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子どもになれなかった子どもたちに  作者: 球磨川善吉


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一蓮托精

異能――という言葉を、聞いたことがあるだろうか。

手から火を放ち、生身で空を飛ぶ。そんな空想が現実のものとなったのは、今から百年前のことだ。

ちなみに、世界で最初に異能に目覚めた人間の能力は『スライム』だったらしい。……もっとも、彼女を今さら人間と呼んでいいのかは分からないが。

それと同時期に、世界各地で異能力者が次々と現れ始めた。


「もしもーし、聞こえてますかぁ?」


思考を遮る、耳障りなほどに軽い声。

俺のベッドに我が物顔で座っている金髪の女性は、瀬戸内(せとうち)奈央(なお)。この大日本帝国立異能開発学園の二年生であり、一応は俺の先輩に当たる人物だ。


「……聞いてますよ」

「って訳でぇ、さっきの話おけまる~?」


彼女はキラキラとした、それでいて空っぽな瞳で俺を覗き込んでくる。


「……少し考えさせてください」

「はぁ~? いみわかんないんですけどぉ~? なんであんたみたいな童貞チンカス根暗オタクが、この提案を断るわけ? まじありえないしー」


堰を切ったように溢れ出す罵倒。だが、俺の心は一ミリも動かない。


「……いや、だって。失敗したらどうするんですか。俺、人殺しになっちゃいますよ」

「だーかーらー。ウチ、死なねぇっつーの。さっき言ったでしょ? 不死身だって。耳ついてんの、アンタ?」

「……ちなみに、俺についてどこまで知ってます?」


俺が問い返すと、彼女は待ってましたとばかりに、不気味なほど正確な個人情報を羅列した。


「友綱 義春。一年(よん)組。身長百六十五(センチ)、体重五十(キロ)。帰宅部。能力名――『』。行為に及んだ対象を確実に殺害する能力。附則、自慰行為を試みた際は自身が即座に死亡する。……ねえ、これマジで超ウケるんだけどぉ!」


彼女は俺のベッドに踏ん反り返りながら、帝国製の無骨な電子端末――零式電子手帖の画面を指先でなぞった。そこに映っているのは、本来なら軍の最深部に秘匿されているはずの、俺の忌まわしき個人情報だ。


「……一応、この学園で『敵性言語』を使うのは控えたほうがいいですよ。憲兵に嗅ぎつけられたら、思想犯として面倒なことになります」

「別にいいじゃ~ん。どうせ英語は必修科目だしぃ。それに『帝国臣民規律宝典』には、男女の交わりは国家管理下の『秘め事』であって、その略称が『H』だって定義されてるし。ぶっちゃけ『セックス』って言ってもあんま変わんなくね?」


規律宝典。この国の臣民が守るべき言動を定義した、分厚い教本。そこには男女の営みすら、国家の再生産に寄与する「業務」として記号的に記されている。その歪んだ解釈を逆手に取ってヘラヘラ笑うこの女を、俺は冷めた目で見つめた。


