

「おそらくって言ったか、今?」

「とりあえずこっちだ」

 言うなり、エルーは俺の腕を掴んで花畑を歩き出した。警戒心なく。

「おい、地雷っ!」

 背筋がひやりとした。だがエルーの手は振りほどけない。俺はモヤシ王子だ。

 冷や汗をかきながら花畑を進んでいたが、エルーの運か、奇跡か――幸い目的地までは無事たどりつけたようである。

「見ろよ」

 エルーの指の先には、少女がいた。

 花畑の中、両手を胸の前で重ね合わせて目を閉じている。

「……まさか、これが眠り姫?」

「容貌は聞いてなかったからな。断定はできないが」

 しかしどう見ても、想像通りの眠り姫だった。

 年齢は15、6歳ほど。長い睫毛、花びらのような唇。わずかにウェーブのかかった金髪に、赤いリボン。なめらかな白い肌は人形かと思えるほど整いすぎていたが、うっすら色づいた頬が、間違いなく血の通った人間であることを示していた。

 可憐で清楚な姫君。しかし、少々あっけない気がする。

「偽者ということも考えられるな。だが……」

「裏をかいて、ってこともある。まあ議論していても始まらん。さあ」

「……な、なんだ?」

「さっさと口づけしてみろよ」

 俺の顔に血がのぼった。

「い、いや、待てっ! 本物かどうかも分からんのに、見ず知らずの少女にそんなことをするわけには」

「だからそれを確かめようってんだろ。19にもなって何恥ずかしがってんだ、キスぐらいで」

 キスぐらいで。

 どれだけ女に恵まれた生活を送ってやがるんだ、こいつは。

「だが、もし目覚められても、妻にできるかどうか分からんぞ」

「心配するな。これまでのおまえの経験からいって、目覚めることは絶対にありえない。だがまあ、万が一ということもあるし、念のため挑戦してみるのもいいと思うぜ?」

 ああ分かったよ! 口づけすりゃいいんだろ!

 俺はヤケになって、眠り姫らしき女の子を抱き起こした。

 そのとたん――!

「……あらぁ、王子さまぁん?」

「……………」

 俺は一瞬硬直し――

「――うわあああああっ!? 化け物ぉ――っ!」

 力の限り絶叫。桃色のドレスを着た人物を放り投げた。いや、突き飛ばそうとしたが逆に弾き飛ばされた、というのが正しい。

 全身の毛が逆立っていた。その穴ひとつひとつに、どろりとした気持ちの悪い何かを流しこまれているようだ。このまま気を失ってしまいたい。そしてすべて悪夢で終わらせたい。

「いったぁい。ひどいですわぁ、王子さまぁん」

 カールの金髪。赤い大きなリボン……そこまではいい。 

 ただ――女じゃない。

 さっきまで美少女だったものは、筋肉で服が破れかけている四十がらみでヒゲもじゃのむさいおっさんに変態していた。

「これはもう……犯罪の域に達してるな」

 エルーでさえ直視できていない。

 そして俺は気づいてしまった。

 周りからも魂の悲鳴が上がっており、そこには様々な色のドレスを着た、いくつもの金髪バケモノが――!

「うふ、初めましてぇ、王子さま。眠り姫でぇす」

「寄るなああああっ! バケモノおおおおっ!」

 俺は護身用のナイフを振り回し、徐々に後退していく。

「スディン、あんまり動くと」

 かちり。

 そんな小さな音が聞こえた気がしたが、構っている余裕はない。バケモノから距離をとるためにさらに退こうとして――

 凄まじい衝撃と爆音。

 俺は、鳥になった。

 ああ、このまま飛んでいきたい。

 しかし無情にも青空は一気に遠ざかる。――急降下!

 俺は悪夢のいる地上へ再び叩きつけられた。

「王子さまぁん、大丈夫ですのぉ?」

 ひいいっ!?

