非常に大切な話とは
「ローレンス! そっちに行ったぞ!」
「ええ、貴方は僕の背中に隠れていてください!」
山の中腹で盗賊に襲われた。ジルは聖銀のナイフを構えて賊から距離を取る。力を入れると手の甲に走った傷口から血がじわりと滲んだが、しっかりとナイフを握り直す。
(気配が読めなかった。ローレンスがいなかったら危なかったな)
茂みから音がするなと思った次の瞬間には、剣を向けられていたのだ。すぐさま反応したローレンスが引き寄せてくれなかったら、もっと大きく切られていたに違いない。
長剣を操るローレンスは賊と対峙し、何度か剣を交えた後相手の剣を弾き飛ばした。
「くそっ! こんな手練れに当たるなんてついてない」
「大人しく引けば命まではとりません」
盗賊は舌打ちをしながらじりじりと後退りし、木々の間に姿を消した。ジルは嘆息しながら構えを解く。
「行ったか?」
「追いかけましょう。帰りもここを通るんですから、根城を潰しておいた方がいい」
「え、おい待て、そこまでお前がする必要があるか? 聖都の兵にでも任せておけばいいだろう」
ローレンスは据わった目でジルを凝視した。思わず肩を跳ねさせると、無遠慮に近づいてきた彼に腕を取られる。
「貴方に傷をつけられて、僕が許せるとお思いで? 絶対に捕まえて兵士に突き出してやります」
思い詰めたように傷のついた手の甲を見つめるローレンスに、大袈裟だなと嘆息した。
「こんなもの、舐めておけば治る……っ⁉︎」
舌が手の甲に這わされて、ギョッとして手を引き抜く。
「待て、本当に舐めるヤツがあるか!」
「よかった、傷は表面だけで深くはありませんね。これならすぐに治るでしょう」
「聞いているのか、おい!」
ローレンスは足早に茂みの奥へと分け入ってしまった。ジルも仕方なく追いかける。洞窟の奥に潜んでいた賊を見つけたローレンスは、呪文を唱えて光をほとばしらせ、目眩しをした上で賊の両手を捕らえた。
「う、くそっ!」
ジルが念の為に持ち歩いていた登山用のロープを差し出すと、ローレンスは手際よく賊の体に巻きつける。
「これでよし、と。どうやら単独犯のようですね」
「テメェ、離せよ!」
「煩いですね、もう少し痛めつけた方が大人しくなるでしょうか?」
冷たい目を向けるローレンスに、賊は肩を跳ねさせ慄く。ジルは呆れながら首を横に振った。
「やめておけ、歩けなくなったら連行するのが手間だぞ」
「それもそうですね。大人しくついてくるのであれば何もしないでおきましょう」
盗賊は諦めきれないのか、ジルに懇願するような視線を向ける。ますます温度を下げたローレンスの凍えるような瞳に射すくめられ、盗賊は肩を落として大人しくなった。
「くそ、霊牧師なんてひ弱な奴ばっかりじゃねえのかよ……」
「目論見が外れて残念ですね、あいにくと僕は剣も嗜んでいるんです」
盗賊を連行するローレンスの姿は、帯剣しているのと相まって普段より頼もしく見える。
「お前がこんなに剣が得意だったとは知らなかった」
時々村の自警団に剣術の教えを請うているのは知っていたが、実際に戦っているところを見たのは今回が初めてだ。ローレンスはチラリとジルを振り返る。
「貴方は身体を動かすことに関しては苦手なようでしたので、それなら僕がお役に立てればいいと思い鍛錬していました」
「へえ、やるじゃないか」
「ありがとうございます。惚れ直してくれましたか?」
「元々惚れていない」
「これは手厳しい」
盗賊はジル達の会話を聞いてげんなりとした視線を寄越したが、ローレンスが見下ろすとまた大人しく前を向いて歩き始めた。
*
切り立った崖を降り立つと聖都はもう目前だ。山道を切り抜けたジル達は、主要交易路へと続く小道を抜けて入都の列に並んだ。
「ここが聖都ですか……大きいですね」
尖塔が建ち並ぶ巨大な教会は、城壁の外側からでも目にすることができる。ローレンスは物珍しげに初めて目にする建物を見上げた。
