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RepeatEye  作者: 談儀祀
1/5

承前

 僕がまだ小学生だった頃の話だ。

 当時の僕はやっと買ってもらった携帯ゲーム機を二晩も遊ぶこともなく徹底的に分解し、それを組み立てなおすような子供だった。当然元に戻せるはずもなく、翌朝には親に怒られて不貞腐れる。そんなことばかりしていた。

 そんな僕だから、夏休みの自由研究に工作を選ぶのは必然だった。簡単な工作キットといくつかのパーツを組み立てて簡単なロボットを作った。夏休みは長く、僕はそれにいくつかの改良を積み重ねた。四足歩行するだけだったロボットに武骨なボタンをつけて、押し込むと鳴き声が出るようになった。電池残量がわかるようになった。

 そうやって作り上げた猫型のロボットは県の優秀賞に選ばれて表彰されることになった。何の賞だったかは覚えていないけれど、そこそこ大きな賞で、僕のほかに何人かが同じように受賞していた。正直、僕の作り上げたロボットが一番だったと思っていた。その時までは。

 少女は二足歩行するロボットを連れて入室してきた。特徴的な赤毛を左耳のあたりで結っている。着慣れたような灰色のパーカーと紺色のスカートを揺らして、いかにも楽しそうな顔で式に臨んだようだ。

 少女は僕より一つ二つ、年下だったと思う。正直、そのあとのことはきちんと覚えていない。僕はショックで茫然自失となり、熱を出して寝込んでしまった。それ以来、工作キットには手も触れていない。

 あの時僕は思ったのだ。僕がこの後のめり込む何事にも天才は存在する。だからこうして何かにのめりこむのはこれで最後にしようと。


 そう決めた過去の自分が今の僕を見たら何と思うだろうか。少なくとも、呆れてしまうだろうことは想像に難くない。

 あれから数年間、僕は何にも興味を持ちすぎないように生きてきた。父や母は熱を出した直後に工作キットを捨てて人が変わったようになった僕のことを心配してくれたし、年子の姉には事情も話していたのでそれほど苦労はしなかった。

 そんな僕は今、埃に塗れて蔵の中で本を探している。できるだけ古臭くて、珍しい本がいい。こうやって知識がないなりにいろいろな本を見て回るのは、あの頃に機械を分解していた感覚に近い気がしていた。

「……み。笑(えみ)!」

「う、うわぁ! びっくりした……」

 いきなり背後から声をかけられてこちらもつい声が大きくなってしまった。

「なんだ……、涙姉か」

「なんだはないでしょ……。せっかく朝ごはんできたから呼びに来てあげたのに」

 久禮涙(くれい・るい)は僕の姉だ。といっても10か月しか離れていないので学年は一緒だし、同じように育てられたせいかあまり姉という感じはしない。父に似た僕と、母に似た姉という違いもあるのかもしれない。

「で、ご飯食べるの? 食べるなら急がないと学校遅れるよ」

「ん、ちょっと待って。まだ見つけてないんだ。……って、あ……」

 さっき驚いて飛びのいた拍子に積んである山が少し崩れたようだ。僕はあわててそれを片付けようとしたのだが……。

「なんだろう、この本」

 手製本なのか、ほかに積まれていたどの本よりも装丁が雑に見えた。紙に文字だけ印刷して、そのまま綴じたような、本というよりは冊子の方が近いかもしれない。表紙に書いてある文字もアルファベットのようで、拙い英語知識で理解できないことを考えるとおそらくドイツ語かフランス語のような言語で書かれているんだろうと思う。この蔵に納められている蔵書からすれば、この本はどこか異彩を放っていたと言っていいと思う。

「ん? どうかしたの?」

「い、いや。なんでもないよ。本は見つけたから、ご飯を食べに行こう」

「ん。残さず食べなね」

「大丈夫だよ、涙姉のご飯はおいしいから残さないってば」

 そう言って姉の背中を追いかけながら、僕はずっとあの本のことを考えていた。僕を惹きつけてやまなかった機械工作のように、あの本はまばゆい光を放っていたから。


 秋桜市は房総半島が北西部に位置するのどかな町だ。のどかな田園風景とまばらに存在する住宅密集地が面積のほとんどを占めている。

 久禮家が長女・涙と僕こと長男・笑の姉弟が暮らす家はそんな住宅密集地の中でもひときわ古い部類に入る。なんでも曽祖父の代、この地域一帯に再開発計画が始まる前からあるらしくのっぺりとした仮面のように並び立つ住宅地の中で異彩を放っている。

