⑫ 大王の寝室
それはちょうど、ギリシア語の勉強が一区切りついたころのことだった。
いつもお気楽なサン・ジェルマン少年が、珍しく思いつめた顔で、妖精さんに頼んだ。
「ねえ、アレクサンドロス3世…いや、アレクサンダー大王に会わせてよ。」
「いいけど…何故かしら?」
尋ねる妖精さん。
「どうしても、訊いてみたいことがあるんだ。」
「そう。いいわよ。」
彼女はあえて、それ以上深く追求しなかった。
もうすっかり、サン・ジェルマン少年のことを信頼していたのだった。
「そうと決まったら、早速行きましょうか。お出かけの準備は?」
「❝40秒で支度します❞。」彼は笑顔で答えた。
無論、彼女の課外授業のおかげで、すっかり日本のアニメやマンガの名台詞にも、詳しくなっていたからだった。
あんまり余計なことを教えるのも、考え物よねえ。
彼女はほんの少しだけ反省した。
二人はいつものように森のはずれの広場へ行き、ポータブルタイムマシンを開いた。
「今日は僕が入力するよ。」
「そう、いいわよ。やってみて。」
マシンを中心に、半径1m以内に二人が収まるようにするため、彼女は少年の背後から覆いかぶさるような姿勢になった。
思春期の少年は、自分の背中に当たる二つの柔らかいモノや、その他イロイロな感触を無視するのに、かなりの集中力を必要とした。
「どうかしたの?」
頬を赤くする少年に、妖精さんが吐息と共に耳元で囁く。
「…なんでもないよ。」
そんな訳無いのである。
ともあれ、彼女が書いてくれた地図のメモを元に、ダイヤルで入力した目的地のデータは以下の通りであった。
紀元前323年6月1日22時00分。
北緯32度54分。東経44度42分。
彼はバッテリー充電のハンドルを力一杯回し、起動レバーを倒した。
周りの景色が滲み出し、やがて落ち着いた。
どうやら目的地に到着したようだった。
※ ここで毎度お馴染みの注意書きです。
以下の会話は全てギリシア語で行われています。
しかし作者の都合で、日本語表記になることをお許しください。
二人の身の周りは薄暗い。
ここは屋内の物陰のようだった。
遠くで喧騒が聞こえる。
大規模な酒宴の席が設けられている感じだ。
目を凝らすと、そこは宝石と大理石で調度品を贅沢に設えた寝室のようだった。
大きなベッドの上に、屈強そうなギリシア人の男が一人、掛布団も無しで大の字の姿で寝ていた。
すると次の瞬間、その男の目がギロリとこちらを捉えた。
すぐさま男は飛び起きて、傍らに置いてあった剣を抜いた。
「誰だ!出て来い!」
数々の戦場で砥ぎ澄まされた男の感覚は、物陰のちょっとした気配も見逃さないのであった。
二人は大人しく柱の陰から姿を現した。
「…女と…子どもか。どこから紛れ込んだ?」
アレクサンドロスは尋ねた。
「申し訳ありません、大王様。私どもは旅の芸人一座の者です。広い建物内で、すっかり迷ってしまいました。」
妖精さんが咄嗟に苦しい言い訳を考えた。
「ふうん。そうか…ドアの前の衛兵まで人払いするのは、良くなかったな。」
何とかなりそうだった。
「あの…大王様。」
「なんだ?」
「お休み中にお邪魔かと思いますので…私どもは早々に退散いたしますが…。」
妖精さんは、仕切り直そうと考えたようだ。
「まあ、待て。お前、面白い装束を着ているな?」
「ああ、コレはセーラー服という民族衣装です。」
そうだよね。まさかこの人の前で❝戦闘服です❞なんて言えないよね。
サン・ジェルマン少年はビビリながらそう思った。