「……そもそも。なんで先輩の端末に俺の個人情報が入ってるんですか?」

「ウチの『かれぴー』……てか、生徒会長って言ったほうがいい? そいつに送ってもらったんだよねー」


さらりと言ってのけたその名前に、俺の奥歯がわずかに軋んだ。

生徒会長。この学園の頂点に君臨し、将来の将校の座を約束された、帝国のエリート中のエリート。


「……なるほど。あの人が、先輩に俺を薦めたわけですか」

「そーゆーこと! 『友綱なら君を満足させてくれる』ってさ。あはっ、アイツもアンタの能力、相当高く買ってるみたいよ?」

「直接話したことないんですけどね」


俺と彼女も今日が初対面だ。いきなりインターホンが鳴ったかと思えば、強引に部屋に上がり込まれた。

彼女の能力は不死身。本当かどうかは知らないが、七歳の時にトラックに撥ねられて発覚したらしい。


その時味わった「死の快感」が忘れられず、長年引きずっていた彼女。その愚痴を聞いた彼氏――生徒会長が、俺の能力を教え、背中を押したのだという。行って来い、と。


……何考えてんだ、マジで。


「あんたが不死身だっていう確証がない」

「あはっ、そう言われると思ってぇ、これ持ってきました~! じゃんじゃじゃ~ん」


彼女が取り出したのは、国から正式に付与される『異能力証明書』のコピーだった。

もったいぶらずに早く出してほしい。股もそうだが、頭も緩そうな女だ。


彼女の能力は超生不死というらしい。死んだ瞬間に自分の半径1m以内に記憶を保持した新しい肉体を複製する。なんとも戦争向きな異能だ。

この証明書の偽造は即刻死刑。不敬罪と同等の扱いだ。この女は本当に不死身らしい。


「どぉ? これで信じる? てかアンタの立場からしたらぁ、不死身だろうがそうでなかろうが、了承をもらった時点で即押し倒すべきでしょ。マジで意味わかんねぇ~」


先輩はスカートの裾を無造作に翻し、挑発するように俺を覗き込んできた。


「……先輩と違って、俺はあんまりそういうの、好きじゃないんですよ」


俺はそういうことも、この能力も、心の底から嫌いだ。


「まあねぇ。そうでもないとアンタ、この学園に来る前に自分を殺してそうだし。てか自慰もできないってガチやばくね? アンタ、性欲とかどうしてんの?」

「そんなに湧きませんよ。……まあ、定期的に夢精はしますけど」

「へぇ~。夢精の時は能力発動しないんだぁ」

「…誰かとエッチしたり自慰をしたらその夢の中で死んでます」

「えっ、そこでも発動すんの!? ふっしぎー。アンタ、前世は殺人鬼とかだったんじゃない?」


殺人鬼。その言葉が、耳の奥で嫌な音を立てて跳ねた。


「そうかもしれませんね」


俺が投げやりに応じている間に、彼女は迷いなくズボンを脱ぎ捨てていた。雪のように白い肌と、赤い果実が描かれたパンツが露わになる。


「……何で勝手に脱いでるんですか」

「いやだってぇ、話すこと話したし。あとはヤるだけっしょ?」


俺は何も許可していない。


「勝負下着じゃなくてごめんねぇ~。それは彼氏専用だから。それとぉ、フェラとかキスとか、エッチ以外のサービスは無し。ごめんね~」


そう言って身体をくねらせる。本当に、いちいち癪に障る女だ。


とうとう全裸になった彼女。……太ももと尻はアホみたいにデカいが、肝心の胸には絶望的なまでに凹凸がない。


「……もしかして先輩、胸だけ脂肪吸引しました?」

「あ゛あ゛ん゛?゛」


一瞬で般若の用な顔に変わる。やっぱりそういうの気にするんだろうか。


「ま、ウチは優しい優しい美形すぎる先輩だからぁ、今のふざけた発言は水に流してあげるけどー。あんまりそういうの、他の女には言わない方がいいよ?」

「優しい優しい先輩は同意もなしにこんなことしません」

「ッチ。どこまでも可愛くないガキだこと~。――そう言ってアンタだって、勃起してんじゃ、ない、の!」


毒づきながら、彼女は俺のズボンを乱暴に引き下げた。


「はぁ!? 小っちゃいままなんだけど。アンタ、ホントに男?」

「お望みでしたら、どうぞ」

「うわ、びっくりした! ……って、ちっさ」


俺の、心もとない代物が「こんにちは」と礼儀正しく挨拶する。


「まあ、いいや。別にエッチで気持ちよくなろうとか思ってないし。あとは適当によろしく~」


そう言って、全裸のままベッドに寝転がった彼女は、零式電子手帖を手に取って画面を眺め始めた。


この手のタイプは、おそらく殺したところで自分を曲げることはないのだろう。

……正直に言えば、俺だって嬉しくないわけじゃない。だが、勝手に一人で、誰にも迷惑をかけずに死んでくれればいいのに、とも思う。


まあ、いいか。どうせ彼女は、死んでも死なないのだから。



「ふぁ~あ……。って、うわ、今何時!!?」


大あくびを噛み殺していた先輩が、枕元の時計を見た瞬間に跳ね起きた。バカデカい尻がベッドを揺らし、不快な軋み音が部屋に響く。


「午前5時半です」

「……もしかしてウチ、気持ち良すぎて失神してたってこと!?」

「まあ、そうですね。……おかげで、掃除が大変でしたよ」


俺は床に落ちていた彼女の髪の毛や、名前も付けたくない液体の跡を思い返す。あれを完全に消し去るのに、三時間はかかった。除菌スプレーを一本使い切り、指先がふやけるまで雑巾を動かし続けた成果が、今この不自然なまでに清潔なフローリングだ。