 僕らが通う県立秋茜高校は、自宅からそんな街並みを10分ほど歩いた先の高台にある。

「ねえ笑、数学の課題はもうやった?」

 一歩先を歩く涙が僕にそう問うた。涙はいつでも僕の一歩前を歩く。癖みたいなものだと思う。そのくせ方向音痴だからいつも僕が道を訂正することになる。

「課題? そんなの出てたっけ」

「あ、じゃあそっちのクラスではまだ出てないんだ。二次方程式うんとでるやつ」

「うわ……、そんなの出るのか……。今日の数学の授業嫌になってきた」

「そんなんだからいつも数学赤点すれすれなんだよ」

「うっさい、涙姉だって点数あんまり変わらないだろ!」

「うっ、ひ、人が気にしているところを……」

 涙姉とそんな他愛ない話をしながら学校に向かう。ほとんどの場合、僕の一日はこうして始まる。

 学校に向かうのに少し坂を上らないといけなかったり、歩く距離がそこそこあるくせに自転車置き場が狭くて自転車で行くのが億劫だったりと面倒くさいところもあるけれど、この登校時間だけは僕は割と気に入っていた。

「じゃ、ちゃんと授業受けなね。さぼりすぎて学年が一つ離れるとかやめてよね、本当」

「わかった、わかったって涙姉。それより早く教室行こう。朝礼遅れちゃうよ」

 教室の前で涙姉と別れて、僕の教室までしばらく歩く。漫画ではよく双子は同じクラスにいることが多いけれど、僕ら姉弟は双子じゃない。だからかどうか、なぜか小さいころから一度も同じクラスになったことはなかった。

 教室に入ると、朝礼近い時間だからか、ほとんどのクラスメイトは教室内で歓談にふけっていた。

 僕は特に誰に挨拶するでもなく席につく。灰に塗られた絨毯は木の床よりも音が少なくて僕はとても気に入っている。窓際最後尾の特等席が僕の引き当てた席だ。これから寒くなる時期に仄かな陽光が心地いい。

 ほとんど中身の入っていない鞄を机の脇にかけると、今までずっと携帯ゲームで遊んでいたらしい前の席の男が振り向いた。

「おう笑! 放課後ゲーセン行こうぜ!」

「もう放課後の話かよ、皇士。それに昨日も言っただろ、俺は今金欠だ」

「臨時収入とかあるかもしれねーだろ? それにしても笑、またあの人形屋に行くのか? 趣味悪いぞ」

「お前にだけは言われたくない」

 皇士こと菊池皇士(きくち・こうじ)は僕の悪友だ。隠す気もないと言わんばかりに染められた金髪、不良生徒のテンプレートのように着崩された学ラン、極めて悪いと評判で小さい子供を必ず泣かせる目つき。どれをとってもまるで不良だけれど、基本的にただのゲーマーである。

 今やっていたのもスマホのパズルゲームで、数か月前から下手したら寝食忘れながらやりこみ続けているようだ。ゲームと名のつくものならなんでも好物らしい。

 ちなみにいつも着ている学ランの下には派手なTシャツが隠されている。ド派手なだけでセンスを感じたことは、ない。

 皇士とだらだら会話をしていると、担任の教師がHRに現れた。それを見て俺は腕を枕に眠りにつく態勢に入る。今日も夕方から体力を使うから、授業になど使う余分の体力はないのだ。

 皇士がまたかと呆れている様子を尻目に、今日もおやすみなさい。


 もはや僕のことなど誰も見ていないかのように今日も一日が終わり、僕は学校を後にする。

 秋茜高校の生徒で部活動に所属しているのは約半数で、その中には料理研究会に所属している涙姉も含まれている。逆に僕はどの部活動にも所属していない。校則でアルバイトが禁止されていないからバイトに精を出す生徒がいたり、受験を控えて予備校に通う人がぱらぱらと僕の横を足早に通り過ぎていくけれど、もちろん僕はその中にも入っていない。

 僕は朝通った西門とは正反対、東門をくぐって坂を下っていく。余談だけどこの高校、近くに駅やバス停が皆無で丘の上という立地ゆえか、東西南北に門がある。遠くない位置に流れる利根川が氾濫した時のことを考えて避難しやすいように、ということかもしれない。