「間近で見るともっと迫力があるぞ」
「師匠の通っていた神学校はここから見えますか」
「ああ、あの緑色の屋根の建物だ」
たわいもない話をしながら兵士に入都料を支払い、ついでに盗賊も引き渡す。感謝の言葉を贈られながら聖都へと足を踏み入れた。
ジルにとっては実に十七年ぶりの聖都だ。静謐さを感じさせる白亜の教会も、少年時代の四年を過ごした学舎も当時と変わっていないように思えて、懐かしさが胸に満ちた。
「まずは墓場の様子を見てみるか、こっちだ」
秋の装いに身を包む人々の間をすり抜けて、白いローブ姿のジル達は教会方向へと向かう。霊牧師様だ、と呑気そうな声が人混みの中から聞こえてきた。
(どうやら、人々の間で異変は大きく知られていないらしい)
悪霊騒ぎが一般人にまで広がっているとすれば、質問攻めにされたり縋られたり、場合によっては糾弾されることもあり得ただろう。そこまでの事態にはなっていないようだと胸を撫で下ろした。
(いや、油断は禁物だな。まだ日は落ちていないが、そろそろ霊が活発化し始める時間だ)
オレンジ色の光に照らされた黄色の葉を見上げて、ジルは路地を早足で進んだ。夜になる前に敵情視察を済ませてしまいたい。ひと気の少ない路地まで出ると、ローレンスは声を潜めて問いかけた。
「師匠、いいですか。今のうちに確かめておきたいことがあるんです」
「なんだ、手短に話せ」
やけに真剣な口調なので、何事かと身構えながら耳を済ませた。
「師匠が告白された相手は、貴方にとって好みでしたか」
「……っ、どうでもいいだろう、そんな話は」
なにかと思えば色恋沙汰の話かと、石畳に足をひっかけそうになってしまった。ローレンスは至極真面目な表情で言い募る。
「どうでもよくありません。僕にとっては非常に大切な話です」
「あのな……はあ」
反論するのも馬鹿らしくなる。変に気を取られて悪霊相手に隙を見せる羽目になるよりはいいかと、諦めて話してやることにした。
「あいつ、チェスターはだな」
「チェスターと言うのですね、歳は? 師匠との関係は? 今でも交流がありますか?」
「話の腰を折るんじゃない、黙って聞け。神学校の同級生だった。卒業の一月前に告白されて、それ以来気まずくなって連絡をとっていない」
「なんだ、そうなんですね」
ローレンスはホッとしたように口角を緩めた。
「それで、好みでしたか?」
「全然好みじゃないな。ターニャみたいに屈託なく笑わないし、凛とした上品そうな顔立ちでもなくて、性格もうじうじしていて芯の強い彼女とは正反対だ。ただの友達以上にはなり得ない」
「なんだ、そうでしたか」
満面の笑みで微笑まれて、怪訝な顔でローレンスを振り向く。
「あのな、私は今、婉曲にターニャが好きだと言ったんだぞ。お前ではなく」
「わかっていますよ。でも、僕は母さん似らしいですから。つまり僕のような人が師匠の好みだということですよね」
思ってもみないことを言われて面食らう。確かにローレンスも芯が強くて人当たりがよくて、顔立ちだってターニャにそっくりだ。本心から笑った顔なんて見惚れるほど綺麗で……
これ以上考えるとまずい気がすると、頭の隅で警告が鳴る。わざとらしく咳払いをした。
「曲解するんじゃない、普段から胡散臭い笑顔を振りまいておいてよく言う」
「師匠の前ではちゃんと笑ってますよ」
「どうだかな……と、こんな話をしている場合じゃない。そろそろ墓場に着くから気持ちを切り替えろ」
枯葉の落ちる石畳の上を歩いていくと、正に先ほど噂をしていた人物が墓場前に立っているのがわかった。栗色の髪に緑の目をした神経質そうな男は、周囲を見回して警戒しているようだ。
「……チェスター」
ポロリと口から溢れ出たジルの言葉を耳聡く拾ったらしい、チェスターは勢いよく白いローブの裾をひるがえし振り向いた。