「……で。童貞を卒業した気分は~、どう?」


シーツを体に巻き付けたまま、ニヤニヤと意地悪そうに覗き込んでくる。


「特に。なんとも」

「またまた照れ隠ししちゃってぇー……。あはっ、ま、初体験がウチみたいな美少女で光栄に思いなさいって。……てか、死体は? どこにあんの?」


冗談めかした口調のまま、彼女はさらりと「自分の死体」の所在を訊ねた。


「友人に手伝ってもらって処分しました。嫌がると思って、本体は浴槽にぶち込んでおきましたから。顔は見られてないはずです」

「な、ナイスかぁ……? てか、処理した奴ウチの身体で変なことしてないよね? マジで身の毛がよだつんですけど!!」

「……多分、大丈夫じゃないですかね。一人はガチホモで、もう一人はヤリチンですし。先輩の身体を見て、『小学生の方がまだ胸あるぞ』なんて――」

「テメェ!!」


いきなり、俺の右頬めがけて鋭いストレートが飛んできた。


「避けんな!!」

「俺は事実を言っただけです。」

「あぁん? 小学生の方が胸あるっていうのが事実だってか?」

「そうじゃなくて。俺はただ、あいつの言葉を一言一句違わず再現しただけですよ。……それより、こんなことしてて大丈夫なんですか? 一応朝飯は作りましたけど、メイクとか風呂の時間もあるんでしょう」


俺が時計を指さすと、ようやく彼女は自分の置かれた状況を思い出したらしい。


「そうじゃん!! 急がないと!! ……あ、朝ごはん作ってくれてサンキュ。……あれ、てか一人分しかないじゃん」

「俺は栄養食で十分ですから」


アルミパックのゼリーを吸い込む俺を見て、彼女は心底呆れたように鼻を鳴らした。


「あんた、そんなんだからチンコちっさいんじゃ……。あ、やば、早くたっちゃんに電話しないと!!」

「それなら、俺が連絡しておきました」

「ちょ、嘘でしょ!? パスワードかかってたはずなんだけど!!」

「先輩のことですから『壱弐参肆』かなーと思ったら、一発でした」

「く~~ッ! ほんっとに、あんたってムカつくわね!!」


彼女は毒づきながら、出来立ての朝食を口にかき込み始めた。行儀は悪いが、その横顔には死の陰りなど微塵もない。


「いいから早く食べてください。先輩が出てくれないと、俺も家を出られません」

「はぁ~? まだウチのこと信用できないってわけ? ……まあ、いいけどさぁ~」

「それと洗濯物。乾燥まで終わったやつ、そこに畳んでおいたんで。勝手に着てください」

「うわっ、そうじゃん、今ウチ全裸じゃん!! ……えっち」

「……あの、そういうのはいいんで」

「アンタってマジで冷めてるわね」

「…そうかもしれませんね」

「……てかさ。死体運んだんなら、結局顔見られてるでしょ。あんたバカなの?」


トーストを咥えたまま、ジト目で俺を睨む。


「いえ。俺が一度、顔の原型をなくしてから呼びました。運び出す時も『圧縮』の能力者に手伝ってもらって、三十センチ四方のキューブ状に固めてから段ボールに入れたので。多分、俺以外には見られてないですよ。今頃は地下の焼却炉で、ただの四角い炭になってるんじゃないですかね」

