天国から見えるくらいに
ジルは居間に戻って毛布を被りながら暖炉の前に陣取って、霊牧師教本を読みはじめる。
気持ちを落ち着かせたくて本を読みはじめたのに、まったく頭に入ってこない。一節読み進める度に、霊牧師の心得を教えた時のローレンスの、真面目そうなキリッとした顔が思い浮かぶ。
初めて聖具の使い方を教えた日、除霊の呪文を唱えた日、祝福の方法を覚えた日の誇らしげな顔を懐かしく振り返りながら、パラパラとページをめくった。
「ジル、お待たせしました」
濡れた黒髪を布で拭いながら、ローレンスがジルの目の前までやってくる。記憶の中のあどけない少年は、誰もが見惚れるほどの立派な美青年となっていることを改めて目の当たりにし、ジルの肩は緊張とときめきで強張った。
ローレンスは自身の髪を拭くと、ジルの濡れたままの毛先を見つけて苦笑する。
「まだ濡れているじゃないですか」
優しい手つきで水分を拭き取られて、ジルの髪を梳く指先を目を閉じて堪能する。ローレンスは感嘆するように吐息を漏らした。
「美しい髪ですね、暖炉の光に透けて輝いている」
「お前は本当に私の髪が好きだな」
「ええ、大好きです。容姿も中身もね。ジルのすべてを愛していますから」
甘やかな声で鼓膜をくすぐられて、ぞわりと肌が粟立つ。ローレンスは後ろから覆い被さるようにしてジルを抱き締めた。
「ところでジル、僕は欲しいものがあるんです」
耳元で話さないでほしい、また感じてしまうと手で耳を押さえながら振り向くと、キスできそうなほど近くにローレンスの顔があり動揺した。
「な、なんだ?」
「僕からはたくさんジルに告白しましたけれど、ジルからはまだお言葉を頂いていないのですよね」
とてつもない難題をおねだりされてしまい、ジルは視線を泳がせた。言える物ならとっくに言っている、ジルだって伝えたくてたまらないのだから。
(好きだ、ローレンス、好き……)
言葉にしたくて何度も息を吐き出したけれど、どうしても羞恥心が邪魔をして言えない。頬を染めながら懇願するように泣き言を口にする。
「……言わなくても、伝わっているだろう?」
「でも、欲しいです。お願いです、ジル」
「……っ」
胸の鼓動がうるさくて、耳を押さえていても体の奥から響いてくる。何度も口を開け閉めしてから、ローレンスに対して抱いている想いを手当たり次第吐き出していった。
「お前は……腹黒で、見た目ばっかりよくて、意地も悪くて」
「酷い言われようですね」
「黙って聞け。要領がよくてなんでも卒なくこなすし、優秀で頼りになるし、かっこいいし、その……」
ローレンスが食い入るようにジルを見ているのがわかる。どんどん頬を赤く染めていきながら、ジルは懸命に言葉を紡いだ。
「側に、いてほしくて」
すぐ隣から息を飲む気配がする。大きく息を吸い込んで、手を握り震わせながらジルはついに気持ちを吐露した。
「…………すき、だ」
やっと言えたと大きく深呼吸をすると、ローレンスも感嘆のため息を吐き出した。頭を撫でられる。キラキラと金の瞳を輝かせた愛しい人は、砂糖菓子のような声音で告げた。
「よく言えました」
「こら、頭を撫でるな」
子どものように扱われて抗議すると、抱擁する腕が力を強める。
「だったらジルが撫でてください。僕は本当に長い長い時間、貴方の恋人になることを待ち望んでいたんですから。待てができたことを褒めてほしいです」
情緒がぐちゃぐちゃになりそうな恋心を長年抱えて、更にそれをジルに対して悟らせなかったなんて驚嘆に値する。ジルは言われるがままにローレンスの頭へと腕を伸ばした。
「……よく頑張ったな」
「はい。これからはジルを幸せにすることに全力を注ぎます。差し当たって、今夜は全力で頑張らせていただきますね」
「ん?」
「初めてなので」
何が、と一瞬頭の中で問いかけたが、体勢を変えられて膝頭の下に手を差し込まれて抱き抱えられてしまい、慌ててローレンスの首に腕を回す。
「急に何をするんだ」
「もう待ちきれません。寝室へ行きましょう」
ローレンスはなんなくジルを抱えると、早足で自室へと移動する。ベッドの上に降ろされて心臓が跳ねた。
「う、待て、待ってくれ」
「なんですか?」
「お前さっき、初めてだと言ったな」
「はい」
月明かりが差し込む部屋の中でローレンスは自身の靴を脱ぎ、ジルの靴も脱がせて覆い被さってくる。
古いベッドが軋む音を聞いて、これから情事に及ぶことを自覚させられ固まりそうになるが、気力を絞り出し肩を押した。
「だったら無理して、今日する必要はないのではないか」
「あります、僕はもう待てません」
「怪我するかもしれないだろう」
「させません。大切に大切に抱きますから、どうか僕に任せてくれませんか」
真摯でありながらどこか切羽詰まった声音を聞いて、彼の情熱の深さを思い知る。触れ合う体は熱いくらいに興奮で昂っていた。
