対峙
どこかにザカリの隙がないか探りながら、ジルは推測を口にした。
「そうだ、お前には悪霊を移動させることはできない。けれどお前に協力する霊牧師がいれば話は別だ」
「霊牧師様に悪霊を箱に詰めてほしいとお願いするのですか? そんな命知らずなことはできません」
「そうか、やはり箱に詰めたんだな」
ピクリとザカリの肩が跳ねた。ジルの推測は当たっていたようだ。ここからが肝要だとジルは気合を入れ直す。
もう十七年も昔のことだし、実際に悪霊を箱に詰めた霊牧師はすでに墓の中にいるらしい。
当時の帳簿から大きな金額が動いたことはわかるが、項目も書かれていない。言い逃れられたら彼を捕縛することはできないだろう。
しかしそんな懸念はおくびにも出さず、ジルは堂々と胸を張った。
「私は箱に詰めたなどとは一言も言っていない。どうしてわかったんだ?」
「……いえ、ただそのように想像しただけですよ」
「いや、違うな。お前は実物を見たことがあるから箱と口にした」
ターニャが悪霊に殺されたのではないかとジルが疑っていたのは、まさにこの箱の存在があったからだ。
悪霊の気配が色濃く残る箱の中身はターニャを害し、チノン村の前任霊牧師の命まで奪った。ちょうど里帰りをしたジルが駆けつけなければ、ローレンスまで息たえていたことだろう。
あの時、ターニャを失った悲しみに沈みながらも、箱の存在を異質に思っていた。あれはザカリが送りつけた物だったのだろう。
「なぜターニャに箱を送りつけ、霊を取り憑かせたんだ。ターニャが目障りだったなら、追い出すだけでよかっただろう。殺す必要はなかったはずだ」
硬い声で問いかけると、彼は口の端を釣り上げて歪に笑った。狂人のようなおぞましい笑顔だった。
「カペロ様を冒涜し、天の高みから地上に堕とそうとする悪魔のような女を、野放しにしておくことなどできますまい。私は善行を成したのです、カペロ様をあの悪女から守って差し上げただけのこと!」
「ああ、もういい。話にならん」
不快気に話を遮るが、ザカリはますます興奮して言葉を連ねる。
「私は誓って神に背いてはおりません! カペロ様という、筆頭霊牧師を勤めるに相応しいお方の道を邪魔する羽虫を除去しただけのこと。なのに罪に問おうとすることの方がおかしい!」
「ターニャは羽虫ではない、人間だ。人殺しは犯罪だ」
「ふふふ、もしもそうだとして、今更私を捕らえるには遅すぎやしませんか。二十年近く前の話です、証拠など用意できませんよね? なにより、カペロ様はこのような戯言を信じるはずがありません」
「本当にそう思うか? 随分と頭がめでたいな」
「……何?」
ジルはザカリの塞いでいる扉にチラリと目をやってから、手で十字を切った。呪文を唱えると指先から光の束が発せられる。
ザカリは思わず腕で顔を庇ったが、光は彼の体をすり抜け扉の外へと出ていった。ザカリは馬鹿にしたように失笑する。
「はっ、私は悪霊でも生き霊でもないですよ、気でも狂いましたか!」
「おかしいのはお前だろう。お前がこれ以上変なことをしでかす前に、カペロ殿に報告しておかなくちゃな」
あくまでもふてぶてしい態度を崩さないジルに痺れを切らしたのか、ザカリは歯軋りをしながらジルへと一歩踏み出した。行く手を阻もうと足払いを仕掛けるが、なんなく避けられてしまう。
大した抵抗もできないうちに、ザカリは米神に青筋を浮かべながらジルの襟首を掴んだ。爪先立ちしながら顔をしかめる。
「カペロ様に伝えるだと? あのお方は羽虫の死を知っただけでもお心を傷めていたのに、これ以上の心労を与えるつもりか!」
「心労を与えているのはお前じゃないか? 奇妙な毒タバコを彼に吸わせたのも……」
ジルの言葉を遮りカペロが激昂する。
「黙れ、黙れ黙れ黙れ! 私は心からあの方をお救いしたかったのに、異国の商人が彼の才を妬んで毒を盛ったに違いない! 商人もお前も、それにあの羽虫も……目障りな奴らばかりだ、カペロ様に仇なす者は皆消えればいい!」
さっきからベラベラとカペロ、カペロと彼の話ばかりだ。他の人間をつゆ程も気遣う様子のない彼に、腹の底から沸々と怒りが湧き上がってくる。
(こんな自分勝手な奴の欲望によって、ターニャは犠牲になったのか)
ローレンスを頼むと伝えた時のターニャの表情からは、心底息子を大切に思っていることが窺えた。彼女だって生きて息子の成長を見届けたかっただろうに。