 住宅地の中でひっそりと閑古鳥が鳴く商店街を通り過ぎ、幹線道路を渡ってしばらく歩いたところに僕の目的の店はある。


 人形店 蝋玩堂


 からんと鈴の音を鳴らしながらアンティーク店のような扉を開けると、店だと疑わしくなるほど明かりが足りないから、中の様子はしばらく見えない。しばらく待っていると目が慣れてきて、いつも通りの光景が目に映る。

 店を縦断するように林立する大きな棚の各段にみっちりと詰め込まれ、それでは飽き足らず棚の上にピラミッドを強いられている人形たち。最近ではスペースが足りなくなったのか天井からくくりつけられているものさえある。彼らは一様に見たこともない生物の姿をしていて、そのくせ眼だけはじっとこちらを見てくるような錯覚を覚えさせる。僕は何度見てもこの人形たちが嫌いだった。皇士が趣味が悪いと言ったのも彼も一度この人形たちを見ているからだ。

 目が慣れるまでとそこでじっとしていると、奥から僕を呼ぶ声が聞こえた。

「笑か、今日は早かったな。早く入れ」

「目が慣れたら行きますよ……」

 短い会話の後、僕は2分半ほど待ってからそろそろと歩き出した。時々人形が床に落ちていてそれを踏むと店主がとてつもない形相で睨んでくるのだから仕方がない。

 ようやくのことで奥につくと店主――生江麗鈴(いくえ・れいりん)は眠そうな顔を上げて僕に質問を投げかける。

「で、今日はどんなものを持ってきたんだ?」

「挨拶とか抜きですか……」

「私は挨拶なんてしたことがほとんどないからな」

 そう威張る麗さんにも聞こえるように大きくため息をついてから、僕は鞄の中に潜ませておいた例の本を取り出す。

 黴臭い紙切れをまとめて綴じたようなあの本。今朝と変わらず、相変わらず僕を惹きつけるように輝いているようだった。

 それを感じ取ったわけではないだろうけれど、麗さんもそれを見て顔色を変えたみたいだった。

「うん? なかなか面白そうなものを持ってきたじゃないか。ちょっと借りるぞ」

「あ、はい。あとで僕も読みたいんですけど、それ何語だかわかります?」

「中世ドイツ語の亜種かな。ちょっと待て、今調べる」

 麗さんはそう言ってぱらぱらとページをまくりだす。いつの間にかその手には白い薄手の手袋が装着され、時折慎重そうにページをまくっている。

 話し相手がいなくなってしまったので仕方なく僕は麗さんを観察する。仕方なく? ……きっと仕方なくなんてないのかもしれない。

 麗さんは長身だ。今も不釣り合いに小さい学童用の机とパイプ椅子に背を丸めるようにして座っている。何度か買い換えてみてはとも言ってみたのだけど、麗さんはこの机といすがお気に入りらしい。部屋の中で薄手とはいえコートを着ているのも相まって、少し異様な光景だった。

 一日のほとんどを家の中で過ごすからか顔色がすごく悪く見える。これは照明のせいもあるだろうけど。目は澄んだ黒で、緩んだ口元と一緒に今はすごく楽しそうだ。昔の僕もこんな顔をしていたのかな、なんて。

 そして髪は、燃えるような赤色。長くなった髪先は右耳で縛って、無造作に垂らしている。

 その髪を見るたびに、僕は彼女を思い出す。僕が昔の僕を捨てた日に会った、あの少女を。

「やっぱりアトリー子爵領下で用いられたドイツ語の亜種の一つかな。フランス語源のような単語が複数見られるし文法も少しいじってあるのか……? 所々数式もあるな……」

「あ、あの」

「なんだ?」

 集中している麗さんは邪魔されるのをすごく嫌う。それでも、このまま麗さんを見続けていると気が狂ってしまうかもしれないとそう思った。

「その本のタイトルって、なんて言うんでしょう……」

「あぁ、そうだな。この本のタイトルは……」

 麗さんは少しだけ息を吸うと、言った。


『私の愛しいお父様、どうして私の母を殺したの?』


 この日まで僕は、こんな日常がいつまでも続くと、そう信じて疑っていなかった。

 この日、この本を見つけなければよかったと後悔するあの時まで。

 

 

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