 地面に激突した痛みで体が動かない。

 逃げられないことを悟り、すうっと意識が遠ざかった。

 しかし、寸前で持ち直す。俺に駆け寄るバケモノを、エルーが剣でとめてくれていたからだ。

 ありがとう親友っ!

「……なんのおつもりかしらぁん?」

「それ以上スディンに近づけば、首を斬り落とす」

 かっこいいぞ親友っ!

「あぁら、あなたにわたくし達の愛を止める権利があってぇ?」

「実は、放っといても面白いかなと思ったが」

 え、親友?

「よく考えるとスディンに何かあったら俺の責任になるんだ。バケモノの血で剣が汚れるのも嫌だからな、とっとと消えろ」

「バ、バケモノですってぇ……?」

 ショックを受けたようによろめき、花畑に突っ伏すバケモノ。

 自覚がなかったのか貴様。

「あんまりですわぁん……わたくしがバケモノ……なんてぇ……!」

 わんわん泣いていたバケモノは、突然すがるように俺を見つめてきた。

 やめてくれ! 見ないでくれ!

「王子さまぁん……わたくし達の愛は運命、永遠ですわよねぇん? わたくしは、バケモノなんかではありませんわよねぇん?」

「じょ、冗談じゃないっ! おまえのどこがバケモノ外なんだ! どこからどう見てもバケモノだ! おまえを生み出した世界の正気を疑うぞ俺はっ!」

「そ、そんな……!」

 バケモノは驚愕した表情のまま立ち尽くした。

 ややあって、ふっと悲しそうに微笑する。不気味以外のなにものでもないが。

「そう……そうですのね……わたくしなんか入る余地のないほどの愛が、王子さまとその男性の心を結んでおられるのですね……」

 いや勘弁してくれ。何でそうなるんだよ!

「……わたくし……わたくしのこと、嫌わないでくださいましね。それはあまりにも辛うございます」

「いや、貴様の存在は嫌いどころか生理的に受け付けないし……」

「お、王子さま……」

 その言葉がトドメになったらしい。バケモノは瞬く間に塵と化し、風に吹かれて完全に消え去った。

「……………」

 た……

「……助かった……」

 へなへなとその場に座り込んでも、誰も文句は言うまい。



「死ぬかと思った……」

 何とか入城することができ、俺はやっと息をついた。

 生き残った他の参加者たちはそれぞれ別のルートを行っているため、今歩いている広い通路には、俺とエルーの二人しかいない。

 静かだ。平穏だ。俺は今幸せを噛みしめている。

「今回は惜しかったな」

「……おまえ、俺を殺したいのか……? しかも精神的に」

「ささくれ立つなよ、スディン。ちょっとした冗談だろ」

 何でエルーはこんなに元気なんだ。

 俺は髪も体も心もずたぼろなのに、こいつは怪我一つなくけろっとしている。衣服も乱れておらず、汚れすらついていない。出発したときのままだ。これは俺が運動オンチなせいなのか?

「スディン、行き止まりみたいだぜ」

 エルーの言葉に顔を上げると、白い壁が行く手を遮っていた。

 ここまでは一本道だったはずだ。

「ということは、この道は間違いか」

「――待てスディン。下の方に何か書いてあるぞ」

 そう言われてエルーの視線を追うと、壁の下端――床とご挨拶できそうな位置に、黒い汚れがあった。俺は視力が悪いので、しゃがまないとよく見えない。

 全体的に四角張ったその文字は、明らかに共通語ではなかった。

「……これ、古代文字だぞ。大昔この辺にあったソバっていう国の」

「ふうん? じゃあ、眠り姫はソバって国の王女さまってことか?」

「そうなるんだろうな」

「で、何て書いてあるんだ? おまえなら読めるだろ?」

「多分」

 エルーと違って、俺は部屋にこもって読書の毎日だからな。何せ引きこもり王子とあだ名がつけられるほどだ。……自慢にならないか。

 それはともかく、俺は記憶を引っ張り出し、目の前の文字と照らし合わせる。書いてあるのはたった一言だ。すぐに分かるはず。

「『答えよ』、か?」

「答えよ?」

 ふいに、壁が熱を持ったような気がした。

『ファーハハハハハッ! 答えよ! 答えよっ!』

 気のせいではなかった。

「……うわああああっ!?」

 か、壁が、今度は壁がっ!?