「予習は聖都の酒場で聞き込みをして済ませてありますから。ジルは僕に身を委ねていてください」
彼なりに情報収集はしてあるらしい。真面目な顔で酔っ払いの話に耳を傾けるローレンスの顔が頭に過ぎって、こんな時なのに笑いそうになってしまった。
咳払いをして笑いの衝動を誤魔化す。そこまで言うならと、ジルは体の力を抜いてローレンスに身を任せた。
**11**
風にはためくシーツを見上げながら、ジルは腰に手を当てた。姿勢を変えた拍子に体の奥のあらぬ場所が僅かに痛み、赤面する。
「ジル、教会の清掃は終わりましたよ……どうしました? 顔を赤くして」
「なんでもない、私もちょうど干し終えたところだ」
家の裏まで迎えにきたローレンスと連れ立って、昨日は途中で終わっていた見回りの続きをするため、墓地に向かって歩きだす。
身体を庇いながら足を動かすジルの歩調に合わせて、隣に並んだローレンスがにっこりと笑いながら手を差し出した。
「手助けしてもいいですか?」
「人を老人扱いするな」
「老人扱いなんてしていませんよ、恋人として労りたいんです。昨夜は貴方の体力の限界以上に張り切ってしまったことですし」
「うるさい、黙れ」
口ではそう言いながらも八つ当たりするような強さで手を握る。ローレンスはクスクスと笑いながら、握った手にキスをした。
「素直じゃないですね」
これでもジルとしては十分素直にふるまっている。外に出ている村人がいれば、手を繋ぐことすら却下していただろう。
ローレンスは飽きずに何度もジルの手の甲から指先にかけて、骨の形に沿って口づけを施す。
(いくら恋人同士になって浮かれていると言っても、態度に出過ぎだろう)
今にも鼻歌を歌い出しそうなローレンスの様子を目の当たりにして、ジルも口元を緩めた。
「なんだ? そんなに指が好きか」
「ジルのすべてが好きですが、そうですね。貴方の指は細長くて綺麗ですし、触られると天にも昇る心地がするんです。子どもの頃の私が貴方の指をよくしゃぶっていたと聞いて、妙に納得しました」
「またしゃぶる気か」
「いいですね、ぜひ今晩ベッドの中で」
「馬鹿、今日は無理だ。歳の差を考えてくれ」
「年寄りじゃないなら大丈夫じゃないですか?」
じゃれあいのように言い返しているうちに墓地に辿りついた。朝の光が差し込む丘は平和そのものの風景で、一通り見回ったジルはターニャの墓の前で膝をついた。
「ターニャ、久しぶりだな。しばらく村を留守にしていたが、変わりないか」
冷たい墓石に触れて語りかける。とても声には出せなくて、心の中で続きを話した。
(お前の息子を聖都に送り出したんだが、やはり村にいたいと帰ってきてしまった。正確に言えば、私の側にいたいと……)
まだ墓石の下で眠っているかもしれない霊魂に語りかけていると、気恥ずかしくなってきて頬が僅かに朱に染まる。
心の中ですら報告するのをためらっていると、隣にしゃがみ込んだローレンスが口を開いた。
「母さん、聞いてください。僕は今、愛する人と結ばれてとても幸せです」
「!」
さりげなく肩を抱かれて、反射的に腕で小突きそうになったがなんとか堪えた。真っ赤な顔のまま、精一杯の勇気を振り絞って彼の背中に手を回す。
「! ジル」
「……」
顔が見られないように思いきり伏せながら二人で寄り添っていると、不意に墓の下からふわっと白い光が立ち昇った。警戒し立ち上がると、澄んだ気配が目の前でさざめく。
ほとんど目に見えない霊の気配は、ジルとローレンスを祝福するように周囲を一回りした後、空の彼方へと昇っていった。
「今のは……ターニャ?」
「きっと母が私達を祝福してくれたんですね」
死した後の霊魂は真に未練が無くなれば、天へと昇り神の身許に召されて永遠に眠る……神学校で習ったことは本当だったのかもしれない。
目に見えなくともターニャはここにいると信じて語りかけてきたが、実際にいただなんて。呆然と立ち尽くしていると、ローレンスと目があった。彼ははにかむように、幸福そうにフッと笑みをこぼす。
「帰りましょうか。春になったら結婚式をしましょうね。天国にいる母に見えるように、盛大に祝いましょう」
「気が早いな……だが、そうだな」
普段であれば、そんな恥ずかしいことできるかと一蹴していたかもしれない。けれど、本当に天国から見えたらいいなと願ってしまった。
彼の手をとって、ローレンスに釣られるようにして微笑む。
「行こうか」
「……っ、はい!」
どこまでも晴れ渡った冬空の下、かつての弟子と手を繋いで歩いていく。
明日も明後日も、十年後もその先も同じように歩んでいければいいと、ジルは愛する人の手を固く握り直した。
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