墓前での誓い
「フランおばさんとトット兄さんのところに行くんですよね」
ローレンスに母と弟の名前を出されて鷹揚に頷く。
「当たり前だろう、まさか挨拶の一つもしないつもりなのか?」
ローレンスを引き取り面倒を見はじめたのは彼が一歳の頃だった。神学校を卒業したばかりの新米霊牧師だったジルは、自分の仕事もままならないほどに子育てに振り回されたものだ。
その当時、母と弟に助けてもらえなければ子育てなんて到底無理だっただろう。ジルは滅多に口にすることはないが、二人には多大に感謝している。
「それこそまさかですよ、貴方がたのお陰で無事に一人前になれましたと報告しなくては」
「お前を育てたのは私だぞ」
ジルが子どもの面倒を見るなんて無理だと村の者から口々に言われたが、反対する声を押し切りがむしゃらに手元で育ててきた。それを目の前の彼だって知らない訳ではないだろうに。
「ええ、もちろんわかっています」
隙のない笑顔を向けられて、眉間に皺が寄る。人目がある場所では愛想笑いをしがちなローレンスの眉間を軽く指先で押した。
「いい加減その嘘くさい笑顔はやめろ。ほら、無駄話をしている間にもう着く」
柵の向こうから実家で面倒を見ている羊達が顔を出して、めえめえ鳴きながら挨拶をしてくれる。道端の雑草を引っこ抜いて差し出すと我先にと食べ始めた。
この時間だとまだ外にいるかもしれないと牧場を見渡すと、遠くに見えるサイロの下で母が藁の束を運んでいるのが見えたので近づいていく。
額の汗を拭った母フランは近づいてくる白いローブの二人組に気づき、白髪をかき上げた。
「おはようローレンス。無事にジルから霊牧師として認めてもらえたんだね」
「そうなんです、おばさん」
「ジルにローレンスじゃないか。おはようさん」
大量の藁を載せた木製の荷車を置いて、弟のトットも近づいてくる。
ジルよりも濃い色合いの銀の髪をした彼は、ローレンスが白いローブを着ていることに気づいて、鈍色の目を輝かせた。
「おおっ!? ついに霊牧師になれたんだな、おめでとう!」
「ありがとうございます」
ローレンスは朗らかな笑みを返す。自分より高身長に育った弟子と弟を見上げたジルは、せめて自分も大きく見えるようにと胸を張る。
「私が手塩にかけて育てた弟子だからな、優秀なのは当然だろう」
「なんでアンタが偉そうにしてるんだい。まったく」
母は呆れたように苦笑する。聖都方向の小山の裾にある、墓の丘を見上げた。
「これでターニャも救われるってもんだ……」
フランから発せられた一言に、ジルは目を伏せた。久しぶりに聞いた名前だ。彼女のことを想うと今でも苦い後悔が胸に押し寄せる。
「ターニャ……僕の母さんも霊牧師だったんですよね」
ローレンスがフランに問いかけると、彼女は重々しく頷いた。
「ああ、アンタを産む前は、聖都で立派にお勤めを果たしていたそうだよ。アンタが一歳になる頃に強い悪霊に襲われて、天に召されてしまったけどね。よっぽど神様のお気に入りだったんだろう」
「母さん、その話はやめてくれ」
ジルが苦言を呈すと、フランは大袈裟に肩を竦めた。
「アンタも難儀だねえ。ターニャを惜しむ気持ちはわかるけどさ。もう三十三にもなっていい歳なんだし、ローレンスだって大人になった。そろそろ吹っ切って次の恋に向かう時じゃないかい?」
聞きたくないと顔を背けると、トットも視界の端で耳を塞ぐ仕草をしているのがわかった。
「あーあ、また母さんの説教が始まった」
「なんだい、トットだってそうは思わないかい?」
「兄貴の好きにさせてやればって思うけど。跡取りなら俺がいるしさ」
「まだ相手がいないじゃないか、まったく。うちの子達は甲斐性なしばっかりだ。ねえ、ローレンス?」
話を振られて、ローレンスは困ったように笑いながら返答した。
「師匠は大丈夫ですよ。いざとなったら僕が面倒を見ますから」
「おい」
「はははっ、そりゃ安心だ! 頼んだよローレンス」
「はい」