『答えよ! 答えよ!』

 壊れた機械のようにそれだけを連呼しているのは、壁に現れた口だった。目も鼻もない。ただ口だけが、ぐにゃぐにゃと動いている。

「何にでも命があるんだな、ここは」

 もうエルーがこの異常事態に順応しはじめている。ここまで驚くのは俺だけなのか? むしろ異常なのは俺なのか?

『答えよ、第1問っ!』

 はい?

『この世でもっとも大切なことは何か? 答えよ!』

 いきなりクイズ? この世でもっとも大切なこと?

 俺の頭の中で、ぐるぐると色々な単語が生まれては消えていく。愛、勇気、希望、金、名誉、えーと他には……家族とか、恋人?

『1、金っ!』

「えっ? 選択問題なのか?」

『2、健康っ! 3、愛っ!』

「え、えっ……と」

『オッケー、秒読み開始っ! 10……9……』

 時間制限つきっ!?

「え、ええええと……エルー、どれだっ!?」

「俺は主人と言わなきゃまずいだろう」

「そうじゃなくてっ!」

『5……4……』

 うわっ、ま、まずいっ! 時間制限があると思うと、たとえ罰則がなくても焦ってしまう。いや、ないとは限らないのだが。

『……2……1……』

「ああああ、そ、それじゃあ愛っ!」

『ブブ――っ!』

 壁は即座に口をとがらせた。

『未熟者めっ! もっとも大切なことは、掃除に決まっとろーが!』

 ……掃除?

