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地位でも名誉でもなく

 聞きたくないとジルは顔を背けた。ローレンスが自分を好きなことは百も承知しているが、同じ年頃の美少女に迫られて、万が一ときめいてしまったらと気が気ではない。


 ミリシアは広場の端で人目を慮りながら、ささやくように告白した。


「あのね。私、ローレンスが好き」


 ああ、やっぱりかとジルは銀髪に指を突っ込む。ローレンスがどんな反応をするのか恐ろしくて、顔を上げることができなかった。レンガが敷かれた石畳を睨みつける。


「聖都に残るのが嫌ならそれでもいいわ、私の領地に来てちょうだい。貴方を婿養子として男爵家に迎えたいの」


 ジルの肩がピクリと跳ねる。ミリシアがそこまで本気で考えているとは思ってもみなかった。しかし考えてみれば、ローレンスは田舎の村に留めておくのが惜しいほどの逸材であることは間違いない。


 カペロだって彼のことを高く買っていたし、ミリシアも同じようにローレンスの優秀さに気づいていたのだろう。


 霊牧師としての能力が高く、剣も扱えて人当たりもいい。おまけに料理もうまくて、仕事に対しての姿勢は真面目できっちりと成果も出す。


 見目もよく目端もきくため、貴族として婿養子に入ったとしても十分やっていけそうだ。


 ジルの胸に一抹の不安が過ぎる。どう考えても無駄に歳を食った自分より、貴族令嬢であるミリシアの方がお似合いではないだろうか。


 固唾を飲んでローレンスの気配をうかがっていると、彼はジルの肩を抱いて胸の中へと引き寄せた。


「すみません。僕の心はもうずっと前から、ただ一人を欲して恋焦がれているんです。この人以外、眼中に入りません」

「な……っ!」


 まさかこのタイミングでジルへの気持ちを暴露するとは思ってもみなかった。呆気に取られてされるがまま胸の中に収まったジルは、慌てて彼の胸を押して離れる。


「まあ……そうでしたの」


 呆然とした様子のミリシアは、そう言ったきり動きを止めてしまった。予想外の答えだったのだろう、二の句が告げないでいる。


 その隙にローレンスはジルの腕を取って踵を返した。


「では、そういうことですので。今までありがとうございました、また会える日を楽しみにしていますね」

「……ええ、ローレンス様。さよなら……っ」


 泣きそうな声音が背後から響くけれど、ローレンスは振り返ることなく正門を出た。ジルは手を引かれるままに、ローレンスについていく。


 山道に差し掛かる頃になって、ジルはようやく口を開いた。


「……よかったのか? 彼女を娶ればお前は貴族になれるんだぞ? 大出世じゃないか」


 気後れから気弱な問いを口にしてしまった。ローレンスはようやく手をほどいて、ジルを振り返り苦笑する。


「先程も言った通り、僕は地位や名誉よりも大切な人との時間を優先したいんです」

「本当に私でいいのか? お前はもっと輝かしい道を歩める能力があるのに、本気で私と共にチノン村で骨を埋めるつもりなのか」


 ローレンスは一片の曇りもない、光り輝く笑顔を見せた。


「そうできたら何よりも嬉しいです。僕をずっと貴方のお側に置いてください」

「……」


 後ろめたい思いと弾むような気持ちが同時に湧いてでてきて、そわそわと落ち着かない。なんと返事を返していいものかわからなかったが、ローレンスの気持ちに応えたくて、ジルは彼の手を自分から握った。


「! ジル……」

「早く村に帰るぞ」


 木枯らしが吹く寒い日だというのに、繋いだ手が熱くてしょうがない。手汗をかいてしっとりとした手の感触が気になってしょうがないのに、決して手放す気にはなれなくて。ジルはローレンスより短い足を精一杯速く動かして、家路を急いだ。


 あっという間に日が傾いて、山の中腹に差し掛かる頃には夕日が木々の枝を照らしはじめる。今日はこの辺りで野宿だなと、適当な空き地を探して火を起こすことにした。


 枝を集め葉に火を灯し、炎を大きく育てているうちに辺りはとっぷりと暗くなる。月のない夜だったが火の光は明るく、温かい飲み物を飲むローレンスの横顔を美しく照らした。


 穏やかな光を放つ金の瞳を見つめていると、彼もジルと視線を合わせてうっとりとため息をつく。身じろぎながら問いかけた。


「なんだ?」

「いえ、いつ見てもお綺麗だと思って」

「馬鹿を言うな」

「戯言ではありませんよ。絹糸のような銀の髪が炎の色に染まる様は黄昏の空よりなお麗しく、温かく色を変えた薄灰色の瞳は僕の心を捉えて離さない。まるで貴方自身が神であるかのように、神々しい光に照らされている」


