私だけのローレンス
ローレンスは頬を紅潮させながらジルの膝に頭を乗せる。
「祝福をしてやろう」
手触りのいい黒髪を撫でながら、祝福の呪文を唱える。淡く光を帯びたローレンスの顔は見惚れるほどに綺麗で、ジルは彼の涼しげな目元がとろりと気持ちよさで緩むのを、恍惚とした瞳で見つめた。
(ローレンス……私だけのローレンスだ)
どうして手放せるなどと思ったのだろう。離れてみて初めて、誰よりも大切で大きな存在となっていることに気がついた。
今後はローレンスの顔を見てターニャを思い出し、恋しく思うことはないだろう。
だってジルの好きな人は、目の前にいて触れられるのだから。一層優しい手つきで髪を梳いた。
「ローレンス……」
思いの外優しげな声が出た。愛情がたっぷりと詰まった声音に、ローレンスは夢見心地で返事をする。
「なんですか、ジル」
「私のパンツはちゃんと捨てておけよ?」
「え……持っていては駄目ですか」
心細げにお願いをされてジルは一瞬心がぐらついたが、ローレンス以外誰も見ないとはいえ飾られていると思うと居心地が悪い。心をしっかり持って否定した。
「駄目だ。別にいいだろう、パンツがなくたって私本人が側にいるのだから」
「ううん、それとこれとは別なのですが」
軽く睨むと、ローレンスは仕方がなさそうに苦笑した。
「わかりましたよ。その代わり、もっと師匠に触れさせてください」
ローレンスの手が伸びてきて、ジルの一つに結んだ髪の束に触れる。銀の髪を撫で下ろし、そのまま背中から腰にかけて手を這わされた。どこか性的な色を帯びた触れ合いに、ぎくりと肩を竦めた。
(やめてくれ、こんなところで)
ここは居間だし、まだ朝と言ってもいいような時間帯だ。行為に耽るような時間ではないだろう。それにジルはちゃんと気持ちを伝えてからローレンスと触れ合いたいと思っている。
艶やかな黒髪を撫で下ろしてから、そっと悪戯な手を止めた。祝福が終わったと察したローレンスが視線で問いかけてくる。
「これで終わりですか?」
「もっと触れあいたいのか? 続きは夜にな」
「くぅ……! わかりました、夜まで待ちましょう。記念すべき初夜ですからね」
ローレンスは悔しそうに渋々ジルの上から身を起こした。
(それにしても、初夜だなんて)
言葉の選び方が間違っている。なんて恥ずかしいことを言うのだと抗議した。
「初夜とか言うな、新婚でもないのに」
「照れる師匠はかわいいです、眼福です。ありがとうございます」
「どこに礼を言う要素があったんだ」
呆れながらもこそばゆくて、まともに顔が見れない。にこにこと笑うローレンスを残して、部屋に旅の荷物を降ろしにいった。
旅装を解いて旅の荷物を片付けた後、ボロいパンツを捨てた。最後までローレンスは惜しそうにしていたが、頑なに彼の方を見ずに実行した。
教会内の様子を確認して掃除をし、村人達に帰還を知らせにいく。ついでに土産物を渡すと、皆喜んでくれた。特に村の乙女達はローレンスの帰還を大いに喜んでいる。
「ローレンス様! お戻りを待ち侘びていましたわ!」
「戻ってきてくださり嬉しいです」
熱い視線を向けられ腕を掴まれている様子を、相変わらずだなと一歩引いたところで様子を見ていたジルだったが、早めに話を切り上げたローレンスに腕を組まれた。
「さあ、ジル。そろそろ行きましょうか」
「え、あ、お前、腕っ!」
まさかローレンスが往来でこのような真似をするなんて予想外だ。焦ってまともに言葉が紡げないでいると、ローレンスはジルに甘く微笑みかけてくる。その表情を見て乙女達がキャーキャー騒いでいた。
「早く貴方と二人きりになりたい」
「ま、待てったら!」
ローレンスの歩調につられてジルも歩きだす。背後からは狂乱の声が響いてきた。
「ええっ、ローレンス様ってジル様とそういう関係だったの!?」
「ショックなんだけど! やだ、待ってローレンス様!」
「そんなあ、ジル様が……」
「きゃーっ、お二人が仲良くされている光景はなんて麗しいんでしょう!」
騒がしい声は次第に遠ざかっていく。広場から出て畑に来たところで、ジルはローレンスに抗議した。
「おいローレンス、突然どうしたんだ? 村の女の子達がびっくりしていたぞ」
ローレンスはジルを横目で見下ろして、何かを焦っている様子だ。振り向いてジルの両肩をがっちり掴んだ。
「ジル、僕には貴方だけです。貴方だけを愛しています」
