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後片付け

 含み笑いをしながら想い人に熱い視線を送るジルの反応から、ローレンスは言葉に込めた裏の意味を読み取ったらしい。秀麗な流線を描く頬が紅潮する。


「え、それって……」


 ローレンスがジルを追及する前にカペロは立ち上がり、決意を込めた瞳で窓際に立つ。中庭から見える信者の参拝列に視線を向けながら、彼は厳かに宣言した。


「先のことか……それなら私は、筆頭霊牧師の座を正式に辞することとしよう」

「……よいのですか?」


 弟子は師匠と父を見比べて口をぱくぱくさせているので、代わりにジルがカペロの言葉に返答した。カペロは吹っ切れたように淡く笑みを浮かべる。


「元々、私には荷が重すぎると感じていた。支えてくれていたザカリも既にいない。本来は毒タバコに侵された時点で、潔く職を辞しておくべきだった」


 ローレンスは未練がましい視線をジルに送った後、渋々といった様子でカペロに尋ねる。


「後任は誰になさるおつもりで? 何度もお伝えしたと思いますが、僕はやりませんよ」


 カペロは苦笑し、微かに首を傾げる。その様子がどことなく弱った演技をするローレンスと似ていて、やはり親子だなと感じた。


「駄目だろうか、お前が適任だと思うのだが」

「僕は貴方のように、地位にしがみついて大切なものを見失う生き方をしたくないのです。元々目的を果たしたら村に帰ると伝えていましたよね」


 筆頭霊牧師は諦めきれないのか、今度はジルに懇願するような視線を寄越した。


「ジル殿はどう思われる? 彼は田舎の村に留めるには惜しい逸材だ。聖都で活躍できる場を設け、ゆくゆくは筆頭霊牧師となる道を用意してあげたいと、親としては思うのだが」


 カペロの主張が気に触り、ジルは眉をひくつかせる。確かに以前のジルも同じようにローレンスに聖都に留まることを勧めた。一度は村から出て広い世界を見た方がいいと判断したからだ。


 だが彼は実際に聖都教会で霊牧師として過ごした上で、チノン村に帰りたいと言っている。すでにローレンスは物事を判断できる大人だ、そうなるようにジルが育てた。その彼の決断を尊重しないで無理矢理聖都に留めようとするのは、親としてどうなのか。


「筆頭霊牧師になど、望んでもなれない者がほとんどだ。しかし息子には才能がある、私にはわかる。その才能を埋もれさせていいのか? そんなことになれば霊牧師全体にとって大きな損失だ。ローレンスは筆頭霊牧師を目指すべきだと、強く勧める」


 カペロは自分が筆頭霊牧師になる過程で失ったものの大きさを、真の意味では理解していないようだ。凝り固まった思想は大事な人を亡くした後でも、変わることはないらしい。


 ジルは努めて笑顔でいることを心がけながらも、口調は強めになってしまった。


「恐れながら、貴方の願望をローレンスに押しつけているように聞こえます。彼のことを心から想っているのであれば、意見を受け入れる耳を持つことも必要だと私は考えます」

「師匠……」


(安心しろローレンス、私はいつだってお前の味方だ)


 励ますような目線で合図を送る。


「なあローレンス、お前は聖都で得られる恩恵と、失う物を理解した上で判断したのだろう?」

「もちろんです。私は地位や名誉のためではなく、私にとって大切な人と共に人生の時間を過ごしたいのです」


 自然な微笑が返される。暗に自分のことを指摘されて、ジルはこほんと咳払いをした。ローレンスにはジルが照れたことがわかったのだろう、頬を嬉しそうに緩ませた。カペロはローレンスの自然な笑みに目を見張り、がっくりと肩を落とす。