 舌を噛みそうな美辞麗句を滔々と語るローレンスに眉をひそめた。ジルは彼から顔を背けて、聞こえないほど小さな声でぼそりと呟く。


「お前の方がよほど綺麗だ」

「……ジル? 今なんとおっしゃいましたか?」

「別に。なあ、ちょっと膝を貸せ」

「え?」


 戸惑うローレンスに構うことなく、彼の膝の上に頭を降ろした。ぽかんと口を開けた間抜け面が眼前に飛び込んできて、ジルは思わず吹き出す。


「ふっ、なんて顔をしてるんだ」

「……もしかして、甘えてくれているのでしょうか」

「いや、確かめている」

「何を?」


 ローレンスの膝の感触をなぞってみて、自分より大きく育ったことを改めて実感した。ちょうど収まりのいい場所を探して腹側に擦り寄ると、焦ったような声が降ってくる。


「ジル、あまり刺激しないでくれませんか」

「ああ、悪い」


 こんなところで盛るつもりはないので、大人しく頭を落ち着けた。そわそわしながらジルを見つめるローレンスを見上げて、やはり好きだなあと思う。


(村に戻ったら、改めて私の気持ちを伝えよう)


 愛しさを込めてローレンスを見上げると、彼の方もジルに視線を定めた。見つめあっているうちに、ポロリと弱音が口から溢れ出てしまう。


「私が新しい恋をしても、許してくれるだろうか」


 救えなかったターニャの死に顔が脳裏に未だこびりついている。今とちょうど逆の体勢で、彼女の上半身を持ち上げた時に予想したよりも軽いことに、衝撃を受けた覚えがある。


 ローレンスは何度か瞬きした後、しょうがない人だとでも言いたげに笑った。自然で魅力的で、いつまでも眺めていたくなる笑顔だった。


「ええ、許します。溺れるほどの愛を貴方に捧げたい」

「溺れてしまったら困るな、そしたらお前のことを可愛がれないじゃないか」

「ジ、ジル……!」


 感極まって口元を覆うローレンスに笑いかけながら、祝福をねだった。彼は桃色に染まった頬で恨みがましくジルを睨むが、ちっとも怖くない。


「もう、後で覚えていてくださいよ」

「はは、怖い怖い」

「笑い事じゃないです、十代の性欲を舐めないでください」


 これ以上彼をからかったら後で身がもたない気がする。ジルは大人しくローレンスの祝福を受けた。手のひらから降り注ぐ柔らかな熱と豊潤な光に、感じ入って溜息を漏らす。


 パチパチと燃え盛る火の音とローレンスの存在を感じながら、ジルはいつの間にか寝入ってしまっていた。


**10**


 翌朝、日が昇ると同時に山を降りた。村に変わりはなかったようで、長閑な風景が眼前に広がっている。

 すでに働きはじめているトットが、ジルとローレンスの姿を見つけて手を振った。


「おー二人とも! おかえりー」

「ああ、今帰った!」


 近づいてきたトットに、土産として買っておいた鍋敷きを渡す。村ではお目にかかれない精巧な柄の陶器を見て、弟は目を輝かせた。


「兄貴、いいセンスしてるじゃん」

「まあな。変わりはなかったか」

「俺は特にないんだけど、チェスター様が面白いことになっているというか」

「チェスターがどうかしたのか」


 投げ出すようにして置いてきてしまったので、悪いことをしたと今更ながらに気になってきた。


「んー、俺の口からはちょっと。行けばわかるよ、うん」


 歯切れの悪いトットの言葉に首を傾げながらも、母用に買ったストールを託して家路についた。


 道中、ローレンスが問いかけてくる。


「チェスター様になにがあったんでしょうね?」

「さあな、行けばわかるだろう」


 今のやりとりに何か引っかかるような気がしたが、今はチェスターの方が気になる。ジルがいない数日の間に何があったのだろうか。

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