理性はこれ以上ザカリを刺激するなと訴えているが、気持ちが収まらなかった。たった一歳で母を失ったローレンスのことを思うと、黙ってはいられず怒りを吐き出す。
「自分の都合ばかり、人に押しつけるな!」
渾身の力を指先に入れて、ザカリの腕を引き剥がそうと試みる。敵の力も強くなり、ジルの抵抗を封じようと首に手を伸ばしてきた。
身を捩って避けようともがいていると、扉が凄まじい音を立てて破壊される。ジルは扉を開けた人物を目にして叫んだ。
「遅いぞ、ローレンス!」
「師匠こそ、もっと早く合図をください!」
剣で無理矢理扉をこじ開けたローレンスが肩で息をしている。ザカリは顔を驚愕の色に染めた。
「な……!? そうか、あの時の光は……クッ、小賢しい真似を!」
ザカリの注意が逸れて腕の力が緩んだ隙を逃さず、彼の手を振り払う。急いでローレンスの方に駆け出すが、脇をすり抜ける際に再び捕まり腕を捻りあげられてしまった。鋭い痛みが肩の付け根に走る。
「ぅぐっ!」
「ジル!」
ローレンスは姿勢を低くして、あっという間にザカリとの距離を詰めると鳩尾に思いきり拳を叩きこんだ。ザカリが身を屈めてジルの腕を離した隙に、腕の中に取り返す。
「彼に気安く触らないでください」
苦痛に呻くザカリを、ローレンスは冷たい目で見下ろした。
ローレンスはミリシアと出かけるように装いながら、彼女を別の護衛に任せて後からジルを追いかけてきていた。
一回目の合図では詳しい場所までわからなかったようだが、二回目の合図で間にあってよかったとジルは胸を撫で下ろす。
まだ呼吸の早いローレンスの体は温かく、触れていると安心感と共に胸が騒ぐような心地がする。
このまま抱かれていたいがそうもいかないだろうと身を離すと、扉の陰からもう一人の同行者が顔を見せた。
「ザカリ……」
「かっ、カペロ様……!」
喘ぐように呼気を漏らしたザカリは、カペロの名前を呼ぶだけで精一杯のようで彼の行動を止めることができない。カペロは小屋の中に足を踏み入れると、机の上の帳簿に視線を移した。
開いたままのページにはちょうど十七年前、霊牧師相手に多額の金額を払った旨が書かれている。くしゃくしゃになった手紙を床から拾い上げ、大方の事情を察したのだろう。カペロは目頭を覆った。
「お前をこんな罪深い行為に走らせてしまったのは、私が原因なのだな」
「いいえ、カペロ様! 罪だなんて……」
ザカリは主の前に跪き弁解しようとするが、カペロは遮るように首を振った。
「薄々お前の忠心が行き過ぎているように感じていた。しかしお前は本当によく働いて親身になってくれるから、甘えすぎていたようだ。本性を見抜けなかった私に非がある」
「そんな、カペロ様にはなんの瑕疵もございません! 貴方様は完璧なお方です!」
「……少し、黙っていてくれ」
悲痛な声を上げるザカリを前に、カペロは疲れたようにため息を吐いた。懺悔してもしきれないと言いたげに顔を俯かせた筆頭霊牧師は、しばらくの間動くことができなかった。
**9**
ザカリを教会に連れ帰り地下の牢屋に収容したカペロは、何歳も老け込んだように見えた。未だに己の罪を罪と思っていないザカリは、壊れた理論を口から吐き出し牢から出すようカペロに訴えているが、彼はザカリを無視して歩き出す。ジルとローレンスも地上に戻るよう促した。
筆頭霊牧師の執務室に場所を移すと、ローレンスがお茶を入れてくれた。来客用のテーブルにジルとローレンスも腰掛け、カペロと対面する。
「すまなかったな、ジル殿。二度も面倒ごとに巻き込んでしまったようだ」
「いえ、私も彼女の死の真相について気になっていたので」
「ローレンスに進言されるまで信じられなかったが、やはりザカリがターニャを手にかけていたのだな……」
執務室が重い空気に包まれる。ターニャの死はここにいる三人にとって影響が大きく、特にカペロは一言では言い表せないほど複雑な心境にいるらしい。
自分を心から敬愛してくれていた部下が、最愛の女性を殺したことに強い衝撃を受けていた。
ローレンスは眉尻を下げながら、遠慮がちにカペロの肩に手を伸ばす。一度だけ肩を叩いた手はすぐに引っ込んだが、カペロはゆっくりと顔を上げた。
「貴方のせいではありませんよ」
「いいや、私のせいだ。ザカリの狂信的な態度に気づいていたにも関わらず、彼から浴びせられる尊敬の念が心地よく手放しがたかった。ターニャが私から去った後も献身的に支えてくれたことで、目を曇らせていたのだ」