誇らしげな笑顔を浮かべているローレンスを前に、ジルは気が気ではなかった。話の流れでジルにプロポーズしたなどと言い始めてもおかしくない。彼の腕を掴んで引っ張った。
「そろそろ行くぞ、今日は結界の見回りをする予定だろう」
「逃げるんじゃないよ、まったく」
「逃げていない、仕事だ」
「では失礼します」
早足で牧場から逃げ出した。母は面倒見がいいがお節介なところが玉に瑕だと内心悪態をついていると、二人の姿が見えなくなったところでローレンスが背後から話しかけてくる。
「師匠……今でも母のことを愛していますか」
虚を突かれて足が止まる。所々雑草と小石が残っている小道の上で、寂しげに揺れる枯れ草に目をやった。
……今でも愛しているかと考えると、頭の中に霧がかかったかのように思考が鈍くなる。ただ愛していると一言で言えないほどに、苦い思いが胸に迫る。
後悔と絶望が純粋な思いをかき消してしまったようにも思える……いや、もちろん彼女を愛しているはずだ、だからこそローレンスを引き取って育ててきたのだから。
「……」
自分でも不明瞭な気持ちを言葉にはできず、無言で歩き出した。ローレンスを振り返ることなく村の周囲に設置した結界道具の元まで辿りつく。
(愛だのなんだと考えている暇があったら、仕事をしないと)
結界の目印として置いてある簡素な旗を一瞥し、コインを十枚ほど重ねたような円筒形の聖具を土から掘り起こす。
聖銀に錆が出ていないか、野生動物に荒らされた形跡はないか確認し、一つ一つ霊力を補充していく。黙々と作業をこなしていると、追求を諦めたのか無言でローレンスも手伝いをはじめた。
「私一人で手は足りている」
「二人でやった方が速いし確実ですよ、どうか僕のことを頼ってください」
「……」
慣れた手つきで聖具を掘り起こし霊力を注ぐローレンスの横顔を盗み見る。
ローレンスは黒髪に珍しい金の瞳、ターニャはどこにでもいるような茶髪に茶色の瞳と、色彩は違う。しかし顔立ちはよく似ていた。ほとんど瓜二つと言っていいくらいに。
毎日一緒に暮らすうちに、二人を重ねてターニャを悼むことが少なくなっていたなと気づく。幼少期は彼の寝顔をターニャに重ねて、密かに泣いたことすらあったのに。
最近はターニャではなく、ローレンスのことばかり考えている。ジルの課した課題である結界の構築や祝福の実践などが、霊牧師として独り立ちできる水準に達しているかハラハラしながら見守っていると、過去のことを思い出している余裕はなかった。
しかしそれももう、今日で終わった。これからはローレンスが独り立ちしていく時期だ。
(伝えられる技術は伝え終えたし、もう完全に私の手から離れて大人になったんだな……なぜかまだ隣にいるが)
呆れたように隣を見ると、ローレンスは真面目な表情で聖具についた土汚れを磨いていた。いつもはただ綺麗な顔だと思うだけなのに、今日は惹きつけられたように目が離せない。
感慨深い気分になっているせいだろうか。それとも今朝の告白が尾を引いているせいか……目があうと嬉しそうに微笑まれる。
「あ、今やっぱり頼りになるなって思いました?」
「馬鹿。喋ってないで手を動かせ」
どうにも調子が狂うと首を左右に振った。母にターニャの話を振られたせいだと決めつけ、無理矢理視線を聖銀に戻す。警笛も問題なく機能することを確かめて、異常はなさそうだとホッと一息ついた。
「聖都側の聖銀に穢れが多く憑いていますね」
「そうだな。何か災害か流行り病でもあって、霊が増えているのかもしれない……お前は聖都に近づくなよ」
「どこにも行きませんよ、貴方と一緒にいます」
「せっかく一人前と認めたんだから、旅にでも出て修行すればいいのに」
「行きません、貴方の側がいいんです」
こうなったら言うことを聞かないのはわかっている。頑なに意見を曲げない弟子を説得することは諦めて、順番に見回り作業を続けた。
「終わりました、後は墓場の見回りだけですね」
「……ああ」