「それは……わ、わかってる」
私もお前を愛していると伝えようとしたが、のぼせたみたいに頭が沸騰して上手く言葉が出てこない。ぱくぱくと魚のように口を開け閉めしていると、ローレンスは勢いよくジルを抱き締めた。
「もう誤解してほしくないんです。僕は誰に好かれようと、例え告白をされようと、別の人に目を向けたりしません。ジルだけがほしいんですから」
「っ!」
ひょっとしてミリシアとのやりとりの後、彼女を選ばなくてよかったのかと尋ねたことを気にしているのだろうか。
もう二度とそんなことを言うつもりはない。彼を誰かにとられるかもしれないと考えるだけで、心臓が引きつれるように痛むのだから。
ジルは胸の底からこんこんと湧き出る想いを伝えたくて、彼の背をぎゅっと抱き締めた。
(好きだ、ローレンス。私だってお前がほしい)
心の中で叫んだ想いを声に乗せようとして、やはり言葉に詰まった。なんだか胸がいっぱいになってしまって上手く言えない。
前にもこんなことがあった気がすると考えて、そういえばターニャにも結局告白できなかったことを思い出した。
(ああ、どうしてだろう。こんなにも好きだと思うのに、言葉が出てこない)
それはかつて、振られるとわかっていたから何度も言葉を飲み込んだせいなのかもしれない。好きだと気持ちを伝えたくなると、いっぱいいっぱいになって上手く言えなくなるようだった。
(どうすればいいんだ、ちゃんと伝えたいのに)
焦るばかりで声が出なくて、気持ちよ伝われとばかりにローレンスの背中を強く抱き締めた。彼は笑って抱き返してくれる。
めえーと呑気な羊の鳴き声が耳に届き、外でいちゃついてしまったと気づいたジルは、ローレンスから素早く離れた。
「おや、羊もおかえりと言ってくれているのでしょうか」
母一家が飼っている羊達が近づいてきて、美味しい草をよこせとばかりに柵に顔を突っ込んでいる。ローレンスは道端の枯れ草を引っこ抜いて羊達に分けてやるようだ。離れていく背を眺めて、後悔で胸が疼いた。
(気持ちを伝える機会を逃してしまった)
今からでも好きだと言いたいのに、気恥ずかしくて口が動かない。夜にはローレンスと触れ合いたいから、それまでに絶対に好きだと言おうと固く決意した。
柵を辿って実家に辿りついたので、母にも挨拶をしておこうと姿を探す。彼女はちょうど家に戻ってきたところのようで、玄関前でばったり鉢合わせをした。
「おや、おかえりジル。それにローレンスも戻ってきたんだね」
「ああ」
「ただいま戻りました」
家に寄っていくように促され、椅子に腰掛ける。フランは温かいお茶を淹れてくれて、礼を言いながら受け取った。
「ジル、トットからお土産を受け取ったよ、ありがとうね」
早速首元に新しいストールを巻いているのを見て、気に入ってくれたようだなと淡く微笑みを返した。
「それでローレンス、聖都はどうだった?」
「様々な人がいました。霊牧師の先輩方から学べることも多かったですし、都会では物々交換を基本的に行わず、すべてを金銭で取引するなどの違いを経験できてよかったです」
「そうかい。血の繋がった家族が見つかったって聞いたけど、やっぱり村に戻ってきたんだね」
「はい」
やっぱりとはなんだ、なぜ母はローレンスが村に戻ってくるだろうと予想していたのだろうか。少しの間考えて、理由に思い至った途端にむせた。
「う、っぐふ」
「大丈夫ですか?」
隣にいたローレンスが背中をさすってくれるがそれどころではない。だってフランはローレンスがいない間、彼の部屋を掃除していたのだ。
ジルとの思い出の品ばかり飾られた飾り棚を見て、母はローレンスの気持ちを察したに違いない。下着まで大事大事に収集されていたから、疑いようもなくバレバレだ。
一緒に住んでた弟子の気持ちに気づかないなんて馬鹿だねえと思いながら、部屋を掃除してみろなんてお節介を焼いたのだろう。
あまりに恥ずかしくて、俯いたまま顔をあげられない。むせが止まっても顔を上げずに、テーブルの上に置いた腕に頭をつけて机に突っ伏したジルを見て、フランが笑ったような気配がする。
「耳まで真っ赤になっちゃってまあ、相変わらず照れ屋だねえ。ローレンス、ジルを頼んだよ」
ローレンスは驚いたように息を吸ってから、背筋を伸ばし真剣な声で返事をした。
「はい」