「きゅ、きゅーぶ……?」


自分の豊満な下半身や、あんなに自信満々だった顔面が、容赦なく「立方体の肉塊」へとプレスされ、さらに識別不能なまで叩き潰された光景を想像したのだろう。


「マジでありえないんだけど!! ウチの身体を段ボール箱みたいに扱うとか、デリカシーって言葉知らんわけ!? てか、それやったの誰!? 絶対ぶっ殺す!!」

「……やめておいた方がいいですよ。普通に力も強いからマジで返り討ちにされますよ」

「死ね!! 今すぐ死ね!! アンタも、そのキューブ野郎も!!」


彼女は真っ赤になって絶叫した。


…あいつが先輩のキューブを運びながら『この面、たぶんケツだな。弾力が違う』とか言ってたことは黙っておこう。


「逆に質問なんですけど、先輩はどうやって自分の死体を処理しようとしてたんですか?」

「たっちゃんが死体の処理なら自分に任せて~って」

「へぇ」


死体の処理ができるということは、生徒会長は圧縮や焼却、あるいは空間転送系の異能力持ちなのだろうか。


「はいはい。……それより、早く食べてください。その『たっちゃん』とやらに、自分が生きてるって証明しに行かなきゃならないんでしょう」

「……ッ! あー、もう、ムカつくわね!!」


彼女は乱暴にトーストを飲み込み、全裸のまま、畳んであった制服をひったくった。



大日本帝国立異能開発学園。

――表向きは、帝国の繁栄を支える『人工異能力者』の錬成を掲げた学び舎だ。

軍部や学術機関は、生徒という名の「生きた実験体」を使い、日々実験を重ねている。

だが、その実態は、突然変異で異能に目覚めた子供を保護……という名の管理下に置き、戦力として隔離するための収容施設と化している。

初発から百年が過ぎた皇紀二六八六年現在、未だどこの国も表向きは『意図的な異能の発現』には成功していない。そんなもんだから、この場所が収容所と化すのも、仕方のないことなのかもしれない。


生徒数はおよそ四百五十名。各学年四クラス編成で、一組から三組までは一クラス四十人ほどの一般クラス――いわゆる、軍の駒として使い勝手のいい正規兵予備軍だ。

そして残りが、性格や能力、あるいは出自の特殊性によって寄せ集められた四組。通称『(エックス)クラス』。

もっとも、規律に厳しい帝国側がそんな呼び方を認めるはずもない。公式文書には「肆組」という無機質な数字が並ぶだけだ。だが、この国では御法度とされる『敵性言語』で、他のクラスの連中が陰からそう呼ぶのには、相応の理由がある。


規律を乱し、愛国心の欠片もない俺たちは、連中からすれば敵国の人間と同じ――つまり、内に飼い慣らした『敵』に等しいからだ。どの学年を見ても、この四組は問題児しかいない。授業に出る人数が三名程度なら御の字。出席者が二桁に届こうものなら、「明日は異能力者が空から降ってくる」なんて不吉な逸話があるほどだ。