それを言うならジルだってそうだ。ターニャが卒業後も聖都で暮らしていると信じこみ、彼女の異変に気づかず呑気に学生生活を送っていた。
ジルの顔が俯くのを察したローレンスは、愛する人の肩に手を置く。横目でローレンスを見ると、彼はカペロに強い眼差しを向けていた。
「勘違いしないでください。すべての罪を自分のせいだと思っていては、また心を病んでしまいますよ。貴方ではなく、ザカリが人殺しをしたのです」
ローレンスは一度言葉を切り、ジルの方を向いてはっきりと言い放つ。
「貴方のせいで、母が死んだ訳ではありません」
心の深いところまで切り込むような一言だった。目を見開きながら顔を上げると、勇気づけるようにローレンスは自然な笑みを唇に乗せた。魅入られたように視線が外せなくなる。
(この表情は……ターニャに、とてもよく似ている)
ローレンスの顔立ちが一瞬、ターニャに重なって見えた。彼女にも同じように、勇気づけるような凛とした笑顔で見下ろされたことがある。
『ジル、私が側にいなくて寂しいかもしれないけど、きっと貴方なら大丈夫よ。私と貴方は同じ村に育って、同じ神学校に入学することになるわね。でも貴方と私は同じじゃない。ジルはジルの人生を生きるんだから』
神学校へと旅立つ前に、ターニャが口にした言葉だ。流行病で親を亡くした彼女はどこか達観したようなところがあり、時々大人っぽく難しいことを口にしていた。当時七歳になったばかりのジルは、彼女の言葉の真意がわからず不貞腐れたものだ。
今、どういうわけか急に思い出した記憶は大人になった今、はっきりと理解することができた。
(ジルはジルの人生を生きるんだって言われて、当時は突き放されたように感じていたが、そうじゃなかったんだな)
ターニャはきっとジルの恋心に気がついていた。けれど精神的に大人にならざるおえなかった彼女はそれを受け入れも否定もせず、知らないふりをしていたのだろう。
ローレンスに同じような気持ちを抱いたジルだからこそわかる。彼女は本心から、ジルの幸せを願っていたのだと。
貴方の気持ちに応える気のない私なんかにかまけていないで、他に目を向けて幸せになってほしい。きっと彼女はそう思っていたのだろう。
「私は……ターニャを守れなかった。それでもローレンス、君は私になんの落ち度もなかったと言うのかい」
しわがれた老人のような声が思考を遮る。カペロは弱々しく肩を落としながら息子の姿を見つめた。
「なんの落ち度もなかったとは言っていませんよ。貴方は繊細で優しすぎるところがある。悩みに気を取られるあまりに、母の身の安全にまで気を配れなかったという罪はあると思います」
ローレンスは実の親の心情を慮り言葉を柔らかくしながらも、指摘を続けた。
「けれど、気配りの欠如は母が死ぬ原因の一因でしかなかった。当時のザカリの言動に気づいていれば、彼にもっと良識があれば、誰かが母の側についていれば、金に目を眩ませザカリに協力する霊牧師がいなければ……」
弟子はふうとため息をつくと、肩を竦めた。
「すべては仮定の話に過ぎません。すでに首謀者も捕らえたことですし、過ぎたことを悔やむよりも先のことを考えませんか」
あっさりと至極当然な結論に達したローレンスを見て、ジルはなんだか笑いが込み上げてきた。肩をこっそり震わせるが、隣にいる彼にはすぐに見破られてしまったらしい。
「師匠?」
「くくく……いや、その通りだと思ってな」
「でしょう? だから師匠も、僕と一緒に未来のことを考えてみてください」
未来かと、ジルは感慨深く言葉を脳内で反芻する。ちょうど記憶の中のターニャに背中を押されたことだし、そろそろ腹を括る時が来たのかもしれない。
「ああ、そうだな。前向きに検討する。そろそろ私も、私の人生を生きるべきだろう」
収まらない笑みと共に美しい金の瞳を見つめると、ぱちりと瞬きをされた。美麗な上に好みそのものの顔をうっとりと見つめる。いつだって綺麗だと思っていたけれど、今日は特別輝いて見えた。
恋は人を変えるというが、本当にその通りだと実感する。吸い込まれそうな金の瞳を心いくまで眺め、笑みを深めていく。
(わかっているか、ローレンス。私はお前の勧めに従って、お前との関係を前向きに考えると決めたんだぞ)