「そうか、私はまた間違えるところだったのだな。ジル殿、止めてくれてありがとう。筆頭霊牧師の後任は、聖都教会に属する霊牧師から適正のある者を推薦することにする」

「ええ、そうしてください」


 ローレンスは話は済んだと立ち上がった。ジルも彼に倣う。退室する際、カペロは息子を呼び止めた。


「待ちなさい、ローレンス。最後に一つだけ聞いてくれないか」

「なんですか」


 風のない水面のように凪いだ、なんの感慨もこもっていない瞳を見て、カペロはたじろいだ。けれど彼は勇気を持って息子に一歩近づく。


「私は親として、お前に何もしてやれなかった。不甲斐なく、迷惑をかけてばかりで本当に申し訳ないと思っている。だが」


 金の瞳がじわりと水の膜を張り、彼の内心を映し出す。


「お前に何かしてやりたいと心から思っている」


 目を見張ったローレンスの背を、カペロは遠慮がちに包み込んだ。


「私の助けが必要だと感じた時は、遠慮なく尋ねてきなさい」


 ローレンスは戸惑いながらも、カペロの背を抱き返す。


「……はい、わかりました」

「では、またな」


 カペロと別れて執務室から出た。ローレンスはしばらくの間扉の前で立ち止まっていたが、ジルの視線を感じると苦笑をする。


「行きましょうか」

「本当にいいんだな? 今ならまだ引き返せるが」

「ええ。もう決めたんです」


 吹っ切れたような顔を目にして、ジルの表情も明るくなる。ローレンスと共に、彼が間借りしていた部屋から荷物を回収して教会を後にした。


 聖都に来た時とさほど変わらない荷物の量を見て、本気で長居する気はなかったのだなと悟る。離れていても忘れられていなかったのだと実感して、知らずうちに頬を緩めた。


 太陽の位置を確認すると、時刻はすでに昼を大幅に過ぎているとわかる。


「今から聖都を出ると、山で野宿をすることになりますね。一晩聖都で過ごしてから出発しましょうか?」

「そうするか、いや……」


 いつものジルならそうしただろうが、今は早く帰りたくて仕方がなかった。聖都では落ち着いて彼の気持ちを受け入れることができそうになかったからだ。


「お前さえよければ、今から山越えをしないか」

「何か急ぐ用事でもおありで?」

「そうだな、あると言えばある」


 チェスターを村に待たせたままだ。彼の休暇がいつまでか詳しく聞いていないが、早いところ帰ってやった方が彼にとってはありがたいだろう。


「わかりました、いいですよ。宿に貴方の荷物を取りにいって、すぐ村に帰りましょうか」

「悪いな」

「いえ。実を言うと、僕も早く帰って師匠と二人きりになりたかったですから」

「お、お前……」

「あ、今ドキッとしました?」

「からかうんじゃない。ほら、ふざけていないで早く行くぞ」


 臆面もなく言われた言葉に、ジルの頬に熱が昇る。


「あ、でも今は邪魔者がいるんでしたっけ」

「なにか言ったか?」

「いえ、なんでも」


 照れたことを誤魔化したくて咳払いをしていたから、ローレンスの声が聞き取れなかった。


 尋ねても答えてくれないので、たいした話ではないのだろうと察して宿へと足を早めた。


 宿でジルの荷物を持ち出した後、広場へと歩きだす。野宿をすることになるため、防寒の為に新しい毛布を市場で買っておきたい。


(今後二人で同じベッドを使うこともあるかもしれないし、大きめの毛布を買っておくか)


 一緒に寝るのもいいし、時々夜這いされるのもいいかもしれない……すでにローレンスを受け入れるつもりになっている自分自身に戸惑ったジルだったが、これからの生活を想像するだけで心が弾んだ。


 あまり浮かれすぎても恥ずかしいと、思考を切り替えて気になっていることを聞いてみる。


「なあ、従姉妹に挨拶をしなくていいのか」

「ミリシアのことですか? 構いませんよ、必要があれば手紙を書きますから」

「そうじゃなくてだな……返事をしなきゃいけないことは特にないのか」


 彼女はローレンスに対して並々ならぬ想いを抱いているようだった。あの調子なら告白を受けていてもおかしくないと思ったのだが、何も言われていないのだろうか。


 土産物を手に取ったローレンスは、首を捻って不可解そうな声を出す。


「彼女にですか? 特に話すことはありませんね。あるとすれば、貴方との結婚式に出席するか尋ねる程度でしょうか」

「待て、それは気が早すぎるだろう!」


 思わず叫んだジルを、ローレンスは目をかっぴらいて凝視した。


「えっ、気が早いってことは、いつかは結婚してくれる気があるのですね?」


 しまったと顔を背けたが、すでに口に出してしまった後だ。せめて表情を見られないために、ジルはさっさと会計を済ませて土産物屋から退散した。


 ローレンスは一歩も離れずに追いついて顔を覗き込もうとしてくる。真っ赤になった顔を必死に背けた。


「……その、だな。詳しい話は帰ってからだ」

「やはり、ジル……!」

「な、なんだ」


 ローレンスは感極まっているようだ。広場の中央でジルの肩に手をかけられて引き止められる。


(こんな公衆の面前で何か破廉恥なことをする気であれば、本気で逃げるからな!?)


 ジルがグッと腹に力を込めたその時、ミリシアの声が雑踏から響いた。


「ローレンス様? まあ、こんなところでお会いできるなんて!」

「おや、ミリシア」


 弟子が名前を呼ぶと、護衛を引き連れたミリシアは輝くような笑顔を見せた。完全に表情が恋する乙女状態で、ジルは気まずく思いローレンスから一歩距離をとる。


 駆け寄ってきたミリシアは旅装姿の二人を見て顔を曇らせた。


「あら、もしかして聖都の外へお出かけなさるのですか?」

「ええ、聖都での用事は済みましたので、チノン村に帰る予定です」

「えっ⁉︎ そんな……!」


 ミリシアはショックを受けたらしい、口元を覆ってよろめいた。


「帰るって、里帰りですか? 聖都にはいつ頃お戻りの予定なのでしょう」

「もうここに帰ってくる気はありません。あるとすれば、それこそ旅行で立ち寄るくらいでしょうか」


 ミリシアは顔面を蒼白にして、肩を震わせる。ローレンスはわずかに首を傾げた。


「顔色が悪いですね、こんな真冬に長時間外にいると体を冷やしますよ。そろそろ帰られては?」

「あ、あの……待って、ローレンス」


 ミリシアはローレンスのローブの端を掴んで、秀麗な面持ちを見上げた。


「私、貴方に伝えたいことがあるの」


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