「何で掃除なんだ……いやそれ以前に、そんなもの選択肢の中になかったぞ」

『ファーハハハハッ!』

 突き抜けるその笑い声、耳触りなんだが。

『愚かなっ! 選択問題とも、この中から選べとも言っておらんっ! そして我々壁や床にとっては、掃除はもっとも大切なことなり!』

 それを人は屁理屈と言う。

「問題を間違えた場合、どうなるんだ?」

 エルーが尋ねると、壁はやはり甲高い声音で答えた。

『問題を3回間違えない限り、心配はないっ!』

「3回間違えた場合は?」

『うむっ! 花畑で眠っていたバケモノと一生ここで過ごす、とゆーのはどーだっ!?』

「嫌だああああっ! そうなるくらいなら俺は死ぬ――っ!!」

『はっはっは、大丈夫。ちゃんと十数匹いるバケモノの中の、先程おまえと関わりのあったやつにしてやるから』

「どれもおんなじだああああっ!」

「落ち着けよ、スディン。間違えなきゃいいんだろ? 問題数はあといくつだ?」

『うむ。あと638ほどかな』

 待てい。

「そんなもん終わるわけないだろーが!」

『若者はこれだからいかんな、根性がなさすぎる。やる前から無理だと決めつけるから、何もできんのだ』

「お。いいこと言うな」

 あっさり同意するエルー。

『そうだろうっ!』

 壁は気を良くしたらしく、最近の若者の素行から始まって、今の若者のあり方まで熱弁をふるいはじめた。それが面白いのか、エルーはいちいち反応を返している。

『――つまりわたしが思うのはだなっ! イバラもいい加減、壁に頼ってくるのはどうかということなのだ』

「イバラは何かに巻きついたり支えられたりするのが普通だからな。だがまあ、確かに巻きつかなくても充分いいよな」

 一体なにがどういいと言うんだ。

『そうだろうそうだろうっ! うむ、そなたは若いのに、なかなか考えているじゃないか』

「そりゃどうも」

『うむ――……』

 壁は突然、考え込むように沈黙した。

 やがて何か閃いたらしく、よしっ、と短く叫ぶ。

『気に入ったぞっ! ノルマをあと1問にしてやろうっ!』

「お。良かったな、スディン」

「……数が少ない分、難しい問題なんじゃないか?」

 俺は腕を組んで壁を睨みつけた。まあ、よくある話だよな。

『ほう、よく分かったな。金持ちのボンボンが』

「やかましいっ! 俺の国はそんなに金持ちじゃない!」

『だが心配するな。正直になれば簡単な問題だ。ただ――』

 壁はふいにテンションをさげた。

『おまえにとっては辛い過去を思い出させるかも知れんな』

「……なんだと?」

 俺の辛い過去? ちょっと待てよ、確かに嫌な思い出もあるが、そんなに神妙になるほど辛い体験なんて、記憶にないぞ? っていうか、何でこの壁が俺の過去を知ってるんだよ。

 俺が考え込んでいると、壁はおごそかな口調のまま言った。

『金持ちのボンボンに関する問題だ。おまえは――』

 ごくり。

『今年何人の女性にフラれたか?』

 ちょっと待てい。

「8人」

『正解』

「何で知ってるんだよ! エルーもっ!」

「何言ってんだ、スディン。俺たちは親友だろ?」

 やけにさわやかな笑顔が嘘くさい。

「俺は最近おまえに恋愛相談なんてしてない」

「馬鹿だな、スディン。おまえ鏡を見ているか? ……全部顔に出てるんだよ」

 そうか……全部分かった上で、陰で見て笑ってたんだな。

 地獄に落ちろ。

『我が問いに答えし者に眠り姫を』

 壁が真面目な口調で告げた。しかも妙に機械的だ。何だ何だ?

『ソバの国の王女。聖なる力。長き眠りによって封じられた眠り姫を』

 壁の口が消え、代わりにぽっかり穴があいた。その先は明かり一つない闇だ。

「やっと眠り姫か? 行こうぜ、スディン」

 無造作に歩き出すエルー。

「罠とか考えんのかおまえはっ!」

「大丈夫だろ。罠があっても潰せば」

 な、何て力押しな奴だ。

 だが俺にエルーを止める力はない。仕方なくあとをついていく。

 背後からの光が薄れ、すぐに完全な暗闇となった。前を行くエルーの姿さえ見えない。

「エルー、どこだ?」

「おまえの目の前」

 意外と近くから声が聞こえた。

「おまえ、見えないのか?」

「全然。エルーは見えるのか?」

「ああ。一本道だ。このまま真っ直ぐ進むぜ」

 俺は耳を澄ましてエルーの足音についていく。

 やがて暗さに目が慣れてくると、何とかエルーの背中が見えるようになった。しかしそれでも闇は闇。エルーは一本道と言ったが、どんな道なのかも分からない。

 暗闇で沈黙が続くと、こう、何だか息苦しくなるな。

「エルー、何か変わったものはあるか?」

「いや」

 答えはそっけない。

 エルーは元来、寡黙なのだ。俺をおちょくるときは饒舌になるが。そして俺も話すのが得意な方ではない。弾む会話を望んでも無理というものだろう。

 だが、しかし……周りが暗いと、気分まで陰鬱になってくる。

「……何かしゃべってくれないか?」

「おまえのフラれ方でも話すか」

「……いや、やっぱりいい」

「俺が知ってるので最初は、侍女のレンの平手打ちだったな。顔半分の真っ赤な腫れは3日経っても治らなかった」

「いいっつーにっ!」

 しまった、これは俗にいう自爆……

「次は確か……いとこ姫のシレル様に突き落とされたな、2階から」

「やかましいっ!」

「下が植木だったから、腕の骨が折れるくらいで済んだが。あれは笑ったなー」

「……………」

「次は……」

 そこで、エルーの言葉が唐突に途切れた。

「止まれ、スディン。扉がある」

「扉? 開けられるか?」

 がちゃがちゃと音がする。だが、開いた気配はない。

「ふむ。斬れないことはなさそうだ」

「……いや、斬れるかどーかじゃなくて、俺は開けられるかと聞いたんだが」

「鍵がかかってる。斬るのが無難じゃないか?」

「分かった。じゃあ頼む」

 ……っひゅ……!

