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第十六話 螺旋

 自分を呼びに来たという男に一メートルほど前を歩かせ、アルマーナフは男の雇い主が待っているという場所に向かった。後ろで警戒しつつも、男がこのまま走り去ってくれればとも思う。だが沈黙のまま歩き続けた道程は、何事もなく目的地に到着した。

 数名の甲冑姿の騎士たちに囲まれ、簡易的に用意された椅子に腰掛けた、老齢の男性が射貫くような眼差しでアルマーナフを見つめてきた。

 深く刻まれた皺が、老紳士の苦悩を滲ませているように思えて、アルマーナフは背筋が伸びるのを感じる。きっとその大半の原因は、自分にもあるのだろう。

「よく来たな。思っていたよりも、若いようだ……」

 その声は低音で、アルマーナフの腹に重く響いた。まるで老紳士が生きた時間がそのまま圧し掛かって来たような圧迫感に、体が硬直してしまう。

「ワシの名はダゴタ・ローブという。この名に聞き覚えはあるか?」

 アルマーナフはその問いに、黙ったまま首を左右に振った。老紳士――ダゴタは予想通りだったという様子でそれに頷く。

「耳にしただけでも、両手で数え切れぬほどの者を殺している。その素性までいちいち記憶してはおるまい。だが殺された側は、一生その名を忘れることはないのだ、アルマーナフ」

「……」

「心を射抜かれた乙女のように、来る日も来る日もその名を囁く。それが日課となり、神への祈りよりも数を重ね、その積み重ねた時間だけ黒い感情が蓄積されるのだ」

 老紳士は一気にそう言うと疲れたように息を吐き、そばにいた騎士に視線を送る。するとその騎士が、アルマーナフの背後に立っていた他の騎士に手で合図を出した。二人の騎士がアルマーナフを抑えつけるように腕を掴み、残りの騎士たちはどこかに走って行く。

「どのような潔癖の人物であれ、罪悪の汚れのない者はいないというのが儂の持論だ。人が生きるという行為は、いかに多くの犠牲の上に成り立っているのか。それが世の理とはいえ、時折、この身が呪わしく思う時がある。とはいえ、贖罪の気持ちから命を絶つほどの謙虚さも生憎と持ち合わせてはいない……」

 ダゴタが何を言いたいのか、この会話がどこに向かっているのか、アルマーナフは掴みかねていた。だが、胸の奥でいつまでも抜けない小さな棘のように、チリチリと嫌な予感がする。

「こんな自分が、他者の罪悪を責め立てる事に痛む気持ちがまったくないわけではない。それでもワシは、かつてのように鬼となって事に及ばなければならない。むろん、実際に手を汚すことはない。だがそれを命ずるのもまた、陰鬱としたものだ。しかし清濁併せ呑む心持ちでなければ、成功を掴むことなど出来はしまい」

「……俺を、殺すのか?」

「目を見ればわかる。お前の目は、すでに死を覚悟する者の目だ。単純な『死刑』であるならば意味のないことだが、これは『復讐』なのだよ」

 ふと視線を空に向けたダゴタは、祈るように一度だけ目を閉じる。

「放たれた矢は、もはや射手の意思が及ぶ事はない。狙い定めた獲物に向かって突き進むのみ……」

「――!」

 アルマーナフはダゴタの真意に気が付き、ハッと目を見開く。先程走り去った騎士たちが、間もなくサリアたちの所に到着する頃だった。

「やめろ! 彼らは関係ない!」

 叫びながらダゴタに詰め寄ろうとするが、背後から抑え付けられ膝を折る。体を大きく揺らして逃れようとするが、抑え付ける騎士たちの力が強まるばかりだった。

「お前の中にもまだ、人としてのまっとうな感情が残っていたということに、驚きを禁じ得ない。この世に無用の烙印を押された者同士、馴れ合いの同情に流されたか?」

「――!」

 アルマーナフの鋭い視線が、ダゴタを捉える。悔しげに歯を剥き出し、荒々しく息を吐くその姿を、ダゴタは静かに見つめた。

「憐れ、とは思わぬよ。私とて、死が待つのみの者たちをわざわざ殺す事に罪悪感はある。だが何度も言うように、これは『復讐』だ。大切なものが奪われる痛みを、お前に与えなければならない。その手段が他にないのなら、やむを得ない。『復讐』に痛みはつきものだよ……」

「フーッ! 殺してやる! てめえも殺してやる!」

「その必要はない。ワシに、穢れた身で生きながらえる気などない。憎しみを連鎖させる気もない。お前は、復讐の機会も失うのだ」

 疲れたように息を吐いたダゴタは、アルマーナフを抑え付ける騎士たちに視線を向ける。

「急げばあるいは、間に合うかも知れない。そのわずかな希望にすがる気持ちがあるのなら、行くがいい」

 ダゴタがそう言うと、騎士たちはアルマーナフを解放する。瞬間、アルマーナフは砂を蹴って走り出した。その後ろ姿を見送り、ダゴタは瞼の重さに耐えかねたように目を閉じる。うなだれ、祈るような姿でしばらく微動だにしない。やがてゆっくりと顔を上げると、そばにいた騎士に微笑みかける。

「最後まで、よく従ってくれたな。礼を言う」

「もったいないお言葉。ローブ家に仕えた事は、我が誇りです」

「そう言ってもらえるだけの、良き主であったなら幸いだ」

 アルマーナフを抑えていた二人の騎士が、ダゴタの前で膝をつく。そばの騎士が剣を抜き、ダゴタの背後に回った。

「これでもう、心残りはない」

「……」

 黙祷をするように、騎士が一度目を閉じた。わずかな間の後、目を見開き剣を振り上げる。そして、静かに時を待つダゴタの首筋に向けて振り下ろした。迷いのない渾身の一撃は、留まることなく一直線に骨をも断った。

 赤く染まる視界の中、残った三人の騎士は互いに剣を突き刺し、主の後を追うように命を絶ったのである。

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