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第十二話 童心

 悲しみと、痛みと、そして羨望がオルネアの心にあった。生きることはすばらしいことだろうが、死ねる幸せもまた、等価値で存在していると思う。出来れば苦しまず、そして大勢に看取られて最後を迎えられるのなら、それは恵まれているのだ。

 通常の生活の中には、生と死が輪のように繋がって、遠い未来への希望があるように感じられるだろう。だがここでは、隔離された塀の中では、途切れた未来の断崖が行く手を塞いでいるのだ。

 いつからか、オルネアは一つの懸念を抱くようになった。次々に命を落とす仲間たちを見送りながら、兆候の現れぬ自分に不安を持ったのだ。もしも、生き残ったら……最後のひとりに、なってしまったら。

 口には出さないが、おそらく誰もが感じていたことだ。最後のひとりになった時、それは、孤独な死を意味する。誰も見送ってくれるものもなく、蝕まれた心と体を崩壊させていくのだ。

 人の強さ、それは自分とは異なる存在との繋がりこそが根源にある。それを失ってしまったら人の心など、生まれたばかりの命ほどに脆く、老衰の果ての夢のように儚い。

 絶望の瞬間というものがあるなら、それこそがまさにその瞬間だ。誰がその瞬間に立ち会うにせよ、オルネアは気持ちが重くなるのを感じていた。しかし、ここに来て事情がいささか異なったようだ。

 アルマーナフという、外部からの存在が何かを変えた。

 コルダは何を想い、最後をあの若者に託したのか……オルネアは考えていた。誰かが手を汚さなければならなかった。そんな状況だったのだ。きっとそれは、自分が担うはずだったのだろう。本当に救われたのは、自分なのではないか。

 たとえ、その死に意味があるのだとしても、オルネアは他人の命を奪う行為に平静ではいられない。むろん、それはアルマーナフも同様だった。だから彼はしばらく、抜け殻のように部屋に籠もっていたのだ。自分の場合は、きっともっとひどく動揺し、心を支える最後の善意すら失ったかも知れない。

 結果論でしかなかったが、アルマーナフによって救われた。そしてきっと、最後の時を孤独で迎えるはずの誰かが、再び救われるのだろう。塀の外では悪人の彼が、塀の中では善人のように見える皮肉さに、オルネアは笑った。

 窓の外では、アルマーナフが子供たちと何やら話をしているようだった。数日前にサリアと話をしてから、少し変わったように思えた。明るくなったというか、以前のように他人との間にあからさまな壁を作らなくなっている。じきに、彼の笑顔を見る日もくるかも知れない。もしそんな日があるなら、せめてそれまでは生きていたいと、オルネアは思った。



 広場の涸れた噴水まで来て、アルマーナフは腰を降ろした。

「たまにはみんなで夕食を食べませんか? 気分転換になると思いますよ」

 サリアにそう誘われ、自分でも不思議なほど素直に付き従ったのだ。彼女は準備をするために、メリルの家に入って行った。残された彼は、ひとりで風に当たり、形のない無数の思いを灰色の空に浮かべていた。

 いつもならきっと、殺伐とした想いに囚われていたかも知れない。けれど今、心に浮かぶのはここで憶えた様々な知識だった。野菜の育て方や、土の状態、共存する虫たちに強く生きる花。小さな、けれど生きるということに意味と豊かさをくれる宝物のようなものだった。

 ふと、視界の端で何かが動いた。目を向けると、慌てて隠れる姿が見えた。

 幼い子供たち。エリーナとラナ、そしてエルリッドだ。

 大きくてクリッとした目を輝かせ、ラナが顔を出した。目が合うとニパッと花が咲くように笑い、姉の制止する声を無視してアルマーナフのそばに走り寄って来た。ためらうようなわずかな距離を開け、首を傾げる。

「だいじょうぶ?」

 初めて出会った時も、同じことを訊かれた。それを思い出しながら、アルマーナフは頷いた。

「もう、大丈夫だ」

 すると、うれしそうにラナは笑って、彼の脚にしがみついた。小さな力で、けれど強い想いで、しっかりと抱きしめてくる少女の姿に、どうしてかアルマーナフは胸が詰まった。油断をしたら、涙が溢れてしまうかも知れない。

 無垢な瞳が、じっと彼を見ている。暖かな気持ちが、どうしようもないほど溢れてきた。そして堪えきれず、一粒の滴となってアルマーナフの目からこぼれ落ちる。今まで感じたことのない気持ち。苦しいほど切ない、でも柔らかな羽毛のように包み込んで温もりをくれる。

「泣いてるの?」

「いいや、そうじゃない」

 ラナは不思議そうにアルマーナフの顔を眺め、自分のスカートのポケットに手を入れた。

「女の子のミダシナミなの」

 そう言って、ハンカチを差し出した。

「俺に?」

 こくりと、ラナは頷く。そっと受け取って、アルマーナフは真っ白なハンカチを見た。端に、タンポポの刺繍がある。

「サリアお姉ちゃんが入れてくれたの」

 その声に顔を上げると、ラナの後ろにエリーナとエルリッドがいつの間にか来ていた。エリーナが自分のハンカチを取り出して見せる。

「お揃いなんだ」

 優しい目で、ラナの頭を撫でた。

「仲良しなんだな」

「うん」

 ちょっとだけ照れたような、そんな笑みでエリーナは頷く。しかしすぐに目を伏せて、何やらハンカチを握りしめてモジモジとし始めた。

「あの……アルマーナフさん?」

「ん?」

 エリーナは顔を真っ赤に、わずかに目を潤ませた。アルマーナフは自分が何かしたのかと、咄嗟に謝る。

「悪い、何か俺がしたか?」

「違うの!」

 ビックリしたように胸の前で両手を合わせて、少女は何度も首を振る。そして救いを求めるように、エルリッドを見た。

「自分で言うんだろ? この前は俺が言うのを止めたじゃないか」

「だ、だって……」

 口ごもり、エリーナはチラッと窺うようにアルマーナフに視線を向ける。どうやら何か伝えたいことがあるらしいと悟り、彼は黙ってそれを待った。待つのが、それほど嫌ではなかった。

「あ、あのね」

 そっと、ラナに手を伸ばす。隣に並んで、寄り添うように立った。

「私はお姉ちゃんだから、ちょっとだけ憶えているの。一緒に遊んだ思い出とか、本当に少しだけどある。顔はよく思い出せないのに、大きな手、大きな背中、空から降ってくる神様みたいな優しい声、安心する匂い……そんなのとかは、ハッキリと思い出せるの。だけどラナはまだ小さかったし、あんまり外にも出歩かない方だから、大人の男の人に会うのって、あんまりなくて。神父様とか、他にも前にはお爺ちゃんみたいな人はたくさんいたけど、でもやっぱりそれは私にとってもお爺ちゃんだし」

 ラナは、姉の顔を見上げた。

「アルマーナフさんは、サリアお姉ちゃんとお似合いだと思うの。だからウチのお母さんと結婚してってわけじゃなくて――」

「えっと、つまり?」

 アルマーナフの質問に、エリーナは視線をあちこちに走らせて言葉を探した。そして、少し赤くなった顔を上げ、すがるような目で彼を見上げた。

「私とラナの……お父さんになって下さい!」

 一気に言うと、深々と頭を下げる。それを真似して、ラナも頭を下げた。

「お父さん……俺が?」

 人生で最大の衝撃が、アルマーナフを襲った。

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