 俺には1回だけの呼吸と音しか聞き取れなかったが、刃の閃きは何度かの軌跡を残した。

 何条もの光が、闇に亀裂を走らせる。と同時に、がごごごごんっ、とけたたましい音を立てて闇が崩れた。ゆるい光が満ちていく。

 そこは薄暗い隠し部屋のような空間だった。図書室と呼ぶにはやや狭いが、埋め尽くされた本棚の量は、書斎というだけではおさまらない。

「こりゃー……さっきの壁に書いてあったのと同じ文字か? ひょっとして」

 エルーが手近な本を抜き取ってめくった。顔をしかめて俺に渡してくる。

「そうみたいだな。しかし……これだけあって共通語のものが一つもないというのも妙だな」

「そうか?」

「ソバは他国との交流もあったはずだし、国民は両方の言語を使用していた――と何かの書物で読んだ」

「個人的な趣味の部屋なんじゃないか?」

「うーん……」

 それにしたって、ソバの言語のみというのは釈然としない。

 俺は唸りつつ本棚を見て回った。隙間なくぎっしりと本が詰まっている。共通語だったら、ぜひ読破してみたいところだ。

「ん?」

 四角ばった文字の羅列の中、目にとまったものがあった。1冊だけ、背表紙に書かれたタイトルが共通語のものがあったのだ。

 手に取ってページをめくる。

 うわ、駄目だ。カバーが共通語なだけで、中は全部ソバの言語だ。

 ぱらららら、とページを流していると、本から紙片が滑り落ちた。拾って見てみる。

「――『眠り姫を目覚めさせる者に、これを託す』……?」

 横から紙片を覗き込んだエルーが、俺の代わりに読み上げた。

 そう、共通語で書かれていたのだ。

 一文字一文字を必死で書き上げたのだろう。弱々しい線には死が感じられた。


『眠り姫を目覚めさせる者に、これを託す。

 王女は悪しき魔女によって呪いをかけられ、時の止まった水晶に閉じ込められた。魔女は満足したのか、いずこかへ去っていったようだ。

 城の者たちは強い魔力に耐えられず、私以外はみな塵と化してしまった。

 私は王女を救おうと研究を重ねてきたが、間に合わなかったようだ。私はもうすぐ死ぬ。だからこれを見つけた者に、願いを託したいと思う。

 王女にかけられた魔法は永遠ではなく、100年も経てば弱まって歪み、正常な形を保っていられなくなることが分かった。今は完璧な城の番人も、外からの来訪者を阻むことはできなくなる。

 そのときに、王女と魔力の波長の合う者が水晶に触れれば、水晶は一気に均衡を失い、王女は解放されるだろう』


 最後の一行にはこう記してあった。

『私の娘を救ってくれ』と。

 ……なるほど。あのおかしなイバラやバケモノは、魔法が歪んだせいだったのか。元の形がどんなものかは知らないが、どう歪めばああなるんだ?

「……ふうん? どうやら眠り姫は実在するようだな」

「ソバの王族は代々聖なる力を持っていたという話だ。おそらくそれが理由だろうな」

「あー、そういや実行委員長が、んなこと言ってたな」

 長すぎて聞いてなかったがな。

「とにかく先に進んでみよう」

 俺は奥に続く細い通路を指した。



 細い通路は、吹き抜けの広間に通じていた。

 竜がいる。人間など頭から飲み込めそうな巨体だ。もちろん本物ではない。ガラスの像である。ぎょろりとした爬虫類らしい目や、鋭い歯の1本1本、鱗の1枚1枚さえ忠実に再現された竜の像が、威嚇でもするように大きく口を開けていた。