能力が人を変えるのか、あるいはイカれた奴に特異な能力が宿るのか。まだろくに人生を謳歌していない俺には良くわからん。


そして今、俺の隣の席にいるこいつもまた、イカれている。


「よっちゃん…僕は悲しい。どうして君はそんなに易々と自分の身体を人に使わせるの? もっと自分を大切にしなよぉ!!」


涙交じりで俺に縋り付いてくるのは森田(かなめ)。授業に参加する数少ない1-4の生徒。そして昨日、先輩の死体を運ぶのを手伝ってもらったガチホモの方だ。


「純粋に先輩の能力に興味があったからな」

「じゃあなんであんなに死体があったのさ!! 君の能力ってH一回ごとに発動するんだよね!? ただ一回やって能力発動したら終わりでいいよね!?」

「…色々試してたんだよ」

「じゃあ僕で試せばいいじゃないか!!」

「お前でやったら死ぬだろ」

「君のためなら死ねるって何度も言ってるじゃないかぁ!!」


この森田要は俺に恋をしているらしい。何でも一目惚れだとか。クラスの初顔合わせの時に衆人環視の中で告白されたのは、今でも忘れられない。

この学園に入学して一ヶ月。俺と他の女との事後の後処理をさせられても、彼の歪んだ愛は冷めなかったらしい。


「みんなー!! おっはよー!!」


不意に、教室の扉がガラガラと激しい音を立てて開いた。


「おはよう……ございます」

「…お前はいつも遅刻ギリギリだな」


彼女は綾月(あやつき)治子(はるこ)。俺の幼馴染だ。


「どったの? 要くん。元気ないね!」

「い、いや。気のせいだよ」

「あ。そうなんだ!! それより聞いた!? 二人とも! 昨日、一組と二組の男子の決闘で闘技場が半壊したらしいよ!!」

「ほう……」

「かぁー。羨ましい!! いいですねぇ派手な能力持ちは!! そうやって有象無象に媚びを売れて!! 腹立たしいことこの上ありません!!」


要が血の涙を流しながら悪態をつく。俺からすれば彼ほど戦争向きな能力はあまりない気もするが、隣の芝は青く見えるのだろう。


ちょうどその時。治子の時以上に、鼓膜を(つんざ)く激しい衝撃と共に教室の扉が蹴破られた。

現れたのは、軍帽を深く被り、身体のラインを誇示するような軍服を纏った我らが担任、葉桜(はざくら)千春(ちはる)少佐だ。彼女の手には、常に手慣れた様子で黒い鞭が握られている。


俺は彼女の病的なまでの白い髪と肌が少し苦手だ。


葉桜は教壇に立つと、蔑むような視線で教室を一瞥し、低く冷たい声を放った。


「……今日も三人か。まあいい、点呼の手間が省ける。――朝礼ちょうれい!!」

「起立!! 敬礼!! ――教官、本日も宜しくお願いします!!」


治子の、元気な声が響く。


「お前らはいつも元気だな…まあ、いいことか。今日はお前らに飛び切りの知らせを持ってきた」

「も、もももしかして転校生かな!!? 5月の連休明けのこの時期に!?」


隣の要が、鼻息を荒くして俺の袖を引く。だが、俺はこいつをシカトせざるを得なかった。なぜなら肺の中の空気が強制的に逆流するような、得体の知れない飢餓感に襲われたからだ。これが葉桜少佐の能力の予兆だ。


「私語を許可した覚えはない!!」


鞭が、空気を切り裂き黒板を激しく叩いた。 瞬間、先生の右腕が軍服を内側から引き裂き、複数の排気スリットを持つ細身で無骨な銃身へと融合する。

 

放たれたのは、鋭い破裂音。

 

寸分の狂いもなく要の眉間へと突き進んだ、親指ほどの鈍色の塊。それは殺傷用の金属弾ではなく、着弾時に衝撃を分散させるよう設計された、高密度の合成樹脂による訓練用擬製弾(ダミー)だ。

直撃すれば数日間は消えない酷い痣と脳震盪を約束するが、少なくとも骨を粉砕するほどの質量はない――。


だが、その警告を、割り込んだ治子が差し出した掌が真っ向から受け止める。ダムが決壊したような勢いで溢れ出した不透明な粘液が、飛来する弾丸を優しく、かつ強靭に包み込んだ。


