筆頭霊牧師の異変
「ジル……!? 貴様、何をしにきた」
チェスターは険しい顔で問いかけてくる。
「聖都からチノン村まで悪霊憑きが流れてきたから、様子を見にきたんだ」
「な……クソっ、見過ごしたか」
彼は顔を歪め親指を噛んだ。何やら相当追い詰められているようだ。ローレンスと顔を見合わせ、改めてチェスターと向き直る。
「なあ、何があったんだ」
「貴様には関係ない。神学校卒業以来、聖都に寄り付きもしなかった薄情者め」
「それはお前が変なことを言うからだろう」
本当の理由はローレンスと村を守るためだが、チェスターには気取られたくない。気まずさを誤魔化すように茶化してみたが、彼はますます眉尻を上げて怒りを露わにした。
「変なこととは何事だ! 俺がどれほど貴様を……っ、もう昔の話はいい。今更顔も見たくない」
「私を嫌うのは構わないが、事件の詳細は教えてくれないか。困ってるんじゃないのか?」
「去れと言っただろう! 聞こえなかったのか? そっちの男もだ……ん? お前」
チェスターは三白眼を更に眇めて、ローレンスの顔を睨めつける。
「その眼……そっくりすぎて気味が悪いな」
「どなたとですか」
問いかけるローレンスの顔を見たくもないと言いたげに、チェスターは犬を追い払うような仕草で手を振る。
「何でもない、忘れろ。もう何も話す事はない、とっとと行け」
とりつく島が無いなと肩を竦める。彼から話を聞くのは無理そうだし、この様子では墓場の調査もさせてもらえないだろう。諦めて他を当たることにした。
「邪魔したな」
「二度と来るな!」
告白を断ってからはずっとあの調子だ。もう友人にすら戻れなさそうだと一抹の寂しさを覚えながらも、墓場から退散した。なぜかローレンスは上機嫌に笑っている。
「待つ者はどんな願いでも叶えられるということわざがありますが、あまりにも刺々しくて彼の想いは叶いそうにありませんね」
「何の話だ?」
「いえ、安心したという意味です」
「はあ? ふざけていないで日が暮れる前に次の場所を当たるぞ」
「次……もしかして、教会ですか」
「ああ」
墓場のすぐ側にある教会に足を向ける。チノン村のこじんまりとした教会の五倍は大きい。教会の表門に立つ見張りの兵士に声をかけると、村の霊牧師様ですかと驚きながら中に入れてくれた。
本来なら霊牧師達がいるはずの教会に、力を持たないシスターや掃除夫しか見当たらないことに気づき眉根を寄せる。
「おかしいですね、霊牧師が一人もいない」
「ああ、妙だな。筆頭霊牧師は息災だろうか」
「筆頭霊牧師って、霊牧師教会を取りまとめている一番強い霊牧師のことですよね? 面会予約もなしに会えるものなんでしょうか」
「さあな。だが行ってみればなにかわかるかもしれない」
按手礼式の後、ローレンスを霊牧師として登録するよう要請書類を出したが、まだ返事は返ってきておらず安否は不明だ。筆頭霊牧師にも何かあった可能性があるなと考えながら、誰に声をかけようかと中庭を見渡す。
花の世話をしているシスターと目があった。髪を引っ詰めた素朴な顔立ちの彼女は、ジル達の格好を目の当たりにして両手を胸の前で組む。
「霊牧師様ですよね、もしや聖都の危機を察して駆けつけてくださったのですか? おお神よ、感謝致します」
「ああ、そうだ。すぐに筆頭霊牧師殿には会えるか?」
「知らせて参ります。いえ、事は火急を要しますものね、すぐに案内致しますわ」
「やはり人員が足りていないのですね」
事情を知っている風に装いながらローレンスが気遣う言葉をかけると、彼女は情感たっぷりに教えてくれた。
「ええ、ええ! 現在教会内で事件に対応できる霊牧師様は、筆頭霊牧師のカペロ様とチェスター様のお二人しか残っていないのです」
「僕達が来たからにはもう大丈夫ですよ。師匠は凄腕の霊牧師なんです」