 さきほどまで晴れていたはずだが、空は重い暗雲に満ちており、青白い輝きを放つガラスの竜を気味悪く見せている。

「……まさか、動かないだろうな?」

 やけに生々しい感じがする。イバラや壁が生きているのだから、このガラスの竜も動かない保証はない。

「不安になっても仕方ないだろ。奥に何かあるみたいだ、行ってみようぜ」

 竜像の背後――壁に面した台座に、細長いものが立っていた。白い布で覆われており、妙な紐で縛られているため、何なのかは視認できない。

 だが、おそらくあれが眠り姫を封じ込めた水晶とやらなのだろう。

 戦々恐々としながらガラスの竜を横切ろうとした――その時。

 ……ガ……

 それは、錆びた機械が稼動する音に似ていた。

「スディン」

 嫌な予感がしてそちらを振り向くことができなかった俺に、エルーがわざわざ説明してくる。

「スディン、像が」

 聞きたくない。

「像の頭が動いて、こっちを見てる」

 やっぱりかよ!

「あ。――やばい、さがれっ!」

 力いっぱい、突き飛ばされた。竜の顎が髪をかすめ、床を砕く。

「エルー!」

 もうもうと上がる土煙と竜の向こうで、人影がちらっと見えた。

 無事だったか……

 土煙を払うように剣を抜いたエルーは、竜の瞳めがけて刺突を繰り出した。ガキンッと金属的な音がする。

「かってぇ!」

 竜は長い首をぐるんとひねり、俺に背を向けてエルーと対峙した。

「エルー!」

「スディン、隅に行っとけ!」

 そんなこと言ったって、こんなデカブツどうする気なんだ!? 竜なんて伝説上の怪物だぞ。いくらエルーでも……

 俺がおろおろしているうちに、戦いが始まった。

 竜が首をもたげ、エルーに猛然と襲いかかる。

 後ろへ跳んでそれをかわしたエルーは、着地と同時に床を蹴り、竜の頭上にはりついた。

「――はぁっ!」

 気合一閃。刃は竜の固いガラスの体に深く突き刺さった。

 ……ガ、グィィイイイィィッ!

 金属が擦れあうような音。俺は思わず耳を塞いだ。

 痛みを感じての悲鳴かどうかは分からない。ただ、竜は激しく頭を振ってエルーを落とすと、怒り狂うようにがちがちと歯を鳴らした。

「ぜんっぜんこたえてねえな……」

 剣は竜の頭に刺さったまま残った。

 魔法で作られたものだから、脳も何もないのかも知れない。だとすると、心臓もあるかどうか。

『ネ……ム……リ、ヒ、メ……ニ』

 竜の口から、呻くような声がもれた。

 こいつもしゃべるのか。

『……眠リ、姫ニ……近ヅク者ヲ……殲滅せんめつスベシ……』

 竜がエルーに突進する。さっとエルーが身をかわすと、竜はその後ろにあった柱を破壊して止まった。そして何事もなかったかのように、ゆっくりと巨体の向きを変えてこちらを見る。

「スディン、こいつ弱点ねーのかよ!」

「俺に聞くな!」

 竜の口が、裂けた。顎が外れたように、ぱっかりと開く。

 ガラスの口腔にちらっと赤いものが閃いた瞬間、俺は総毛立った。

 エルーひとりなら何とでもなっただろう。だが、この位置では俺も巻き込まれる。エルーが俺を助けて攻撃から逃れるには、距離がありすぎた。

「スディンっ!」

 駆け寄ってきたエルーの背後が、炎で真っ赤に染まった。

 炎はエルーを呑みこみ、俺に迫る――一瞬後の映像が、生々しく脳内を占拠する。

 その時。

「……左後ろ足の付け根!」

 聞きなれぬ声が響くと同時、エルーに到達する寸前だった炎が、途中で押しとどめられた。

「弱点は左後ろ足の付け根だよ! 早く!」

 黒髪の小さな女の子が、両手で炎を押し返している。

 エルーは迷わず動いた。短剣を懐から引き抜き、その幼女の隣を駆け抜けると、竜の下に滑り込む。

 シャンッ……

 水晶が散るような音がした。

 竜が動きを止める。炎がかき消えた。竜の左後肢の付け根あたりに、エルーが剣を突き立てているのが確認できた。

 パリィン、とガラスの竜が粉々に砕け散る。

 飛び散った破片は、床に触れる前に溶けるようにして消失した。

 竜の頭に刺さっていた、エルーの剣だけが床に転がる。

 俺はその場にへたりこんだ。死ぬかと思った……

 エルーが剣を拾い上げ、幼女のそばから俺に視線を飛ばしてくる。

「スディン、大丈夫か?」

「ああ……」

「当然さね。あたしが守ってやったんだから」

 長い髪を偉そうにかき上げながら、幼女が大人びた調子で言った。

 そういや、この子は何者なんだ?