墓場には人々の嘆きや悲しみ、恨みなどの負の感情が集まりやすい。負の感情が無害な霊にとり込まれると悪霊になってしまう。悪霊が産まれる前兆をいち早く察知することも、霊牧師の大事な仕事だ。
墓石が立ち並ぶ丘の上に立ち、神経を尖らせながら辺りに視線を巡らせた。異変がないか丁寧に見回っていく最中、ふと一つの墓の前で足を止める。
「師匠? 何かありましたか……ここは」
簡素な墓石には、ターニャとだけ彫られている。身寄りのない彼女のためにジルが用意した物だ。最近訪問していなかったなと気づいて、しゃがみこんで語りかけた。
「ターニャ、お前の息子は霊牧師になったぞ。生きていたら喜んでくれただろうか……」
同じチノン村で育った、三歳年上の凛とした女性。流行病で両親を亡くし自身も大変な身の上なのに、ジルが怒ったり拗ねたりしても優しく受け入れ諭してくれる彼女に、気がつけば恋をしていた。
幼い頃の三歳の年の差は大きく、彼女に追いつけないことが悔しかった。先にターニャが聖都の進学校に入ってしまって、純朴な彼女が変な男に引っかからないか、ずいぶん気を揉んだ覚えがある。
ずっと恋心を胸の中に秘めて伝えることがないまま、彼女は最期の時を迎えてしまった。
死ぬ間際に遺した、彼女の声が脳裏に蘇る。
『ジル、お願い。ローレンスを、よろしくね……私みたいに、一人に、しない、で……』
何度も思い返して、何度でも夢の中で聞いた言葉だ。ジルは目を閉じて過去の思い出に浸る。
(お前の願い通り、ローレンスはちゃんと手元で育てたぞ)
心の中で報告しながら、ジルは密かに息をつく。
ジルが神学校に通っている間に知らない相手と結ばれた上に、子どもまで密かに産んでいたと知った時は本当にショックだった。
彼女の霊は墓場の下で眠っているはずだ。死した後の霊魂は真に未練が無くなれば、天へと昇り神の身許に召されて永遠に眠るのだと神学校で習った。
霊牧師であっても悪霊や生き霊のような主張が強い霊以外は見えないから、どうか彼女の魂が安らかにあるようにと願うことしかできない。
「母さん……」
すぐ隣にローレンスがしゃがみ込む気配がする。ジルよりも一回り大きい手が肩に乗せられて思わず振り向いた。彼はいつもの貼り付けたような笑みを消して、真剣な表情で墓石に語りかけている。
「どうか悪霊として目覚めたりせずに、安らかに眠っていてください。貴女の息子はこうして立派に育ちましたから。これからは愛する人を生涯守って幸せに暮らしていきます」
「おい、なんてことを言うんだ」
本気でジルと生涯を共にする気なのかと、目眩がするような思いだった。動揺しながらも言葉を重ねる。
「私はお前に守ってもらうほどに弱々しい存在ではない」
突っぱねると、ローレンスは妙に生真面目な表情をして進言する。
「でも師匠、最近聖具の調整をした後は肩こりが酷いってぼやいてましたよね。これからどんどん体も動かなくなっていきますし、僕がいた方が安心ですよ」
「人を老人扱いするな、まだそんな歳ではない!」
歳の差は倍近くあるが、ジルがまだまだ現役であることには変わりはない。失礼な奴だと反論しながら立ち上がると、吹き出すように笑われた。
「ふはっ、もちろんわかっていますよ。師匠は頼りになる凄腕の霊牧師で、僕の憧れの可愛い人です」
「可愛いは余計だ」
「ああ、すみません。つい本心が漏れてしまいました」
「念入りに隠しておけ、そもそも可愛いと思うなよ」
こんな大の大人を、しかも怒りっぽくて愛想もないジルのことを可愛いと思うなんてどうかしている。呆れていると彼も立ち上がり、おもむろに手を握られる。獲物を捕らえる虎のように、金の瞳が輝いた。
「それは無茶ですよジル。貴方ほどに美しくて慈悲深くて、可愛らしい存在を僕は他に見たことがありません」
聴き心地のいい流れるような声を耳に流しこまれて、ジルの全身の毛が逆立った。快感とも危機感とも言い切れない感覚を逃したくて、手を振り払って体ごと目を背ける。