ケロっとした様子で治子は口を開いた。


「――先生、今のちょっと熱かったです。次はもう少し冷やしてから撃ってくださいね?」


ひらひらと、まだ白い蒸気が立ち昇る掌を振りながら、治子は事も無げに言った。

その足元には、彼女の粘液に絡め取られ、勢いを完全に失った擬製弾がと転がっている。


要の眉間、わずか数センチのところで止まった死の予兆。

当の本人は、腰を抜かしたままパクパクと口を動かしているが、声になっていない。


「……ふん。綾月、貴様の粘着。衝撃の分散効率だけは上がっているようだな」


先生は能力で変化した右腕を、機械が生物的な蠢きを持って収縮していくような音と共に、元の軍服の袖へと戻した。

酸素が教室内に戻り、肺の奥が焼けるような飢餓感は消えたが、代わりに焦げたプラスチックの嫌な臭いと、治子の能力特有の、生暖かい湿り気が室内に充満する。


「ですが先生、これ、結構お水使うんですよ。後でよっちゃんに特大の炭酸水奢ってもらわないと干からびて死んじゃいます」


治子は茶目っ気たっぷりにウインクしてみせるが、その顔は僅かに青白い。

至近距離の擬製弾を止めるために消費した水分と精神力は、決して軽傷で済むレベルではないはずだ。


「……勝手にしろ。守田、命拾いしたな。その防壁の厚さに感謝して不用意な言動は慎め」


先生の冷徹な声が、凍り付いた教室の空気を強引に動かした。


「先生、今日の要くんは少し元気がないようなので少し大目に見てもらえると、クラスの士気が保てます!!」

「もうお前らが入学してから一か月が経つ! 肆組には未だ登校しないバカな奴らがごまんといるが、お前らを優遇するつもりはないぞ!!」

「でもでも!! 先生は前に鞭を常に携帯しているのは自分の能力で生徒を指導しないように、という自戒だとおっしゃっていましたよね?」


治子の真っ直ぐな言葉に、先生の眉が僅かに動いた。

教壇に置かれた、使い込まれた革鞭。それは教官としての威厳を示す道具ではなく、一瞬で生徒を鉄屑に変えてしまう自分を縛るための鎖だったはず。


「……。……現役時代の悪い癖でな。ついつい手が出てしまった。すまない、綾月。……守田もだ」


先生が吐き出した短い謝罪。それは軍人としてのプライドよりも、教育者としての「綻び」を認める潔いものだった。


「い、いやぁ~、僕は別に――」

「でも教官!! 森田くんが日頃から授業中、友綱くんにばかり不適切な接触を試みているのも事実です! ここは軍規に則り、鞭打ち1000回による矯正を希望します!!」

「で、でたらめを言うなぁ!! それは純愛だ!!」」

「黙れ、守田!! ――友綱。それは事実か?」


悪魔のような愉悦を浮かべる治子と、射撃体勢こそ解いたが鋭い眼光を向ける先生。そして、捨てられた子犬のように潤んだ瞳で俺を見上げる要。


俺は――コンマ一秒の迷いもなく、口を開いた。


「はい。今の発言は全くの事実です」

「な、ちょっ、よっちゃ――!!」

「成敗!!」


瞬間、教壇に立つ先生の姿がブレた。直後、鼓膜を破壊せんばかりの凄まじい衝撃音が教室中に響き渡る。

隣を見ると、顔の原型をかろうじて保ったまま、要が白目を剥いて天を仰いでいた。

初めて間近で見た、少佐の鞭捌き。十歳でこの学園を飛び級したという伝説の身体能力は、やはり伊達ではなかった。


「……で、だ。貴様らに持ってきた知らせは転校生ではなく、催し物だ。先ほど零式電子手帖に要項を送った。まずはざっと目を通せ。手帳の使用を許可する」


鞄の中にある電子手帳を確認すると、そこには第百回新入生春季皇道異能合戦というファイルがメールで届いていた。


「これは……中々だな」


酸素が戻り始めた教室の照明が落とされ、天井のプロジェクターが低い唸りを上げた。

レンズから放たれた鋭い青白い光が、黒板を覆うように引き下ろされたスクリーンを射抜く。暗がりに、『第百回新入生春季皇道異能合戦 規定』の無機質な文字が浮かび上がった。


壱: 一個小隊の合計構成員数は六点とする。これに満たぬ小隊の参戦は一切認めない。

弐: 生徒間の戦術的交友を深めるため、上級生の編入を許可する。ただし、計上点数は以下の通り定める。

一年生:一名につき一点

二年生:一名につき二点

三年生:一名につき三点

(※留年生、および飛び級生は、現時点の所属学年に準じた点数で計上する)

参: 各小隊内における一年生の数は、三名以上であることを必須条件とする。


「……新入生の催しなのに、上級生がチームに加わるのもアリなんですね」


俺の呟きに、教壇で腕を組んでいた葉桜が、鼻を鳴らして応じる。


「貴様らは四月から、午前七時から午後九時まで軍事教練と座学でびっしり埋まった地獄を這いずっている」


先生の視線が、一瞬だけ鋭さを失った。


「……だが、先月まではただの『学生』として、平穏を貪っていた甘ったれが殆どだ。……大体は、な」


彼女は何かを言い淀むように、決まりが悪そうにこちらから目を逸らした。その「大体」から漏れた、俺や治子のような連中の顔を直視したくないのだと言わんばかりに。


「統率すら知らんへっぽこ共だけで演習場に放り出しても、泥沼になるだ。上級生という『芯』を入れるのは、上層部による寛大な処置だ……。せいぜい、先輩の首に(すが)って生き延びる工夫をしろ」


