表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

第四話 神父

 皆から『神父様』と呼ばれている、白髪の老齢な男性はオルネアと名乗った。

「何かに夢中になると、周りが見えなくなってしまうんですよ。いつ出て行かれたのか、まったく気付きませんでした」

 恥ずかしそうにそう言い、アルマーナフに肩を貸してベッドまで運んだ。彼が出て行くと、入れ替わって長い髪を束ねた女性がやって来た。服装は安物のシャツにスカートという、街中でよく見る格好だったが、大きな目には凛とした強い意志を宿し、柔らかく笑みを浮かべる口元には品を感じられた。アルマーナフがこれまで出会った多くの貴族よりも、ずっと貴族らしい気がした。だが、嫌な感じはしない。彼女は、サリアと名乗った。

 アルマーナフは彼女が運んだ野菜スープを飲みながら、助けられた時のことを聞いた。

「タンポポを探しに、森の方へ足を運んだんです」

 どうしてタンポポを探しているのか尋ねると、サリアは慈しむように目を細める。「どんな環境でも負けない強さを持っているのに、控えめな小さく黄色い花を咲かせるところが好きなんです」と、嬉しそうに話した。子供たちに見せたいと思って朝早くから、いつもは近付かない森の奥に向かった。そこで、怪我をして倒れているアルマーナフを見つけたのだ。

 彼が平和的な人物ではないのは、出会ってすぐにわかった。殺されかけたとサリアは笑ったが、アルマーナフには記憶がない。

 すぐに神父――オルネアが呼ばれて、二人で彼を教会のこの部屋に運んだのだという。その後、洞窟で別の男性の遺体も発見したが、サリアは何があったのか追求することもなく、淡々とその事実だけを告げた。

「聞かないのか?」

 彼が尋ねてみると、サリアは首を振った。

「私は警邏隊(けいらたい)じゃないから。それに知ったとしても、どうすることも出来ない」

 起こってしまった出来事は、ただ事実としてそこにあるだけだ。ここに隔離された時、サリアは知ったのだという。「なぜ?」、「どうして?」という追求は、自身を追いつめるだけだと。

 限られた命だからこそ、笑っていたかった。



 走り回りながらはしゃいだ声を上げる子供たちを窓越しに眺めながら、メリルとコルダはオルネアを交えて朝食を取っていた。メリルは幼い姉妹エリーナとラナの母親で、コルダはやんちゃな少年エルリッドの母親だった。

 今ここに居るのは彼女たち親子に神父オルネア、そしてサリア親子のわずか八名ばかりである。

 メリルは三十歳だったが外見は若く、娘たちと歩いていても年の離れた姉妹と思われるほど童顔だった。コルダの方は三十五歳で少し小太りの、貫禄があっていかにも母親然としていた。

「サリアちゃん一人で、大丈夫かしら?」

 心配そうにメリルが言うと、同意するようにコルダが頷く。

「子供たちは『悪い人じゃない』なんて言っているけどさ、何か言えないようなことでもなけりゃ、わざわざ塀のこっちに住んだりはしないだろう?」

 オルネアやサリアは、アルマーナフを発見した経緯などを大雑把にしか説明していない。余計な不安を与えたくはないという理由で、洞窟で発見された遺体のことなども伏せていた。だがそれでも、普通に考えれば察しが付く。

「彼がまあ、法律を遵守(じゅんしゅ)する人物でないのは確かですが、『悪い人』かどうかは判断できません。善か悪かで言うなら、きっと私たちも同じなのかも知れませんからね」

 その言葉に、メリルとコルダは顔を見合わせた。その目に映る痛みは、ここにいるすべての人が背負わなければならない痛みだった。

「それに子供というのは、とても素直にその人物を見ることが出来ます。だから彼らの言う言葉は、正しいものだと私は思いますよ」

 場の空気を和ませるように、オルネアは笑った。硬かった二人の表情も、ほっとしたように和らいだ。



 食事を終え、メリルとコルダは談笑しながら後片付けをしていた。その様子を眺めていたオルネアは、不思議な想いに駆られる。

 皆から『神父様』と呼ばれているが、彼は本当の神父ではない。塀の外にいた頃は、行商を営んでいた。街でしか手に入らないものを田舎で売り、山の幸を漁村へ、海の幸を農村へ運ぶ。彼が扱うものは粗末なものが多かったが、その分、価格を抑えることで貧しい人々からは重宝がられていた。

 妻と息子に会えるのは、年に一度、時には数年もの間旅をしていることもあった。だから妻が亡くなったことを、彼はずっと知らずにいた。誰もいない家に帰った時に、近所の人から聞かされたのである。

 息子は姿を消した。父を恨み、家を出たのだ。オルネアは仕方がないと思った。何もしてあげられなかった自分を、何度も責めた。気を紛らわせるように、これまで以上に働いた。

 胸が締め付けられるような痛みに襲われたのは、それからしばらくしてからだった。言葉に出来ない悲しみに、涙が溢れた。それが『呪われた瞬間』だと知ったのは、ここに隔離された後だった。ここに集められた人々は皆、同じような体験をしていたのである。

 絶望の声の中で、オルネアは喜びの涙を流した。父を恨み家を出た息子の本心が、『呪い』となって自分を襲ったのだ。心から大切に思う者にだけ及ぶ呪いである。

 これは父親として何も出来なかった自分への罰であり、父親として息子の為にしてやれる唯一のことでもあった。

 多くの者が次々に亡くなり、次は自分ではないかという恐怖の日々は確かに辛いものであった。しかし、塀の外ではなかった落ち着き、安らかな日々がここにはあったのである。

 メリルとコルダの笑い声に、オルネアは優しく目を細めた。外では子供たちの元気な声が響き、緩やかな時間が平和に過ぎていた。

 しかし、突き刺すようなガラスの割れる音がそれを壊す。

「神父様!」

 悲鳴のような声は、メリルだ。オルネアは慌てて立ち上がる。彼女の側で、コルダが倒れていたのだ。コルダは白目を剥き、力なく開いた口からはだらしなく舌が覗き、痙攣(けいれん)していた。

「発作が……まさか薬を」

 オルネアはメリルを見たが、彼女はわからないというように首を振った。

「ともかくベッドに運びましょう」

 二人は両側からコルダを抱えて、彼女の部屋まで運んだ。ベッドに寝かせ、すぐさまメリルが部屋を飛び出して行く。オルネアは部屋の中を見渡し、棚の小さな引き出しを開けた。その中から銀色の四角い缶を取り出し、入れられた薬包を確認する。

「やはり飲んではいなかったのですね」

 唇を噛み、缶を戻そうとしたその時、突然コルダがオルネアの首に腕を絡めてきた。

「ぐっ……コルダ!」

 彼女の目には、理性の光が無かった。それは獣の目だ。低く唸り、歯を剥いて(よだれ)を垂れ流している。恐ろしいほどの力で、オルネアの首を絞めていた。引き剥がそうとするが、彼一人の力では無理だった。

 そこへ、拘束具を持って戻ったメリルが、慌ててコルダに取り付いた。羽交い締めにして、オルネアから離そうとする。しかし二人の力でも、コルダを押さえることが出来ない。「助けを……」そうメリルが言いかけた時、不意にコルダの全身が弛緩(しかん)した。

 倒れたコルダの横でオルネアが咳き込みながら、不安の色を浮かべた眼差しで彼女を見つめた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