「でも、あんた達よくやったよ。これでやっと解放される」

「君は何者だ?」

 俺が尋ねると、幼女は不機嫌そうに黙り込んだ。くりくりの可愛らしい目をそらしながら、どうでもいいだろ、と呟く。

「どうでもよくはねえだろ。何せ竜の炎を防いだんだから」

「……………」

「まるで魔女みたいな――」

 エルーは何気なく言ったのだろうが、幼女はあからさまに体を震わせた。……え。まさか。

「……魔女?」

 俺が控えめに聞くと、幼女は顔を真っ赤にし、悔しげに唇を噛む。そうだよ、と歯の隙間からしぼり出すように答えた。

「ま、魔女って……え? 眠り姫を封じた?」

「ああそうだよ! あたしがその魔女だ! 悪いかい、こんな幼子の姿で!」

 いや、悪いなんて一言も。

「その魔女が、何でこんなとこに? 確かあのメッセージには、魔女はどこかに去ったって書いてあったよな?」

 エルーの言葉に、俺はポケットからあの紙切れを取り出した。確かにそう書いてある。

「城の生き残りの遺書かい。この姿になったから、あたしだって分からなかったんだろうね」

「好きで幼女の姿なんじゃないのか」

 と、エルー。

「当たり前だ! 本来のあたしは麗しい大人の女だよ!」

「なら、何でそんな姿になってるんだ?」

「……………」

 どうやら言いたくないらしい。魔女は無言で身を翻し、つかつかと布のかぶさった水晶の前へ行った。

「これに王女を閉じ込めた。あんた達、眠り姫を解放しにきたんだろう? さっさと持っていきな」

「封じ込めたのはおまえじゃないのか?」

 エルーは魔女に対しても遠慮なしである。

「うるさいな、色々と事情があるんだ!」

「さっきの竜、あれも番人としておまえが置いたものだよな?」

 エルーが考え込みながら言うと、魔女は小さくうなずいた。

「さっき――竜を倒した時、『これでやっと解放される』とかなんとか……」

 魔女の顔色が変わった。

 エルーは気づかない振りをしながら言葉を続ける。

「もしかして、自分で作ったものなのに、制御不能になって自分までここに閉じ込められたとか」

「……………」

 え。本当に? そんなことあるのか?

 エルーは面白そうに瞳を輝かせた。あ、これはあれだ。俺をおちょくるときと同じ目だ!

「……どれほどすごいのかと思ったら……そうか、自分でも手に負えない番人を作れるほどすごいのか」

「黙れ若造っ! 手に負えないわけじゃない! 手に負えなくなったんだ!」

「同じだろ、それ」

「違う! 王女の力が予想外に強すぎたんだ! あたしの魔法が変な風に返ってきて、力を削がれちまったんだよ! おかげで城から脱出もできなくなるし、魔法も解けないし番人も言うこと聞かないしで、100年もこのままだったんだ!」