「うちの子が何か困ったことをやらかしたら言うんだよ。私が説教してやるから」
「やめてくれ……」
「それと、式は挙げる予定なのかい? 教会はアンタ達しか人員がいないから、いざって時は私が手伝ってあげるよ」
「いつかは挙げたいと思っていますが、ジル次第ですね」
すでにローレンスとジルがつきあっていると確信したフランは、次々にお節介を焼いてくる。
「ジル、アンタは若い伴侶をもらうんだから、上から目線で物を言わずにちゃんと話を聞いてあげるんだよ? 今までみたいに弟子だからってコキ使っていたら、愛想をつかされるからね」
「ふふ、そんなことにはなりませんよ」
和やかに会話を進める彼らの話が早く終わるようにと祈りながら、ジルはひたすら机に顔を伏せていた。二人の話は盛り上がり、時間はあっという間に過ぎていく。
トットも合流し昼食までいただいてしまったので、羊舎の掃除を手伝った。お裾分けでもらった羊肉を持ち帰る頃には、すでに夕方が過ぎていた。
「今日は羊肉で夕飯を作りましょう」
ローレンスが台所に立ち、手慣れた様子で調理をはじめる。ジルは椅子に座って、彼の背中を頬杖をつきながら見つめた。
やっといつもの光景が戻ってきたと、ジルは感慨深く彼の背中を見つめ続ける。していることは旅立つ前と同じだが、抱く印象はまったく違った。
ただ背が高くて綺麗なヤツだと思っていただけの姿形が、まるで輝きを放っているかの様に見えて目が離せない。艶やかな黒髪に触れたい、しっかりと育った肩に手をかけて振り向かせ、頬にキスを送りたいなんて願ってしまう。
(好きだ、ローレンス)
今度こそ気持ちを言葉で伝えようと思って、立ち上がり彼の背に近づく。ジルが移動する気配を察したのか、ローレンスが振り向いた。立ち止まると、優しげな微笑が降ってくる。
「どうしました? ジル。お腹が空いて待ちきれませんでしたか?」
「そうではない。ただ、お前に……」
「はい?」
「だから、お前が……」
好きだというたったそれだけの言葉が、喉に張りついたように出てこない。
(なぜだ、たった一言告げるだけなのに)
普段から虚勢を張って自分を強く見せようとしたり、意地を張っていた弊害だろうか。ローレンスが息をするように簡単に告げる愛の言葉を口にするのは、ジルにとっては難しすぎた。
頬を赤く染めながら口を開け閉めするジルに、ローレンスは何を思ったのかジルの額にキスを贈る。
「なっ!?」
「すぐできますので、休みながら待っていてください……夜は満足に寝かせてあげられるか、わかりませんので」
ローレンスは瞳を細めて色っぽく笑った。今までと同じようでいて、ローレンスの態度もジルの気持ちも、明確に違うんだと思い知る。
ジルはいよいよ何も言えなくなって、真っ赤になりながら椅子に腰掛けた。
オニオンスープとバゲット、そして少量のラム肉のステーキ。素朴ながら満ち足りた食事をいただく。スープを一口含むと、コク深い味わいが口の中いっぱいに広がっていった。
「はあ……好きだ」
「え?」
無意識に転がり出た言葉を耳で捉えて、ジルは慌てて手を振った。
「あ、いや。スープが美味しくてだな」
「ふふ、師匠はオニオンスープが大好物ですからね。作った甲斐がありました」
にこりと自然な笑顔を見せた後、ローレンスもスープを飲みはじめた。ああしまったと、ジルは眉間に指先を当てて嘆く。
(好きなのはお前のことだと付け足せばよかった、せっかく言えたのに……)
スープに対しての好きだと思われてしまった。いや、もちろんスープも好きではあるのだが、それよりももっと伝えたい気持ちがある。
しかし一度逃したタイミングは再びやってこず、食事を終えて各自就寝の準備をすることになった。浴室で一人になり沸かしたお湯を被りながら、さてどうするべきかとジルは腕を組む。
ジルは今まで男性に興味がなかったから、男同士がどのように愛を交わしあうのか知らない。だが繋がるためにはどちらかが女役をやる必要があるだろう。
そしてローレンスを抱ける気がこれっぽっちもしないため、ジルが女役をやることになるはずだ。ここまではいい、多少の羞恥心はあるもののローレンスを受け入れることに異論はない。
(問題はどのように準備をすればいいのか、まるでわからないことだ……まあきっと、なるようになるだろう。無理に体を重ねる必要もない)
念入りに全身を磨いて風呂から上がった。