スライドが、叩きつけるような音と共に切り替わる。


肆: 各小隊は、学園側の厳正なる裁定に基づき、指定の「戦区」へ割り振られる。

伍: 同戦区内にて総当たり方式の予選演習を行う。

陸: 予選は市街地におけるゲリラ掃討戦を想定し、本学園規定の演習市街地(壱〜百)のいずれかにて行う。演習地は、対戦相手が確定後直ちに全小隊へ周知される。武器は各々、試合ごとに適当に配られる。


「……武器が適当?」


いつの間にか起きていた要が心底不思議そうに首を傾げる。彼の顔には指導の跡がくっきりと浮かんでいる。


「そうだ。戦場では常に望む得物が手に入るとは限らん。異能と相性の悪いゴミを渡された際、どうやって知恵で補うか……帝国は貴様らの『応用力』を見ている」


大日本帝国は中学から銃火器の取り扱いを義務教育にしているが、それだけでカバーできるのだろうか。


「…授業で扱ったことのある武器しか渡されませんよね?」

「まあ、ある程度の配慮はするつもりだ」


武器系はざっと確認した方がいいか。暴発して棄権とかシャレにならないしな。


「……さて、次だ。ここからが本番だぞ」


スライドが再び、無慈悲に更新された。


漆: 各小隊は合戦前日の正午までに「指揮官」を一名選出すること。指揮官の喪失点数は一律十点と定める。演習時間は三十分とし、以下の条件をもって終了とする。

・制限時間の超過

・指揮官の撃破(戦闘不能、棄権または殺害)

・小隊の全滅

(※指揮官による自発的な棄権や自害は一切認められない)

捌:本演習における殺害行為は、帝国刑法および学園規定に基づき、一切の罪に問わない。演習中に殺害された者、負傷した者は終了後直ちに養護教諭の異能により蘇生および治療が施される。

玖: 試合終了時に喪失した構成員点数(喪失点)をその試合の記録とする。戦区内の予選終了時の累計喪失点が最も少ない小隊を勝者とする。同点の場合は、学園側の厳正なる抽選により決定する。


「殺害が合法…」


要が、自分の喉仏を鳴らす音が静かな教室に響く。


「当然だ。これが他国のヌルい施設と我が帝国の差異だ。戦場に出てから殺しに戸惑い、恐怖するような欠陥品は、帝国には必要ない」


治子が元気よく手を挙げる。


「先生!!……指揮官に選ばれたら、相手を全滅させるか、……それとも、殺されるまで踊らされるしかないってことですか?」

「……指揮官が容易に棄権できれば、負け戦だと判断した瞬間に損失を最小限に『割り切って』しまうだろう?」

「なるほどぉ」


その声には死への恐怖など微塵もなく、分解した時計の仕組みを覗き込むような、無垢で残酷な好奇心が混じっている。


「ああ。実践では無理だと悟ったなら、捕虜にされる前に自分の喉を突けと言いたいところだが…帝国側はお前らのあがきを最後まで見たいそうだ」


先生は冷淡に言葉を継ぐ。

さらにスライドが移る。


拾: 決勝戦は、各戦区を勝ち抜いた全小隊による総力淘汰戦とする。

場所:大日本帝国立異能開発学園直轄「第百八軍事演習基地」

形式:全生存小隊を同一演習地内に同時投入し、最後の一小隊が決定するまで演習を継続する。

備考:決勝では全滅した小隊から順位が決まる。


「一年生はおよそ150名で最大で50個ほどの小隊が出来ますよね? 予選だけで100試合ほど必要なんですけどまさか平日の授業時間をすべて潰すつもりですか?」


俺の質問に少佐はさも当然と言わんばかりに口を開く。


「そうだ。例年は一戦区4小隊がベース。そうなると大体4日もあれば決勝まで終わる。その潰された授業時間はお前らの整備日である日曜日や通常の授業が終わった二十一時以降に振替になる。蘇生ができるんだ、睡眠不足など死因にはならん」


更にスライドが進む。


拾壱: 皇道異能合戦は帝国の威信を懸けた軍事演習である。したがって、軍紀に反する不必要な陵辱、および軍人の品位を汚す卑劣な行為は一切禁ずる。これに抵触した者は、帝国軍法に基づき、その場で処刑に処す。