 ひゃ、100年も……

「城にかけた魔法の要はこの水晶だ。誰かが王女を解放してくれれば、城の魔法はすべて解けてあたしもここから出られるんだよ!」

 わがままな魔女だな。

「だが、いいのか? 聖なる力とやらが怖くて、王女を閉じ込めたんだろう?」

「怖くて、だと? このあたしに怖いものなんかあるもんかい! 言葉に気をつけな、坊や! 邪魔だっただけだ!」

 に、似たようなものだと思うが。

 しかしそれを口に出せば何をされるか分からない。俺は黙っていた。

「だけどいいさ。王女が解放されなければあたしも出られない。あたしの力を削いだのは王女だから、王女の力を借りなきゃあたしは元に戻れない」

 魔女はくいと顎で水晶を示した。

 確か、魔力の波長の合う者が触れれば、とか書いてあったが……こ、これで解放できなかったら、魔女に殺される? 何しろ俺はすべての女の運命から逃げられていると評判の男だぞ。

「……エルー、おまえの方がいいんじゃないか?」

「俺は当分女なんかいらん。そもそもこれはおまえの嫁探しだぞ」

「嫁探し?」

 魔女はたちまち相好を崩した。

「ほおお……わざわざこんなとこまで苦労してやってくるとは、坊や、そんなにモテないのかい」

「う、うるさいっ!」

「安心しな。あんたの魔力の波長は王女とよく似てる。本当は完全に一致しないと無理だが、百年経って魔力も崩れかけているからね、あんたでも大丈夫だろう」

 だ、大丈夫なのか。

 これで本当に解放されたらどうするんだ? どんな人間かも分からないのに妻にはできんぞ。いや大体、相手の方が嫌がる可能性もあるし。

「……坊や、考え込んでないで早くしな」

「いやしかし」

「あたしゃ気が短いんだ! はっきり言うがね、心配するだけ無駄だよ!」

 ぐっと腕を掴まれた。そのまま、魔女は有無を言わさず俺の手を水晶に当てる。

 どろりと、水晶が布ごと溶けた。ぽおんと小さな物体が宙に投げ出される。

 ――え?

 思わず手を伸ばした。

 腕の中に落ちる、やわらかな()()

 

 ……んぎゃああああああっ!


「うわあああああっ!?」

 俺は叫んで落としそうになった。

 腕の中で泣いているのは、人間の赤ん坊だった。

「な、え……あ!? いいっ?」

「スディン、落ち着け。貸してみろ」

 エルーがひょいと赤ん坊を俺から取り上げた。そのとたん、ぴたりと泣き止む赤ん坊。

 そ、そうか。エルーは下に兄妹がたくさんいるからな……

 って、それどころじゃない。これはなんだ!

「こ、これがまさか眠り姫?」

「そうだよ」

 魔女が空を見上げながら答えた。

 つられて見ると、重く立ち込めていた雲が消え、青空が広がっていた。

「どうやら、うまく魔法が解けたようだね。よくやった、これでやっと出られるよ」

 魔女の小さな手に、不釣合いな大きなホウキが出現した。それにまたがった魔女が地を軽く蹴ると、ふわりと浮き上がる。

「お、おい、待っ……!」

「王女を頼んだよ。そいつが成長して力を扱えるようにならないと、あたしは元に戻れないんだ」

「いや、ちょ――」

「良かったじゃないか、坊や」

 ゆっくりと上昇しながら、魔女は言った。

「自分で好みの女に育てることができるよ。これ以上の女はいないだろう?」

 高らかな笑いを残して、魔女は空の彼方に消えていった。

「……………」

 これは……

 これは。

 押し付け?

「……………」

 俺は呆然と、エルーにあやされる赤ん坊を見つめた。確かに可愛い。目鼻立ちのはっきりした、可愛い赤ん坊だ。だからって。

 だからって、これを一体どうしろと?

「……スディン」

 珍しく、エルーが深い労わりのこもった声をかけてきた。

「なかなか可愛いお嫁さんだと思うぜ?」

 俺はすうっと息を吸い込む。

「――慰めなんかいらんっ!」

 その声に驚いたのか、赤ん坊が再びやかましく泣き出し、俺は脱力してその場にへたりこんだ。

 泣きたいのは、泣きたいのはこっちだ――っ!

果たしてこれは短編の長さなのだろうか…とも思ったのですが、連載にする話でもないので纏めました。

ちなみにイバラ達のセリフは、とあるTRPG (のルールブック) のパロディです。

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