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第十三話 隠遁

 枯れ葉を踏む音が、少女たちの華やかな笑い声に消えた。アルマーナフの視線の先で、エリーナ、ラナ姉妹とサリアが楽しげにタンポポを探している。いつだったか彼女たちはそんな約束を交わし、けれど有り余る時間に比べて近頃は色々な出来事が続いてきっかけを失っていた。そのきっかけを再び作ったのが、アルマーナフだった。いや、正確には作らされたというべきなのか。

 突然の「お父さんになってください」宣言より数日、一人、アルマーナフの気持ちだけが重かった。姉妹の母であるメリルは、最初こそ複雑な表情を浮かべはしたものの、すぐに気持ちの落としどころを見つけたようで、笑顔で見守ることに決めたようだった。オルネアとサリアはどこか楽しげであったし、子供たちは変わらずに無邪気だ。

 幼いラナは様々なものに好奇心を示し、それをエリーナとサリアが丁寧に説明している。少し離れた所でその様子を眺めながら、アルマーナフは穏やかな気持ちで目を細めていた。まさか自分がこんな気持ちで過ごす日が来るとは、夢にも思わなかった。

 ただ、生暖かい心の奥には、消えることのない不安と困惑が残っていたのも事実である。あまりにも、今まで生きてきた時間と違う速さの世界は、ガラス細工のような危うさと脆さを秘めている気がしたのだ。それは、いつか失われることを前提とした光……すがり付いた慈悲の、わずかな残り香のようなものに思えた。

 アルマーナフが幼い頃、まだ健在だった父の温もりが耳鳴りのように蘇る。切なくなるような、小さい痛みを伴う優しさだった。自分が知る、それがわずかな父親像だ。

 じっと、手を見つめる。かつて、その大きさに歓声を上げた父の手は、今の自分と比べてどうだったろうか。自分は、あの時強く憧れた父と同じ手になっているだろうか。優しく頭を撫でてくれた、大きな手に近付けているのだろうか。手を見つめながら感じたのは、長い時の流れだった。必死だったこれまでの人生で、こうして過去を顧みる事などなかったのだ。

 手は年輪のように、その人の生き様を写す鏡のように思えた。温もりを与えもするし、痛みを与えもする。汚れてしまった自分の手でも、父親らしい振る舞いができるのか。アルマーナフは、自分を父と呼ぶ娘たちに目を向けた。

 時々、気に掛けるようにこちらを向いて、少女たちは手を振るのだ。応えるように手を振ると、花が咲くように笑って散策に戻っていく。何度かそれを繰り返し、子供用の小さなシャベルでタンポポを掘り返したラナが、アルマーナフの元に走って来た。

 土が付いたタンポポの根を、両手で鉢のように包んで得意げにアルマーナフに見せたのだ。

「ポンポ、あったよ?」

 小さな、まだ蕾のタンポポだった。大きなクリッとした目が、アルマーナフの様子を窺うようにじっと見ている。それは、何かを期待しているように思えた。彼は何か言うべきか迷い、金魚のように口を開いたり閉じたりした後、結局は黙って幼いラナの頭を撫でてあげた。

 優しく微笑もうとしたが、はたして上手に出来たのか。引きつっているように思えて、鏡があったら確認したいと思ったほどだ。しかしそれでもラナはうれしそうに目を細めて、小さく笑い声を上げた。タンポポの蕾を愛おしそうに眺め、再びアルマーナフに笑いかけて姉のところに戻って行く。それを目で追いながら、アルマーナフは幸せな気持ちを感じていた。けれど幸せを感じるほど、染みついた血の匂いが暗い影を落とし、拭い去れない不安を張り付かせていたのだった。



 ローブ家は、貴族の中でもあまり裕福な方ではなかった。それでも一般の民衆からすれば、富豪と呼べるほどの財産を有している。歴史も古く、積み重なった誇りもあった。揺るぐことなく、脈々と続いた家系は未来へと変わらず続くはずだったのだ。数ヶ月前の事件まで、ダゴタ・ローブもそれを信じて疑わなかった。

 ところが、二人組の強盗によって息子夫婦と孫たちが殺されたのだ。唯一の肉親であり、いずれは当主として子爵の爵位を受け継ぐはずだった大切な跡取りである。

 ダゴタはすぐに、強盗の行方を捜させた。名前が知れたのは、つい最近のことだった。警邏隊がもたらした情報では、一人と取引をしたそうだが、連絡は途絶えているらしい。行方は不明だったが、潜伏先の候補がいくつかあった。

 私兵を使って調べさせたが、未だ有力情報はない。

 すでに六十歳を超え、ふくよかだったダゴタは事件後に急速に痩せていった。穏和だった表情は、かつての厳しさを取り戻し、近寄りがたい鬼気を纏うようになった。ただ執念だけが、彼の生きる原動力のようにも思えた。

 自分が良き父親だったかは、正直、あまり自信がない。息子と遊んだことは数えるほどだし、食卓を一緒にすることも『まれ』であった。しかしだからといって、家族を愛していないわけではない。

 時折、ぼうっとしながら回顧する自分を、ダゴタは老いたと感じた。人生は折り返し地点を過ぎると、未来よりも長い過去に、心を囚われるものだと彼は考えていた。

「老いは寂しさでもあり、恐怖でもあるな」

 椅子に深く腰掛けて、ダゴタは呟く。永年そばに従う執事は、黙ってそのつぶやきを聞いていた。

「若い頃は何の苦もなく出来たことが、やがて重く、面倒な事に思えてくる。かつての精力は衰えたが、数年前に比べれば(みなぎ)るものは感じる。ワシはまだ生きてるな。だから、悲しいとも感じるのだ」

 ダゴタは顔をあげ、背筋を伸ばした。そして、力のこもった声で執事を呼んだ。

「まだ、見つからないか?」

「はい。報告はありません」

「どんな些細な事でも構わない。情報提供者には、それなりの報奨金も出そう」

「他の皆様も、情報を求めて報奨金を出しております」

「息子たちの敵はワシが討つ。他の誰にも、邪魔はさせない。こちらは他の倍を提示しろ。よいか、必ず生きていることが必要なのだ。ワシは首が欲しいわけではない。その命を、この手で苦しみとともに奪うことが、ワシの成すべきことだ。たとえ見つけても、絶対に殺すなと、その事だけは徹底させるのだ。よいな?」

「かしこまりました」

「誰にも、奪わせはせん……」

 ダゴタの落ちくぼんだ暗い目に、鬼火のような意志の炎が灯っていた。



 早朝、トルデスは妻のリデアを起こさぬように家を出た。早出だと、夕べのうちに伝えてあった。しかし、今日は休みをもらっていたのだ。目的地は別にある。

 アルマーナフの情報について知り合いの警邏隊にそれとなく探ったのだが、塀の中に差し入れをしていることがバレると、自分にとっても都合が悪いことがわかった。情報提供をするには、差し入れのことを秘密には出来ない。困っていた時、ある貴族の話を耳にした。

 多くの貴族が警邏隊と違い、私怨によってアルマーナフを探している。その中でもこの貴族は、よその倍以上の報奨金を約束していた。その執念は凄まじく、噂では犯罪者からも情報を買うのだそうだ。それが本当なら、差し入れの事ぐらい問題にはしないだろう。

 賭けでもある。だが、それはとても魅力的で勝率も高い賭けだ。

(やってやるさ)

 今は夫婦二人だが、いずれ子供も出来る。金が必要なのだ。

 トルデスは足を速め、目的地へ急いだ。

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