「守田。貴様の言いたいことは分かっている。友綱のような、能力の起点に『それ』が必要な特例はどう扱うのか、だろう?」


先回りされた要が、言葉を詰まらせて頷く。葉桜は教壇で不敵に笑い、俺を指差した。


「軍は友綱のような希少個体に対し、特例で『戦術的陵辱』を許可している。……良かったな、友綱。公認で任務(エッチ)に励めるぞ」

「……卑猥な発言は慎んでください。死活問題なんです」

「他に質問はあるか? 別にスライドにないことでも構わん」


先生は鞭を教卓に置き、教室を見渡す。


「はいはい! 先生、しつもーん。合戦が始まる前に、邪魔な相手を殺しちゃったらどうなりますか?」

「……当然、即座に処刑だ。貴様らは帝国が莫大な予算を投じて管理している『大切な国有資産』。養護教諭の目の届かない場所で死なれたら、蘇生も治療も間に合わないからな。軍に損害を与えたバカは、例外なく排除されると思え」

「……けち」


治子が不貞腐れた子供のように頬を膨らませる。この子の加虐性はあまり直視したくないが、その境遇を考えれば仕方ないのかもしれない。


「……先生なら、この合戦をどのような兵法で乗り切りますか?」


俺の問いに、葉桜は教壇に腰掛け、不敵に口角を上げた。投影機の蒼白い光が、彼女の瞳を冷たく発光させている。


「私か? 私ほどの出力があれば、策を弄する前に力で全てを圧殺して終わるが……予選のような少人数での対戦なら、話は別だ。やはり鍵になるのは、異能の『特異性』だな」


先生は遠い空を眺めるような目で、戦場の理を語り始める。


「現在の戦場の主翼は無人航空機と戦車だ。だが、泥濘(ぬかるみ)や総力戦、生身の人間に対しては、異能という『不確定要素』を抱えた個体は依然として引けを取らない。……もっとも、新入生の貴様らはまだ、焼き入れ前のナマクラだがな」


彼女は鞭でを手に取り、写し出された『編成規定』を指した。


「定石で行くなら、三年生を一人引き入れて『芯』を作り、一点の一年生三名で脇を固めるのが最も安定する。このルールでは足手まといが一人でもいればそこを重点的に突かれるからな」

「お勧めの三年生はいますか?」

「私は二年前にここに赴任してきた。三年を直接担当したことはないが……生徒会の連中は、やはり頭一つ抜けている。……まあ、あいつらは既に軍への推挙も済ませた『完成品』だ。面倒くさがって参加はせんだろうがな」


先生は言葉を切ると、射抜くような視線を俺たちに向けた。


「それと勘違いするな。この合戦は全学徒参加ではない。後方支援型の能力者には、実戦よりも座学――例えば炎系なら熱力学、電気系なら電子回路論などの入念な教練が組まれている。お前らも…色々と科目数が多いはずだ。大会に現を抜かせば、その分の遅れを深夜に叩き込むことになるぞ」


そう。この学園は一般教養の他に、『自害演習』や『能力別物理学』といった、破壊を効率化するための授業が二十一時まで詰め込まれている。合戦に参加するということは、その過酷な研磨の時間を削って命を懸けるということに他ならない。


「それでも、最後に残った小隊には相応の『餌』が用意されている」


先生が図表を切り替えると、勝者にのみ与えられる特権の羅列が映し出された。


【最優秀小隊 報奨規定】

壱.卒業後の任地における優先配属申請権の付与。

弐.一人あたり百万円の報奨金の付与。

参.日常における帯刀権の認可。


戦勝国である大日本帝国の「円」は、今や世界で最も傲慢な紙切れだ。敗戦国のスラムに行けば、一万円札一枚でかつての大統領の血筋の奴隷だって買えるだろう。

軍が衣食住と弾薬を完全保証しているこの学園において、この百万という金額は「生活費」ではない。文字通り、俺たちという兵器を繋ぎ止めておくための甘美で毒の強い餌だ。


「ちなみに優先配属申請権はあくまでも優先的に話を聞いてやる、というだけだ。上が適格ではないと判断すればいくらでも取り下げられる。肝に銘じろ」


先生の言葉と共に、終業を告げる重苦しい鐘の音が教室に鳴り響いた。

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