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第七話 罪悪

 疑問が浮かばなくなるほど、アルマーナフは同じ事をただ繰り返す毎日を送っていた。そうすることに特別な意味があったわけではない。ただ何も考えず、機械的に繰り返す日常は彼の心に波風をたてない分、静かに馴染んでいったのだろう。

 昨日のことを思い出せば、それがそのまま過去一週間分の記憶となるほど、変わらない日々。永遠ではないにせよ、そうした日々が後もう少しだけ続くような予感があった。けれど、未来はいつも不確かで、絶対などない。

 いつものように畑仕事を終えたアルマーナフとオルネアの二人を、慌てた様子のメリルが出迎えた。

「コルダさんがまた発作を――。今回はすぐに意識を失ったから、サリアちゃんと二人でベッドに寝かせましたけど……」

「やはり、薬は飲まなかったのですね」

 オルネアは言いながら、深く溜息を吐いた。

「前回の発作の後、何度かは飲んだようです。でもやっぱり……」

 頷いたオルネアは、コルダの家に向かう。メリルも後を追い、一人残されたアルマーナフはしばらく二人の入って行った家を見ていた。別にコルダが心配だったわけではない。ただ、何かが胸の奥で引っかかっている気がした。

 自分だけが輪の中に入れないような、寂しさだろうか。

「莫迦らしい」

 強く打ち消すように声に出し、アルマーナフは教会に戻った。

 汚れた作業服を脱ぎ、手足と顔を洗い、濡れたタオルで体を拭いてから誰のものかも分からないシャツとズボンを身につける。かつてここで暮らしていた男性の服を、サイズを見てサリアが持ってきたのだ。

 すっかり馴染んだベッドに身を投げ、揺れるランプの火を眺める。変わらない毎日と思っていたが、彼は一つだけ変化するものに気がついた。それは、こうしてランプの火を眺める時の自分の気持ちだ。

 以前の自分は、揺れる炎は邪悪で、血を求める悪魔の誘いのように感じていた。けれど今は、闇を払い、温もりをくれる心強い味方に思える。それはアルマーナフにとって、驚嘆すべき変化だろう。

 目を閉じる。全身に重く掛かる疲労は、しかしどこか心地良かった。



 ドアを叩くサリアの声で、アルマーナフは目覚めた。彼女が食事を持って来るのは、畑仕事を終えてからいつも二時間ほど過ぎてからだ。ほんの数分ウトウトしたつもりだったが、ずいぶんと寝ていたらしい。

「入ってもいいですか?」

「ああ……」

 いつも通りに二人分の食事を持ってやって来たサリアの後から、オルネアも姿を現した。

「食事の時間にすみません。数分で済むので、少しだけいいですか?」

 アルマーナフは頷く。

「作業中にも話しましたが、明日、外から差し入れの荷物が届きます。十キロほど山の方に進むと、壁が崩れている所があるのです。人の来ない森の中ということもあって、誰にも知られなかったのでしょう。修復されることなく、残っていたのを偶然発見し、利用させていただいているのです。もちろん今は、分からないよう細工はしてあります。そこへ私とサリアさん、コルダの三人で荷物を受け取りに行くつもりでした。ですがコルダは今も昏睡状態で、明日、出かけるのは無理でしょう。メリルは子供達を見ていなければなりませんし、コルダの様子も心配です。荷物の量を考えると二人では無理なので、出来ればあなたに手伝って欲しいのです。いかがでしょう?」

 壁の崩れた所を確認したいと、アルマーナフは思った。彼が使っていた出入り口の他に、別の出入り口があった方が今後の為に役立つだろう。心の中でそう考え、ふと、彼は疑問に思う。

(俺はいつまで、ここに居るつもりだ?)

 そしていつか、再びあの血生臭い生活に戻ってゆくのだろうか。ただ、憎しみのまま殺すだけの、終わりの見えない陰惨な毎日。

「――どうですか?」

 遠くに聞こえるオルネアの声に、アルマーナフは機械的に頷く。笑顔を浮かべて御礼を述べる声は、届かなかった。目の前が暗くなり、足下から崩れ落ちそうな気がした。だが、あの日々はそれほど昔のことだったろうか。

「アルマーナフさん?」

 突如、光が差した。顔を上げると、そこには椅子に腰掛けたサリアが居た。

「一人きりの食事は、楽しくないでしょう?」

 いつからだったか、彼女はそう言って一緒に食事をするようになった。本当はみんなの所に来てくれると嬉しいんだけど……そう呟いて笑みを浮かべたが、強制するようでもなくそれ以降、何も言わなかった。まだ、十日あまりの日課である。

「今日はシチューです。お肉は入っていませんが、お野菜いっぱいでおいしいですよ。アルマーナフさんが取ってきてくれた、ニンジンです」

 大きく切ったニンジンを頬張り、サリアは楽しそうに微笑んだ。アルマーナフは目をそらし、自分の食事に取りかかる。狭い部屋に、食事の音だけがやけに大きく聞こえた。何となく耐えきれず、アルマーナフは口を開いた。

「コルダの……様子はどうなんだ?」

「意識はまだ戻りませんが、落ち着いています」

 一瞬、驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻ってサリアは答えた。

「神父が話していた……薬を飲まなかったと。だから、発作が起きたそうだな」

「はい……」

 食事の手を休め、サリアは沈んだ声で返事をする。わずかな逡巡の後、意を決したように話し始めた。

「呪いの、発作なんです。呪いは、ただ命を奪うだけではなく、人間としての尊厳すらも奪ってしまう。心を、めちゃくちゃに壊してしまうんです。今までも多くの方の最後を見てきましたが、顔を背けずにはいられませんでした。それがいつか自分にも起こることだと知り、自ら命を絶つ方も居たほどです」

「……」

「そんな中、残された人たちの中で薬草などに詳しい方々が、少しでも人間らしい死を迎えられるよう、薬を調合したのです。神経に作用するらしく、定期的に飲むことで意識をハッキリ保つことが出来るようになりました。けれどそこに至るまで、とても多くの犠牲があったのです……」

 苦痛を堪えるような表情で、絞り出すようにサリアは言う。

「人体実験をしました――。これは後になって判ったことなのですが、該当者の食事に混ぜて与えたそうです。もちろん、当人は何も知らずにそれを口にしていました。そのせいで、死期を早めた者もいたでしょう。後で思い返せば、今までと様子が違う方がいました。今までは人間らしさを失う代わりに、苦痛を感じることなく亡くなっていましたが、時折、とても苦しそうに亡くなる方がおられたのです。その方々が、実験台にされた方たちでした」

 サリアは唇を噛み、目を閉じる。

「ごく一部の方達が極秘裏に行った実験ですが、完成した薬を捨てることが出来なかったすべての人間が同罪なのです。人間らしさを取り戻すために、人間として大切なものを失い、踏みにじったその薬は、確かに良く効きました。けれど深い業の報いでしょうか、その薬を飲むと全身に激しい痛みが走るのです。最初は長い期間で時々だったものが、服用を続ける内に間隔が狭まっていきました。結局、痛みに耐えられず服用を中止する者も現れたのです」

「……コルダもか」

「はい。時々は飲んでいるようですが、最近は止めていたようです」

 アルマーナフは思う。人間らしさとは何なのか。殺戮(さつりく)を繰り返し、全身を血で真っ赤に染めた自分からは、きっとすでに失われているはずのものだろう。

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