シスターは自分と同じくらいの背丈のジルを見て意外そうに目を見張り、顔をまじまじと確認してぽっと頬を染めた。
「まあ、まあ! そうなんですのね、どうかよろしくお願い致します。恐ろしい呪われた霊を、お二人ならどうにかできるかもしれません」
「呪われた霊?」
聞いたことのない霊の種類だと訝しむ。彼女は深々と頷いた。
「今までに見たことのないほど強力な力を持つ悪霊なのですって。あまりにも思念が強すぎて、生前の姿がほとんどわからないそうで……ああ、ここです」
艶々に磨かれた両開きの木製の扉の前にたどり着いた。ノッカーを二回叩くと、中から落ち着いた男性の声がする。
「誰かね」
「霊牧師様をお連れしました。聖都の危険をいち早く察して応援にいらっしゃったそうです」
「そうか……入れ」
あっさりと許可が出た。ジルは深呼吸をした後、重たい扉を押し開く。部屋の中には二人の人間がいた。窓際に立っている細身で背ばかり高い男は、筆頭霊牧師の側近だろうと当たりをつける。
執務机を挟んだ向かい側に、壮年の男性が腰掛けていた。銀糸で刺繍された白のローブを身につけたカペロは、白い物が混じり始めた黒髪を後ろに撫でつけている。その瞳は、見慣れた金色だった。
(な……まさか)
ごくりと唾を呑み込んだ。思わずローレンスを振り向くと、彼もカペロの瞳を見て驚いている。見開いた瞳の金は、ローレンスとまったく同じ色だ……稀有な金の瞳には、ジルの人生の中でローレンスしかお目にかかったことがなかった、これまでは。
(ローレンスの父親は、ひょっとするとカペロなのか)
動揺が走る中、視線を前に戻した。彼の頬はこけ、目の下には色濃い隈がある。瞳だけがギラギラと光っているようで気味が悪いと感じてしまい、前に出かけた足が引っ込んだ。嗅いだことのない不思議な匂いが鼻をついて眉をひそめる。
(何か様子がおかしい……筆頭霊牧師にしては霊力が少ないようだし、衰弱しているのか? それにこの匂いは? 異国の薬の香りだろうか)
初めて顔を合わせる筆頭霊牧師から、底知れない不気味さを感じる。ジルの知らない脅威が目の前にあるような、漠然とした予感に身震いした。警戒したまま見つめていると、彼は億劫そうにジルに話しかけてくる。
「ご助力、感謝する。名を聞こう」
「……チノン村のジルです。こちらはローレンス」
カペロの視線がゆっくりとローレンスに向く。カペロの変化は劇的だった。みるみるうちに顔から血の気が引き、喘ぐように呼吸をした後喉を掻きむしる。立ち上がって部屋の隅まで後ずさるとうずくまり、頭を床に打ちつけはじめた。
「ターニャ、来るな、来ないでくれっ! すまない、私のせいでっ、私が殺したっ! なぜ今更、恨んでいるのかっ!? 違う、違うんだ私は殺していない!」
「カペロ様!? 誰か! カペロ様がご乱心です、応援を!」
側近が叫ぶとシスターや兵士がやってきた。側近は銅色の何かをカペロに差し出している。違和感を感じ何だろうと確かめようとするが、ジル達はカペロの部屋から追い出されてしまった。
「申し訳ありません霊牧師様、最近のカペロ様は昼は激務をこなし、夜もしっかり眠れていない状態でして。きっとそれで錯乱されてしまい……」
「ああ、お前が謝る必要はない。話ができる状態ではなさそうだからな、今日のところは出直すとしよう」
教会を出て、日の落ちかけた町中を急いで移動し宿を取る。二部屋とりたいところだったが生憎空きがないようで、仕方なく一部屋分の料金を払った。
(まあこの様子では、恋にうつつを抜かしている場合ではないだろう)
ローレンスは先程から無言で考えこんでいる。無理もない、父親と思しき人物が自分を目にした途端に暴れだし、母を殺した、いや殺していないと喚きだしたのだ。